村上春樹 『風の歌を聴け』 講談社 1982

今日が誕生日のまろまろ@Happy Birthday to me!

さて、『風の歌を聴け』村上春樹著(講談社)1982。

「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

作家・村上春樹はこの文章からはじまった。
原著1979年初版のデビュー作。

29歳の「僕」は、21歳の時の8月8日から8月26日までの19日間を書き出す。
その時の「僕」は、海辺の地元に帰省していて、友人と退屈な日々をおくっていた。
女の子との出会いとこれまでの「僕」の人生の思い出が錯綜しながら物語は進んでいく・・・

断片的な物語から構成されている青春小説。
一つ一つの章が短い上に、「☆」でさらに区切られているので、これまで読んだ村上春樹の小説の中で一番読みやすかった。
内容の方も、村上春樹らしいつかみどころのなさと、青春小説らしい切なさが入り交じって、
これまたこれまで読んだ村上春樹の作品の中では一番印象深い読後感があった。

ちなみに僕(まろまろの方)は、村上春樹の小説を常に誰かに薦められて読んでいる。
この『風の歌を聴け』も、朝オフ会でスタバのシュガードーナツを食べている時に、
「まろまろさんって『風の歌を聴け』の主人公に似てますよね」と言われたのが手にしたきっかけになっている。

ただ、似ていると言われても村上春樹の小説の主人公は、感情移入がしにくい。
これまでの作品の表現を引用すれば、「カジュアルな関係」や「カラフルな体験」など、
突発的に女性と関係を持つような、不自然なモテモテぶりに違和感をおぼえるからだ。
(こんな大学生活おくってない・・・)

いや、別にうらやましいと思っているわけではない。












・・・ホントだよ(T_T)

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2009 5/26
小説
まろまろヒット率4

リチャード・ドーキンス、垂水雄二訳 『神は妄想である』 早川書房 2007

新型インフルエンザの感染拡大の流れで今週一週間お休みになったので、まろまろ茶話会2009の準備をしはじめている、
まろまろ@一両日中にもこのまろまろメルマガで告知します(*^_^*)

さて、『神は妄想である』リチャード・ドーキンス著、垂水雄二訳(早川書房)2007。

『利己的な遺伝子』『盲目の時計職人』で知られる進化生物学者、リチャード・ドーキンスが神の存在と宗教の価値を否定する本。
原題もずばり“The God Delusion”

この本がすごいのは、科学的手法を使って神の存在を否定するだけでなく、神に救いを求めること自体を否定しているところだ。
たとえば、よく耳にする宗教心が道徳の指針になるという主張や、超自然的な存在に救いを求める人間の心理に対しても、
進化心理学の研究結果や実際の聖典の読解を通じて、道徳の指針としても心の寄り処としても宗教は不適格だと言い切っている。

科学的な証拠を積み重ねながらも、軽快な口調で論理展開していく手法は、まさにリチャード・ドーキンスらしいところ。
さらにこれまでの著書での知見を駆使しているので、この本はリチャード・ドーキンスの集大成とも言える。

それだけに、啓蒙書として書かれていることもあって、押し付けがましく感じる面もある。
たとえば、人間にはもともと隣人愛や道徳心が進化的に獲得されてるのに、あえて宗教に惹かれる原因を、
「飛んで火に入る夏の虫」と同じく進化的に獲得されたプログラムの誤作動だと言い切っているところ。
さらに超自然的なものに救いを求めることは、「くるぶしを挫いた瞬間に、誰か告訴できる相手がいないかと見まわす人間の幼児性と同じである」
と最終章で結論づけているところなどには、”You have so much smart than us, Prof. Dawkins.”と思わず突っ込みそうになった(w

ただ、イギリスの、しかも神学が発祥のオックスフォード大学の教授でありながらここまで言い切るのは勇気がいること。
それは、子供に対する宗教教育は精神虐待であることについて一章をさいているように、
宗教がもたらす流血や紛争の悲劇に対して、科学者の立場から真実を語ろうとしているからだというのは理解できる。
(日本の場合は”神”を”霊”に置き換えると分かりやすいかも)
現にドーキンスがこの本を書いたのは、9.11同時多発テロがきっかけになっている。

