コグレマサト・するぷ 『必ず結果が出るブログ運営テクニック100 プロ・ブロガーが教える“俺メディア”の極意』 インプレスジャパン 2012

渡邊義弘@松阪市で初めてとなるソーシャルメディア基礎研修をおこないました☆
(2012年5月31日 『中日新聞』朝刊・第20面 「ソーシャルメディア 松阪市職員が研修」)

さて、『必ず結果が出るブログ運営テクニック100 プロ・ブロガーが教える“俺メディア”の極意』コグレマサト、するぷ著(インプレスジャパン)2012。

プロ・ブロガーのコグレマサト(「ネタフル」)とするぶ(「和洋風」)による、「仲間」と「収入」を目的に設定した実用書。
特に、Facebookやtwitterなどのソーシャルメディアが普及した現在でのブログの位置づけや効果について述べられているのが興味深い。
たとえば・・・

○ブログが「講演会」だとしたら、ソーシャルメディアは「懇親会」
<66 個人的でささいなことを、ソーシャルメディアで共有する>

・・・というところは、自分も「まろまろ記」が本体でソーシャルメディアは出張所だと思っているので納得するものがあった。
また・・・

○爆発的にウケて一時的にアクセスが集まることよりも、長く読み続けてくれる人が少しずつ増えていくことを意識するべき
<41 Twitter、Facebookを中心にソーシャルメディアとブログを連携しよう>

○収入は大事ですが、読者との信頼関係がそれ以上に大事
→信頼がなければ、誰も紹介された商品を買おうとは思ってくれない
(読者の不利益にならない広告、信頼を損なわない商品紹介を心がける)
<71 ブログのアフィリエイトは「動的広告」+「商品紹介」を中心にしよう>

・・・などの部分は、「時代おくれのブログになりたい」と考える自分のスタンスにも共鳴するものがあった。
他にも・・・

○すぐには応えられないような質問は、いいネタの元になる
<39 コメントや質問の多かった記事の「続き」を書く>

○(ページビューの多さではなく)ぼく自身に興味を持ってくれた人からのお誘いは、とても断る気なれません
<70 苦手な相手とは距離を取りストレスを避ける>

・・・など、ツールやテクニックの部分よりも基本方針や理念の点が印象に残った一冊。

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2012 6/20
HP・ブログ本、情報・メディア、実用書
まろまろヒット率3

AKB48 CAFE & SHOP AKIHABARA カフェエリアの「篠田麻里子のチョコパンダカレー」


秋葉原にあるAKB48 CAFE & SHOP AKIHABARA カフェエリアで、篠田麻里子のチョコパンダカレーをいただく。

その名の通り、AKB48所属の篠田麻里子さんが開発したオリジナルメニューで、豚しゃぶカレーをベースにパンダが模られている。
そこまでは無難だけど、さらに顔のパーツ部分にチョコレートを使う挑戦的なところが篠田麻里子さんらしいところ。
2012年6月現在、26歳という最年長でAKB48を引っ張り、5位に入った第4回選抜総選挙では「後輩に席を譲れという声もあるが、席を譲れないと挙がれない人間はAKBでは勝てない」という趣旨のスピーチをするなど、強い印象を与え続けるAKB48の中心メンバーの個性が表現されている。
味のコメントはあえてしないけれど(てへぺろ☆(・ω<))、シアターエリアと同じく、21世紀初頭の現代日本の縮図が垣間見れるカフェ。
まろまろと今日ももぐもぐ。

秋葉原の「AKB48 CAFE & SHOP AKIHABARA カフェエリア」にて。

稲葉陽二 『ソーシャル・キャピタル入門 - 孤立から絆へ』 中央公論新社 2011

「東北行脚、再び」でワカメ収穫のお手伝いをしたことが新聞記事にも取り上げられました。
(2012年6月5日 『中日新聞』朝刊・第16面 「石巻の漁師応援の輪 料理写真でワカメPR 松阪市職員のネット投稿を機に」)

