第1回文京区GREEオフ会

僕が共同幹事の1人に任命されて調整・準備をおこなっていた
GREE.JP文京区つながりOFF会がはじめて開催された。
もともと文京区グループでは「お気に入りのお店」トピックスが豊富だったり、
茗荷谷ランチプチOFF会などの小さい規模でのOFF会の実績もあったため
文京区グループ登録者160人中22人(8人に1人)という高い参加率だった。

幹事の1人のみゆさんは参加者のプロフィールを抜き出してきた紙(紙グリ)を配り、
僕はシビックセンターで文京区マップをもらってきて各テーブルに配布した。
会場となった茗荷谷のお好み焼き屋さん「和」
息子さんがGREEに参加していたので何かと話も早かった。
(まろプチフラッグもお店や希望するまろみあんに配布した)

OFF会…と言っても最初から最後まで一般のOFF会とは違うローカルな香りがした。
例えば集合場所の茗荷谷駅では改札口に向けて看板をかかげていたにも関わらず
全員が徒歩で両サイドから登場し、帰りは同じ方向同士で一緒に帰ったり…
地域性を超えた話題でつながることの多いネットのOFF会とは全く違う、
新しいオンラインとオフラインの関係、そして新しいご近所さん付き合いを感じた一日。

2004 8/22
出来事メモ

国立がんセンター(臨床+研究複合施設)体験&見学

激しく日焼けした後に急に大きめのホクロが出来たので、
念のために築地の国立がんセンターに検診を受けに行く。
まったくの初体験だったが知り合いの知り合いに研究所の方で研究員をしている人がいたので、
保健センターで紹介状(特定医療機関なので)を書いてもらってから訪れる。

Negative判定(ふぅ)をもらった検診後に、その研究員の人が
まろみあんということもあって研究所を含めた施設全体を案内してくれた。
臨床病棟ならまだしも研究所の方は訪れる機会などまずないので、
何もかもが「へー」、「ほー」の連続だった。
研究員の日常や臨床と研究との相互関係(その壁と取り組み)などの説明も受けた。
まるでそこは都会の中にある一つの島宇宙のようだった。

臨床(病院)面の情報化や待合のシステム、雰囲気などは聖路加国際病院の方が良かったが、
日々研究に取り組む人々の姿に少し感動した一日。

2004 7/29
出来事メモ

CDC第1回CrossMeeting「メディア実践とネットワーキング~メディア・ビオトープ試論~」参加

大手町の三菱総研ビルで開催されたコミュニティデザイン協議会
(Community Design Councill:CDC)の第1回クロスミーティングに参加する。
このCDC代表の桂英史さんは『人間交際術』を書いた東京芸大先端芸術の助教授で、
彼が講師をした東大+芸大共同「コミュニティデザイン論」
僕が受講していたのでその流れで参加することになった。
(7月16日にはWEB遺書についての発表もした)

当日は「メディア実践とネットワーキング」というお題目で
水越伸さん(東大情報学環助教授)との掛け合い(cross)をするとのことだったので、
具体的には何を話すんだろうと思っていたらネタは「メディア・ビオトープ試論」だった。
メディアを生態系として捉えるこのメディア・ビオトープという考え方は
僕にとっても注目の見方なのでとても興味深く二人の対話を聞くことができた。
最後には「新しいことには新しい評価基準を作っていくことが大切」と、
二人ともが述べていたのは納得。
それは難しいことだし時間もかかるしある意味で政治的なことだけど、
やっぱりやらないことには持続できないというのは共感できた。

ちなみにこのCrossMeetingの直前までitazawa(荒川研)と共に
まろナビの修正をおこなっていて、終わってから一緒に参加した。
まろまろは小さいビオトープだけどこれを基点にネットワーキングしていけば
巨木でさえ超えてゆけるかもしれない、そう感じた一夜でもある。

2004 7/28
出来事メモ、講演会

「まろまろ読書日記」を『まろまろ記』に改名(3周年記念)

WEB開設3周年を記念してサイト名「まろまろ読書日記」を『まろまろ記』に改名。

有力候補「まろまろ堂」や「maromaro.com」などと最後まで迷ったので、
メルマガで募集した意見なども参考にしながら決めた。
(他にも「まろまろ喫茶店」、「まろまろ交差点」、「まろまろ御処」などが寄せられた)
決定要因は「読書日」を取っただけなので旧来のものと相関関係があるという点や、
古事記、風土記のように「記」(written, memo)という日本古来の言葉が軸となる点などだ。
(今後のWEBサイトは日本語で読まれることが少なくなる可能性もあるだけに、
日本的な表記を残していこうという気持ちも働いた)

