塩野七生 『マキアヴェッリ語録』 新潮社 1992

僕はいい加減な人間だからどんなものにフリーライドすることになっても
良いと思うけど自分の人生に対してだけはフリーライダーには
ならないでおこうと思っている、らぶナベっす。

さて、そういうことも考えさせられた『マキアヴェッリ語録』
塩野七生著(新潮文庫)1992年初版の感想をば。
著者はヴェネツィアをえがいた名著『海の都の物語』で有名な作家。
女流作家には珍しくドライな視点と綿密な資料による裏付けを持ち、
だからと言って小さくまとまってはいないという
(彼女の描く男たちはみんなカッコ良い!(^^))
現在生きている歴史小説家の中では一番信頼できる本を出してくれると
僕が勝手に独断と偏見で思っている作家の一人。
現在はイタリアに住んでいて毎年一冊づつ、『ローマ人の物語』を出版している。
これも歴史に残る名著になりそうな流れ、いつかは読破してやろう(^_^)

この『マキアヴェッリ語録』自体はマキアヴェッリの本の完訳でも
要約でも解説でもない「抜粋」という形を取ってまとめられている。
抜粋集からさらに抜粋するというのも変な感じだが、
この本の中で一番僕が印象に残り気に入ったのが・・・
☆天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである。
『手紙』
→これはまさにマキアヴェッリらしいというかルネサンス期の
時代空気そのままといった感じの言葉、カッコ良いので気に入った(^^)

それと我が意を得たりと思った・・・
☆困難な時代には、真の力量(virtu)をそなえた人物が活躍するが、
太平の世の中では、財の豊かな者や門閥にささえられた者が、
わが世の春を謳歌することになる。
『政略論』
→つまり現代は僕が活躍できる可能性がちゃんと用意されているってこと、
生まれてくる時代は間違わなかったなとニヤリとできた箇所(^o^)

その他でこの抜粋集からさらに僕が抜粋したものが以下、
例のごとく「☆」重要と思い「○」が単なる抜粋、
「→」はそれに対する僕のコメント、
「☆」の抜粋に関しては印象深いものから順番を変えた・・・

☆決断力に欠ける人々が、いかにまじめに協議しようとも、
そこから出てくる結論は、常にあいまいで、
それゆえ常に役立たないものである。
また、優柔不断さに劣らず、長時間の討議の末の遅すぎる結論も、
同じく有害であることに変わりない。
・・・多くのことは、はじめのうちは内容もあいまいで不明確なものなので、
これらをはじめから明確な言葉であらわすことはむずかしい。
だが、いったん決定しさえすれば、
言葉など後から生まれてくるものであることも忘れてはならない。
『政略論』
→時々忘れてしまうが緊急の時には決して忘れてはいけないところだろう。

☆なにかを為しとげたいと望む者は、それが大事業であればあるほど、
自分の生きている時代と、自分がその中で働かねばならない情況を熟知し、
それに合わせるようにしなければいけない。
時代と情況に合致することを怠ったり、また、
生来の性格からしてどうしてもそういうことが不得手な人間は、
生涯を不幸のうちにおくらなくてはならいないし、
為そうと望んだことを達成できないで終わるものである。
これとは反対に、情況を知りつくし、時代の流れに乗ることのできた人は、
望むことも達成できるのだ。
『政略論』
→時代性を読みとる力が決定的な差になるという彼らしい言葉だろう。

☆幸運に微笑まれるより前に、準備は整えておかねばならない。
『戦略論』
→これは雌伏の時を過ごしている僕にとっては忘れてはいけない言葉。

☆運命が、われわれの行為の半ばは左右しているかもしれない。
だが、残りの半ばの動向ならば、運命もそれを、
人間にまかせているのではないかと思う。
『君主論』
→ドライな視点が決してギスギスしている訳じゃないということを
教えてくれる言葉。

☆人の為す事業は、動機ではなく、結果から評価されるべきである。
『政略論』
→彼の現実主義的な特徴はこの一言に要約されているだろう。

☆思慮だけならば、考えを実行に移すことはできず、
力だけならば、実行に移したことも継続することはできない・・・
『若干の序論と考慮すべき事情をのべながらの、資金援助についての提言』
→バランスってやつ。

☆必要に迫られた際に大胆で果敢であることは、
思慮に富むことと同じと言ってよい。
『フィレンツェ史』

☆運命がなにを考えているかは誰にもわからないのだし、
どういうときに顔を出すかもわからないのだから、
運命が微笑むのは、誰にだって期待できることであるからである。
それゆえに、いかに逆境におちいろうとも、
希望は捨ててはならないのである。
『政略論』

