荻上チキ・飯田泰之・鈴木謙介 『ダメ情報の見分けかた―メディアと幸福につきあうために』 日本放送出版協会 2010

東北行脚から帰って来た、渡邊義弘です。

さて、『ダメ情報の見分けかた―メディアと幸福につきあうために』荻上チキ・飯田泰之・鈴木謙介著(日本放送出版協会)2010。

三人の論者によるメディア・リテラシー本。
第1章はメディア論者によるメディア・リテラシーの概要、
第2章は経済学者による関わる必要のない無意味な情報を見分ける方法、
第3章は社会学者によるメディア・リテラシーの政治的・思想的な背景、
・・・という三つの視点から構成される。
三つの視点を取り入れているだけあって、具体例と一般化のバランスが良くて読みやすい内容になっている。

また、メディア・リテラシーは一般的に「自分だけは騙されない」という
自衛的、受信的な意味で使われることが多いけれど、
この本では発信の重要性(=是正へのコミットメント)を強調して、
メディア・リテラシーの積極面に注目した内容になっているのは、
タイトルの軽さに反した深みがある。

以下は、チェックした個所(一部要約含む)・・・

○メディアで得られるあらゆる情報は、すべて誰かによって「作られたもの」です。
常に第三者の手で編集・加工され、言語化・文脈付け・意味付けされたものであって、
真実そのものではありません。
<第1章 「騙されないぞ」から「騙させないぞ」へ>

☆(流言やデモを)チェックする際に注意しなくてはならないのは、私たちがしばしば、
「有名人が言っているかどうか(有名性)」、
「親密な人が言っているかどうか(親密性)」、
「多数の人が言っているかどうか(複数性)」、
「権威あるメディアが言っているかどうか(権威性)」、
に頼ってしまうことです。
流言をチェックするのに必要なのは、客観的な確からしさ、情報の根拠付けであって、
「他人の主観」がいくら集まっても意味がありません。
むしろ、有名性や親密性を頼りにして、検証を行わないことが、
流言やデマを鵜呑みにしてしまう土壌にさえなってしまいます。
<第1章 「騙されないぞ」から「騙させないぞ」へ>

☆メディア・リテラシーの各段階・・・
・取得←外在的チェック
・判断←内在的チェック
・発信←是正へのコミット
・・・中では、流言を是正する情報発信能力が重要性
<第1章 「騙されないぞ」から「騙させないぞ」へ>

○(情報リテラシーが騙されなさ、無傷さを競い合うレースのようになることに対して)
もしその人が本当に「情報強者」であるなら、ただ傍観しながら「弱者」を笑い飛ばすのではなく、
弱者に寛容な環境を作るという「持つ者の責務」を果たしていくほうが有意義でしょう。
<第1章 「騙されないぞ」から「騙させないぞ」へ>

○受動態表現は、えてして、能動態に変換したときの主語を明確にしないための方便として用いられます。
<第2章 情報を捨てる技術>

☆情報をスクリーニングするために三つの言説を避ける
・無内容な話を見抜く
 →いつでも、どこでも、何にでも当てはめることが出来る話には意味が無い
・定義が明確でない話を見抜く
 →定義が不明確な用語から出発した議論は容易に検証不可能な命題になる
・データで簡単に否定される話を捨てる
 →単純なデータ観察で否定出来るならばダメだと切り捨てることができる
<第2章 情報を捨てる技術>

☆「情報を見分けるスキルを持った自分だけは騙されないぞ」という態度ではなく、
様々に偏った情報の中から、自分の立場や見方を定め、発信していく力というものが、
現代におけるメディア・リテラシーの定義ということになるでしょう。
<第3章 メディア・リテラシーの政治的意味>

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2011 11/29
情報・メディア、情報リテラシー
まろまろヒット率4

