Archive for the ‘読書日記’







『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』 エレイン・N. アーロン著、冨田香里訳 講談社 200005.21.12


渡邊義弘@「まろまろレシピ」充実中です☆

さて、『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』エレイン・N. アーロン著、冨田香里訳(講談社)2000。

ユング派の心理学者である著者が、とても敏感な人のことを、”Highly Sensitive Person” = “HSP” と定義付けて、
心理学的アプローチから捉え直す(reframing)ことを目指した心理学本。
原題は“The Highly Sensitive Person” (Aron, 1997)

僕自身も著者の定義でいう”HSP”に当たると思う節があり、本文で語られている・・・

外の世界から遠ざかっていることを喜びつつも、それを恥じる気持ちがいつもあった(略)
人から学ぶこと、自分の能力を認めてもらうこと、いろいろな人と出会うことなどの機会を自分から遠ざけていると感じていながら、
それまでのつらい経験から、私には無理なことだと諦めていた
<はじめに>

・・・という著者の心情や・・・

この本のテーマは、あなたの人生を、あなたの特徴である「敏感さ」をキーワードにして捉え直すということ(略)
失敗や傷ついたこと、恥ずかしかった場面などを、もっと冷静で客観的な目と温かい共感を持って新しく捉え直す
<第4章 子供時代と思春期を新しい目で捉え直す>

・・・という意図には共感したので、手に取ってみた。
読んでみると、”確かに思い当たることや、時には身につまされるような事例が解説されている。
中でも心に残ったのは・・・

自分を「恥ずかしがり屋」だと思うのは自己欺瞞である
<第5章 HSPの社会生活>

・・・と指摘しているところだ。
確かに神経の高ぶりを対面的要素に還元するのは安直だと素直に反省した。

ただし、本文で語られる相談階級としての”HSP”の歴史的役割や、治療への助言などは慎重に接したいと感じるところがあり、
ところどころに引っかかるところがあったのも事実。
新しい知識を身につけるというよりも、事例をゆっくりと読み進めることで、
内向的な特質と結果論的としての外向性=「アクティヴな引きこもり」な自分を見つめなおす機会とした一冊。

以下は、その他にチェックした個所(一部要約含む)・・・

○子供と動物ばかりを対象に研究していたら、心理学者は人間の考える力と人生経験の果たす役割を見過ごしてしまう
→大人は理屈がわかり、選択することができ、また選択したことをやり抜く意思力を備えているのだ
<第2章 さらに理解を深める>

○ちゃんとした「境界」を築くことを人生の目標にしよう
→「境界」はあなたの権利であり、責任であり、尊厳の源
<第3章 「敏感すぎるカラダ」の健康と生活>

○神経の高ぶりをコントロールする秘訣は、目新しい要素をなるべく排除すること
<第5章 HSPの社会生活>

○「自分の喜び」と「世の中のニーズ」との接点を探すこと
<第6章 HSPの仕事について>

○親密な人間関係というものは、お互いの影の部分を知り、それを受け容れようとか、変えようと決意した時に始まると言ってもいい
<第7章 HSPの恋愛と友情>

○気持ちの裏にある推測は間違っていることもあるが、気持ちそのものには正しいも間違いもない
→気持ちをきちんと聞いてもらえれば、問題は少なくなるもの
<第7章 HSPの恋愛と友情>

この本をamazonで見ちゃう

2012 5/21
実用書、心理学
まろまろヒット率3

Posted in 実用書, 心理学, 読書日記, with No Comments →

『アタマにくる一言へのとっさの対応術』 バルバラ・ベルクハン著、瀬野文教訳 草思社 200004.15.12


渡邊義弘@4月11日付の『中日新聞』朝刊・第18面に発表した分析結果が取り上げられました。
(『市民サービスの視点から見た松阪市の情報政策の現状 -情報化推進の自治体間比較による定量的評価の試み-』)

さて、『アタマにくる一言へのとっさの対応術』バルバラ・ベルクハン著、瀬野文教訳(草思社)2000。

前に読んだ『グサリとくる一言をはね返す心の護身術』と同じ著者が書いたコミュニケーション技法書。
『グサリとくる一言をはね返す心の護身術』を読んだ後なので新鮮さはあまりなかったけれど、
『グサリとくる一言をはね返す心の護身術』と同じく自分の中にある繊細さを振り返る機会になった。
特にこの本で紹介されているアタマにくる一言やアタマにくる態度の事例は、
松阪市情報政策担当官に就任してから体験したこと(メモ)を思い起こして良い訓練となった。

