松江市と武雄市への視察

松江市(島根県)と武雄市(佐賀県)に視察をおこなう。

松江市はオープンソースのRubyを地域活性化に活用している点、
武雄市はソーシャルメディアのFacebookを積極活用している点が、
それぞれICTを利活用した独自性ある取り組みとして視察させていただいた。

特に、松江市からは、地域の活性化と雇用と教育が小さくても循環させていくことの大切さを。
武雄市からは、やれない=思い込み、やってはいけない=思い違い、やりたくない=思い上がり
の三つを前提にしないことの大切さを教えていただくこととなった。
昨年度に市川市と三鷹市に視察した時と同じく、日進月歩のICT分野では実際に会ってお話しすることの有効性を感じた。

お世話になった松江市と武雄市のみなさん、そして送り出していただいた松阪市のみなさんのためにも、
この視察を松阪市の情報のかけ橋作りに活用したい。

2012 5/8、10
出来事メモ

追記:武雄市への視察は20日後の松阪市情報管理担当者研修会「ソーシャルメディア基礎」で研修資料の参考にさせていただく。

東北行脚、再び

去年11月の東北行脚に続いて、4月20日から23日までの3泊4日間、東北地方を行脚する。

今回は、これまでご縁をいただいた方々との再会と、雄勝桑浜(石巻市)でのワカメ収穫のお手伝いを軸にした行脚。
そのため、前回よりも1日短い行程ながら、より腰を落ち着けた交流とお手伝いができることになった。
(今回新しく面識をいただいたのは石巻市で訪問した農家の方と大洲小学校の校長先生、陸前高田市役所に武雄市から出向されている古賀さんくらい)

特に雄勝桑浜では、漁師の永沼さんのお宅に2日泊まり込んでワカメの収穫をお手伝いするという貴重な機会をいただいた。
永沼さんとは前回ホタテ貝の養殖再開をお手伝いした時にご縁をいただいて以来、松阪まちなかプラザでの物産展をお手伝いしたり、めかぶををいただくなどの交流を続けさせていただいている。
(「雄勝桑浜の生わかめと松阪牛のホルモンのしゃぶしゃぶ」)、「雄勝桑浜のめかぶのたたき」など)
実際にお会いするのは今回が2度目なのにお泊まりさせていただけることとなったのは、これまでの交流と自分なりのお手伝いが信頼につながったと感じられて嬉しかった。

また、信頼という点では、お手伝いをさせていただきながらFacebookで呼びかけると4人の方からワカメの注文をいただいたのはとても嬉しかった。
そのうち、真っ先に手を挙げていただいた石垣島の西銘基泰さんからの注文は、永沼さんのこれまでの最南端記録更新をすることになったとのこと。
西銘基泰さんとは去年4月から今年3月末まで石垣市交流職員として松阪に赴任されていた期間によくお酒を飲んで語り合っていた。
今回の呼びかけでは、いち早く趣旨を読み取って注文をいただいたのも交流が信頼につながったことが感じられた。

このように、これまでの様々なご縁が信頼につながっていくことを実感できたことが嬉しかった。
前回の東北行脚では、自分にもできることに小さな光を見いだした。
今回の東北行脚、再びでは、その灯が小さくても確かな信頼としてつなげていくことの喜びと重要性を確認することができた。
復興支援への関わりには、未だに自信が持てないところもある。
でも、自分にも今すぐできることの中に、自分にしか今しかできなことがある
これからもご縁を信頼につなげていきたい。

以下、東北行脚、再びの主な行程とまろまろ記コンテンツのまとめ。

○4月20日:仙台駅→国分町の方と再会・せんだいメディアテークの佐藤泰副館長と再会
 ・元祖冷やし中華;龍亭の「涼拌麺」
 ・「萩の湯 ドーミーイン仙台駅前」 (温泉)
 ・一仙の「ゆで牛たん」
 ・ドーミーイン仙台駅前の「朝食バイキング」