中沢新一 『日本のもと 神さま』 講談社 2011

渡邊義弘@自分が提案したということもあって、最近は松阪市役所地下売店の松阪牛おにぎりを朝ごはんにしています。

さて、『日本のもと 神さま』中沢新一監修(講談社)2011。

日本人の精神の源泉にある「神」について、その概念の歴史的変遷と特徴を子供向けに解説した一冊。
信心とは、「なにか特別な存在を信じる心」という定義の下・・
・日本の信心の歴史をたどる「温故編」
・人類学者、中沢新一と対話する「知新編」
・日本の信心の可能性を示唆する「未来編」
・・・という三部構成になっている。

特に印象的だったのは、最後の「未来編」の中で針供養、付喪神、丸石神などを紹介しながら、
モノに気持ちや愛を込める行為が日本のアニミズムでの特徴であると指摘しているところだ。
日本語には「モノに命を吹き込む」という言葉にあるように、
その精神性がアニメ(語源もアニミズム)やものづくりに通じているとまとめられている。
ちょうど、この本の監修者である人類学者の中沢新一さんとは
大阪取材コーディネータをつとめて以来のご縁があることもあって、
このくだりは実際の肉声を聞いているような気持になった。

ちなみに、この本の欄外には4コマ漫画が散りばめられている。
親しみやすさを目的にしたものだと思うけれど、
内容と関連が薄いダジャレが多い上に、古い芸能人(横山やすし)を使うなど、
子供が読んで面白いと思えるのかどうか疑問に思ったのはご愛敬(w

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2011 10/1
宗教、文化、人類学、歴史
まろまろヒット率3

稲泉連 『ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死』 中央公論新社 2004

5年ぶり『大阪アースダイバー』の取材に同行した、渡邊義弘です。

さて、『ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死』稲泉連著(中央公論新社)2004。

『骨うたう』や『ぼくもいくさに征くのだけれど』で知られる詩人、竹内浩三の詩と、
縁のある人々へのインタビューを中心にしたノンフィクション。

印象的だったのは、インタビューは竹内浩三の生前に関係があった人だけでなく、
死後にその詩から影響を受けた人もインタビューしているところだ。
竹内浩三は23歳で戦死したということもあり、職業詩人ではなかったけれど、
その詩から影響を受けた人へのインタビューは竹内浩三の表現者としての迫力を感じさせられた。

竹内浩三の詩からは、もの分かりの悪い不器用さが感じられる。
著者自身も竹内浩三の詩について・・・
「『ぼくも征くのだけど』と迷い沈みつつ、『どうか人なみにいくさができますよう』と願う彼の言葉が、
とくに竹内浩三という人間の本質を表しているようで、強く胸を打つ。
そこには、胸を張って国のために戦おうとする凛々しさがなく、
世の中が認めた「普通」の価値観に自身を溶け込ませたいと願いながら、
心の奥底では自身の運命に打ち震えていた青年の姿がちらついている」
・・・と書いているように、割り切れないものを抱えながら流されていく自分を立ち止まらせる力があるのだろう。

また、竹内浩三が詩人として発掘されるきっかけとなったのが、松阪市の戦没者手紙集『ふるさとの風や』ということ、
それが松阪市の発行する「広報まつさか」での呼びかけられたという経緯が詳細に紹介されているのが興味深かった。
もともとこの本は松阪市役所に勤務されている方からお貸しいただいたこともあり、
松阪の公共セクターにご縁がある人間としても熱を込めて読んだ一冊でもある。

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2011 9/3
ノンフィクション
まろまろヒット率3

橋元良明 『メディアと日本人―変わりゆく日常』 岩波書店 2011

まろまろ記10周年を機会にハンドルネームを「まろまろ」から「渡邊義弘」に変更しました☆

さて、『メディアと日本人―変わりゆく日常』 橋元良明著 岩波書店 2011

「少年凶悪犯罪は低下し続けているが、テレビの視聴時間が長い人は少年が凶暴化していると認識している」、
「読書離れ、テレビ離れ、などの言葉は、どの調査からも確認できない」・・・など、
実際の調査によって日本人のメディア利用実態を明らかにしようとする一冊。