ちなみに今回の改名は、運営者の意図を越えたWEBサイトの進化が原因している。
開設前の意図では読書日記ぐらいしか読まれないだろうと思っていたものが、
当初から他のコンテンツの反響が大きく、時が経つにつれて
タイトルに「読書日記」をかかげるには不釣合いなほど
他コンテンツの存在感が大きくなってきたので改名することとなった。
(期間限定でアップしたはずが人気のため外せなくなったコンテンツまである)

自分が作ったメディア=ブランドは常に意図を越えて進化している。
だから自分もこのメディアと共に意図を越えて進化してゆくのだろう。
(関連コラム『1人1メディア』)

2004 7/19
出来事メモ、サイト運営

西行法師プレイ「出会い系サイトを歩く」篇

前篇

<西行法師プレイin出会い系サイト開始のお知らせ>
みなさん出会い系サイトを利用したことがありますか?
僕は全く利用したことがありませんし知り合いに利用経験者もいません。
出会い系サイトってどんなものなんでしょうね?
もう廃れたんだとか、いやいや中高生の間では既に定着しているとか、
いろいろなことが言われていますよね。

なぜ? いまさら? よりによって出会い系サイトに興味を持ったかというと、
この前読んだ『個人ページのカリスマ』で出会い系サイトを立ち上げた人の苦労話があったんです。
いろいろな事件もありましたけどそれほど如何わしいものではなさそうですし、
「出会い」っていうもの自体がネットの本質のような気がします。
(人類永遠のテーマかも?)
そういう漠然とした感覚を受けたのですが、
何分、新しい分野・事象なので実体験がなければいまいち把握できない・・・

・・・っという訳で出会い系サイトに実際に登録してみまっす!
大抵の出会い系サイトでは趣味のところに「読書」っていう
選択項目があるらしいので「まろまろ読書日記」を宣伝しまっす。
実体験できて宣伝もできるなんて一石二鳥!
あわよくば読書友達つくっちゃいます!(^o^)
さらにあわよくばツンドラーのリスト脱会っす!!(T_T)

これはあたかも見知らぬ土地への「旅」です。
ネカマさん(ネットでのオカマさん:大抵は冷やかして楽しむのが目的らしい)に引っかかって
まろまろ掲示板が荒らされるかもしれないんすけど(^^;
そのときは暖かい眼で見守ってあげてください。
不法行為(民法709条)の要件&効果をもう一度おさらいしなくちゃ(笑)

そんなこんなで出会い系サイトの情報&体験を持っている方、よろしければ連絡ください。
例のごとく報告は後ほどこのメルマガにていたします・・・
2002 6/19

中篇

「西行法師プレイ~出会い系サイトを歩く~」は着々と進行中です。
出会い系サイトのプロフィールを眺めてみると・・・
「団鬼六さんが好きな中1の女の子です」
・・・素敵な感性だよ、と思っちゃうようなものとか・・・
「輪廻転生について興味があります。仕事帰りに軽くお食事でもしながらお話しませんか」
・・・軽く話されへんやろ、とかいうものまで実に多種多です。
知り合った人の中にはさっそくまろまろ掲示板への書き込みをしてくれている人もいます。

でも、これが出会い系サイト・・・だけに限らずネットの特性なんすよね。
実生活では肩書きや見た目が邪魔をして趣味趣向や感性が伝わりにくい時があるっす。
実生活と比べてよりダイレクトに趣味趣向の話ができるのがネットの良さなんすね。
まろまろ読書日記を立ち上げてからすごくそういうことを感じます。

例えば去年の夏にこんなことがありました・・・
新宿から目黒に向かって山手線に乗っていると、
いかにも浜崎あゆみ好きのギャルギャルした女の子が乗ってきたんすね。
マイクロミニにチューブブラ、もちろんアクセサリつけまくりのその女の子が
僕の隣に座ってそそくさと取り出した本が・・・
司馬遼太郎の『翔ぶが如く』!!(>o< ) なぜーに司馬遼太郎? その上『翔ぶが如く』って! 『竜馬がゆく』や『燃えよ剣』と違って考察長くて小説っぽくないじゃーん!
普段、ギャルギャルした女の子には決して声をかけない僕が思わず声をかけました。
お互い降りる駅も違ってろくに話もせずに別れたのですが、
別れ際にまろまろ読書日記を紹介しました。
お互い話が要領を得ず(当たり前か)、不可解な人っていう風な印象を持たれたかなと思っていたら
一週間くらいたってその彼女からメールが来たんですね。
なんでも好きな先生がいてその先生が好きな本らしいから読んでいるとのこと。
・・・ええ話や(T_T)
さらに彼女はもともと歴史小説が好きらしくて、
まろまろ読書日記が面白かったのでメールくれたとのことです。