たとえば・・・

☆なにがなんでもまとめあげようとしなこと
→どの点で一致妥協できないのか、それがわかるだけでも大きな収穫
<第12章 歯に衣着せず言い返す>

・・・という個所は、2010年8月に松阪市ホームページ検討委員会委員長に就任して以来、心に留めているものの、
理解し合いたいという思いにどうしても縛られてしまうことを自省させられた。

また、本書の最後に書かれている・・・

○いつも当意即妙に反応できるかどうかということよりも、
たとえできなくても自分自身を責めないことのほうが大切
→自分の不完全さ、あるいは不完全な自分とお友だちになることのほうがずっと重要
→そうすれば他人もまた、同じように不完全な存在なのだということがしみじみとわかってくる
<おしまいになぐさめのひとこと>

・・・という個所は、美しくないものを見る嫌悪感のあまり、
自分自身を見つめる目を曇らせてはいけないということを自戒させられた。
自省と自戒の訓練をさせられた一冊。

以下は、その他にチェックした個所(一部要約含む)・・・

○誰が森のなかで叫ぼうと、そんなことはどうでもいい
→どのようなこだまを返すかは、あなた自身がきめること
<第1章 他人の気分に左右されない自分になる!>

○たとえ相手があなたの要求に耳を傾けようとしないとしても、
あなたには自分の要求を主張する権利もあれば相手の要求を拒絶する権利もある
<第2章 どうしたら堂々と話せるか?>

○相手から攻撃を受けたのに黙っているのは、あなたが負けたということではなく、
むしろあなたが平静でいることのなによりの証拠
→誰に注意を向けるかはあなた一人が決めることですし、あなたしか決められない
<第4章 相手を空回りさせるには>

○その批判が根拠があるのかそうでないのかは、その批判を具体的に問うことによって判明する
<第8章 根拠のない批判を撃退するには>

○相手の見解や立場に理解を示しながらも、「それでも」を接続詞にして本筋を変えないことが大切
<第9章 一歩引いて相手のバランスを崩す>

○弱い管理職ほど部下を侮辱する傾向が強い
→ここでいう「弱い」というのは、人間関係を円滑にすすめるインテリジェンスに欠けるという意味
→頭の弱い管理職が、日頃からコメツキバッタやイエスマンばかりに囲まれていれば、
しまいにはなにを言ってもなにをやってもかまわないという気になる
<第11章 侮辱をやめさせるには>

○コミュニケーションにおける腹黒い権謀術数は、それが明るみに引き出され、
はっきりと名指しされたとたん、しゃぼん玉のように消えてしまうもの
<第12章 歯に衣着せず言い返す>

この本をamazonで見ちゃう

2012 4/15
実用書
まろまろヒット率3

Posted in 実用書, 読書日記, with No Comments →

『プリンシプルのない日本』 白洲次郎著 新潮社 200604.03.12


渡邊義弘@三重重中京大学地域社会研究所の所報に『市民サービスの視点から見た松阪市の情報政策の現状 -情報化推進の自治体間比較による定量的評価の試み-』を発表しました。

さて、『プリンシプルのない日本』白洲次郎著(新潮社)2006。

白洲次郎が生前、文芸春秋などに発表していた文章を集めた一冊。
去年4月から松阪市情報政策担当官として行政にたずさわるようになってから、白洲次郎に共感する機会が増えた。
白洲次郎には役所の中では異色の立場という共通点があるだけでなく、彼の行動や感性も自分と重なる部分があるように思える。
また、白洲次郎の伴侶の白洲正子の代表作が『西行』ということも不思議な縁を感じている。
(西行は一番好きな歌人の一人で、かつてまろまろ記の特別企画として『西行法師プレイ』もおこなっていた)
今回、新年度(かつ最終年度)にのぞむに当たって、共感する白洲次郎が書いた文章に触れてみようと手に取った。