中でも、インターネット利用によって、社交的な人はどんどん社交的になり、内向的な人はどんどん内向的になる、
という「ネット利用のマタイの法則」は、アメリカでも日本でも見受けられるということ。
(有てる人は興へられていよいよ豊かならん。然れど有たぬ人は、その有てる物をも取らるべし)
フレーミング(炎上)の原因は、社会的手がかりの欠如と非言語的シグナルによる補正がききにくいことで、
インターネットでは極端な方向に議論が流れる「リスキーシフト」が起こりやすいと指摘しているところに興味を持った。

また、メディアの盛衰の要となるのは、メディアの持つ「機能」が他で代替可能かどうかに注目して、
新聞とテレビはメディア企業によるニュース・情報の重要性の位置づけを簡単に推測することができるのに対して、
インターネットはその点が弱いので、まだ住み分けができていると分析しているところは納得した。
(ただし仕事の利用のための「機能」は代替可能なので、インターネットが劇的に伸びている)

ちなみに、僕は著者(東京大学大学院学際情報学府所属)の講義を受けたことがある。
この本の”はじめに”の中で、「メディア環境の変化、それによる生活の変容を語るには、
周辺観察記や業界の内輪話、思弁的評論では不十分であり、実証的データに裏付けられた議論が必要」
・・・と述べているところは、いつも口癖のようにしていたご本人の顔が思い浮かんで懐かしさを感じた。

以下はチェックした個所(一部要約含む)・・・

○メディア環境の変化、それによる生活の変容を語るには、周辺観察記や業界の内輪話、
思弁的評論では不十分であり、実証的データに裏付けられた議論が必要
<はじめに>

○ラジオの歴史的意義=
・ラジオは、空間の制約をとりはらって、電気的で二次的な「声の文化」(ウォルター・オング)を生んだ
・新聞が、リテラシー面でも、閲覧できる時間余裕の有無という面でも、
経済的あるいは教養的格差を拡大再生産する特性をもつメディアであるのに対し、
ラジオは基本的にダレでも重要できるところから、文化的格差を縮小する方向に作用した
・ラジオは標準語の普及にも多大に寄与した
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>

○携帯電話の歴史的意義=
・携帯電話は、固定電話が我々にもたらした影響の一つの「空間の再配置・モザイク化」をさらに進めた
 →公共の場での携帯電話による通話に多くの人々が深いの念をいだくのは(中略)
  側にいる人が、こちらの見知らぬ異空間を持ちこみ、
  共有していた場から「私」を遮断してしまうという薄気味悪さを感じるから
・電話は「心理的隣人」を創出したと言われたが、携帯電話は「心理的同居人」を作り出した
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>

○テレビの歴史的意義=
・ヒトが、その処理能力において圧倒的優位性を誇る視覚情報を、
日常的に十分にメディア上のコミュニケーションに載せることができるようになったのはテレビの登場以降
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>

○インターネットの特性=
1:ヒトがコミュニケーションに駆使している聴覚、視覚的情報をほぼすべてやりとりできる
2:一方的でなく、双方向的に、かつ一対一でも一対多でも自由に享受でき、保存できる
3:公共的情報資源を利用するための国家等の制度の制限を受けない
4:既存メディアが膨大な資本力を必要とするのに対して、資本力を必要としない
→インターネットはメディア発展史上、文字の発明以降、最大級の社会的影響を与えるもの
→仕事に関する情報取得については、劇的にインターネットが他のメディアに取って代わりつつある
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>

○「日本の情報行動調査」では1995年から2010年にかけ、読書時間、行為者率には全体的にほとんど減少傾向が見られない
→書籍がネットの影響をあまり受けていないのは、機能的にインターネットが代替し得ないから

○少年凶悪犯は、戦後ピークだった1960年の8212人から2008年の956人に8分の1以下に激減
→「最近の少年は凶暴化している」との認識は、実際の犯罪発生よりも、メディア報道に影響されるところが大きい
<3章 メディアの「悪影響」を考える>