さて、『ソーシャル・キャピタル入門 - 孤立から絆へ』稲葉陽二著(中央公論新社)2011。

ソーシャル・キャピタル(Social Capital)=社会関係資本の入門書。
内容は、概念の整理(第2章)や意義(第3章)から、測定方法(第4章)や格差との関係(第7章)、暗黒面(第8章)まで、社会関係資本をめぐる議論が一通り解説されている。
さらに、巻末の巻末の「もう少し社会関係資本について知りたい読者のためのリーディングリスト」も充実しているので、入門書としてとても分かりやすい。
また、入門書としての解説だけでなく・・・
一般的な社会関係資本の定義に心の外部性を加えて、「心の外部性を伴った信頼・規範・ネットワーク」と定義する。
「経済格差の拡大が社会関係資本を壊して人々の健康水準や教育に悪影響を及ぼす」と主張する。
・・・などの著者の独自の立場も明確に示しているので、社会関係資本に関連した問題を考えるきっかけともなっている。
読みやすく、示唆に富む一冊。

以下はチェックした箇所(一部要約含む)・・・

○社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)=信頼、互酬性の規範、ネットワーク(絆)
<第1章 社会関係資本とは何か>

○社会関係資本の外部性は、市場に内部化してしまうと人の心を踏みにじることになり、社会関係資本そのものを毀損してしまう可能性が高い
<第1章 社会関係資本とは何か>

○著者の定義=社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)=信頼、互酬性の規範、ネットワーク(絆)、に心の外部性を加えて・・・
「心の外部性を伴った信頼・規範・ネットワーク」
<第2章 信頼・規範・ネットワークー三つの要素>

○社会関係資本の基本概念=異質な者同士を結びつけるブリッジング(橋渡し型)な社会関係資本+同質な者同士が結びつくボンディング(結束型)な社会関係資本
<第2章 信頼・規範・ネットワークー三つの要素>

○社会関係資本の研究では一般的に、「たいへいの人は信頼できると思いますか、それとも、用心するに越したことはないと思いますか?」という問いを用いて社会全般への信頼(一般的信頼)を計測している
→日本では「国民性の研究」(統計数理研究所)、国際的には”World Value Survey”などが代表的
<第4章 何がかたちづくるのか、どう測るのか>

○社会関係資本は、(略)結局のところ、人の心を通して測る部分が出てくる
→やり方を誤れば倫理上の問題がある
<第4章 何がかたちづくるのか、どう測るのか>

○著者の立場=格差の拡大が信頼・規範・ネットワークである社会関係資本を壊し、それが人々の健康水準や教育に悪影響を及ぼす
<第7章 社会関係資本を壊すー経済格差をめぐる議論とその現状>

○生活水準の違いが、人々の間の共通のアイデンティティを損ない、人々の間の優越感と劣等感という概念を助長させ、
さらにヒエラルキーや権威主義的な価値観を生む
→地位争い、自己利益や物質的成功の強調、個人的な利得nためお攻撃的な搾取や、他人の幸福への配慮の欠如といった状況が増える
→これらすべては、人々の社会関係の質を劣化させ、社会関係資本の協調的な側面をことごとく否定し、
 信頼という社会関係資本の基本を毀損させる
→劣等という汚名を拒否する人々による暴力の増加、それに伴うコミュニティの崩壊、加えて人々の健康へのストレスを増やすことになる
<第7章 社会関係資本を壊すー経済格差をめぐる議論とその現状>

○格差と社会関係資本との因果関係の経路まとめ
1:平等な社会の方が、構成員が同じ価値観を持ち、協調的に働きやすい
2:不平等は所得階層間の社会的距離を拡大させる
3:不平等は貧困層の自尊心を傷つけ、富裕層との協調行動を難しくさせる
4:富裕層は貧困層と接触する積極的理由はないので、貧困層の接触先は同じ層に限られ、
 貧困層の社会的接触先の質、つまり、彼らの社会関係資本の質はますます悪化する
5:経済的不平等は情報の非対称性を拡大させ、異なるネットワークで情報量の差を拡大させる
6:経済的不平等は信頼を壊し、取引費用を拡大させある
7:過度の不平等は将来に対する人々の期待を失わせ、協調的行動を阻害する
<第7章 社会関係資本を壊すー経済格差をめぐる議論とその現状>

○社会関係資本のわかりやすいダークサイド=反社会的勢力のようにそのネットワーク自体が負の外部経済を生じるもの
+腐敗のように市場に内部化しようとする過程で負の外部性を生じるもの
<第8章 社会関係資本のダークサイド>

○ボンディング(結束型)な社会関係資本の問題点=しがらみ、
ブリッジング(橋渡し型)な社会関係資本の問題点=互酬性の規範(お互い様)は通用しないことが多いので、協調性を欠くことが多い
→特定化信頼は、ネットワークを通じたつきあいの積み重ねで醸成されるが、
場合によってはネットワークを通じて、信頼ではなく、逆に不信を膨らませてしまうケースもある
<第8章 社会関係資本のダークサイド>