読んでみると、表題にもなっているプリンシプルについて語っているところが心に残った。
特に・・・

日本語でいう「筋を通す」というのは、ややこのプリンシプル基準に似ているらしいが、
筋を通したとかいってやんや喝采しているのは馬鹿げている(中略)。
何でもかんでも一つのことを固執しろというのではない。妥協もいいだろうし、また必要なことも往々ある。
しかしプリンシプルのない妥協は妥協でなくて、一時しのぎのごまかしに過ぎないのだと考える。
<プリンシプルのない日本>

・・・というところは、著者のプリンシプル(principle)に対する考えが端的に言い表されている一節として印象的だった。
では、僕自身のプリンシプルは何だろうと思い返せば、それは「松阪のために」だ。
「最終的に松阪のためになればいい」というのが、これまでのプリンシプルだし、
松阪で公の仕事にたずさわる限り持ち続けるプリンシプルだとこの一節を読みながら振り返った。
また・・・

外資がはいってきたら、こうなる、ああなるとビクビクせずにもっと自信をもったらどうか。
自分の技術に、自分の経営にそんなに自信がないのなら、そんな連中は交代したらいい。
交代しても技術も経営も向上の見込みがないのなら、
そんなに国民の犠牲において金もうけばかり考えるのは不とどきである。
<プリンシプルのない日本>

・・・というところは、かつて僕も従業員は首にするのに買収を恐れて株式を公開しようとしない経営者の姿をかいま見て
不信感を覚えたことがあるので溜飲が下がった。

総じて言い回しがややくどいところがあるのはご愛敬だけど、読んでいて嫌味がない。
そんなところもプリンシプルのあった著者の息づかいが聞こえる一冊。

この本をamazonで見ちゃう

2012 4/3
エッセイ
まろまろヒット率3

Posted in エッセイ, 読書日記, with No Comments →

『グサリとくる一言をはね返す心の護身術』 バルバラ・ベルクハン著、瀬野文教訳 草思社 200003.20.12


渡邊義弘@取り組んでいた松阪市のホームページがリニューアルされました☆

さて、『グサリとくる一言をはね返す心の護身術』バルバラ・ベルクハン著、瀬野文教訳(草思社)2000。

自分はやや潔癖な傾向があるのと、感応性が高いので、繊細な部分があることを自覚している。
去年4月から松阪市情報政策担当官に就任してから、その繊細な部分を意識する機会もあった。
そこで、この1年を振り返る意味でも自分の中にあるその繊細な部分を見つめるきっかけの一つとして手に取った。

読んでみると、特に・・・

☆人というのは、いま自分の人生で実際になにがいちばん大事かを考えたとき、不思議と心が落ちつくもの
<第3章 感情の暴走はこうすれば防げる>

☆信頼関係とか友情というのは、おたがいの不干渉地帯が確定してはじめて生まれるもの
<第4章 批判されても傷つかない方法>

☆「目には目、歯には歯」のやり方は、おのれの意志の弱さをさらけ出しているだけのこと
→相手には相手のやり方があるだろう、でも自分には自分の決め方があるのだ
<第5章 なくした自尊心をとりもどすには>

・・・という部分は心に響くものがあった。
“心に響く”というのも繊細な部分への反響でもある。
自分の中にある繊細さと向き合って、次の年度を迎えたいと感じながら読み終えた一冊。

以下は、チェックした個所(一部要約含む)・・・

○(心の中の)きわめて敏感な部分こそが同時に、創造力豊かで人に感銘を与えることができる部分でもある
<はじめに>

○(心の中にいる)内なる批判者は上手に飼いならせばよい
→はっきり境界線をもうけて、オンエア時間を制限すればよい
<第1章 あなたはもっと図太くなれる>

○相手に理解を示しても、相手の言いなりになる必要はない
→相手がどんな態度をとろうと、あなたがあわてず落ち着いてさえいればそれでいい
<第2章 非人情のすすめ>

○混乱したときに落ちつきを取り戻すための三つのアドバイス
・個人的な感情をとっぱらって、徹底的に心を休めること
・ちょっとのあいだ冷静に考えて、いちばん大事なことを片づける
・他人がパニックに陥っていたり、途方に暮れていたり、怒り狂っているときには、彼らの気を静めて、距離を置く
<第2章 非人情のすすめ>