○「ネット利用のマタイの法則」はアメリカでも日本でも成り立つ=
もともと社会的資源を有効に活用する人はインターネットのような新技術を活用して、
ますます獲得資源を拡大し、満足感も大きく、心理的にも豊かになっていく
→内向的で社会的資源をうまく活用してない人はその逆
=有てる人は興へられていよいよ豊かならん。然れど有たぬ人は、その有てる物をも取らるべし
(マタイによる福音書13章12節)
→インターネットの富者富裕化モデルは別名「マタイの法則」と呼んでいる
<3章 メディアの「悪影響」を考える>

○フレーミング(炎上)の原因
・社会的手がかりの欠如
・非言語的シグナルによる補正がききにくい
→極端な方向に議論が流れる「リスキーシフト」はインターネットで起こりやすい
<3章 メディアの「悪影響」を考える>

☆メディアの盛衰の要となるのは、メディアの持つ「機能」が、他で代替可能かどうか
→新聞は、記事の掲載で、テレビはニュースの放送順位で、
それぞれのメディア企業の重要性の位置づけを推測することができる
→ネット上では、今のところ、その判断を示唆してくれる鍵が限られている
<終章 メディアの未来にむけて>

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2011 8/26
情報・メディア、社会学
まろまろヒット率3

服部真澄 『海国記』 新潮社 上下巻 2007

今月は構想した松阪市情報のかけ橋委員会がスタートした、まろまろです。

さて、『海国記』服部真澄著(新潮社)上下巻2007。

院政がおこなわれていた平安時代後期、海の道は富が流れる宝の道でもあった。
その海の道に注目した人々が新しい時代の担い手となっていく・・・

経済的な視点をからめながら、平家とその縁者を中心にえがく歴史小説。
平安時代後期から鎌倉時代前期までの100年以上にわたる長編で、
登場する天皇家だけも白河上皇から後堀河天皇まで実に14代にわたっている。

『平家物語』よりもずっと長い時間軸は内容面にも反映されていて、
社会・経済的な流れを強調した物語となっている。
そうした大きな流れの中で繰り広げられる人間模様の浮き沈み、儚さが強調されているのが印象的。

特に、平清盛の誕生の場面にある・・・
「幻視と願いとの境は、あいまいであった。双方の境を確かに分けてゆくものがあるとすれば、明日という時代の波である」
・・・という一節は、大河小説としてのこの物語の性格を凝縮して表しているように思えた。

ちなみに、この本はある経済学者の方からお貸しいただいた。
大きな流れの中で生きることの意味を伝えていただいたように思えた一冊でもある。

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2011 5/30
歴史小説
まろまろヒット率4

安井秀行 『自治体Webサイトはなぜ使いにくいのか?―“ユニバーサルメニュー”による電子自治体・電子政府の新しい情報発信』 時事通信出版局 2009

ご縁があって4月から松阪市情報政策担当官に就任した、まろまろです。

さて、『自治体Webサイトはなぜ使いにくいのか?―“ユニバーサルメニュー”による電子自治体・電子政府の新しい情報発信』安井秀行著(時事通信出版局)2009。

地方自治体のWebサイトは使いにくいものが多い。
その原因と課題を整理し、ユニバーサル・メニュー(UN)を提唱する解説書。

中でも前半部分に当たる自治体サイトの問題と課題の解説が分かりやすい。
直接的な問題とその背景にある根本的な課題に分けて・・・

○直接的な問題
・知りたい情報が探せない
 →1:そもそも情報がない、2:情報はあるが探しにくい
・情報が理解できない
 →1:過不足が激しく理解できない、2:読ませる努力がない、3:リンクがない

○根本的な課題
・セキュリティ、手続き中心のサイト作り
・情報発信・申請主義中心
・広報と担当部署の組織的課題
・編集能力の欠如
・アクセシビリティ偏重のサイト作り

・・・と、整理されているのは理解しやすかった。
<第4章 自治体サイトの課題概観>

また、問題整理の中で自治体の申請主義的性格に注目して・・・

○申請主義の自治体側と、分かりにくく使いにくいために申請すらできないサイト利用者側の間に
大きな溝ができてしまっているのが、現在の自治体サイトの問題の本質的な課題