☆(大事業を提唱する際の危険性を避ける方法として)
つまり提唱者は自分であるということを明示してはならず、
そのうえ、提唱する際にも、やたらと熱意をこめてやってはならない。
この種の配慮は、たとえあなたの考えが実行に移されても、
それは彼等が自身で望んだからであって、
あなたの執拗な説得に屈服したからではないと、思わせるためなのである。
・・・第一は、危険を一身に負わなくてもよいということである。
第二は、もしもあなたの提唱する考えが容れられず、
代わりに他の人の案がとりあげられ、それが失敗に終わった場合、
今度はあなたが先見の明があったということで賞賛される・・・
『政略論』
→ちょっとせせこましい気もするが一考する価値はある、
なにしろでかいことをやるのには体力と時間と精神力がかかるから
こういうスタンスで参加しても良いのだろう。
ちょっとスケールは小さくなるだろうけど(^^;

○個人の間では、法律や契約書や協定が、信義を守るのに役立つ。
しかし権力者の間で信義が守られるのは、力によってのみである。
『若干の序論と考慮すべき事情をのべながらの、資金援助についての提言』

○君主(指導者)は、それをしなければ国家の存亡にかかわるような場合は、
それをすることによって受けるであろう悪評や汚名など、いっさい気にする必要はない。
・・・たとえ一般的には美徳(virtu)のように見えることでも、
それを行うことによって破滅につながる場合も多いからであり、
また、一見すれば悪徳のように見えることでも、その結果はと見れば、
共同体にとっての安全と反映につながる場合もあるからである。
『君主論』
→ここらへんはいかにもマキアヴェッリらしい

○思慮深い人物は、信義を守りぬくことが自分にとって不利になる場合、
あるいはすでに為した当時の理由が失われているような場合、
信義を守りぬこうとはしないし、また守りぬくべきではないのである。
『君主論』

○人間というものは、自分を守ってくれなかったり、
誤りを質す力もない者に対して、忠誠であることはできない。
『若干の序論と考慮すべき事情をのべながらの、資金援助についての提言』

○わたしは、愛されるよりも怖れられるほうが、
君主にとって安全な選択であると言いたい。
なぜなら、人間には、怖れている者よりも愛している者のほうを、
容赦なく傷つけるという性向があるからだ。
『君主論』

○共和国において、一市民が権力を駆使して国のためになる
事業を行おうと思ったら、まずはじめに人々の嫉妬心を
おさえこむことを考えねばならない。
・・・第一は、それを行わなければ直面せざるをえない困難な事態を、
人々に納得させることだ。
・・・第二の方策は、強圧的にしろ他のいかなる方法にしろ、
嫉妬心をもつ人々が擁立しそうな人物を滅ぼしてしまうことである。
・・・人々の嫉妬心が、善きことをしていれば自然に消えていくなどとは、
願ってはならない。邪悪な心は、どれほど贈物をしようとも、
変心してくれるものではないからだ。
『政略論』

○君主は、自らの権威を傷つけるおそれのある妥協は、
絶対にすべきではない。たとえそれを耐えぬく自信があったとしても、
この種の妥協は絶対にしてはならない。
なぜならほとんど常に、譲歩に譲歩を重ねるよりも、
思いきって立ち向かっていったほうが、たとえ失敗に終わったとしても、
はるかに良い結果を生むことになるからである。
『政略論』

○優秀な指揮官とは、必要に迫られるか、
それとも好機に恵まれるかしなければ、けっして勝ちを急がないものである。
『戦略論』

○武装していない金持ちは、貧しい兵士への褒賞である。
『戦略論』

○思慮に富む武将は、配下の将兵を、
やむをえず闘わざるをえない状態に追い込む。
『戦略論』

○人は、大局の判断を迫られた場合は誤りを犯しやすいが、
個々のこととなると、意外と正確な判断をくだすものである。
・・・つまり、大局的な事腹の判断を民衆に求める場合、
総論を展開するのではなく、個々の身近な事柄に分解して説明すればよい。
『政略論』

○民衆というものは、はっきりとした形で示されると
正当な判断をくだす能力はあるが、理論的に示されると、
誤ること多し、ということである。
『政略論』

○衆に優れた人物は、運に恵まれようと見離されようと、
常に態度を変えないものである。
『政略論』

○どうすれば短所をコントロールするかが、成功不成功の鍵となってくる。
『政略論』

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1999 7/10
名言集、哲学
まろまろヒット率5

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