○4月21日:仙台駅→雄勝町の小学校の先生と対話・石巻市の農家、赤間さん宅に訪問→雄勝桑浜の永沼さん宅に宿泊

○4月22日:雄勝桑浜でワカメの刈り取りと塩蔵、小分けのお手伝い
 ・永沼家特製の「雄勝桑浜の生昆布のおひたし」

○4月23日:陸前高田市で一本松保全活動をされている方と再会・陸前高田市の村上さんと再会・武雄市から出向中の古賀さんと対話→東京都
 ・三浦屋の「うな重」

(当日の動向はFacebookのアルバム「東北行脚、再び」にもまとめている)

2012 4/20~23
出来事メモ

※:2012年6月5日 『中日新聞』朝刊・第16面 「石巻の漁師応援の輪 料理写真でワカメPR 松阪市職員のネット投稿を機に」

松阪市新規採用者研修会「情報リテラシー」の講師をつとめる

松阪市情報政策担当官として、平成24年度の松阪市新規採用者研修会「情報リテラシー」の講師をつとめる。

これは、昨年立ち上げた情報管理担当者制度とそのヒアリングの中で、情報リテラシーを身につける”文化”を根付かせる必要性を感じたため、
職員課に要請して新規採用者(新人さん)への研修会の中に組み込んで実施したもの。

内容は前半は講義形式で、情報の性質(1章)、情報化社会の現状(2章)、情報と信頼の関係性(3章)、をそれぞれ解説して、
情報がなぜ大切なのかを意識付け、情報が信頼に直結することを共通認識を持っていただくことを目的におこなった。
(この部分は第1回情報管理担当者研修会の内容とほぼ同じ)

その後、昼休みを挟んでからは新人さんを5班に分けてグループワークを実施。
前半の講義に加えて、自分たちがこれまで接してきたコミュニケーション・メディアの良い点、悪い点を参考に、
アナログとデジタルの企画案を1本ずつ考えて発表していただいた。
発表内容は、有線放送を活用(4班)、広報誌に子供向けページ(2班)、広報誌を世代別に種類分け(5班)、
メルマガ配信(1班)、インターネット接続費を行政が負担(3班)、というものだった。
講評では、どの発表も市民目線に立ったものだという点を評価しながら、
今回話し合ったような情報共有の大切さと常に市民目線に立ち返ることの大切さを強調した。

今回の研修は情報はなぜ大切なのかを伝えて、気づきを持っていただくことを意識して構成した。
今年度(平成24年度)入って来た彼らが松阪市の情報のかけ橋を担っていただきたい。

2012 4/4
出来事メモ

『市民サービスの視点から見た松阪市の情報政策の現状 -情報化推進の自治体間比較による定量的評価の試み-』を発表

三重中京大学地域社会研究所の所報に『市民サービスの視点から見た松阪市の情報政策の現状 -情報化推進の自治体間比較による定量的評価の試み-』(本文)を発表する(※)。
これは、市民サービスの視点を軸にした自治体間比較を通じて、松阪市の情報政策の現状を明らかにすることを目的にした研究成果。
具体的には、『平成22年度 総務省 地方自治情報管理概要資料』を基に、市民サービスの視点を獲得ポイントとして設定。
人口17万人の自治体、人口15万人から20万人の自治体、松阪市と同規模の情報推進化費を持つ自治体、
松阪市と類似する産業構造を持つ自治体、三重県内の市、の5つのカテゴリーで松阪市の置かれた現状を分析した。
さらに、今後の情報政策の基礎資料として使えるように、情報化推進体制の内部構造や人口密度なども比較可能な資料にした。

より良い明日に向かうためには、何よりもまず現状を把握することが必要不可欠。
「何となくできている、「何となくできていない」というだけでは前に進むことができない。
具体的に「どこができていて、どこができていないのか」を明確化させることが大切になってくる。
特に情報政策は、ツギハギ的な対処療法では無く、科学的な現状分析を踏まえた上での鍵取りが求められる。
そこで、現状の座標軸を明確化させる分析を続けていたものを今回まとめて発表することになった。
今回の分析結果によって、良いところも、そうでないところも明らかになった。
でも、「べき論」の前に「である」が必要となる。
明日を信じるためには、感覚的な経験知だけでなく、冷静に見つめる形式知を持ち続ける必要がある。
この研究成果を基に、市民と行政との間の信頼関係構築に直結する松阪市の情報のかけ橋作りに貢献していきたい。