道で歩いている人やすれ違う人は一見して「私○○好きです」とはわからないっす。
ギャルでも歴史小説好きな人もいれば、おじさんでも嫌いな人がいる、
所属とか肩書きとか年齢とかそういうものだけで趣味趣向は決まらないんすね。
当たり前のことなんすけど実際の日常生活では外面からの印象が強くて
そういうことを忘れてしまいがちなんすね。
たとえば山手線で知り合った女の子と僕が事前情報なしに会ってお茶したとしても
歴史小説が好きかどうかまで話ができるかどうか疑問です。
先入観が邪魔をしてぎじゅしゃくした会話に終始する可能性だってあります。
出会い系サイトに代表されるネットでの出会いっていうのは、
そういう実生活では時に感性共鳴の邪魔をする見た目や肩書きを気にせずに
知り合って話ができるという特性があるなぁって思っています。
2002 7/4

後篇

これまでの体験から出会い系サイトは見た目や肩書きの印象にとらわれずに、
ダイレクトに趣味趣向の話ができて出会うことができるというメリットがあると感じました。
でもその一方で、だからこその怖さや怪しさもあると思います。
エキサイトフレンズ、Yahooパーソナルズ、acchanなどの代表的な出会い系サイトを中心に
2年やってみた印象では世間でいうよりもずっと健全だと思ったんですが、
リスクとどう折り合いをつけるのかに興味を感じて後半は旅を続けてみました。
(特に女性の方が出会い系のリスクは高いはず)

メル友になってくれた人や実際にお茶をした人に、
「どうして自分とメル友になろうと思ったのか?」、「怖くはなかったのか?」、
「選んだきっかけは何か?」となどと聞いてみると、
その答えの圧倒的多数が「まろまろHPを見たから」というものでした。
特に多かったのが・・・
・まろまろ掲示板などで他の人とのやり取りが見れてキャラがつかめた
・関係する他のサイトを見て安心した
・読書以外の接点をサイトで見つけたから
・・・という答えでした。

確かに最初のメールや登録情報だけでは書ききれない情報や、
意図しなかった接点などもHPにアクセスすれば載っています。
普通、初対面の人と会ったときはお互いの引っかかりを模索することから始めるものですが、
HPがあれば相手が勝手に自分との接点を探して引っかかってくれてから話が始められます。
そういう意味でメール=平面的な情報、HP=立体的な情報、ということも言えるかもしれません。
確かにこの旅を続けている間に出来た現在の彼女も元々はまろみあんでした。

・・・よく考えたら、自分のメディアがあれば別に出会い系サイトやらなくて良いじゃん。
そう思っていたタイミングで時代は出会い系から知り合い系のソーシャルネットワーキングへ。
(orkut、GREE、MIXI、kinugasaなどにいます)
出会い系サイトの旅もここで終えたいと思います。
これを見ている貴方も僕と出会っているのだから(^_-)
(掲示板での話題は→こちら)

最後に一句・・・

青い鳥

探すよりも

育てよう

人生いつでも

出会い系

2002 6/19~2004 7/4
出来事メモ、西行法師プレイ

まろまろマスコットキャラ『まろうさ』誕生

まろまろマスコットキャラとして『まろうさ』(まろまろうさぎ)が完成する。
事あるごとに「自分メディア=自分ブランド」だと主張しているので、
象徴的なマスコットキャラの必要性を感じていた。
そういう意味も込めて僕の顔の特徴や癖の動きを取り入れたキャラになっている。
「まろまろ」という言葉と同じくこのまろうさも、
まるで生き物のようにひとり歩きしてくれたら嬉しい。(非生命体進化論の実現)
掲示板での話題は→こちら
ごはん一回分で協力してくれたAYUKOちゃんに感謝。