○受け入れられないときは、頑固な態度に切り換える
→針が飛んだレコードのように、同じことを何度もくりかえせばよい
→「考えさせてください」の一言でかまわない
<第2章 非人情のすすめ>

○余計な推測をする前に情報を集める
<第3章 感情の暴走はこうすれば防げる>

○あなたの頭の中のことは、あなたにしか決められない
→興奮して怒り出すのも、、落ちついて冷静になるのもあなたの権利
→どちらを選ぶかはあなたしだいなのです
<第3章 感情の暴走はこうすれば防げる>

☆人というのは、いま自分の人生で実際になにがいちばん大事かを考えたとき、不思議と心が落ちつくもの
<第3章 感情の暴走はこうすれば防げる>

○心配から逃れるのにいちばん重要なことは、積極的に行動するにせよ、放り出すにせよ、
いずれにしてもはっきりと意識して行なうこと
→クツの中に石ころが入った時と同じく、あれこれ考えるより、
ただ行動することによってのみ不愉快な圧迫に終止符を打てる
<第3章 感情の暴走はこうすれば防げる>

○失敗しないことではなく、失敗とどう付き合うか考える
→ミスはすぐ認めて直す、その際に罪の意識をもったり自分を責めたりするのはパワーの消費でしかない
<第4章 批判されても傷つかない方法>

○相手を理解するのは、知的なコミュニケーションがきちんと成り立つ場所だけで十分
<第6章 攻撃したければご自由に!>

○反射的に答えを返さないこと、一呼吸おいてからゆっくり反応しましょう
→攻撃側にはいつまでも待たしておけばいいのです
<第6章 攻撃したければご自由に!>

○過ぎ去ったことを話して意味があるのは、それが現在の問題を解決するのに役立つ場合だけ
<第6章 攻撃したければご自由に!>

この本をamazonで見ちゃう

2012 3/20
実用書
まろまろヒット率4

Posted in 実用書, 読書日記, with No Comments →

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』 塩野七生著 新潮社 上中下巻 201101.21.12


渡邊義弘@去年11月の東北行脚でお手伝いした消息確認が新聞記事に取り上げられました。
(『夕刊三重』 2012年1月12日付 第1面)

さて、『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』塩野七生著(新潮社)上中下巻2011。

テオドシウス帝の死後、東西二つに分かれてゆくローマ帝国と諸民族の躍進、
西ローマ帝国の滅亡とその後のローマ世界の終焉までをえがく、
『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』に続くシリーズ第15段。
そして、この第15段が『ローマ人の物語』の完結編に当たる。

内容は、滅亡に向かうローマ帝国の顛末が詳細にえがかれていて、読んでいて辛くなる時もあった。
著者自身も・・・
「歴史には、進化する時代があれば退歩する時代もある。
そのすべてに交き合う覚悟がなければ、歴史を味わうことにはならいのではないか。
そして、「味わう」ことなしに、ほんとうの意味での「教訓を得る」こともできない」
(下巻 カバーの金貨について)
・・・と述べているように、なぜ滅んだか?ではなく、
どのように滅んだか?に重点が置かれてえがかれている。

中でも上巻の多くを占める西ローマ帝国の将軍、スティリコの姿が印象に残った。
ヴァンダル族の父を持ちながら「最後のローマ人」と呼ばれたスティリコの苦闘と、
その死によってタガが外れた西ゴート族によるローマ劫掠の様子は、衰亡の象徴のように思えた。

前巻の『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』では・・・
「ローマ帝国の滅亡とか、ローマ帝国の崩壊とかは、適切な表現ではないかと思い始めている。
(中略)ローマ帝国は溶解していった」
・・・と指摘されたローマ帝国の末路は、ローマらしさが失われ、消えてゆく過程でもある。
そんな中で、最後までローマ人として生きたスティリコの姿は強く印象に残った。

また、この『ローマ人の物語』文庫版は全43巻の表紙すべてに、その時代のローマのコインが掲載されている。
最終巻の43巻では、「コインで見るローマ帝国の変遷」として、それらを集めたカラーページが付けられている。
あらためて一覧化して見てみると、通貨の質の良し悪しはその国の状態を表す、ということがはっきりと分かるもので、
そのローマの興亡の過程が視覚的に追いかけることができるようになっている。