○社会関係資本は良いことばかりでなく、不祥事の温床になるケースもあるだろう
→不平等させ助長しかねない
<第8章 社会関係資本のダークサイド>

☆水平的組織と垂直的組織の違い
・水平的な組織=技術革新や評判の伝播には向いているが、メンバーの退出が容易で互酬性の規範やそれに基づく戦略的な信頼は維持しにくい
・垂直的な組織=メンバーが固定しているため規範が成立しやすく、メンバー間の信頼は厚いが、対外的には排他的になりがち
<第9章 豊かな社会関係資本を育むために>

○「きずな」という言葉を意味・・・
・世の中には市場では評価できない価値があり、行き過ぎた市場化に警鐘を鳴らす
・「きずな」を壊す経済格差に対する批判
→「きずな」の重視を標榜するということは、格差に伴う不平等を是正するということだ
<第9章 豊かな社会関係資本を育むために>

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2012 6/14
経済学、社会学、社会関係資本(ソーシャルキャピタル)
まろまろヒット率4

松阪市情報管理担当者研修会 「ソーシャルメディア基礎」の講師をつとめる

松阪市情報政策担当官として、平成24年度第3回松阪市情報管理担当者研修会「ソーシャルメディア基礎」の講師をつとめる※。

松阪市では平成23年10月にソーシャルメディア利活用宣言とガイドライン策定をおこない、ソーシャルメディアを積極的に位置づけている。
このため、情報管理担当者(各課1名ずつ=平成24年度は合計75名)の間での基礎知識と行政内での位置づけを共有する目的で実施した。

内容は、ソーシャルメディアとはどういうものか、現在どのようにして普及して社会的影響を与えているのかを解説して、
武雄市(佐賀県)での活用事例も紹介しながら、そのメリット・デメリットを含めて特徴を整理した。
まだ新しい分野、しかもソーシャルメディアを利用したことがない方もいたので、具体的事例とその意味づけのバランスを意識して構成。
最後は第1回情報管理担当者研修会「情報基礎~情報はなぜ大切なのだろう?~」を復習して、市民と行政との間に信頼関係を構築するために情報が大切ということを確認した。

ソーシャルメディア利活用宣言とガイドライン策定に続いて、この研修会によってソーシャルメディアの利活用はより鮮明な方向性を持つことになった。
これからも、こうした職員研修を含めた情報政策によって市民と行政との間の信頼関係を構築することへの貢献をしていきたい。

2012 5/30
出来事メモ

※:2012年5月31日 『中日新聞』朝刊・第20面 「ソーシャルメディア 松阪市職員が研修」

エレイン・N. アーロン、冨田香里訳 『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』 講談社 2000

渡邊義弘@「まろまろレシピ」充実中です☆

さて、『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』エレイン・N. アーロン著、冨田香里訳(講談社)2000。

ユング派の心理学者である著者が、とても敏感な人のことを、”Highly Sensitive Person” = “HSP” と定義付けて、
心理学的アプローチから捉え直す(reframing)ことを目指した心理学本。
原題は“The Highly Sensitive Person” (Aron, 1997)

僕自身も著者の定義でいう”HSP”に当たると思う節があり、本文で語られている・・・

外の世界から遠ざかっていることを喜びつつも、それを恥じる気持ちがいつもあった(略)
人から学ぶこと、自分の能力を認めてもらうこと、いろいろな人と出会うことなどの機会を自分から遠ざけていると感じていながら、
それまでのつらい経験から、私には無理なことだと諦めていた
<はじめに>

・・・という著者の心情や・・・

この本のテーマは、あなたの人生を、あなたの特徴である「敏感さ」をキーワードにして捉え直すということ(略)
失敗や傷ついたこと、恥ずかしかった場面などを、もっと冷静で客観的な目と温かい共感を持って新しく捉え直す
<第4章 子供時代と思春期を新しい目で捉え直す>

・・・という意図には共感したので、手に取ってみた。
読んでみると、”確かに思い当たることや、時には身につまされるような事例が解説されている。
中でも心に残ったのは・・・