また、この日は僕がひょんなことから立ち上げ人の1人になった
某携帯キャリア会社との共同研究プロジェクト初会合の日でもあった。
(と言っても大層な正規軍じゃなくてぷちぷちゲリラ的)
動かないときは押しても動かないけれど、動くときは何もしなくても動いていく、
あせらずまろまろやっていこうと思った日でもある。

2004 6/23
出来事メモ、サイト運営

ソーシャルネットな夜~GREE NIGHT 1.0~

日本版ソーシャルネットワーキング(SNS)GREE.JPの初オフラインイベント”GREE NIGHT 1.0″に行く。
そもそもGREE自体はこのイベント開催の3日前からJack(藤堂)に招待されて始めたものだったけれど、
イベント前日に藤本(米澤研)からお誘いの電話があったことをきっかけに
SNSのオフラインイベントがどんなものになるか実体験してこようと思い立って参加することに。

自分のGREEの登録写真がピンクのクマさん着ぐるみ+まろまろフラッグを持っているものだったので、
同じ格好をしなければわからないだろうと考えて六本木交差点でセットアップしてから会場に入る。

会場のクラブ「GARDEN」に入ってみると・・・開始前なのにすでにすごい人!
後でアナウンスを聞くとGREEは立ち上がって約1ヶ月で1万人のユーザー突破した段階なのに
この会場には400名以上のGREEユーザーが参加していたとのこと。

とりあえず奥まで行くといきなり数年ぶりに会う知り合いに見つかってしまった。
SNSは知り合いの知り合いからスタートするネットワークなので、
規模が大きくなっても何かしらの接点がある。
・・・っというのは頭でわかっていたけど、ぶつかったのをきっかけに挨拶するような人でも
誰かつながりで知り合いの知り合いだったりするのにはあらためて驚き。
いままで人のつながりとか知り合いの分布っていうのはごく漠然としか捉えられなかったものだけど、
SNSはそのつながりをかなり可視化することができるのじゃないだろうか。

また、まろまろHP開設以来、初めて会った人との別れ際にはオンライン上でのノリシロとして
「詳しくは(or続きは)HPにて…」というのが僕の決まり文句で
これにはときどき変な顔をされることもあったけれど、
この会場では全員が異口同音にこの台詞を言っていたのに少し感動した。

とはいうものの、実際の会場は混み具合がすごいのでほとんど身動きが取れなかった。
しかし、着ぐるみ+まろまろフラッグも掲げていたので人ごみのはるか遠くの方から
「あそこにまろまろさんが来てるー」という声がきこえてきて自力で見つけ出してくれる人も多かった。
実は同行した藤本とまろまろ秘書は僕がオンラインと同じ格好をすることを最初止めたが、
もしあの会場で普通の格好だったなら実際に会えた半分も会えなかっただろうと感じた。

やわらかいネットワーキングの中だからこそ、小さくとも貫くものが一つは必要なんだろう。

2004 4/25
出来事メモ

修士研究枠組み「学術研究2」

研究課題


           OUTPUT(実践表現)
1:          ↑     ↓           の系を伸ばす
    INPUT(学術研究)   INPUT(学術研究)

→学術理論と実践表現を相互に関連させた研究へ
       ex.文化を扱うエスノグラフィは科学と文学のはざまにある(佐藤, 1992)

2:情報デザイン、メディアデザイン、コミュニティデザイン領域のレビュー

3:非生命体進化論のさらなる組み込み

4:自分に合ったオーディエンスの発見=発表の場、議論の場を探索

5:自分にしかできない研究がよい研究(指導教官)+フェロモンのある研究がよい研究(副指導教官)=両方の要素が入った研究へ

参考文献
佐藤郁哉著 『フィールドワークー書を持って街へ出よう』 新曜社 1992年初版 関連する機関


研究と表現の系が閉じないためのチェック機能としてコンテンツ創造科学、およびGLOCOMRIETIメディア環境学研究室ARS ELECTRONICAなどの外部環境への参加を予定。
他にも探索中(いいとこあれば教えてください)。研究室での活動掲載はこちら再構築


論文として論理構成。
文献研究活動の進展はまろまろ記で随時公開中。
興味のある方はまろまろしに来てくださいね。 学術論文


すでに完成&合格
修士論文:『コンテクスト・デザインとしてのWEB表現~オンラインとオフラインとのコミュニケーション創造~』として公開中(trackbackくださいな)。
キーワードは「コンテンツの中心で、コンテクストを叫ぶ」。