読書日記を振り返れば、『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』を読み終えた2002年10月2日から、
今回、この『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』を読み終える2012年1月22日まで、
僕もこの『ローマ人の物語』には約9年のお付き合いをしたことになる。
一つの文明の誕生から死までお付き合いしたことは、感無量な気持ちになった読書でもあった。

以下は、全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・

『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』

『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』

『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』

『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』

『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』

『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』

『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』

『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』

『ローマ人の物語24,25,26 賢帝の世紀』

『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』

『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』

ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』

『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』

この本をamazonで見ちゃう

2012 1/22
歴史、政治
まろまろヒット率3

Posted in 政治学, 歴史, 読書日記, with No Comments →

『金米糖』 寺田寅彦著 岩波書店『寺田寅彦随筆集』第2巻「備忘録」より 196401.01.12


渡邊義弘@大阪の憩いの場、スターバックス御堂筋本町東芝ビル店からお送りします。

さて、2012年最初に読んだ本、『金米糖』寺田寅彦著(岩波書店『寺田寅彦随筆集』第2巻「備忘録」より)1964。

物理学者であり、随筆家、俳人としても知られる寺田寅彦の随筆の一つ。
金平糖の角が生まれる過程に起こる「偶然な統計的異同 fluctuation」(=フラクタル)に注目して、
物質と生命の間に橋を架ける「生命の起源」まで文字通り随筆を走らせている。

発表された当時(1927年)と比べて、今となっては不適切な表現もあるけれど、
科学的テーマを横断的に、そして軽やかに随筆する文章はわくわくしながら読むことができた。

特に・・・
「物理学では、すべての方向が均等な可能性をもっていると考えられる場合には、
対称(シンメトリー)の考えからすべての方向に同一の数量を付与するを常とする。
現在の場合に金平糖が生長する際、特にどの方向に多く生長しなければならぬという理由が”考えられない”、
それゆえに金平糖は完全な球状に生長すべきであると結論したとする。
しかるに金平糖のほうでは、そういう論理などには頓着なく、にょきにょきと角を出して生長するのである。」
・・・というところは、夏目漱石の愛弟子としても知られていて、
『吾輩は猫である』の水島寒月や『三四郎』の野々宮宗八のモデルとなった著者のキャラクターが
かいま見えるようで読んでいて微笑んでしまった。

ちなみに、この随筆は昔ながらの製法を守る緑寿庵清水さんの金平糖をいただいた去年の10月からずっと気になっていたのだけど、
「なるべく心の忙しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」という著者の意向にそって、
気持ちを落ち着く時を探していたら、年を越した元旦の今ようやく読むこととなった。
公共の仕事にたずさわることは、気持ちの切り替えが課題となりますね、てへっ。

この本をamazonで見ちゃう

2012 1/1
随筆
まろまろヒット率4

Posted in エッセイ, 読書日記, with No Comments →

『ダメ情報の見分けかた―メディアと幸福につきあうために』 荻上チキ・飯田泰之・鈴木謙介著 日本放送出版協会 201011.29.11


東北行脚から帰って来た、渡邊義弘です。

さて、『ダメ情報の見分けかた―メディアと幸福につきあうために』荻上チキ・飯田泰之・鈴木謙介著(日本放送出版協会)2010。

三人の論者によるメディア・リテラシー本。
第1章はメディア論者によるメディア・リテラシーの概要、
第2章は経済学者による関わる必要のない無意味な情報を見分ける方法、
第3章は社会学者によるメディア・リテラシーの政治的・思想的な背景、
・・・という三つの視点から構成される。
三つの視点を取り入れているだけあって、具体例と一般化のバランスが良くて読みやすい内容になっている。

また、メディア・リテラシーは一般的に「自分だけは騙されない」という
自衛的、受信的な意味で使われることが多いけれど、
この本では発信の重要性(=是正へのコミットメント)を強調して、
メディア・リテラシーの積極面に注目した内容になっているのは、
タイトルの軽さに反した深みがある。

以下は、チェックした個所(一部要約含む)・・・

○メディアで得られるあらゆる情報は、すべて誰かによって「作られたもの」です。
常に第三者の手で編集・加工され、言語化・文脈付け・意味付けされたものであって、
真実そのものではありません。
<第1章 「騙されないぞ」から「騙させないぞ」へ>