「科学は一般に、工学技術とはちがって、常識を侵害するものである」と言っているように、
常識と真実がぶつかった時は真実を取るというその姿勢には素直に感銘を受ける。
(確かに一般常識や社会常識を振りかざす人は、無知蒙昧で可能性の少ない人が多い)

そうした科学者としての迫力も含めて、まろまろヒット率5。

以下はチェックした箇所・・・

○もし< 神>という言葉によって、宇宙を支配する一連の物理法則を意味するのであれば、そのような神は明らかに存在する。
この神は情緒的な満足感を与えてくれるものではない。・・・重力の法則に祈ってもあまり意味がない(カール・セーガン)
<第1章 すこぶる宗教的な不信心者>

○私は要らぬ侮辱をするつもりはないが、宗教を扱うのに、ほかの事柄よりも手控えた扱いをして甘やかすつもりはない
<第1章 すこぶる宗教的な不信心者>

○ありえなさという問題に対する答として自然淘汰が有効であり、偶然と設計がはなから不適格であるのはなぜだろう?
その答は、自然淘汰が累積的な過程であり、これが、ありえなさという問題を小さな断片に分割するから、である
<第4章 ほとんど確実に神が存在しない理由>

○設計者仮説はただちに、その設計者を誰が設計したのかというさらに大きな問題を提起する
<第4章 ほとんど確実に神が存在しない理由>

○信仰者のほうが懐疑論者よりも幸福であるという事実は、酔っぱらいのほうが素面の人間よりも幸せだという以上の意味はない(ジョージ・バーナード・ショー)
<第5章 宗教の起源>

○生まれつきの二元論と生まれつきの目的論があいまって、適切な条件が与えられれば、私たちはたやすく宗教へ走ってしまう。
ちょうど、先の光コンパス反応がガをうっかりした「自殺」に追いやったように
<第5章 宗教の起源>

○ほかの誰か(子供の場合は両親、大人の場合は神)が、あなたの人生に意味と理由を与える責任があるという仮定には、どこか幼児的なものがある。
くるぶしを挫いた瞬間に、誰か告訴できる相手がいないかと見まわす人間の幼児性とまったく同じである
<第10章 大いに必要とされる断絶?>

☆科学は一般に、工学技術とはちがって、常識を侵害するものである
<第10章 大いに必要とされる断絶?>

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2009 5/18
宗教、科学、進化論、学問一般
まろまろヒット率5

塩野七生 『男の肖像』 文藝春秋 1992

今年はまろみあん茶話会(オフ会)を開催してみようかとも思っている、まろまろです。

さて、『男の肖像』塩野七生著(文藝春秋)1992。

『ローマ人の物語』『海の都の物語』『マキアヴェッリ語録』などで知られる作家、
塩野七生が歴史上の人物に対して人物批評するエッセイ。

雑誌連載だったということもあって、一人一回の読み切り形式になっているので読みやすい。
著者自身も書いているけれど、あまりよく調べていないで想像だけで語っている部分も多く、
これまで読んだ著者の作品の中では、分量的にも内容的も一番軽い本。

ただ、軽く書かれているだけあって、著者の主観がそこかしこに散りばめられている。
特に「惚れる」というところに注目して人物批評をしているのがおもしろいと感じた。
たとえば、西郷隆盛について批評している回では・・・
「この人の許で死ねるならば、死さえも甘く変わるとなればどうだろう。
私がもしもあの時代に生まれていたならば、坂本竜馬あたりは他の女たちにまかせておいて、西郷隆盛に惚れたであろう。
そして、田原坂あたりで、銃弾うけちゃったりして・・・」
・・・と語っているのには思わず笑ったしまった。

また、ウィンストン・チャーチルの批評の回では、「不名誉なことをしながら高潔さを失わなかった」という点で、
ウィンストン・チャーチルを「最後のヨーロッパ人」と批評しているのも印象深い。