・・・と指摘している点も印象に残った。
<第3章 なぜ使いにくい自治体サイトが生まれるのか?>

本書が提唱するユニバーサル・メニュー(UN)については、まだ検討すべきものがあるとは思うものの・・・

○サイトには、持ち主である組織の課題や変革の可能性が内包されているから、
サイトを分析、改善していくことが組織そのものの変革を加速化していく

○自治体サイトの使いにくさに関する改善活動を行うことが、自治体サイトの組織変革につながる

・・・という理念には強く共鳴した一冊。

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2011 3/13
ウェブ・ユーザビリティ、情報・メディア、デザイン論、HP・ブログ本、実用書
まろまろヒット率3

網野善彦 『日本の歴史をよみなおす (全)』 筑摩書房 2005

まろまろ@この「まろまろ記」のサーバをCORESERVER.JP(CORE-B)に引越しました。
これでサイト開設以来、実に5度目の移転ですが、許容負荷率が約4倍になったので安定度UPです☆

さて、『日本の歴史をよみなおす (全)』網野善彦著(筑摩書房)2005。

「日本は自給自足の農耕社会ではなく、交易を前提とした多様な社会だった」、
「百姓と呼ばれた人々には非農業民も多数含まれていた」という研究によって、
日本は均質的な農耕民族だったという常識に疑問を呈した歴史学者による解説書。

もともとは口述筆記を基本にした『日本の歴史をよみなおす』『続・日本の歴史をよみなおす』を合わせたものなので、
代表作の『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和』より読みやすくなっているけれど、
内容はより幅広く日本社会全体の変遷をとらえたものになっている。

特に、『続・日本の歴史をよみなおす』の部分に当たる後半は、かつての日本社会がネットワーク化され、ダイナミックな生活基盤を持っていたことを証拠を示して解説しているので興味深い。
読みやすい中にも、これまでの常識を再考させられるほどの迫力を持った一冊。

ちなみに、著者の甥に当たる中沢新一さんとは講談社大阪取材のコーディネータとしてご一緒したことがある。
僕も著者が研究テーマとした家系なので、ある種の親近感を持って読むことのできた本でもある。

以下、チェックした個所(一部要約含む)・・・

○(市場では)日常の世界、俗界から、モノも人も縁が切れるという状態ができて、はじめて商品の交換が可能だった
<貨幣と商業・金融>

○14世紀の社会の大きなt年間のなかで、かつてマジカルな古い神仏の権威に支えられていた商業、
交易あるいは金融の性格が変化してきたわけで、鎌倉仏教は、かつての神仏と異なり、
新しい考え方によって商業、金融などに聖なる意味を付加する方向で動きはじめていた
→贈与互酬を基本とする社会の中で、神仏との特異なつながりをもった場、あるいは手段によって行われていた商品交換や金融が、
一神教的な宗派の祖師とのかかわりで、行われるようになってきたと考えられる
<貨幣と商業・金融>

○非人たちのなかの少なくとも主だった人びとは、商工業者や芸能民、(略)一般の職能民と同様、
神人・寄人という地位を、明確に社会のなかであたえられている
→なぜ非人が神人・寄人になったかについては、ケガレがこの時代の社会ではまだ、畏怖感をもってとらえられていたこと、
非人たちはそれをキヨメることのできる特異な力を持っていたとみられていたことと、深い関係がある
→それゆえ非人は神人・寄人、神仏の直属民という社会的な位置づけをあたえられていた
→非人や河原者を社会外の社会、身分外の身分ととらえることはできない
<畏怖と賤視>

○まだ未開の要素を残し、女性の社会的地位も決して低くない社会に、文明的、家父長的な制度が接合したことによって生じた、
ある意味では稀有な条件が、このような女流文学の輩出という、おそらく世界でもまれに見る現象を生み出す結果になった
<女性をめぐって>