2012 3/27
出来事メモ、まろまろ研究

※:2012年4月11日 『中日新聞』朝刊・第18面 「松阪市の情報政策 市民サービス不十分 他の自治体と比較分析 全庁的取り組み課題 担当の渡辺さん提言」

松阪市ホームページ・リニューアル

松阪市情報政策担当官として推進した松阪市ホームページがリニューアルされる(※1、※2、※3)。

今回のリニューアルでは「情報のかけ橋」をコンセプトにした松阪市ホームページ検討委員会の答申を具現化し、
どのような立場の方も情報にアクセスできる「アクセシビリティ」と、使いやすさを追求した「ユーザビリティ」の概念を初めて導入。
目の不自由な方や外国人の方に配慮し、市民目線でのジャンル構成の徹底や、検索機能を充実。
よくある質問やカレンダー機能など、縦割ではなく松阪市全体としての情報の再構築をおこなった。
また、各ページに評価機能とソーシャルメディア・ボタンを設け、フィードバックを向上させた。
そして、松阪らしさの発信を松阪市民の方に担っていただけるよう、「市民枠」も設けた。
主な改善点→松阪市ホームページがリニューアルしました!

個人的なことを振り返れば、今回のプロジェクトが人生で初めて主体的に関わった公共事業となる。
松阪市ホームページ検討委員会委員長に就任答申、松阪市情報政策担当官に就任
情報のかけ橋委員会立ち上げ、ソーシャルメディア利活用宣言とガイドライン策定
情報管理担当者制度の立ち上げと研修会(第1回第4回は講師も担当)
・・・と、基本理念の確立(答申)から、具現化への橋渡し(仕様書作成、審査方法の設定、遂行体制の確立)、
今回の実現(リニューアル)まで、1年半にわたって一通りのサイクルに関わらせていただいた。
この間に、4時間におよんだ検討会や2時間半におよんだ契約審査会、
3回にわたる議会答弁など、人生で初めての経験もさせていただいた。
実現にいたる経緯には、形式知だけでなく、このまろまろ記を10年以上続けていること、
文京区友の会てくてく友の会などの「情報のかけ橋」の構築にたずさわって来た経験知が活きた。
そして、実現にいたったのは、様々な立場の方のご理解とご協力があったからこそ。
「情報のかけ橋」を構築するプロジェクトに関わりながら、
自分自身のこれまでのかけ橋となるご縁の大切さを感じさせられた。

今回のリニューアルによって、「情報のかけ橋」としての松阪市ホームページは、
「どう架けるか?」から「どう活用するか?」の段階に入った。
市民と行政との信頼関係を構築するため、これからも「情報のかけ橋」を構築していきたい。

2012 2/20
出来事メモ

※1:2012年2月10日 『中日新聞』朝刊・第18面「松阪市HPを一新 発信情報を整理 障害者らに配慮 20日から閲覧可能に」

※2:2012年2月22日 『伊勢新聞』朝刊・第9面「松阪市HPリニューアル 音声案内も導入」

※3:2012年2月28日 『松阪 地域みっちゃく生活情報誌 ふぁみんぐ』3月号・p34「松阪市ホームページを一新! ~”市民と行政を繋ぐ情報のかけ橋”をコンセプトに~」

松阪市情報管理担当者研修会「インターネット・リテラシーとグループワーク」の講師をつとめる

情報政策担当官として、平成23年度第4回松阪市情報管理担当者研修会「インターネット・リテラシーとグループワーク」の講師をつとめる。

講師としては、情報管理担当者制度の立ち上げ式を兼ねた第1回:「”情報”はなぜ大切なのだろう?」に続いての登場になる。
(第2回:「パブリシティ」、第3回:「広報誌」)
内容は、「インターネット・リテラシーとグループワーク」と題して、前半は講義形式、後半はグループワークの2部構成にした。

前半の講義は、インターネットの仕組とその特徴を把握して、リテラシーを向上することを目指しておこなった。
今回は7月28日から10月4日までかけて実施した情報管理担当者の全員に対しのヒアリング調査の後なので、
その分析を基にして、情報管理担当者の理解度や関心事と調和できるように意識した内容にした。