自分を「恥ずかしがり屋」だと思うのは自己欺瞞である
<第5章 HSPの社会生活>

・・・と指摘しているところだ。
確かに神経の高ぶりを対面的要素に還元するのは安直だと素直に反省した。

ただし、本文で語られる相談階級としての”HSP”の歴史的役割や、治療への助言などは慎重に接したいと感じるところがあり、
ところどころに引っかかるところがあったのも事実。
新しい知識を身につけるというよりも、事例をゆっくりと読み進めることで、
内向的な特質と結果論的としての外向性=「アクティヴな引きこもり」な自分を見つめなおす機会とした一冊。

以下は、その他にチェックした個所(一部要約含む)・・・

○子供と動物ばかりを対象に研究していたら、心理学者は人間の考える力と人生経験の果たす役割を見過ごしてしまう
→大人は理屈がわかり、選択することができ、また選択したことをやり抜く意思力を備えているのだ
<第2章 さらに理解を深める>

○ちゃんとした「境界」を築くことを人生の目標にしよう
→「境界」はあなたの権利であり、責任であり、尊厳の源
<第3章 「敏感すぎるカラダ」の健康と生活>

○神経の高ぶりをコントロールする秘訣は、目新しい要素をなるべく排除すること
<第5章 HSPの社会生活>

○「自分の喜び」と「世の中のニーズ」との接点を探すこと
<第6章 HSPの仕事について>

○親密な人間関係というものは、お互いの影の部分を知り、それを受け容れようとか、変えようと決意した時に始まると言ってもいい
<第7章 HSPの恋愛と友情>

○気持ちの裏にある推測は間違っていることもあるが、気持ちそのものには正しいも間違いもない
→気持ちをきちんと聞いてもらえれば、問題は少なくなるもの
<第7章 HSPの恋愛と友情>

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2012 5/21
実用書、心理学
まろまろヒット率3

バルバラ・ベルクハン、瀬野文教訳 『アタマにくる一言へのとっさの対応術』 草思社 2000

渡邊義弘@4月11日付の『中日新聞』朝刊・第18面に発表した分析結果が取り上げられました。
(『市民サービスの視点から見た松阪市の情報政策の現状 -情報化推進の自治体間比較による定量的評価の試み-』)

さて、『アタマにくる一言へのとっさの対応術』バルバラ・ベルクハン著、瀬野文教訳(草思社)2000。

前に読んだ『グサリとくる一言をはね返す心の護身術』と同じ著者が書いたコミュニケーション技法書。
『グサリとくる一言をはね返す心の護身術』を読んだ後なので新鮮さはあまりなかったけれど、
『グサリとくる一言をはね返す心の護身術』と同じく自分の中にある繊細さを振り返る機会になった。
特にこの本で紹介されているアタマにくる一言やアタマにくる態度の事例は、
松阪市情報政策担当官に就任してから体験したこと(メモ)を思い起こして良い訓練となった。

たとえば・・・

☆なにがなんでもまとめあげようとしなこと
→どの点で一致妥協できないのか、それがわかるだけでも大きな収穫
<第12章 歯に衣着せず言い返す>

・・・という個所は、2010年8月に松阪市ホームページ検討委員会委員長に就任して以来、心に留めているものの、
理解し合いたいという思いにどうしても縛られてしまうことを自省させられた。

また、本書の最後に書かれている・・・

○いつも当意即妙に反応できるかどうかということよりも、
たとえできなくても自分自身を責めないことのほうが大切
→自分の不完全さ、あるいは不完全な自分とお友だちになることのほうがずっと重要
→そうすれば他人もまた、同じように不完全な存在なのだということがしみじみとわかってくる
<おしまいになぐさめのひとこと>

・・・という個所は、美しくないものを見る嫌悪感のあまり、
自分自身を見つめる目を曇らせてはいけないということを自戒させられた。
自省と自戒の訓練をさせられた一冊。

以下は、その他にチェックした個所(一部要約含む)・・・

○誰が森のなかで叫ぼうと、そんなことはどうでもいい
→どのようなこだまを返すかは、あなた自身がきめること
<第1章 他人の気分に左右されない自分になる!>

○たとえ相手があなたの要求に耳を傾けようとしないとしても、
あなたには自分の要求を主張する権利もあれば相手の要求を拒絶する権利もある
<第2章 どうしたら堂々と話せるか?>

○相手から攻撃を受けたのに黙っているのは、あなたが負けたということではなく、
むしろあなたが平静でいることのなによりの証拠
→誰に注意を向けるかはあなた一人が決めることですし、あなたしか決められない
<第4章 相手を空回りさせるには>