修士研究枠組み「実践表現」

WEB遺書


WEBマスターの死後、そのWEBサイトをどうするのかが社会的な問題となりつつあることに対するデザインとしての取り組みのため、WEB遺書を作成→WEB遺書
この中の説明で参照したように、これまでの研究経緯、特に思想家によるコミュニケーションの位置づけとミームて(共に発見より)を組み込む。
これはまろまろフラッグと同じくWEBページのみが作品として表現されるのではなく、行為活動そのものが表現となることの具象化である。
目下、同じ表現意識を持つ各WEBマスターをつなぐWEB遺書のWEB-RING化も検討中。(生きている間に協力者募集中)

参考資料
http://www.hotwired.co.jp/news/news/20030815202.html まろまろフラッグ


オンラインでの人の流れとオフラインでの人の流れを「パッチ表現」としてデザインするため、ブランドネーム「まろまろ」の小旗を制作。
広汎なネットの流れとリアルな地域の流れの間の「水路付け」(canalization)をキーワードとする。

WEB表現の本質とはオンライン上のHTMLやJAVAなどの言語や画面の美学的デザインに留まらず、オフラインも含めたコミュニケーションのデザインであると考えられることの表現的アプローチ。
箱庭におけるイメージの役割(発見より)と、作品に回収されない行為そのものが表現となる点でマルシェル・ドュシャンの「創造的誤植」、赤瀬川源平「トマソン」などと共通する。

また、現代的なの状況は不明なキーワードはまずWEB検索がかけられる傾向があり、フラッグ投入後はキーワード検索による訪問が顕著に増えるため、うわさ(発見より)の離散性を組み込んむことが可能となっている。この傾向をより強めるために、各小旗にはナンバリング(まろっとNo.)して配布し、物が流転することを利用している。

さらにオフラインとオンラインとの差をより視覚化するために、オフラインで流転するまろまろフラッグの姿・位置を投稿可能なオンライン画像掲示板「まろまろフラッグ放浪記」を設置。

参考資料
まろじぇくとX「ONとOFFをつなぐ旗」(まろまろフラッグ創出のきっかけとなったオフライン会の様子) 本好きちゃんねる


運営していたツリー型BBSに加えてスレッドフロー型BBSをメインコンテンツとして昇格。
同じWEBサイト内のBBSであり、利用者も話題の内容も同じでありながら、双方は明らかに違うコミュニティに発展。
これはたとえ構成要素が同じでも雰囲気(発見より)が違えば、コミュニティは別の生態系的発展をおこなうという仮説を元に、コミュニティをデザインする試み。
WEBにおいてはコンテンツ(作品)よりもコンテクスト(文脈)がより重要であることに対するデザインとしての具現化。

修士研究枠組み「学術研究1」

指摘


研究開始段階で「その問題意識はコミュニケーション論とは違うのか?」という指摘を受けた。コミュニケーション論に対して違和感を感じていた私は、自身のコミュニケーション論に対する違和感とは何か、その解明から研究活動をスタートさせた。半年間の先行研究のリビューで既存のコミュニケーション論に対する自身の違和感、不満点の明確化させた。

1:受信者中心で情報生産・発信者への視点が少ない。
2:送受信者間に形成されるダイナミズムが垣間見れない。
3:結果、WEB表現者として満足できない。

参考文献
末田清子・福田浩子著 『コミュニケーション学ーその展望と視点ー』 松柏社 2003年初版
船津衛著 『コミュニケーション・入門~心の中からインターネットまで~』 有斐閣アルマ 2002年第9版
竹内郁郎・児島和人・橋元良明著 『メディア・コミュニケーション論』 北樹出版 2000年第3版
ヴィレム・フルッサー著、村山淳一訳 『テクノコードの誕生ーコミュニケーション学序説』 東京大学出版会 1997年初版
吉見俊哉・水越伸共著 『メディア論』 放送大学教育振興会 2001年改訂
ジブタニ著、広井脩訳 『流言と社会』 東京創元社 1985年初版
池上嘉彦著 『記号論への招待』 岩波新書 2003年第37版
後藤将之著 『コミュニケーション論』 中公新書 1999年初版 発見


コミュニケーション論にコミュニケーション行為本来のダイナミズムを感じられなかったものの、先行研究のレビューを通して発見があった。
送り手、受け手の二元論でないダイナミズムがあるものとして「思想家によるコミュニケーションの位置づけ」、「うわさ」、「雰囲気」。表現行為への説明として「ミーム」、「箱庭」である。

