松阪市民講座;「平成23年度 地域の魅力を発見発信講座-街歩き『てくてく松阪』を通した地域資料作りのすすめ-」の講師をつとめる

松阪市民講座、「平成23年度 地域の魅力を発見発信講座-街歩き『てくてく松阪』を通した地域資料作りのすすめ-」の講師を・・・

10月18日 19時~21時 松阪市市民活動センター
10月19日 19時~21時 松阪市飯南産業文化センター
10月20日 19時~21時 松阪市中川コミュニティセンター

・・・の三日連続でつとめる。
これは前年度の「てくてく講座」を基本にして、より厚みと広がりを持たせたもの。

厚みとしては、前年度の講座の前に作成した『旧市街地編』に加えて、
『飯高編』、『蛸路編』、さらに派生版の『松阪学生デートマップ』の合計四冊(四歩)を教材に使うことができたので、
前年度よりも松阪の地域により深く根差した講座が可能となった。
教材の充実だけでなく、1日目には実際に『松阪学生デートマップ』を作った三重中京大学文化会のみなさんが、
どのような経緯で取り組んだのかについて発表していただく時間を設けることもできた。
三重中京大学文化会のみなさんとは松阪星座占い松阪学生マップインストラクターを務めたご縁があるので、
当日は教え子の発表を見守る気持ちになり、自分が講義する時よりも緊張してしまった(w

また、広がりとしては、前回から今回の講座までの間に新聞などのメディアに取り上げられたこと(※)や、
開催場所が松阪の旧市街地から広がったことで、より幅広い方にご参加いただけることとなった。
中でも実際に街歩き活動をされている方、公民館勤務の方や図書館司書の方、
石垣市交流職員の西銘基恭さんなどにも参加していただけたことによって、
前回よりも多角的な質疑と議論ができるようになった。
結果的に『てくてく松阪』が松阪市図書館に加えて三重県立図書館でも地域資料として置いていただけることとになり、成果としての広がりも生まれた。

振り返れば、この「てくてく講座」は前年度に委員長をつとめた松阪市ホームページ検討委員会の中で、
市民側の情報発信力向上について発言したことがきっかけとなっている。
今年度は松阪市情報政策担当官に就任してからの講座ということで、
「情報のかけ橋」作りの一環としての位置付けがよりはっきりとしたものになった。

ちょうど前年度の「てくてく講座」の記事を書いた時は、スティーヴ・ジョブズの「点を線に・・・」という言葉を引用したけれど、
今年度の「てくてく講座」は、スティーブ・ジョブズがお亡くなりになった翌月だったことはある種の感慨があった。
今年度の講座には「いろいろなことを考えて何もできなくなってしまう・・・」と話された参加者の方もいらっしゃった。
スティーヴ・ジョブズが小さな点を線につなげていくことの大切さを訴えたように、
僕も小さくても一歩ずつ踏み出していくことの価値を伝えていきたい。

2011 10/18~20
出来事メモ

追記:IWRIS2012″The Fourth International Workshop on Regional Innovation Studies 2012″ (IWRIS2012) で発表

※新聞報道履歴

2011年4月25日 『夕刊三重』・第1面「てくてく友の会 歩いてわが町を紹介 松阪市特別職渡邊さんら 冊子に編集し図書館で活用」

2011年4月29日 『中日新聞』朝刊・第20面「松阪の魅力 歩いて発見 住民有志が情報誌作成 史跡や飲食店を満載」

2011年9月27日 『夕刊三重』・第1面「三重中京大学生ら デートスポット 地図に 未来の閉学控え軌跡残したい 松阪港やプラネタリウム」

2012年11月14日 『中日新聞』夕刊・第3面 「人と街 てくてく結ぶ 三重・松阪 ネットで交流 集めた情報 冊子に」

2012年10月27日 『中日新聞』朝刊・第20面 「図書館で紡ぐ地域づくり てくてく活動を学会発表 松阪の渡辺さん ネットの仲間で街歩き集めた情報冊子で開示」

ハンドルネームを「まろまろ」から本名の「渡邊義弘」に変更する

ハンドルネーム(NH)として使っていた「まろまろ」を、本名の「渡邊義弘」に変更する。

・・・本名に変更する、というのはおかしな表現で、名実共に自分自身に戻す、というのがより正確なのかもしれない。
1995年4月からインターネットを始めてからというもの、インターネットの愛称であるハンドルネームを使うのはごく自然なことだった。
当時はオンラインとオフラインは別ものなので線引きをしたいという気持ちが強かったし、
アクティヴな引きこもりとしての内向性を持つ自分にとっては、本名を名乗るのは気恥ずかしかった。