著者の他の作品同様、優しい眼で読めばけっこうおもしろい一冊。

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2009 5/6
歴史、エッセイ
まろまろヒット率3

塩野七生 『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』 新潮社 上中下巻 2008

読書日記にも出てくる友人の結婚式で友人代表としてスピーチをした、まろまろです。

さて、『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』塩野七生著(新潮社)上中下巻2008。

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』に続いて、「危機の3世紀」をむかえたローマ帝国の内外の動揺をえがく、シリーズ第12段。
ゲルマン人やササン朝ペルシアなどの周辺勢力の台頭と侵入、ガリア帝国やパルミラ王国などの内部分裂に代表される、
200年近く続いたパクス・ロマーナ(Pax Romana、ローマの平和)が大きく崩れていく様子を中心にして、
元老院と軍隊の分離、ローマ市民権の価値の低下、短命な数々の軍人皇帝など、ローマ社会の変容が生々しくえがかれている。

特に興味を持ったのが、アレクサンデル・セヴェルス帝の失敗にいて著者が述べているところだ。
「歴史は、現象としてはくり返さない。だが、この現象に際して露わになる人間心理ならばくり返す。
それゆえ、人間の心理への深く鋭い洞察と、自分の体験していないことでも理解するのに欠かせない想像力と感受性、
このうち一つでも欠ければ、かつては成功した例も、失敗例になりうる」
・・・というのは、経験至上主義&前例至上主義な人たちに欠けているものを、洞察力と想像力、感受性の三つに絞っていて興味深かった。
(確かに納得)

また、危機と動揺の世紀を迎えた人々の間に、一神教のキリスト教が浸透していく姿が不気味にえがかれている。
多様性ある多神教は、危機に弱いということなのだろうか。
毎回、続きの巻が読みたくなる終わり方は心憎い(w

以下は、その他でチェックした箇所・・・

○人間は、自らの本質に基づいた行為をしたとき、成功の確率は最も高くなる

○歴史に接するに際して最も心すべき態度は、安易に拒絶反応を起こさないこと

○変わるといってもたいした喧嘩はないでないか、と思わせること
→このことくらい、善男善女を動かすのに有効な戦術もない

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2009 4/28
歴史、政治
まろまろヒット率3

追記:全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・

『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』

『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』

『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』

『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』

『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』

『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』

『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』

『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』

『ローマ人の物語24,25,26 賢帝の世紀』

『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』

『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』

『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』

『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』

『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』

落合務 『ラ・ベットラの定番スパゲティ』 幻冬舎 2001

まろうさクッキーをいただいて感動した、まろまろです。

さて、『ラ・ベットラの定番スパゲティ』落合務著(幻冬舎)2001。

日本一予約が取れないお店として知られる、イタリアンレストラン・ラベットラの落合務シェフによる料理本。
もともと『イタリア食堂「ラ・ベットラ」のシークレットレシピ』は愛読書の一つだけど、こちらはパスタ、特にスパゲッティに特化したレシピ集になっている。

最近、念願叶ってラベットラに訪問して味を確認。
ゴールに自信が持てるようになったので(w、さっそく手に取った一冊。
(実は店内にも置いてあったので、この本に載っているパスタを選択した)

読んでみると、どれも簡単に手に入る食材で、シンプルな工程なのが落合務シェフらしい。
特に印象に残ったのは・・・

・不仲の例えにあるように、水と油は混ざりにくいものだけど、フライパンを細かく揺すりながら乳化させて一体化させることの大切さを強調している点

・「焦げを恐れるな」と言って積極的に焦げ目をつけることを推奨している点
(実際に赤ほお肉の赤ワインソースは焦げた苦みがアクセントになっていた)

・・・などだ。

また、食材を選ぶ眼を養うことが大切で、料理の方は「普通に料理ができてりゃあいいさ」と言いきっているのも落合務シェフらしいところだと感じた。

『イタリア食堂「ラ・ベットラ」のシークレットレシピ』と同じく使いやすいレシピ集。

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2009 4/14
料理本
まろまろヒット率3

石田修大 『日本経済新聞「私の履歴書」名語録』 三笠書房 2008

教え子が希望する進路に進んで感無量な、まろまろです。

さて、『日本経済新聞「私の履歴書」名語録』石田修大著(三笠書房)2008。

日本経済新聞の最終面に連載されている「私の履歴書」の中から、それぞれの人を象徴する言葉を抜き出した名言集。
著者はかつて日経新聞の記者として「私の履歴書」を担当していた人物。
「私の履歴書」には最近ちょっとした縁があったので、これも機会にと手に取った一冊。