○現代は権力の性格というより、むしろ権威のあり方を否応なしに変化させるような転換期にはいりこんでいるように思える
<天皇と「日本」の国号>

○百姓は決して農民と同義ではなく、たくさんの非農業民ー農業以外の生業に主としてたずさわる人びとをふくんでおり、
そのことを考慮に入れてみると、これまでの常識とはまったく違った社会の実態が浮かび上がってくる
→頭振(水呑)の中には、土地と持てない人ではなくて、土地を持つ必要がのない人がたくさんいた
<日本の社会は農業社会か>

○日本列島の社会は当初は交易を行うことによってはじめて成り立ちうる社会だった、
厳密に考えれば「自給自足」の社会など、最初から考えがたいといってよい
<海からみた日本列島>

○海にとりかこまれた島だから孤立しているのではなく、逆に、島は海を通じて広く四方と結びついており、
田畠が少ないから島は貧しいのではなく、それ以外の生業と交易で豊かになっていることも多い
<荘園・公領の世界>

○「明治維新」を推進した薩摩、長州、土佐、肥前の諸藩は、辺境のおくれた大名などではなくて、
みな海を通じて貿易をやっていた藩
→江戸時代末までに日本社会に蓄積されてきた商工業・金融業などの力量、資本主義的な社会の成長度は決して過小評価できない
<続・日本の歴史をよみなおす>

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2011 3/1
日本史
まろまろヒット率4

野矢茂樹 『哲学の謎』 講談社 1996

最近、何かのCMのように”no reason”と”priceless”を使う機会がある、まろまろです。

さて、『哲学の謎』野矢茂樹著(講談社)1996。

「5分前に世界が創られた可能性を否定できるだろうか?」 (2:記憶と過去)
「時は本当に流れているのだろうか?」 (3:時の流れ)
「正常と異常との違いは何だろうか?」 (6:規範の生成)
・・・などの哲学の論点を取り上げた哲学書。

この本が面白いのは、タイトルにあるように哲学的な論点をあくまでも謎としている点だ。
そのために結論はなく、謎に対して二人の人間が対話をするスタイルになっている。
しかも、二人の人間というのは二人とも著者のことで、自分自身の心の中の対話を本にしている。

これは哲学を「考えることを考えること=thinking of thinking)」と捉えることが一番納得する僕の理解と合致する姿勢。
そして、こうした哲学的な姿勢について、本文の中で・・・
実生活には無関係かもしれない。
しかし、こんな懐疑に辿り着いてしまうというのも、きわめて人間的な現象だ。
そして、この懐疑に「何か気持ち悪い」と反応するのもまた、きわめて人間的な現象にほかならない。
だから、その気持ち悪さから目をそらさずにこの懐疑をもっと見つめてみることで、われわれ自身を知ることができるかもしれない。
実際、ここには哲学が問題にすべき何かがある。
この懐疑そのものはきっかけにすぎないかもしれないが、これをバネにして何か開けてくるかもしれない。
(4:私的体験)
・・・と意義づけていることが一番印象に残った。

実はこの哲学書は、こうした姿勢と接するために読んでみた本でもある。
去年は松阪などで社会的な役割を果たす機会に恵まれたけれど、その中で自分には結論をいそぐ傾向があることを自覚させられることが何度かあった。
普段は即断即決することが多くても、時には結論を焦らず、本文にあるようにじっくり「気持ち悪い問い」と向き合う必要性を感じさせられた。
そこで、同じく去年に開催したまろまろ茶話会2010の本の交換会でまろみあんの方が紹介されていたこの哲学書を、今回ひもとくことになった。
本は書かれた内容だけでなく、書かれた姿勢と接するために読むものだということをあらためて感じさせられた一冊。

ちなみに、この本と出会えたのも、結論がないこのまろまろ記を通じたご縁があったからこそ。
いま読書日記を読んでいるまろみあんの方も、結論をいそがずお付き合いいだけると嬉しい☆

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2011 2/5
哲学書
まろまろヒット率4

橋本紡 『半分の月がのぼる空』 アスキー・メディアワークス 2003

松阪市民講座の「地域の魅力を発見発信講座-街歩き『てくてく松阪』を通した地域資料作りのすすめ-」の講師をつとめた、まろまろです。

さて、『半分の月がのぼる空』橋本紡著、山本ケイジイラスト(アスキー・メディアワークス)2003。

急性肝炎で入院した僕は、長期入院中の里香と出会う。
気が強くてわがままな里香だけど、時々思いつめたように外を見つめることがある。
里香が見つめる先には砲台山と呼ばれる山があった・・・