ただ、2001年7月から開設したこのまろまろ記(当時はまろまろ読書日記)が広く知られるようになり、
社会的な役割を果たす機会も増えていく中で、本名での情報発信の方がより自然になっていった。
また、自分自身に対して信頼を持たなくては情報発信は続けられないと感じるようにもなってきた。
ハンドルネームを使わずに本名で情報発信する方がリスクは高くなるけれど、
その分、情報を発信し、時には意見を表明する自分自身への信頼は高まる。
責任と信頼は決して分離できないものだからだ。

今回、本名に変更しても「らぶナベ」から「まろまろ」に変更した時に検討したように、
結局はこれからもブランドネームの「まろまろさん」と呼ばれ続けるかもしれない。
そして、未だに本名で情報発信することには恥ずかしさもある。

それでも、情報発信を続けるためには、まず自分が自分を信頼しなくてはいけない。
まろまろ記10周年の今年を一つの機会にして、本名を使うことにする。

まろみあんのみなさん、これからも渡邊義弘としてよろしくお願いします☆

2011 8/26
出来事メモ、サイト運営

まろまろ記10周年

2001年7月19日から始まったこのまろまろ記(旧まろまろ読書日記)が10周年を迎える。

まず、2010年7月19日の9周年から10周年までのこの1年を振り返ってみれば、
これまでの情報発信の経験と知見を公共のために活用する機会が増えたことが大きい。
松阪市ホームページ検討委員会委員長に就任答申をまとめ
松阪市市民講座での「まろまろ流情報発信」講座「てくてく松阪」講座の講師をつとめるなど、
行政側と市民側の両方に対して情報発信の方法とその意味付けについて貢献するご縁をいただいた。

4月からは松阪市情報政策担当官に就任し、松阪市情報のかけ橋委員会の立ち上げや、
担当する松阪市ホームページ改修事業について議会答弁、松阪市情報管理担当者研修会の講師など、
公務として役割を果たす日々の中で今回のまろまろ記10周年を迎えることとなった。
公務にたずさわることになったのは、様々なご縁をいただいたことに加えて3月11日に東京で東日本大震災を経験したこともきっかけになっている。
自分の無力さを感じながらも、その中で自分の果たせる役割を見つめる機会が大きく影響した。
(東日本大震災のお悔やみと近況報告)

また、公共の役割を果たすことは自分自身の足もとを振り返る機会ともなり、このまろまろ記の改善にもつながった。
具体的には、サイドバーにはカテゴリとアーカイヴのプルダウンメニューを追加し、
ナビゲーションバーのまろまろメルマガを出来事メモと入れ替えるなど、ユーザビリティ向上にもつとめた。
加えて、アクセス数の増加に合わせて表示速度を向上させるために、サイト開設以来6度目となるサーバ引越をおこなった。
(ジオシティーズ→ファーストサーバ→ロリポップ→さくらインターネット→XREA+→CORE SERVER CORE-A→CORESERVER CORE-B)

このように10周年を迎えるこの1年は、10年間で1番多忙な1年となった。
10年周年は、1年が10回過ぎただけの一つの通過点でしかない。
でも、進まなければ通過はしないし、続けなければ進まない。
単なる通過点でも大切にしていきたいと感じながら、また次の10年を迎えたい。

2011 7/19
出来事メモ、サイト運営

第1回松阪市情報管理担当者研修会「情報基礎~情報はなぜ大切なのだろう?~」の講師をつとめる

松阪市情報政策担当官として、第1回松阪市情報管理担当者研修会「情報基礎~情報ななぜ大切なのだろう?~」の講師をつとめる(※)。
松阪市情報管理担当者は、各課から1名ずつ選出され、内部の情報流通と市民への情報発信の基点となる役職。
今後の松阪市の情報政策の中でも重要な要素として位置づけられる新設の体制なので、
立ち上げ式を兼ねた第1回研修会は山中光茂市長と小林益久副市長も出席しての開催となった。