・思想家によるコミュニケーションの位置づけ
「人は必ず死ぬ」だから「人間は、コミュニケーションによって世界と生に意味を与え、孤独と死に対抗する」そして「世界に意味を与えるコード化された人為的世界は、他者と共存の世界になり」、「人間自身は、他の人間によって不死になる」(フルッサー, 1997)

・うわさ
「曖昧な状況の中で状況を把握するために必要なものとしてうわさは発生する」、「人々がうわさに基づいて行動するのはそのうわさを信じているからではなく、それが必要だから」、「結果的に情報が多すぎても発生する」(ジブタニ, 1985)

・雰囲気
「雰囲気は個々の形象の中に圧縮されている霧のような原素材である。それはさまざまな形態の共通の基体でありすべての芸術の最終的なリアリティである。この雰囲気がひとたび存在すると、個々の形態が十全でなくともそれが本質的なものを損なうものとはならない」、「この特別なものの雰囲気が< どこからくるか>を問うことは、すべての芸術の源泉を問うことである」、「雰囲気はたしかにすべての芸術の魂である。それは空気であり香気である」(バラージュ, 1975)

・ミーム
「われわれが死後に残せるものが二つある。遺伝子とミームだ」(ドーキンス, 1991)
「情報は淘汰を受ける自己複製子=進化的なアルゴリズムが実行され、それがデザインを作り出す」、「デザインは全面的に進化的アルゴリズム遂行の結果」(ブラックモア, 2000)

・箱庭
「イメージこそは、無意識から意識へのコミュニケーションのメディア(中略)、イメージは常に多義性をもち、多くのことを集約的に表現している」(河合, 2002)
「箱庭とはトポス(略)トポスでは、空間と時間が一体化している」、「均質的な空間ではなくて独特の雰囲気のある歴史的空間(ゲニウス・ロキ)」(河合・中村, 1993)

参考文献
ヴィレム・フルッサー著、村山淳一訳 『テクノコードの誕生ーコミュニケーション学序説』 東京大学出版会 1997年初版
ベラ・バラージュ著、佐々木基一・高村宏訳 『視覚的人間ー映画のドラマツルギー』 創樹社 1975年初版(原本1924年初版)
ジョン・バージャー著、伊藤俊治訳 『イメージーWays of Seeing 視覚とメディア』 PARCO出版 1986年初版
ヴァルター・ベンヤミン著、高木久雄・高原宏平訳 『複製技術時代の芸術~ベンヤミン著作集2~』 晶文社 1996年第26版
ジブタニ著、広井脩訳 『流言と社会』 東京創元社 1985年初版
リチャード・ドーキンス著、日高敏隆ほか訳 『利己的な遺伝子』 紀伊国屋書店 1991年第2版
スーザン・ブラックモア著、垂水雄二訳 『ミーム・マシーンとしての私』 草思社 2000年初版
佐倉統著 『遺伝子vsミームー教育・環境・民族対立』 廣済堂ライブラリー 2001年初版
河合隼雄著 『箱庭療法入門』 誠信書房 2002年第31版
河合隼雄・中村雄二郎著 『トポスの知~箱庭療法の世界~』 明石箱庭療法研究会協力 TBSブリタニカ 1993年新装初版 問題


思想家によるコミュニケーションの位置づけ、うわさ、雰囲気、ミームはどれもどれもコミュニケーションのダイナミズムの側面を捉えたものであると考えられるが、それ故実証がたいへん難しい。分析に耐えうるほどの確定性がなく、近づくほどに曖昧模糊となってしまう。
それは情報の特徴である状況依存性と文脈依存性が高いからである(背景)。 再構築


ここで問題意識の発祥となった表現活動に立ち戻り、研究活動の成果を表現として組み込み再構築する。
「なぜWEB表現は不確定要素が多いのか?」という問い(疑問)に対しては、「WEBサイトとはそれ自体が生けるコミュニティとして多重的に重なり、複雑なつながりを生んでいくとらえがたい人の流れの基点であるからである」、との解答を仮説的に出す。
そしてWEB表現の根幹は単にオンライン上でのコンテンツの制作にとどまらず、それを見に来てその場で交流する人々の流れに対して水路付け(canalization)するコミュニケーション・デザインであるとの方向付けをし、表現として実現させる。