まろまろ遺書~万が一のときのために意思を表明してみます~

遺言

<遺言要旨>
生命体としての僕の生命は終わりました。
遺言としてこの「まろまろ読書日記(http://maromaro.com/)」を公開し続けることを希望します。

<使用について>
引用を明記さえしてくれれば、その他のすべての知的所有権(特に著作財産権)は放棄しますので自由に使ってやってくださいな。
技術も日進月歩で変わっていくものでしょうから、その度ごとに自由に変化させていってください。
僕が書いたものが残ればそれでかまいません。フォーマットにはこだわらず、僕の感性が残ればそれでOKです。
ゲストブックも作っておきますので、よかったらどこを使ったとかとかどう思ったかを書き込んでくださいな。

<遺族へ>
宗教的なお葬式もお墓もいらないです。
もしお別れ会を開くなら、参加者は普段着着用で、仕事帰りにでも気軽によってくれるようにしてください。
(24時間スペース借りるとか工夫お願いしますね)

<最後に>
では、さようなら。
無機質な墓碑として静かに眠るよりも、有機的な情報体として生き続けることを望みます。


2003年7月7日 らぶナベ

(注)この遺言は民法967条に定められた要件をすべて満たしていませんが、理解ある遺族と、まろみあんを含む友人たちがモメたりしないことを期待しています。
モメたら祟りますよ(マジで)。

説明

急死したときに意思表示を明確にしておかないと混乱すると思うので遺書を書いてみました。
僕は生物的な遺伝子を残す衝動(性欲)よりも、文化的な遺伝子を残したり、社会的な生きた証を残したりする衝動の方が強いようなので(初台会談『利己的な遺伝子』『ミーム・マシーンとしての私』など)、意思能力のあるうちに死後のための意思を表明をしておきます。

こういうことをしようと思うのは家族が医療現場で働いていることや、阪神大震災経験者ということも影響を与えているかもしれません。
かつては死んだ後は自分の身体を肥料にして木を育てて欲しいと考えていた頃がありました。死んでしまっても自分の養分で生きる木があれば命がつながっているような気がしていたからです。この思惑は後になって法的な面で無理だと判明したのですが、つながりを持ち続けるという意味でもこのWEBサイトを残すほうが意味があると考えています。

メモを中心とした僕のWEBサイトは作品未満の欠片(カケラ)のようなものですが、そんな自分の欠片でも誰かに使ってもらったり共鳴したりしてもらえるなら、つながりが続くような気がします。よく「人間はアナログなもので、ネットやパソコンはデジタルだ」みたいな話を耳にすることがあります。でも、僕たち人間を作っている遺伝子はデジタルな情報(『ブラインド・ウォッチメイカー』)です。それなら僕のアナログな肉体がなくなってしまった後も、デジタルな情報として欠片を残せれば、その欠片を通して生きている人とつながり続けられるなら(『テクノコードの誕生』)、もしかしたらそれは死(=終わり)を意味しないかもしれませんね。

ここらへんは僕が死んでからこのHPがどうなっていくのかが一つの事例になると思います。
こういうことに興味がある人がいたら、考えたり研究したりする際にこのHPの事例を使ってみてください(^_-

ちなみにWEBサイトへの遺書を読むと、その人が自分のWEBサイトをどういう風にとらえているのかがわかるので、WEB-RINGを作ってみようかとも考えています。僕が生きている間に協力者募集中です。

2004年4月25日改訂

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