また、グループワークでは、ヒアリング調査を集計したヒアリング調査シートを題材に、
各課の共通する課題と解決案について話し合い発表し合っていただいた。
これはヒアリング時に、これまで情報に関して自分の課の状況を体系的に振り返る機会が少なかったことや、
他の課の人と話し合う機会が少なかったということをよく耳にしたので、
お互いが教え合うことで情報共有し、”気づき”を通して問題意識を共有していくことを目指した。

このような目的を持った研修だったので、少人数単位の研修を複数回実施する編成にした。
具体的には、前半後半合わせて1回2時間の研修を、最大定員15人までにして・・・
12月19日の午前と午後
12月20日の午前と午後
12月26日の午前と午後
・・・さらに、欠席者のためのフォローアップとして2011年から2012年に年をまたいで・・・
1月12日の午前と午後
・・・の合計8回の研修をおこなうことにした。
これだけ短期間に同じ内容のものを8回おこなうのは、これまでの講師経験上初めてのことでもあり、
施設や全体との調整の中で乗り越えなくてはいけない課題もいくつかあった。
ただ、市民と行政との間に「情報のかけ橋」をかけるためには、
職員研修は最重要課題の一つという位置付けの下で実現することができた。

今回の研修では、講義とグループワークの両方でヒアリング調査の結果を盛り込んだ内容になったが、
そのヒアリング調査を題材にしたグループワークの結果もまたデジタル化して、
情報管理担当者のみなさんにお渡しすることになった。
その過程を通して、こうしたサイクルの環を充実させながら広げていくことが、
「情報のかけ橋」の構築では欠かせないとをあらためて実感することとなった。

さらに、フォローアップ研修については定員に余裕があったので、
情報管理担当者以外の職員の中で興味のある方にも参加していただき、
サイクルの環が少しずつ広がっていくことが確認できた。

市民と行政との間に「情報のかけ橋」をかけるために、このサイクルの環を大切に育てていきたい。

2012 1/12
出来事メモ

まろまろアワード2011

読書アワード:「哲学の謎」 (野矢茂樹)
→結論を焦らず、気持ち悪い問いと向き合うことの大切さが心に響いた一冊。

ごはんアワード:雄勝湾の「ホタテ貝」 (宮城県石巻市雄勝町)
→生きることの重さと価値を教えられた、おそらく一生忘れられない一品。

出来事アワード:「松阪市情報政策担当官に就任」 (三重県松阪市)
→人は得たものでは無く、与えたものが残る、ということを仕事として取り組む機会をいただいた出来事。

ぷかぷかアワード:「花蛍の湯 ドーミーインPREMIUM京都駅前」 (京都府京都市)
→立地条件の良さと工夫がかいま見えるお風呂。

もろもろアワード:「心拍数♯0822」 (楽曲)
→曲と詩はもちろん、その創作過程も含めて心に響いた歌。

2011 12/31
まろまろアワード

東北行脚記~人生初のみちのく旅~

11月10日から14日までの4泊5日間、東北地方を行脚する。

振り返れば、19歳の時に大阪で阪神大震災を経験したことが、文京区友の会などの地域コミュニティ作りや、
てくてく活動のような地域資料作りに関わるきっかけとなっている。
また、松阪市ホームページ検討委員会委員長や松阪市情報政策担当官として公的な役割を果たすことになったのも、
阪神大震災の経験が原体験として残っていることが大きな要因となっている。

そして、今年発生した東日本大震災は、東京滞在中に経験することなった。
震災発生直後、まだ混乱する東京に友人たちを残して自分だけ移動することには大きな葛藤があったものの、
自分にもできることの中にある自分にしかできないことを考えて、松阪に来ることを決断した。
(「東日本大震災のお悔やみと近況報告」)

自分にもできることの中にある自分にしかできないことの一つが、
被災地から遠く離れた場所にいるからこそできる情報発信だ。
特に防災意識向上や風評被害対策には、情報発信が貢献できる分野なので、
これまでも防災オフ会復興支援オフ会などを開催してきた。

今回の東日本大震災でも、情報発信分野での貢献をしたいと思っていた。
ただ、具体的に自分に何ができるのか、何をどう取り上げればいいのか、
暗中模索する日々が続いていた。
そんな折に、芹澤高斉・三重中京大学准教授が東北地方に視察に行くとお聞きして、
完全ボランティアで同行させていただくこととなった。

