白洲次郎 『プリンシプルのない日本』 新潮社 2006

渡邊義弘@三重重中京大学地域社会研究所の所報に『市民サービスの視点から見た松阪市の情報政策の現状 -情報化推進の自治体間比較による定量的評価の試み-』を発表しました。

さて、『プリンシプルのない日本』白洲次郎著(新潮社)2006。

白洲次郎が生前、文芸春秋などに発表していた文章を集めた一冊。
去年4月から松阪市情報政策担当官として行政にたずさわるようになってから、白洲次郎に共感する機会が増えた。
白洲次郎には役所の中では異色の立場という共通点があるだけでなく、彼の行動や感性も自分と重なる部分があるように思える。
また、白洲次郎の伴侶の白洲正子の代表作が『西行』ということも不思議な縁を感じている。
(西行は一番好きな歌人の一人で、かつてまろまろ記の特別企画として『西行法師プレイ』もおこなっていた)
今回、新年度(かつ最終年度)にのぞむに当たって、共感する白洲次郎が書いた文章に触れてみようと手に取った。

読んでみると、表題にもなっているプリンシプルについて語っているところが心に残った。
特に・・・

日本語でいう「筋を通す」というのは、ややこのプリンシプル基準に似ているらしいが、
筋を通したとかいってやんや喝采しているのは馬鹿げている(中略)。
何でもかんでも一つのことを固執しろというのではない。妥協もいいだろうし、また必要なことも往々ある。
しかしプリンシプルのない妥協は妥協でなくて、一時しのぎのごまかしに過ぎないのだと考える。
<プリンシプルのない日本>

・・・というところは、著者のプリンシプル(principle)に対する考えが端的に言い表されている一節として印象的だった。
では、僕自身のプリンシプルは何だろうと思い返せば、それは「松阪のために」だ。
「最終的に松阪のためになればいい」というのが、これまでのプリンシプルだし、
松阪で公の仕事にたずさわる限り持ち続けるプリンシプルだとこの一節を読みながら振り返った。
また・・・

外資がはいってきたら、こうなる、ああなるとビクビクせずにもっと自信をもったらどうか。
自分の技術に、自分の経営にそんなに自信がないのなら、そんな連中は交代したらいい。
交代しても技術も経営も向上の見込みがないのなら、
そんなに国民の犠牲において金もうけばかり考えるのは不とどきである。
<プリンシプルのない日本>

・・・というところは、かつて僕も従業員は首にするのに買収を恐れて株式を公開しようとしない経営者の姿をかいま見て
不信感を覚えたことがあるので溜飲が下がった。

総じて言い回しがややくどいところがあるのはご愛敬だけど、読んでいて嫌味がない。
そんなところもプリンシプルのあった著者の息づかいが聞こえる一冊。

この本をamazonで見ちゃう

2012 4/3
エッセイ
まろまろヒット率3

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です