存在感の小ささを表わす言葉。
もともとは妹の結婚式にて、思い出映像集の中での兄の扱いが飼っていた猫以下だったことから、「男兄弟なんて付け合わせのパセリくらいの存在感・・・」とつぶいやいたことから来ている。
あるにはあるが、あえて言及されるほどでは無い程度のことを表現する。
応用例:さらなる格下げとして「バランくらいの存在感」もある※
※:バラン=お弁当に入っている笹切りを模したプラスチック製の仕切りのこと。
since July 19th, 2001
存在感の小ささを表わす言葉。
もともとは妹の結婚式にて、思い出映像集の中での兄の扱いが飼っていた猫以下だったことから、「男兄弟なんて付け合わせのパセリくらいの存在感・・・」とつぶいやいたことから来ている。
あるにはあるが、あえて言及されるほどでは無い程度のことを表現する。
応用例:さらなる格下げとして「バランくらいの存在感」もある※
※:バラン=お弁当に入っている笹切りを模したプラスチック製の仕切りのこと。
”水”のこと。
サリバン先生 (Mrs. Anne Sullivan) が、ヘレン・ケラーに井戸水を使って”water”の言葉を伝えたエピソードにあやかっている。
食事の際に使えるまろまろ用語集としては”おなかヘリコプター”よりも使いやすいが、
『奇跡の人』などを通じてこのエピソードを知らない人には通じないというデメリットもある。
用例:コジャレたお店で、「今はサリバン先生な気分なんだ」とつぶやくなど
お願いしますの変化系。
マウス(mouse=ネズミ)とかけているので、チューチューという鳴き声を入れているのがポイント。
メールの文末に入れると効果的である。
類似例:お願いシマウマなど
“Mr.Children”(ミスター・チルドレン、ミスチル)の歌詞にあるようなアイデンティティのゆらぎを感じること、またはそのことにひたる人を意味する用語。
もともとは、「自分を見失った」という言う知人に対して、「お前はミスチルの歌か?」と突っ込んだことがきっかけとなって誕生した用語である。
以来、”自分探し”や”本当の自分”という、そもそもあるのかどうかもよく分からないものを求める行為や、そういう自分に酔う人を指し示す用語として活用されている。
ちなみに、一人でせつない気分にひたる”コブクロる”もある。
使用例:「自分が何をしたいのか分からない」という相手に対して「今日も元気にミスチってるね」と励ますなど
見栄を張る人のこと。
国際表記は”Le MIE-Parisien”。
まろまろは人生の中で不必要な見栄を張って失敗したことが何度かある。
その一つがいわゆる「白い見栄っパリジャン事件」として語り継がれるエピソードである。
まろまろはお酒を飲まないのにも関わらず、肝臓を壊して病院に担ぎ込まれたことがある。
その時の担当医がたまたま若くて綺麗な女医さんであったことから事件は起こる・・・
血液検査の時に、肝障害が発生する原因にはHIVや梅毒などSTD(性感染症)の可能性もあるとの説明を受け、
その場合の潜伏期間を推測するために「思い当たる節はありませんか?」との質問を受けた。
ツンドラーのリスト事務局長として「あ、それは100%大丈夫です!」と思わず言いそうになった矢先、
「いや待て、そんなにすぐ否定したらこんな綺麗な人に”こいつ寂しいやつだな”と思われてしまう・・・」ということが頭をよぎった。
そこでまったく無益なことながら「う~ん、どうだったかなぁ?」とつい見栄を張った応えをしてしまった。
その結果、一度でいい採血を二度にわたってすることになった。
当然ながら結果は陰性(Negative)であったが、その時も「よかったですね、陰性でした」と明るく言う女医さんに対して、
「いやぁ、安心しました。次からは気をつけます」と白々しく応えて、惨めさを倍増させてしまったものである。
人生において意地を張ることは時に大切であるが、見栄を張ることは何の益ももたらさないことを示すエピソードである。
類似例:女性の場合は「見栄っパリジェンヌ」 (“La MIE-Parisienne”)
「エンゲル係数注意報」の略語。
家計費のうちで飲食費が占める割合のことを、「エンゲル係数」(Engel’s coefficient)と呼ぶが、
このエンゲル係数が高い状態にあることを「エンゲルチュ」と呼ぶ。
まろまろもごはん日記などからエンゲルチュを指摘されることがある。
使用例:「今月はエンゲルチュだよ」と電車内で普通に語るなど
とても小さいということを表現する形容詞。
0.000000000001(1兆分の1)をあらわす単位”pico”(p)から来ている。
物理的な小ささよりも痛いものコレクター的に目に付く矮小さやみみちさを表現する際に、
「ピコピコしい」、「ピコってる」などという風に使用される機会が多い用語である。
また、ピコるほどでもないが小さい様を表現する際には0.000000001(10億分の1)をあらわす単位”nano”(n)を使用した「ナノナノしい」が使われることもある。
使用例:役人でもないのに小役人タイプな相手と喧嘩する時に「このピコピコ野郎め!」と罵倒するなど
まろまろの別名の一つ。
詩的な表現をする時や、「そして僕は途方に暮れる by金色麿生」という風に、途方に暮れた事があった時に使われることが多い。
これは大沢誉志幸の名曲『そして僕は途方に暮れる』を詩人・銀色夏生が作詞していることに由来しているが、
何分この歌自体が1985年にヒットした古いものなので元ネタを知らないまろみあんも多い。
まろまろはナウなヤングなのに、このような古い歌を前提にした別名を使うため、年齢不詳の度合いを一層強める結果となっている。
類似例:”らぶナベ”と名乗っていた2006年5月26日以前のメモでは”金色鍋生”として出てくることもあるが同じ意味である