人生で初めて訪れた東北は、まだ復旧作業が続いている中だけれど、復興に向けた足音が聞こえるものだった。
石巻市雄勝町で再開されたホタテ貝の養殖をお手伝いさせていただいたことや、
陸前高田市で一本松の保全活動をされている方のお話をお聞きしたこと、
石巻市で松阪市の知人から依頼された消息確認を古い知人と一緒におこなったこと(※1、※2)などを通じて、
様々な立場の現地の方々と実際にお話しさせていただいたことは、自分にとって大きな経験となった。

現地で異句同音に耳にしたのは「どんな動機でもいいから実際に来てほしい」、「忘れないでほしい」という言葉だった。
これは情報発信分野で貢献したいと思う自分にとっては勇気づけられるものだったし、
被災地から遠く離れた場所から来た自分の気まずさを救ってくれた。
その一方で、言葉にできない経験や気持ちを抱えている方々とお話ししながら、
自分がどう接していいのか、どう関わっていけばいいのか、分からなくなることもあった。

自分に何ができるのか。
その応えは今でも暗中模索の状態にある。
でも、今回東北行脚の中で出会ったみなさん、再会したみなさんが、光を灯してくれた。
少しずつこの灯をつなげていきたい。

以下、東北行脚の主な行程とまろまろ記コンテンツのまとめ。

○11月10日:中部国際空港→仙台空港→仙台市のゲストハウス梅鉢に宿泊

 ・北辰鮨 仙台駅3階店の「どんこの肝のせにぎり寿司」

○11月11日:仙台市→石巻市雄勝町でのホタテの養殖お手伝い・大須中学校訪問・雄勝硯の高橋さんと再会→一関市の東横インに宿泊

 ・雄勝湾の「ホタテ貝」

 ・海音の「お刺身の盛り合わせ」

○11月12日:一関市→陸前高田市での一本松保全活動ヒアリング・松阪市からのボランティアと合流→平泉町の志羅山 旅館に宿泊

 ・復興レストラン;マイウスの「醤油ラーメン」

○11月13日:平泉町→仙台市で単独行動開始・蒸留所見学→東松島市で箕輪さんと合流し消息確認開始→石巻市で消息確認→仙台市のドーミーンに宿泊

 ・志羅山 旅館の「朝食」

 ・ニッカウヰスキー宮城峡蒸留所の「シングルカスク宮城峡25年」

 ・かき松島こうは 松島海岸駅前店の「松島バーガー」

 ・路地とうやの「仙台牛のあぶり寿司」

○11月14日:仙台市のせんだいメディアテークへのヒアリング・国分町でのヒアリング→東京都

 ・ブラザー軒の「あんかけ炒飯」

 ・東北新幹線の「炭火焼風牛タン弁当 塩釜藻塩付」

(当日の動向はFacebookのアルバム「東北行脚」にもまとめている)

2011 11/10~14
出来事メモ

※1:2012年1月12日 『夕刊三重』・第1面「40年ぶり文通相手と”再会” 浅沼さん(観光協会職員)、被災の高橋さん(石巻市)と 視察の渡邊さん(市情報政策担当官)捜し当てる」

※2:2012年2月16日 『中日新聞』夕刊・第10面「届いた手紙 被災の文通相手から にじむ苦労に涙 松阪の男性 40年ぶり”再会”」

追記:2012年4月20日から23日まで東北行脚、再びで再訪。

石巻市雄勝町でのホタテ貝の養殖再開陸前高田市の一本松

松阪市におけるソーシャルメディア利活用宣言とソーシャルメディア・ガイドライン策定

山中光茂・松阪市長の定例記者会見にて、松阪市がソーシャルメディアの利活用を業務の一環として位置付ける宣言と、
ソーシャルメディア・ガイドラインの策定が発表される(※1、※2、※3)。
これによって、松阪市では職員が勤務時間中でもtwitterFacebookなどの
ソーシャルメディアを利活用して、情報発信ができるようになった。

行政によるソーシャルメディアの利活用は、情報化社会の進展の中では必然の流れではあるけれど、
新しい領域ということに加えて、ICT分野に特徴的な”私”の部分と”公”の部分が交差する領域でもあるので、
完全拒否でも完全承認でもなく、その位置づけを明確化させた方針が必要となる。