僕が担当した第1回の内容は、情報の性質(1章)、情報化社会の現状(2章)、情報と信頼の関係性(3章)、をそれぞれ解説して、
情報がなぜ大切なのかを意識付け、情報が信頼に直結することを共通認識を持っていただくことを目的におこなった。
特に、生活に密着した行政情報は市民にとっては安全と安心の支えとなるもので、
市民と行政との信頼関係の構築には情報発信と情報流通が不可欠なことを具体的な事例を通して説明した。
これは今後の情報管理担当者研修会と各課ヒアリングでも前提となるもので、共通認識化したいと考えてのことだ。
このように意識付けと共通認識化を目的としたものなので、時間と資料もメリハリと簡潔さを意識したものにした。
(ex.この研修会と各課ヒアリングを松阪市の情報政策の中で位置付けたワークフロー図を要約レジュメの裏面に付けるなど)

また、今回の研修内容は以前おこなった市民講座の「”まろまろ流” 市民による情報発信のすすめ」「てくてく松阪のすすめ」などと連動するものでもある。
市民からの情報発信と行政からの情報発信は、それぞれが流通し、好循環が生まれてこそ価値がある。
市民と行政のそれぞれの情報発信をコーディネートして、好循環を生み出すための仕組み作り=「情報のかけ橋」を作ることが、
進展する情報化社会の中では重要になってくるし、それが自分に与えられた役割だと考えている。

今回の研修会は行政側からの情報発信の基礎となるもので、重要な一歩だという認識のもとでおこなった。
研修会の中で「文章とはテレパシーである」というスティーヴン・キングの言葉を紹介する機会があった。
その中で「自分なりに修正すれば”情報とは誤解が多いテレパシー”」と知見を述べた。
誤解が多いテレパシーが少しでも届いていくように、これからも進んでいきたい。

2011 7/15
出来事メモ

※2011年7月16日 『中日新聞』朝刊・第20面「情報発信 信頼に不可欠 松阪市 管理担当者に研修会」

追記:2011年12月19日(午前/午後)、12月20日(午前/午後)、12月26日(午前/午後)、2012年1月12日(午前/午後)に開催した第4回松阪市情報管理担当者研修会の講師も担当。

松阪市情報のかけ橋委員会を創設する

第1回松阪市情報のかけ橋委員会が開催され、松阪市情報のかけ橋委員会を創設する(※1、※2)。

この松阪市情報のかけ橋委員会は、市民と行政との間に情報のかけ橋を架けることを目的とした委員会。
前年度に委員長として取りまとめた松阪市ホームページ検討委員会答申の中に盛り込んだ構想を実現化したもの。
松阪市にはこれまで市民と行政とが情報について話し合う恒常的な場自体が無かったので、
この松阪市情報のかけ橋委員会の存在自体も大きなかけ橋となる。

直近は松阪市ホームページの根本的なリニューアルを目指した仕様書の作成、業者選定の方法を審議し、
リニューアル後は情報発信のチェックと松阪モデルである市民素材、市民枠の運営を担う。
そのため、メンバーも委員長の小林益久副市長を中心に、三重大学地域情報化リサーチセンター長の山守一徳教授、アナウンサーの里中綾子さん、三重中京大学文化会委員長の小室良太さんなどの専門性の高い布陣となった。
そして、制度設計をした僕自身も専門性を求められて松阪市情報政策担当官として委員に加わることとなった。

事務局も含めたこの素晴らしいみなさんと共に、松阪のかけ橋となりたい。

2011 5/9
出来事メモ

※1:2011年5月9日 『中日新聞』朝刊・第16面「松阪市HP刷新へ」
※2:2011年5月9日 『伊勢新聞』朝刊・第8面「より見やすいHPに 松阪市情報のかけ橋委 業者決定方法など討議」
※3:松阪市行政情報番組アイウェーブまつさか 「第1回情報のかけ橋委員会」