○その批判が根拠があるのかそうでないのかは、その批判を具体的に問うことによって判明する
<第8章 根拠のない批判を撃退するには>

○相手の見解や立場に理解を示しながらも、「それでも」を接続詞にして本筋を変えないことが大切
<第9章 一歩引いて相手のバランスを崩す>

○弱い管理職ほど部下を侮辱する傾向が強い
→ここでいう「弱い」というのは、人間関係を円滑にすすめるインテリジェンスに欠けるという意味
→頭の弱い管理職が、日頃からコメツキバッタやイエスマンばかりに囲まれていれば、
しまいにはなにを言ってもなにをやってもかまわないという気になる
<第11章 侮辱をやめさせるには>

○コミュニケーションにおける腹黒い権謀術数は、それが明るみに引き出され、
はっきりと名指しされたとたん、しゃぼん玉のように消えてしまうもの
<第12章 歯に衣着せず言い返す>

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2012 4/15
実用書
まろまろヒット率3

白洲次郎 『プリンシプルのない日本』 新潮社 2006

渡邊義弘@三重重中京大学地域社会研究所の所報に『市民サービスの視点から見た松阪市の情報政策の現状 -情報化推進の自治体間比較による定量的評価の試み-』を発表しました。

さて、『プリンシプルのない日本』白洲次郎著(新潮社)2006。

白洲次郎が生前、文芸春秋などに発表していた文章を集めた一冊。
去年4月から松阪市情報政策担当官として行政にたずさわるようになってから、白洲次郎に共感する機会が増えた。
白洲次郎には役所の中では異色の立場という共通点があるだけでなく、彼の行動や感性も自分と重なる部分があるように思える。
また、白洲次郎の伴侶の白洲正子の代表作が『西行』ということも不思議な縁を感じている。
(西行は一番好きな歌人の一人で、かつてまろまろ記の特別企画として『西行法師プレイ』もおこなっていた)
今回、新年度(かつ最終年度)にのぞむに当たって、共感する白洲次郎が書いた文章に触れてみようと手に取った。

読んでみると、表題にもなっているプリンシプルについて語っているところが心に残った。
特に・・・

日本語でいう「筋を通す」というのは、ややこのプリンシプル基準に似ているらしいが、
筋を通したとかいってやんや喝采しているのは馬鹿げている(中略)。
何でもかんでも一つのことを固執しろというのではない。妥協もいいだろうし、また必要なことも往々ある。
しかしプリンシプルのない妥協は妥協でなくて、一時しのぎのごまかしに過ぎないのだと考える。
<プリンシプルのない日本>

・・・というところは、著者のプリンシプル(principle)に対する考えが端的に言い表されている一節として印象的だった。
では、僕自身のプリンシプルは何だろうと思い返せば、それは「松阪のために」だ。
「最終的に松阪のためになればいい」というのが、これまでのプリンシプルだし、
松阪で公の仕事にたずさわる限り持ち続けるプリンシプルだとこの一節を読みながら振り返った。
また・・・

外資がはいってきたら、こうなる、ああなるとビクビクせずにもっと自信をもったらどうか。
自分の技術に、自分の経営にそんなに自信がないのなら、そんな連中は交代したらいい。
交代しても技術も経営も向上の見込みがないのなら、
そんなに国民の犠牲において金もうけばかり考えるのは不とどきである。
<プリンシプルのない日本>

・・・というところは、かつて僕も従業員は首にするのに買収を恐れて株式を公開しようとしない経営者の姿をかいま見て
不信感を覚えたことがあるので溜飲が下がった。

総じて言い回しがややくどいところがあるのはご愛敬だけど、読んでいて嫌味がない。
そんなところもプリンシプルのあった著者の息づかいが聞こえる一冊。

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2012 4/3
エッセイ
まろまろヒット率3

バルバラ・ベルクハン、瀬野文教訳 『グサリとくる一言をはね返す心の護身術』 草思社 2000

渡邊義弘@取り組んでいた松阪市のホームページがリニューアルされました☆

さて、『グサリとくる一言をはね返す心の護身術』バルバラ・ベルクハン著、瀬野文教訳(草思社)2000。

自分はやや潔癖な傾向があるのと、感応性が高いので、繊細な部分があることを自覚している。
去年4月から松阪市情報政策担当官に就任してから、その繊細な部分を意識する機会もあった。
そこで、この1年を振り返る意味でも自分の中にあるその繊細な部分を見つめるきっかけの一つとして手に取った。