そこで松阪市では今回、ソーシャルメディア・ガイドラインを策定してその位置づけを明確化させ、
利活用を宣言するという情報政策を施行した。
このことは実際に利活用する職員の情報リテラシーがより重要となってくるので、
今年7月から設立・実施している各課1名ずつ選出の情報管理担当者への研修でも重点を置いている。

もともとソーシャルメディアは、草の根的に発展してきたものだけど、
今回のソーシャルメディア・ガイドライン策定も草の根的な経緯がある。
まず、今年の4月から1年間松阪市に赴任している石垣市交流職員の西銘基恭さんから、
石垣島の方へ松阪の情報を発信したいという相談が寄せられた。
ちょうど僕も今年4月から松阪市情報政策担当官に就任したというご縁があり、「情報のかけ橋」をテーマとしているので、
松阪と石垣島の「情報のかけ橋」作りとしてご協力させていただくこととなった。
結果的にtwitterを利用しようということになり、実際の操作指導に加えて、
利用のための石垣市のソーシャルメディア・ガイドライン作成もお手伝いさせていただいた。
現在は、石垣市の公式HPに「松阪と石垣島のかけ橋枠」として、西銘さんのtwitter発言を表示する場所がある(※4)。

そうした経緯があるので、今回の松阪市のソーシャルメディア・ガイドラインは、
石垣市で施行されたソーシャルメディア・ガイドラインを基本に松阪市の現状に合わせた修正をおこない、
これまでのフィードバックも加えてさらなる改良を加えたものを施行することができた。
具体的には、総務省と千葉市のガイドラインを参考にさせてもらいながら、松阪市情報政策担当官としての修正をした。
ICT分野の中でも特にこのソーシャルメディア領域は新しい部分なので、この「まろまろ記」を2001年から運営してきたことや、
日本を代表するソーシャルメディアの一つであるmixiで「文京区友の会」を2006年から運営してきたことなどの経験知も活用した。
松阪と石垣島との間のかけ橋という経緯に加えて、形式知と経験知との間のかけ橋という手法を使っているのが特徴でもある。

ご縁、知識と経験、これからのを活用しながら、これからも「情報のかけ橋」を構築していきたい。

2011 10/26
出来事メモ

※1:2011年10月28日 『中日新聞』朝刊・第16面「ソーシャルメディア 市政情報発信に活用 松阪市長 公務中の使用認める」

※2:2011年10月27日 『読売新聞』朝刊・第29面「松阪市 ソーシャルメディア まちPRに活用へ 職員自ら情報発信 運用指針作成」

※3:2011年10月26日 『夕刊三重』・第1面「ソーシャルネット活用 松阪市が業務の一環に 情報発信を推進」

※4:2011年6月9日 『夕刊三重』・第7面「石垣市から松阪を発信 市観光交流課に出向の西銘さん 自身のツイッターとリンク」

追記:情報管理担当者へのソーシャルメディア基礎研修も実地。

市川市と三鷹市への視察

市川市(千葉県)と三鷹市(東京都)に視察をおこなう。
市川市への視察は情報化先進自治体への視察として、
僕が松阪市情報政策担当官の就任する前から予定されていたもの。
就任してからは、予定されている日程の中で三鷹市への視察を調整した。

これは人口規模、職員数などから松阪市と比較することが可能なことに加えて、
それぞれの取り組みに独自性があるので、参考になると判断したからだ。
特に、情報化推進計画については、市川市はそもそも策定はおこなわない一方で、
三鷹市は12ヵ年にわたる長期計画を策定する、というような明確な方向性の違いがある。

当日は、両市のみなさんのご協力もあって、しっかりとした視察をおこなうことができた。
特に現在進行中のものについてはヒアリングだからこそお聞きできる内容のものもあったので、
日進月歩のICT分野では実際に会ってお話しすることの有効性を感じた。

当初予定された日程の中で倍の視察をおこなうことになったので多忙さはあったけれど、
充実した視察をおこなうことができたのは本当に感謝の念を持った。

お世話になった市川市と三鷹市のみなさん、送り出してくれた松阪市のみなさんのために、
この視察を「情報のかけ橋」作りに活用したい。

2011 10/24~25
出来事メモ