☆(流言やデモを)チェックする際に注意しなくてはならないのは、私たちがしばしば、
「有名人が言っているかどうか(有名性)」、
「親密な人が言っているかどうか(親密性)」、
「多数の人が言っているかどうか(複数性)」、
「権威あるメディアが言っているかどうか(権威性)」、
に頼ってしまうことです。
流言をチェックするのに必要なのは、客観的な確からしさ、情報の根拠付けであって、
「他人の主観」がいくら集まっても意味がありません。
むしろ、有名性や親密性を頼りにして、検証を行わないことが、
流言やデマを鵜呑みにしてしまう土壌にさえなってしまいます。
<第1章 「騙されないぞ」から「騙させないぞ」へ>

☆メディア・リテラシーの各段階・・・
・取得←外在的チェック
・判断←内在的チェック
・発信←是正へのコミット
・・・中では、流言を是正する情報発信能力が重要性
<第1章 「騙されないぞ」から「騙させないぞ」へ>

○(情報リテラシーが騙されなさ、無傷さを競い合うレースのようになることに対して)
もしその人が本当に「情報強者」であるなら、ただ傍観しながら「弱者」を笑い飛ばすのではなく、
弱者に寛容な環境を作るという「持つ者の責務」を果たしていくほうが有意義でしょう。
<第1章 「騙されないぞ」から「騙させないぞ」へ>

○受動態表現は、えてして、能動態に変換したときの主語を明確にしないための方便として用いられます。
<第2章 情報を捨てる技術>

☆情報をスクリーニングするために三つの言説を避ける
・無内容な話を見抜く
 →いつでも、どこでも、何にでも当てはめることが出来る話には意味が無い
・定義が明確でない話を見抜く
 →定義が不明確な用語から出発した議論は容易に検証不可能な命題になる
・データで簡単に否定される話を捨てる
 →単純なデータ観察で否定出来るならばダメだと切り捨てることができる
<第2章 情報を捨てる技術>

☆「情報を見分けるスキルを持った自分だけは騙されないぞ」という態度ではなく、
様々に偏った情報の中から、自分の立場や見方を定め、発信していく力というものが、
現代におけるメディア・リテラシーの定義ということになるでしょう。
<第3章 メディア・リテラシーの政治的意味>

この本をamazonで見ちゃう

2011 11/29
情報・メディア、情報リテラシー
まろまろヒット率4

Posted in 情報・メディア, 読書日記, with No Comments →

『日本のもと 神さま』 中沢新一監修 講談社 201110.01.11


渡邊義弘@自分が提案したということもあって、最近は松阪市役所地下売店の松阪牛おにぎりを朝ごはんにしています。

さて、『日本のもと 神さま』中沢新一監修(講談社)2011。

日本人の精神の源泉にある「神」について、その概念の歴史的変遷と特徴を子供向けに解説した一冊。
信心とは、「なにか特別な存在を信じる心」という定義の下・・
・日本の信心の歴史をたどる「温故編」
・人類学者、中沢新一と対話する「知新編」
・日本の信心の可能性を示唆する「未来編」
・・・という三部構成になっている。

特に印象的だったのは、最後の「未来編」の中で針供養、付喪神、丸石神などを紹介しながら、
モノに気持ちや愛を込める行為が日本のアニミズムでの特徴であると指摘しているところだ。
日本語には「モノに命を吹き込む」という言葉にあるように、
その精神性がアニメ(語源もアニミズム)やものづくりに通じているとまとめられている。
ちょうど、この本の監修者である人類学者の中沢新一さんとは
大阪取材コーディネータをつとめて以来のご縁があることもあって、
このくだりは実際の肉声を聞いているような気持になった。

ちなみに、この本の欄外には4コマ漫画が散りばめられている。
親しみやすさを目的にしたものだと思うけれど、
内容と関連が薄いダジャレが多い上に、古い芸能人(横山やすし)を使うなど、
子供が読んで面白いと思えるのかどうか疑問に思ったのはご愛敬(w