伊勢市を舞台に、病院で出会った高校生の二人の交流をえがくライトノベル。
ライトノベルと言ってもよくある荒唐無稽な話ではなく、入院中の人物を題材とする、いわゆるサナトリウム文学の流れをくんでいる。
内容も、すたれゆく伊勢市の町並みと里香の病気が重なりあって、漠然とした不安と哀愁を感じさせられるものとなっている。
中でも、第三話「砲台山へ至る道」の第一節の最後にある・・・
「そうして、僕たちは走りだした。たぶんー。終わりのある永遠に向かって。」
・・・という一文が印象的。

ちなみに、僕にとってはこの本が生まれて初めて通読したライトノベルとなる。
たまたま伊勢のまんぷく食堂をおとずれた時にこの本の存在を知り、今回読んでみることになった。

現代版サナトリウム文学としても、ご当地小説としても読むことができる一冊。

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2011 1/30
小説、ライトノベル
まろまろヒット率3

城福勇 『本居宣長』 吉川弘文館 1988

松阪星座占いでは本居宣長タイプの、まろまろです。

さて、『本居宣長』城福勇著(吉川弘文館)1988。

江戸中期に国学を大成した本居宣長の伝記。
『古事記伝』『玉くしげ』などで知られる本居宣長の人生を、彼の研究と思想の過程を詳細に追いながら実証的に解説している。
最近、ご縁があって松阪にご奉公する機会を得たので、これまで断片的な知識だった本居宣長のことを一通り知ろうと手に取った一冊。
(本居宣長は松阪を代表する歴史的人物)

読んでいて特に興味を持ったのは、本居宣長の思想の本質である「物のあはれ」について解説しているところだ。
たとえば・・・

○「物のあはれ」は「物」と「あはれ」の複合語であるから、それは物の心、事の心をわきまえ知るという、むしろ知性的な働きと、
あはれという感歎・感動が総合統一されたものであり、知性と感性が見事に調和されて、
知ることが同時に感じることであるような、ある種の境地がひらけてくるといえよう。
<第3章 文学説確立期>

○人は、「物のあはれ」に堪えぬときは、言うまいとしても言わずにおれない。
これはやむにやまれぬ人情の自然というもので、歌・物語とは結局そのような人の心の本然に基づいて詠み出され、語り出されたものであり、
したがってこれを詠み、聞き、書くことに何の利、何の益があるかなどと問うのは、もとより間違っている。
こう考えて宣長は、「物のあはれ」を知ることを以て『源氏物語』の本意と考え、
やがて和歌を含めて、広く文芸の本質は「物のあはれ」を知ることにあるとして文芸本質論を展開したのである。
<第3章 文学説確立期>

○文芸本質論としての「物のあはれ」説が、宣長の歌学者としての知的反省なら、「雅」の論は詠歌の、歌人としての体験の漂白であるといえよう。
彼の歌・物語に対する見解には、この二つのものが常に交錯してあらわれているがゆえに、案外わかりにくいところがある。
<第3章 文学説確立期>

・・・とするところは、これまで自分の中では断片的だった本居宣長の思想が立体的に把握できたように感じられた。

また、本居宣長の性格は基本的に穏健中正だったけれど・・・

○自己の信念に忠実な余り多少「狂信的な神経」を出してしまうところもある。
<第8章 風貌・性格など、および死>

・・・と評価されるところや、本居宣長の死の前年に詠まれたとされる・・・

○「わがよはひのこりすくなしいくかへりよめどもあかぬ書(ふみ)はおほきに」
<むすび>

・・・という歌などを知ると、確かに松阪星座占いの結果もあながち外れてはいないと思えるほどの親近感を覚えた(w

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2010 12/7
歴史、国学、思想、文化論
まろまろヒット率3