読んでみて特に興味を持ったのは、阿久悠(作詞家・作家)がメディアとしてのテレビについて語っている言葉だ。
たとえば・・・
「テレビを見る人は、自分の城の中で、もっとも自分が寛いだ姿勢で何かを行いながら、せいぜい二メートルの距離の小さく縮小されたスターを見る。そうなると、非日常の魔力は効力を発揮しない。だからテレビは、日常性の中での常識的な魅力を見つけなければならない。」
・・・というのは、今のテレビ・メディアの問題点にも通じる点だと感じた。

また、彼自身が企画した「スター誕生!」の方針である・・・
「テレビのスターとは、手の届きそうな高嶺の花か、手の届かない隣のミヨちゃんであるべきだ」
・・・という言葉は、アイドル全盛時代の立役者の一人としての言葉には重みがあった。

他にも、部下の失敗に寛容で知られる吉田忠雄 YKK創業者を紹介している箇所で、著者が・・・
「失敗をおそれるなという経営者は多いが、実際におそれる必要はないことを吉田のように制度や実例で示さなければ、社員は動き出さない。」
・・・と述べているのにも妙に納得してしまった。

以下は、その他でチェックした箇所・・・

○「・・・会社にしがみつかず、反対されても言いたいことを言い、やりたいことに挑戦した。人間は何かにしがみつくと本当の力は出せない。」
鈴木敏文 セブン&アイ・ホールディングス代表取締役社長・CEO

○「私は自分と同じ性格の人間とは組まないという信念を持っていた。自分と同じなら二人は必要ない。」
本田宗一郎 本田技研工業創業者

○「人にほめられて有頂天になり、人にくさされて憂うつになるなんておよそナンセンス。
なぜなら、そんなことぐらいで自分自身の値打ちが急に変わるものではない。」
立石一真 オムロン創業者

○「ぼくは自分に与えられた仕事がつまらないと認めることが厭なので、つまらないと思える仕事ほど一生懸命やるところがあった。
・・・すると、その無駄な抵抗ぶりと期待以上の成果を見ていてくれる人がいた。常にそうだった。」
阿久悠 作詞家・作家

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2009 3/30
名言集
まろまろヒット率3

宮城谷昌光 『中国古典の言行録』 文藝春秋 1992

20年連れ添ったホームズ(オスの雑種猫)とお別れした、まろまろ@哀しいけど今は感謝の気持ちを持っています。

さて、『中国古典の言行録』宮城谷昌光著(文藝春秋)1992。

『太公望』『沈黙の王』などの古代中国を舞台とした歴史小説を多く手がける著者による中国古典の名言集。
易経、史記、論語、孟子、貞観政要、韓非子などの古典の名句に対して、著者らしい解説をしている一冊。

中でも一番印象に残ったのは、「戦いは必勝にあらざれば、以て戦いを言うべからず」(『尉繚子』)についての解説部分で・・・
「戦いは、勝つべくして、勝たねばならない。そう考えてこそ、はじめて人としての上達がある」、
「人は、生きるべくして、生きるのであり、死ぬためだけに、生まれてきたわけではないのである」
・・・と言いきっているところだ。
したり顔で現状維持している人間は単に現実に酔っているだけで、何かを創めようとするならば、
たとえ無謀な一歩でも必要な時があると思う傾向が僕には強い。
それでも「勝つべくして勝とうとしなければ上達が無い」とする著者の言葉には深く感じるものがあった。

さらに、「嫌を避くる者は、皆内足らざるなり」(『近思録』)については・・・
「人から嫌われることを避けようとする者は、こころの修行ができていない」、
「自分の良いところだけをみせようとする人は、自分にとって都合のよい状況を選び、
あるいは、つくりだそうとするわけだから、彼の決断や決定は、不確かなものにならざるをえない」
・・・と解説しているのにも深く考えるところがあった。