この本をamazonで見ちゃう

2011 10/1
宗教、文化、人類学、歴史
まろまろヒット率3

Posted in 宗教学, 文化人類学, 文化論・美学, 歴史, 読書日記, with 1 Comment →

『ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死』 稲泉連著 中央公論新社 200409.03.11


5年ぶり『大阪アースダイバー』の取材に同行した、渡邊義弘です。

さて、『ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死』稲泉連著(中央公論新社)2004。

『骨うたう』や『ぼくもいくさに征くのだけれど』で知られる詩人、竹内浩三の詩と、
縁のある人々へのインタビューを中心にしたノンフィクション。

印象的だったのは、インタビューは竹内浩三の生前に関係があった人だけでなく、
死後にその詩から影響を受けた人もインタビューしているところだ。
竹内浩三は23歳で戦死したということもあり、職業詩人ではなかったけれど、
その詩から影響を受けた人へのインタビューは竹内浩三の表現者としての迫力を感じさせられた。

竹内浩三の詩からは、もの分かりの悪い不器用さが感じられる。
著者自身も竹内浩三の詩について・・・
「『ぼくも征くのだけど』と迷い沈みつつ、『どうか人なみにいくさができますよう』と願う彼の言葉が、
とくに竹内浩三という人間の本質を表しているようで、強く胸を打つ。
そこには、胸を張って国のために戦おうとする凛々しさがなく、
世の中が認めた「普通」の価値観に自身を溶け込ませたいと願いながら、
心の奥底では自身の運命に打ち震えていた青年の姿がちらついている」
・・・と書いているように、割り切れないものを抱えながら流されていく自分を立ち止まらせる力があるのだろう。

また、竹内浩三が詩人として発掘されるきっかけとなったのが、松阪市の戦没者手紙集『ふるさとの風や』ということ、
それが松阪市の発行する「広報まつさか」での呼びかけられたという経緯が詳細に紹介されているのが興味深かった。
もともとこの本は松阪市役所に勤務されている方からお貸しいただいたこともあり、
松阪の公共セクターにご縁がある人間としても熱を込めて読んだ一冊でもある。

この本をamazonで見ちゃう

2011 9/3
ノンフィクション
まろまろヒット率3

Posted in ノンフィクション, 読書日記, with No Comments →

『メディアと日本人――変わりゆく日常』 橋元良明著 岩波書店 201108.26.11


まろまろ記10周年を機会にハンドルネームを「まろまろ」から「渡邊義弘」に変更しました☆

さて、『メディアと日本人――変わりゆく日常』 橋元良明著 岩波書店 2011

「少年凶悪犯罪は低下し続けているが、テレビの視聴時間が長い人は少年が凶暴化していると認識している」、
「読書離れ、テレビ離れ、などの言葉は、どの調査からも確認できない」・・・など、
実際の調査によって日本人のメディア利用実態を明らかにしようとする一冊。

中でも、インターネット利用によって、社交的な人はどんどん社交的になり、内向的な人はどんどん内向的になる、
という「ネット利用のマタイの法則」は、アメリカでも日本でも見受けられるということ。
(有てる人は興へられていよいよ豊かならん。然れど有たぬ人は、その有てる物をも取らるべし)
フレーミング(炎上)の原因は、社会的手がかりの欠如と非言語的シグナルによる補正がききにくいことで、
インターネットでは極端な方向に議論が流れる「リスキーシフト」が起こりやすいと指摘しているところに興味を持った。

また、メディアの盛衰の要となるのは、メディアの持つ「機能」が他で代替可能かどうかに注目して、
新聞とテレビはメディア企業によるニュース・情報の重要性の位置づけを簡単に推測することができるのに対して、
インターネットはその点が弱いので、まだ住み分けができていると分析しているところは納得した。
(ただし仕事の利用のための「機能」は代替可能なので、インターネットが劇的に伸びている)

ちなみに、僕は著者(東京大学大学院学際情報学府所属)の講義を受けたことがある。
この本の”はじめに”の中で、「メディア環境の変化、それによる生活の変容を語るには、
周辺観察記や業界の内輪話、思弁的評論では不十分であり、実証的データに裏付けられた議論が必要」
・・・と述べているところは、いつも口癖のようにしていたご本人の顔が思い浮かんで懐かしさを感じた。

