リクエストに応えて読書日記を新しい順に入れ替え中の、
らぶナベ@参考にするので引き続きご意見&ご要望お待ちしております(^^)
さて、『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』上中下巻
塩野七生著(新潮文庫)2002年初版。
『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』に引き続いて堪え性なく読んだ、
ローマ人の物語シリーズ第二段。
文庫化される前からこの第二段『ハンニバル戦記』はずっと気になっていた。
何しろ戦略や戦史を語る際には必ずと言っていいほど出てくる
カルタゴの悲劇の天才戦略家ハンニバルが主役だからだ。
今まで読んだ戦略関係の本で何度このハンニバルの名前が出てきたかわからない。
特に前216年の「カンネーの戦い」での彼の両翼からの包囲殲滅作戦、
相手の主戦力を無力化させる戦術についての考察は、
現在も欧米の士官学校では必ず習うというほどだ。
そうは言うものの彼の第二次ポエニ戦争を通した戦い方、
そしてローマとカルタゴの戦いの全体像はよく知らなかったので
この本はとても面白く読めた。
(断片的な知識がつながっていくパズル的快感)
読んでみて改めて感じたことは、ハンニバルは戦略の天才だと称されることが多いが、
ローマ同盟都市を離反させる最初の戦略プラニングで思いっきりつまずいている。
その彼の戦略・戦術がこれほどまで研究されてきたのは、
彼自身の要因に加えてローマという後に巨大な国家として
長年栄えた国を何度も破ったからというのも大きな理由なのだろう。
ローマが繁栄すればするほど、長く存続すればするほど、
ハンニバルの名前は広く長く普及するしその戦い方も詳細な記録に残りやすい。
だから後の世の研究対象にもなりやすい。
ちょうど三方ヶ原の戦いで徳川家康を破った武田信玄が江戸時代を通して
戦国最高の武将と言われたりその戦い方が研究されたりしたのと似ている。
ハンニバルはちょっと得してる(^^)
僕は彼を破ったスキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)の方に強い興味を持った。
ローマ軍が完全に壊滅したカンネーでは司令官を救出しての脱出に成功するなど
様々な運にも恵まれていたが彼の気持ち良いほど大胆で鮮やかな戦略にはひかれる。
ちなみに地中海世界でのハンニバルと大スキピオの決戦「ザマの戦い」が前202年、
東アジアでの項羽と劉邦との決戦「亥下の戦い」もちょうど同じ前202年。
高校の世界史の教科書でこのことを発見した時には
(勉強できなかったけど教科書眺めるのは好きだった)
「東西で凡人が天才がを破った年なんだなぁ」と勝手に思っていたが
大スキピオは彼自身、非常に才気溢れる人間のようで
僕の年来のこの考えを修正することにもなった一冊。
彼についてのいい本があればまたあらためて読んでみたい。
以下はチェックした箇所・・・
☆戦争終了の後に何をどのように行ったかで、その国の将来は決まってくる。
勝敗は、もはや成ったことゆえどうしようもない。
問題は、それで得た経験をどう生かすか、である。
<第二章 第一次ポエニ戦役後>
○戦闘の結果を左右する戦術とは、コロンブスの卵であると同時にコロンブスの卵ではない。
誰も考えなかったやり方によって問題を解決するという点ではコロンブスの卵だが、
そのやり方をと踏襲すれば誰がやっても同じ結果を産むとはかぎらないという点で、
コロンブスの卵ではないのである。
<第三章 第二次ポエニ戦役前期>
○天才とは、その人だけに見える新事実を、見つけることのできる人ではない。
誰もが見ていながらも重要性に気づかなかった旧事実に、気づく人のことである。
<第三章 第二次ポエニ戦役前期>
○(ハンニバルの言葉として)多くのことは、それ自体では不可能事に見える。
だが、視点を変えるだけで、可能事になりうる。
<第四章 第二次ポエニ戦役中期>
○信頼は、小出しにしないほうが、より大きな効果を産みやすい。
<第五章 第二次ポエニ戦役後期>
☆優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。
率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。
持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。
<第六章 第二次ポエニ戦役終期>
2002 10/8
歴史、戦略論、政治学
まろまろヒット率4
追記:全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・
『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』 ☆
『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』 ☆