また、「軍に小聴無く、戦に小利無し」(『司馬法』)について・・・
「思いつきは解決を求めているが、成果を求めるものではない」
・・・との解説は、確かに最近そんな人がいたので読んでいて笑ってしまった。

他にも、「青はこれを藍より取りて、しかも藍より青し」(『荀子』)については、
その最後の句が「福は禍いなきより長なるはなし」となっているところから、
藍と青は師匠と弟子では無くて、自分自身の成長のことだとしている点などにも興味を持った。

以下はその他にチェックした箇所・・・

○道は近きに在り、しかるにこれを遠きに求む
『孟子』

○守約にして施博き者は,善道なり
『孟子』

○先ず其の言を行うて、而して後にこれに従う
『論語』

○和は実に物を生じ、同はすなわち継がず
『国語』

○物を以て喜ばず、己を以て悲まず
『近思録』

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2009 2/2
名言集
まろまろヒット率4

宮城谷昌光 『沈黙の王』 文藝春秋 1995

牡蛎の産地、岡山県の日生でカキフライソフトクリームを食べてきた、まろまろです。

さて、『沈黙の王』宮城谷昌光著(文藝春秋)1995。

言語障害を持つ商(殷)の王子、子昭は言葉を求めて旅に出る。
困難と出会いを通じて、ついに子昭は目に見える言葉=文字を生み出す・・・

漢字の原型である甲骨文字を創ったとされる商の高宗・武丁をえがく表題作、
「沈黙の王」を含めた五編の短編集。

古代中国を舞台にした歴史小説を多く手がける著者の作品集だけに、
どの作品も伝説と史実の狭間にある時代が活き活きとえがかれている。

中でも晋の名臣、叔向の活躍と嫁取りをえがく「鳳凰の冠」は、
謎かけが解けるラストの余韻が印象深かった。

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2009 1/25
歴史小説
まろまろヒット率3

スティーヴン・キング、池央耿訳 『小説作法』 アーティストハウス 2001

まろまろ@2009年も明けましたね!
今年もどうぞよろしくお願いします(^_-)

さて、『小説作法』スティーヴン・キング著、池央耿訳(アーティストハウス)2001。

『ショーシャンクの空に』『グリーン・マイル』『スタンド・バイ・ミー』などで知られる
現代アメリカを代表する作家、スティーヴン・キングが自らの半生と創作について書いた一冊。
原題は”On Writing: A Memoir of the Craft” (2000)。

内容は自伝、エッセイ、作文指南の三つの要素が入っているので、
単なるhow toにとどまらず、スティーヴン・キングらしい表現が散りばめられている。

たとえば文章とは何か?という問いに対しては、「もちろん、テレパシーである」と断言しているし、
修飾語を多用することの弊害を・・・
「飼い猫や犬にイヴニングドレスを着せるようなもので、当のペットも迷惑だし、計算ずくの可愛らしさを押しつけた飼い主は、それ以上にみっともない」(道具箱)
・・・などと書いているのは著者らしいユーモアを感じた。

そんな中でも特に印象に残ったのは・・・
「世界を丸ごと作品に書き込むことはできない。しかし、自分が最も大切にしている世界は書ける。それこそが作品である」(小説作法)
・・・という一節だ。
これは小説のみならず、すべての表現に通じることではないだろうかと強く心に残った。

また・・・
「私が何よりも重きを置くのは残響である」(小説作法)
・・・というのはというのはスティーヴン・キングの作品に共通しているものなので説得力があった。

さらに・・・
「描写は作者の想像に発して読者の印象に帰結すべきものである」(小説作法)
「優れた小説は必ず、物語にはじまって主題に辿り着く」(小説作法)
「文章の極意は、不安と気取りを捨てることである」(道具箱)
・・・などは覚えていこうと思った。

ちなみにスティーヴン・キングの小説を読んでいると、面白いところではあるけれど、
時々描写や表現が長ったらしく感じることも多々ある。
でも、そんなスティーヴン・キングでさえ、削ることを強く意識しているのは興味深かった。
(「プロの作家といえども初稿はおそまつなもの」と言っている点も納得)