松阪市情報政策担当官に就任する

山中光茂・松阪市長からの委嘱を受けて、松阪市情報政策担当官に就任する(※1、※2)。

これによって今年度から松阪市と市民の間に情報のかけ橋を架ける仕事に携わることとなった。
今回の就任には、これまで松阪で関わらせていただいた・・・
三重中京大学でのご縁 (「情報化社会の非対称性」講義「地域コンテンツによる情報発信とコミュニティ創造」研修)
松阪市ホームページ検討委員会でのご縁 (就任答申)
松阪市市民講座でのご縁 (「まろまろ流情報発信」講座「てくてく松阪」講座)
・・・などのご縁が大きく影響している。

様々なご縁が折り重なって一つの流れとなったけれど、その流れは決して直線的なものではなかった。
前年度中は松阪市ホームページ検討委員会委員長を担っていたことから、最初にオファーをいただいた時はお断りしたこともある。
また、交通費や残業代はもちろん、一切の手当もボーナスも退職金も無く、国民年金という非正規雇用(非常勤)であることや、
松阪市に行くこと自体に対しては周囲の理解を求める必要もあった。

でも、最後は自分にも今すぐできることの中に自分にしか今しかできないことがある、という自分の気持ちに従った。
もともと阪神大震災を経験したことが文京区友の会などの情報発信を通した地域コミュニティ活動のきっかけとなっている。
今回も3月11日に発生した東日本大震災に東京でめぐり合い、情報のかけ橋を構築することの必要性を強く感じた。
(東日本大震災のお悔やみと近況報告)
人は死んだ時には得たものではなく与えたものが残る、ということを思い返して、就任の数日前にサインをさせていただいた。
直線ではなく曲線ではあるけれど、自分が世の中に貢献できること仕事をいただいたことに強い喜びと使命感を持って委嘱式にのぞんだ。
今回の件を含めて、松阪のご縁をいただいた方々、支えていただいた方々、励ましていただいた方々には本当に感謝している。
いただいたご縁とご厚意を無駄にしないため、「結果的に良かった」と思ってもらえるよう松阪に貢献したい。

振り返ってみれば自分の人生は曲線ばかりだ。
たとえば、政策科学修士号を取った後に学際情報学修士号を取ったことについて、まわり道のように思った時期もあった。
それが今回、政策学と情報学の二つの修士号を持っていることが情報政策担当官としてつながった。
また、ずっと非営利で社会に貢献する仕事がしたいと思っていた。
社会活動への挑戦はちょうど4年前に失敗したけれど、その気持ちはより明確な役割を持った仕事としてつながった。
自分はピコピコしい人間だから、失敗することは嫌だし、迷うことは恥ずかしいと思う。
でも、曲線であってもつなげていくことの気持ちを持ち続けて、自分の役割を果たしていきたい。

転んだら泣けばいい、迷ったら凹めばいい、新しい道を自分の道にすればいい
そう感じた松阪市情報政策担当官就任。

2011 4/1
出来事メモ、進路関係

※1:2011年4月2日 『中日新聞』朝刊・第18面「情報政策担当官、渡邊さんに委嘱」
※2:2011年4月2日 『夕刊三重』・第7面「市、情報政策担当官に渡邊さんを任命」

追記:2013年3月31日をもって任期満了につき退任

東日本大震災のお悔やみと近況報告

この度の東日本大地震(平成23年東北地方太平洋沖地震)で被災された皆様には心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。

今回の大震災では東京滞在中であったこともあり、個人的にも多くの方から電話やメールなどで安否確認をいただきました。
ありがとうございます。僕は無事です。
東京電力管内にいる間は節電協力のために、Twitterで報告をした後は更新をひかえていました。
現在は東京電力管内からに移動したことと、未だにこのまろまろ記の読者の方(まろみあん)から安否確認をいただくことがあるので、こちらでも簡単に近況をご報告します。