以下はチェックした個所(一部要約含む)・・・

○メディア環境の変化、それによる生活の変容を語るには、周辺観察記や業界の内輪話、
思弁的評論では不十分であり、実証的データに裏付けられた議論が必要
<はじめに>

○ラジオの歴史的意義=
・ラジオは、空間の制約をとりはらって、電気的で二次的な「声の文化」(ウォルター・オング)を生んだ
・新聞が、リテラシー面でも、閲覧できる時間余裕の有無という面でも、
経済的あるいは教養的格差を拡大再生産する特性をもつメディアであるのに対し、
ラジオは基本的にダレでも重要できるところから、文化的格差を縮小する方向に作用した
・ラジオは標準語の普及にも多大に寄与した
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>

○携帯電話の歴史的意義=
・携帯電話は、固定電話が我々にもたらした影響の一つの「空間の再配置・モザイク化」をさらに進めた
 →公共の場での携帯電話による通話に多くの人々が深いの念をいだくのは(中略)
  側にいる人が、こちらの見知らぬ異空間を持ちこみ、
  共有していた場から「私」を遮断してしまうという薄気味悪さを感じるから
・電話は「心理的隣人」を創出したと言われたが、携帯電話は「心理的同居人」を作り出した
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>

○テレビの歴史的意義=
・ヒトが、その処理能力において圧倒的優位性を誇る視覚情報を、
日常的に十分にメディア上のコミュニケーションに載せることができるようになったのはテレビの登場以降
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>

○インターネットの特性=
1:ヒトがコミュニケーションに駆使している聴覚、視覚的情報をほぼすべてやりとりできる
2:一方的でなく、双方向的に、かつ一対一でも一対多でも自由に享受でき、保存できる
3:公共的情報資源を利用するための国家等の制度の制限を受けない
4:既存メディアが膨大な資本力を必要とするのに対して、資本力を必要としない
→インターネットはメディア発展史上、文字の発明以降、最大級の社会的影響を与えるもの
→仕事に関する情報取得については、劇的にインターネットが他のメディアに取って代わりつつある
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>

○「日本の情報行動調査」では1995年から2010年にかけ、読書時間、行為者率には全体的にほとんど減少傾向が見られない
→書籍がネットの影響をあまり受けていないのは、機能的にインターネットが代替し得ないから

○少年凶悪犯は、戦後ピークだった1960年の8212人から2008年の956人に8分の1以下に激減
→「最近の少年は凶暴化している」との認識は、実際の犯罪発生よりも、メディア報道に影響されるところが大きい
<3章 メディアの「悪影響」を考える>

○「ネット利用のマタイの法則」はアメリカでも日本でも成り立つ=
もともと社会的資源を有効に活用する人はインターネットのような新技術を活用して、
ますます獲得資源を拡大し、満足感も大きく、心理的にも豊かになっていく
→内向的で社会的資源をうまく活用してない人はその逆
=有てる人は興へられていよいよ豊かならん。然れど有たぬ人は、その有てる物をも取らるべし
(マタイによる福音書13章12節)
→インターネットの富者富裕化モデルは別名「マタイの法則」と呼んでいる
<3章 メディアの「悪影響」を考える>

○フレーミング(炎上)の原因
・社会的手がかりの欠如
・非言語的シグナルによる補正がききにくい
→極端な方向に議論が流れる「リスキーシフト」はインターネットで起こりやすい
<3章 メディアの「悪影響」を考える>

☆メディアの盛衰の要となるのは、メディアの持つ「機能」が、他で代替可能かどうか
→新聞は、記事の掲載で、テレビはニュースの放送順位で、
それぞれのメディア企業の重要性の位置づけを推測することができる
→ネット上では、今のところ、その判断を示唆してくれる鍵が限られている
<終章 メディアの未来にむけて>

この本をamazonで見ちゃう

2011 8/26
情報・メディア、社会学
まろまろヒット率3

Posted in 情報・メディア, 社会学, 読書日記, with No Comments →








このサイトについて  サイトポリシー  連絡先  サイト来歴  メディア掲載  お願い



 
Web maromaro.com
まろまろと探しちゃう
Amazon.co.jp のロゴ


  • カテゴリー

  • アーカイブ



  • カテゴリー



このサイトについて   サイトポリシー   連絡先   サイト来歴   メディア掲載   お願い