読んでみると、特に・・・

☆人というのは、いま自分の人生で実際になにがいちばん大事かを考えたとき、不思議と心が落ちつくもの
<第3章 感情の暴走はこうすれば防げる>

☆信頼関係とか友情というのは、おたがいの不干渉地帯が確定してはじめて生まれるもの
<第4章 批判されても傷つかない方法>

☆「目には目、歯には歯」のやり方は、おのれの意志の弱さをさらけ出しているだけのこと
→相手には相手のやり方があるだろう、でも自分には自分の決め方があるのだ
<第5章 なくした自尊心をとりもどすには>

・・・という部分は心に響くものがあった。
“心に響く”というのも繊細な部分への反響でもある。
自分の中にある繊細さと向き合って、次の年度を迎えたいと感じながら読み終えた一冊。

以下は、チェックした個所(一部要約含む)・・・

○(心の中の)きわめて敏感な部分こそが同時に、創造力豊かで人に感銘を与えることができる部分でもある
<はじめに>

○(心の中にいる)内なる批判者は上手に飼いならせばよい
→はっきり境界線をもうけて、オンエア時間を制限すればよい
<第1章 あなたはもっと図太くなれる>

○相手に理解を示しても、相手の言いなりになる必要はない
→相手がどんな態度をとろうと、あなたがあわてず落ち着いてさえいればそれでいい
<第2章 非人情のすすめ>

○混乱したときに落ちつきを取り戻すための三つのアドバイス
・個人的な感情をとっぱらって、徹底的に心を休めること
・ちょっとのあいだ冷静に考えて、いちばん大事なことを片づける
・他人がパニックに陥っていたり、途方に暮れていたり、怒り狂っているときには、彼らの気を静めて、距離を置く
<第2章 非人情のすすめ>

○受け入れられないときは、頑固な態度に切り換える
→針が飛んだレコードのように、同じことを何度もくりかえせばよい
→「考えさせてください」の一言でかまわない
<第2章 非人情のすすめ>

○余計な推測をする前に情報を集める
<第3章 感情の暴走はこうすれば防げる>

○あなたの頭の中のことは、あなたにしか決められない
→興奮して怒り出すのも、落ちついて冷静になるのもあなたの権利
→どちらを選ぶかはあなたしだいなのです
<第3章 感情の暴走はこうすれば防げる>

☆人というのは、いま自分の人生で実際になにがいちばん大事かを考えたとき、不思議と心が落ちつくもの
<第3章 感情の暴走はこうすれば防げる>

○心配から逃れるのにいちばん重要なことは、積極的に行動するにせよ、放り出すにせよ、
いずれにしてもはっきりと意識して行なうこと
→クツの中に石ころが入った時と同じく、あれこれ考えるより、
ただ行動することによってのみ不愉快な圧迫に終止符を打てる
<第3章 感情の暴走はこうすれば防げる>

○失敗しないことではなく、失敗とどう付き合うか考える
→ミスはすぐ認めて直す、その際に罪の意識をもったり自分を責めたりするのはパワーの消費でしかない
<第4章 批判されても傷つかない方法>

○相手を理解するのは、知的なコミュニケーションがきちんと成り立つ場所だけで十分
<第6章 攻撃したければご自由に!>

○反射的に答えを返さないこと、一呼吸おいてからゆっくり反応しましょう
→攻撃側にはいつまでも待たしておけばいいのです
<第6章 攻撃したければご自由に!>

○過ぎ去ったことを話して意味があるのは、それが現在の問題を解決するのに役立つ場合だけ
<第6章 攻撃したければご自由に!>

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2012 3/20
実用書
まろまろヒット率4

塩野七生 『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』 新潮社 上中下巻 2011

渡邊義弘@去年11月の東北行脚でお手伝いした消息確認が新聞記事に取り上げられました。
(『夕刊三重』 2012年1月12日付 第1面)

さて、『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』塩野七生著(新潮社)上中下巻2011。

テオドシウス帝の死後、東西二つに分かれてゆくローマ帝国と諸民族の躍進、
西ローマ帝国の滅亡とその後のローマ世界の終焉までをえがく、
『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』に続くシリーズ第15段。
そして、この第15段が『ローマ人の物語』の完結編に当たる。