3月11日の震災当日は東京の部屋がガラスや陶磁器が散乱するなどがありましたが、特に怪我はありませんでした。
安全の確保をおこないながら帰宅困難者の受け入れをおこない、その後も友人の支援を続けていました。
友人たちが残る東京を後にするのは複雑な心境でしたが、今回の大震災では情報のかけ橋をつくる重要性をあらためて痛感させられ、また、そのお手伝いすることが自分に与えられた役割だと思い、明日の委員会にのぞみます。

阪神大震災の時と同じく、こういう時こそ熱い心と冷たい頭脳のバランスを取りながら、自分のやるべきことを果たしていくことが重要であると考えています。
これまで被災された地域の支援としては能登半島地震復興支援オフ会中越沖地震復興支援オフ会など、ソーシャルメディアを活用した復興支援をおこなってきました。
今回もそうした復興支援をおこなっていきたいと思います。

最後のもう一度、この度の東北関東大地震で被災された皆様には心からお悔やみとお見舞いを申し上げます。
生き残った人間として、等身大の役割を果たしていきたいと思います。

渡邊義弘

松阪市民講座;「地域の魅力を発見発信講座-街歩き『てくてく松阪』を通した地域資料作りのすすめ-」の講師をつとめる

松阪市市民活動センターで開催された松阪市民講座、「地域の魅力を発見発信講座-街歩き『てくてく松阪』を通した地域資料作りのすすめ-」の講師をつとめる。

これは、文京区で実施した街歩きの記録を資料化して図書館に寄贈して閲覧可能にするプロジェクト、
「てくてく文京」の紹介と松阪への応用について解説する市民講座(※1)。
この講座は単なる「てくてく文京」の解説だけでなく、松阪への応用も目指したものなので、事前の1月8日に実験的に「プレてくてく松阪」を実施。
前日の1月18日に完成品を松阪市図書館に寄贈し、閲覧できる状態にしてから講座にのぞむこととなった。

「自分が答えになれ」といつも自分に言い聞かせているので、「てくてく松阪」がどのようなものになるのかについても、まずは自分が実施して可能性を示す必要があると感じたからだ。
「てくてく松阪」がどのようなものになるのかについては、自ら実施して可能性を示す必要があると感じたからだ。
実際に「プレてくてく松阪」をおこなう中では、地域資料の担当の司書の方がいないことや、地域マップのリストが作成されていない点など、
松阪市図書館や松阪市観光センターの現状や街の課題も明らかとなった。
ただ、問題点を明らかにするだけでなく、前者は図書館館長とお話させていただき対応をお願いする、
後者は「プレてくてく松阪」の最後のページに手に入れたマップのリストを作る、など出来る範囲での改善もおこなった。
こうした自分にできる範囲のものから取りかかる、歩ける歩幅でで進む、ということの必要性を当日の講座では強調させていただいた。

講座の後半では、「プレてくてく松阪」に参加された方からコメントをいただきながら当日の行程を振り返った。
これも、単にレクチャーするだけでなく、実際に参加された方の生の声を通して実際に自分たちの手で取り組むことの価値を伝えたかったからだ。
結果的に座談会のような雰囲気になり、参加者の方同士の交流もできたことは講師としても嬉しく思えた。

ちなみに、この市民講座は前回の「”まろまろ流” 市民による情報発信のすすめ」と同じく、
松阪市ホームページ検討委員会で知り合った委員の方からご紹介をいただいたもの。
答申に盛り込んだ「市民枠」を議論した時(第4回)では、「松阪らしさは行政や企業ではなく市民自身が決めていくもの」という主張をさせていただいた。
その流れで、市民による情報発信の事例として文京区友の会「てくてく文京」を紹介させていただくことがあり、
今回、松阪への応用についての講座のご依頼を受けることになった。

そうした経緯から、「街の文化は市民自身が発見して、発信する」という意識を持っていただくことを講座のテーマとしてお話させていただいた。
振り返れば、今回このような機会をいただけたのも自分にできる範囲で取り組みを続けていたからこそ。
「点が繋がって、線になる」とは、スティーブ・ジョブズの有名なスピーチの中にあるセリフだけど、点を線につなげる可能性をいただいたことに感謝したい。