以下は、チェックした箇所・・・

○ドアを閉じて書け。ドアを開けて書き直せ。
すなわち、文章の出発点は自分だが、書かれた文章は人の目にさらされるということである。
<生い立ち>

☆文章とは何か?
もちろん、テレパシーである。
<文章とは何か>

☆文章を書く上で心して避けなくてならないのは、語彙の乏しさを恥じて、やたらに言葉を飾ることである。
これは飼い猫や犬にイヴニングドレスを着せるようなもので、当のペットも迷惑だし、計算ずくの可愛らしさを押しつけた飼い主は、それ以上にみっともない。
<道具箱>

○要は平明、簡素を心懸けることである。語彙に関しては、適切で生きがいいと思える限り、真っ先に浮かんだ言葉を使うという鉄則を忘れてはいけない。
<道具箱>

○消極的な愛人が受け身の態度を好むと同様、臆病な作者が受け身に逃げる。
<道具箱>

☆文章の極意は、不安と気取りを捨てることである。
名文と悪文を区別せずにはいられないことにはじまって、気どりそれ自体が小心者のふるまいだ。
<道具箱>

○私の場合、短編であれ、長編であれ、小説の要素は三つである。
話をA地点からB地点、そして、大団円のZ地点へ運ぶ叙述。
読者に実感を与える描写。
登場人物を血の通った存在にする会話。
この三つで小説は成り立っている。
<小説作法>

○構想を練ることと、作品の流れを自然に任せることはとうてい両立しない。
ここはよくよく念を押しておきたい。
作品は自律的に成長するというのが私の基本的な考えである。
作家の仕事は作品に成長の場を与え、その過程を文字に写し取ることだ。
<小説作法>

☆描写は作者の想像に発して読者の印象に帰結すべきものである。
<小説作法>

☆優れた小説は必ず、物語にはじまって主題に辿り着く。
主題にはじまって物語に行き着くことはほとんどない。
<小説作法>

☆私が何よりも重きを置くのは残響である。
固定的な読者が巻を閉じた後、その頭と心に余韻が尾を曳いたら本望だ。
<小説作法>

○初稿を人に見せることについて・・・
野球なら、同店はランナーに有利、小説では作者の得である。
誰かが結末を絶賛し、別の誰かがぼろくそに言った場合も事情は同じ。
評価は互角で、作者は大威張りである。
<小説作法>

☆世界を丸ごと作品に書き込むことはできない。しかし、自分が最も大切にしている世界は書ける。
それこそが作品である。
<小説作法>

○作者がひたすらただ一人を思って書く、その相手を今からは理想の読者(Ideal Reader)、略してIRと呼ぶことにしよう。
<小説作法>

○書くことが人生ではないが、場合によっては、人生の本道に立ち返るよすがである。
<小説作法>

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2009 1/1
エッセイ、作文指南
まろまろヒット率4

Arnold Lobel "Frog and Toad Are Friends" Harpercollins Childrens Books 1970

I have uploaded “By Shakespear” to maromaro words.
Then you can use it insted of “up to you”, if you would like to ;-).

“Frog and Toad Are Friends”, written by Arnold Lobel, Harpercollins Childrens Books, 1970.

“Frog and Toad Are Friends” is composed of 5 short stories which are dialogue of friendship between Frog and Toad.
They are an odd, but endearing couple, and hop along through stories.
Every story goes rhythmical, and even impressive.

My favorites in the book are “SPRING”, “THE STORY” and “THE LETTER”.

“SPRING” was comical, in which Frog (the one is more cheerful and smarter) uses his wit to convince Toad (the one thinks things in negative way) that it is time to wake up.

“THE STORY” was humorous and heart-warming.
In this story, Toad struggles to think up a story to make ailing Frog feel better.

The last one, “THE LETTER” was touching.
Frog tries to send a letter to Toad who is waiting mails day after day.
Frog asks a snail to carry it and it takes 4 days.
Everyone knows snails are the slowest creatures alive!

I love this book 😉

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2008 12/22
洋書、絵本、English
まろまろヒット率4

annotation; this readingdiary was assisted by maropro.