内容は、滅亡に向かうローマ帝国の顛末が詳細にえがかれていて、読んでいて辛くなる時もあった。
著者自身も・・・
「歴史には、進化する時代があれば退歩する時代もある。
そのすべてに交き合う覚悟がなければ、歴史を味わうことにはならいのではないか。
そして、「味わう」ことなしに、ほんとうの意味での「教訓を得る」こともできない」
(下巻 カバーの金貨について)
・・・と述べているように、なぜ滅んだか?ではなく、
どのように滅んだか?に重点が置かれてえがかれている。

中でも上巻の多くを占める西ローマ帝国の将軍、スティリコの姿が印象に残った。
ヴァンダル族の父を持ちながら「最後のローマ人」と呼ばれたスティリコの苦闘と、
その死によってタガが外れた西ゴート族によるローマ劫掠の様子は、衰亡の象徴のように思えた。

前巻の『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』では・・・
「ローマ帝国の滅亡とか、ローマ帝国の崩壊とかは、適切な表現ではないかと思い始めている。
(中略)ローマ帝国は溶解していった」
・・・と指摘されたローマ帝国の末路は、ローマらしさが失われ、消えてゆく過程でもある。
そんな中で、最後までローマ人として生きたスティリコの姿は強く印象に残った。

また、この『ローマ人の物語』文庫版は全43巻の表紙すべてに、その時代のローマのコインが掲載されている。
最終巻の43巻では、「コインで見るローマ帝国の変遷」として、それらを集めたカラーページが付けられている。
あらためて一覧化して見てみると、通貨の質の良し悪しはその国の状態を表す、ということがはっきりと分かるもので、
そのローマの興亡の過程が視覚的に追いかけることができるようになっている。

読書日記を振り返れば、『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』を読み終えた2002年10月2日から、
今回、この『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』を読み終える2012年1月22日まで、
僕もこの『ローマ人の物語』には約9年のお付き合いをしたことになる。
一つの文明の誕生から死までお付き合いしたことは、感無量な気持ちになった読書でもあった。

以下は、全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・

『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』

『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』

『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』

『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』

『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』

『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』

『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』

『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』

『ローマ人の物語24,25,26 賢帝の世紀』

『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』

『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』

『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』

『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』

『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』

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2012 1/22
歴史、政治
まろまろヒット率3

寺田寅彦 『金米糖』 岩波書店『寺田寅彦随筆集』第2巻「備忘録」より 1964

渡邊義弘@大阪の憩いの場、スターバックス御堂筋本町東芝ビル店からお送りします。

さて、2012年最初に読んだ本、『金米糖』寺田寅彦著(岩波書店『寺田寅彦随筆集』第2巻「備忘録」より)1964。

物理学者であり、随筆家、俳人としても知られる寺田寅彦の随筆の一つ。
金平糖の角が生まれる過程に起こる「偶然な統計的異同 fluctuation」(=フラクタル)に注目して、
物質と生命の間に橋を架ける「生命の起源」まで文字通り随筆を走らせている。

発表された当時(1927年)と比べて、今となっては不適切な表現もあるけれど、
科学的テーマを横断的に、そして軽やかに随筆する文章はわくわくしながら読むことができた。

特に・・・
「物理学では、すべての方向が均等な可能性をもっていると考えられる場合には、
対称(シンメトリー)の考えからすべての方向に同一の数量を付与するを常とする。
現在の場合に金平糖が生長する際、特にどの方向に多く生長しなければならぬという理由が”考えられない”、
それゆえに金平糖は完全な球状に生長すべきであると結論したとする。
しかるに金平糖のほうでは、そういう論理などには頓着なく、にょきにょきと角を出して生長するのである。」
・・・というところは、夏目漱石の愛弟子としても知られていて、
『吾輩は猫である』の水島寒月や『三四郎』の野々宮宗八のモデルとなった著者のキャラクターが
かいま見えるようで読んでいて微笑んでしまった。

ちなみに、この随筆は昔ながらの製法を守る緑寿庵清水さんの金平糖をいただいた去年の10月からずっと気になっていたのだけど、
「なるべく心の忙しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたい」という著者の意向にそって、
気持ちを落ち着く時を探していたら、年を越した元旦の今ようやく読むこととなった。
公共の仕事にたずさわることは、気持ちの切り替えが課題となりますね、てへっ。

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2012 1/1
随筆
まろまろヒット率4