※1:松阪市行政情報番組アイウェーブまつさか 「てくてく松阪 受講者募集!」

2011 1/19
出来事メモ

まろまろアワード2010

読書アワード:「今日の芸術―時代を創造するものは誰か」 (岡本太郎)
→芸術は自己疎外を産み出す手軽な気休めではなく、自己回復への情熱、だとする位置づけが衝撃的な芸術論。

ごはんアワード:「丸中の松阪牛を使った温泉しゃぶしゃぶ」 (関西地方)
→味、オリジナリティ、臨場感、すべてが印象的な忘れられないごはん会。

出来事アワード:「委員長として松阪市ホームページ検討委員会答申をおこなう」 (三重県松阪市)
→人は得たものでは無く、与えたものが残る、という生きる目的を再確認させられた社会貢献。

ぷかぷかアワード:「川湯温泉」 (和歌山県田辺市本宮町川湯)
→泉質も風景も大満足なお風呂。

もろもろアワード:「ハゲタカ」 (テレビドラマ)
→現代の日本がつきつけられている問題をテーマにして、迫力ある演出でえがいた名作。

2010 12/31
まろまろアワード

松阪市ホームページ検討委員会答申をおこなう

委員長をつとめる松阪市ホームページ検討委員会の答申をおこなう(※1、※2、※3)。

答申の正式名称は、「松阪市ホームページの改善並びに完全リニューアルに向けての指針について」というもので、
現行ホームページの問題と課題から見た改善点、市民が必要とする情報を把握するための仕組みづくり、
特徴あるホームページとするために、完全リニューアルのための仕様書案、資料、参考、という構成をしている。
また、行政の方でも一目で問題とその対策が分かるように、「各問題点に対する対策について」という対応表も盛り込んでいる。

内容面では、「情報のかけ橋」というコンセプトの下で、部局を越えた「CIO(最高情報責任者)」の設置と、公式ホームページへの「市民枠」の導入を提言していることが最大の特徴となっている。

特に「市民枠」の導入については、オリジナリティの部分として、しっかりと議論させていただいた。
この松阪市ホームページ検討委員会では、委員長という立場から自分の意見を述べるよりも議事運営に力を入れることが多かったけれど、
「市民枠」導入の議論だけは、一人の委員として自分の意見を発言させていただいた(第4回)。
それは、松阪らしいホームページは、行政や企業が決めるのではなく、市民自身が考えて創っていかなくてはいけないと考えたからだ。
このように、単なる表面的なホームページのリニューアルだけでなく、市民と行政が一緒に情報発信をしていく仕組みにも踏み込んだ答申となっている。

また、答申のコンセプトである「かけ橋」というのは、これまでの自分の社会活動を通じたコンセプトでもあった。
それだけに、答申には個人的にも感慨がこみ上げるものとなった。
(当日着ていたジャケットは文京区での社会活動をした時に着ていたのと同じもの)
そして、今回、松阪市ホームページ検討委員会委員長として役割を果たす機会を得たことは、自分の表現活動と社会活動とのかけ橋ともなった。
プライベートな側面が強い表現活動と、パブリックな側面が強い社会活動との間に、どうかけ橋を架けていくのかというのがこれまでの自分の課題だった。
その点で、この松阪市ホームページ検討委員会委員長として役割を果たすことは、
まろまろ記での表現活動を通じて得た知識や経験、文京区友の会のような地域コミュニティを通じて得た知識や経験が、自然と社会貢献につながる機会となった。
このプライベートとパブリックの間にかけ橋をかける機会を得られたことは、自分にとって大きな意味を持つ。

自分は、いつも人から何を言われたのか、されたのかではなく、人に何を言ったのか、したのかが残ると考えている。
そんな自分に役割を果たす機会を与えていただいた、松阪のみなさんに感謝したい。

※1:2010年12月21日 『中日新聞』朝刊・第14面「最高情報責任者設置を 松阪市長にHP検討委が答申書」
※2:2010年12月21日 『夕刊三重』・第6面「委員会の設置や市民参加を提言 市ホームページ委」
※3:松阪市行政情報番組アイウェーブまつさか 「松阪市ホームページ検討委員会が答申」

2010 12/20
出来事メモ