野矢茂樹 『哲学の謎』 講談社 1996

最近、何かのCMのように”no reason”と”priceless”を使う機会がある、まろまろです。

さて、『哲学の謎』野矢茂樹著(講談社)1996。

「5分前に世界が創られた可能性を否定できるだろうか?」 (2:記憶と過去)
「時は本当に流れているのだろうか?」 (3:時の流れ)
「正常と異常との違いは何だろうか?」 (6:規範の生成)
・・・などの哲学の論点を取り上げた哲学書。

この本が面白いのは、タイトルにあるように哲学的な論点をあくまでも謎としている点だ。
そのために結論はなく、謎に対して二人の人間が対話をするスタイルになっている。
しかも、二人の人間というのは二人とも著者のことで、自分自身の心の中の対話を本にしている。

これは哲学を「考えることを考えること=thinking of thinking)」と捉えることが一番納得する僕の理解と合致する姿勢。
そして、こうした哲学的な姿勢について、本文の中で・・・
実生活には無関係かもしれない。
しかし、こんな懐疑に辿り着いてしまうというのも、きわめて人間的な現象だ。
そして、この懐疑に「何か気持ち悪い」と反応するのもまた、きわめて人間的な現象にほかならない。
だから、その気持ち悪さから目をそらさずにこの懐疑をもっと見つめてみることで、われわれ自身を知ることができるかもしれない。
実際、ここには哲学が問題にすべき何かがある。
この懐疑そのものはきっかけにすぎないかもしれないが、これをバネにして何か開けてくるかもしれない。
(4:私的体験)
・・・と意義づけていることが一番印象に残った。

実はこの哲学書は、こうした姿勢と接するために読んでみた本でもある。
去年は松阪などで社会的な役割を果たす機会に恵まれたけれど、その中で自分には結論をいそぐ傾向があることを自覚させられることが何度かあった。
普段は即断即決することが多くても、時には結論を焦らず、本文にあるようにじっくり「気持ち悪い問い」と向き合う必要性を感じさせられた。
そこで、同じく去年に開催したまろまろ茶話会2010の本の交換会でまろみあんの方が紹介されていたこの哲学書を、今回ひもとくことになった。
本は書かれた内容だけでなく、書かれた姿勢と接するために読むものだということをあらためて感じさせられた一冊。

ちなみに、この本と出会えたのも、結論がないこのまろまろ記を通じたご縁があったからこそ。
いま読書日記を読んでいるまろみあんの方も、結論をいそがずお付き合いいだけると嬉しい☆

この本をamazonで見ちゃう

2011 2/5
哲学書
まろまろヒット率4

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