『複製技術時代の芸術』 ヴァルター・ベンヤミン著、高木久雄&高原宏平訳、佐々木基一編 晶文社『ヴァルター・ベンヤミン著作集 2』より 1996(原著1935)


Posted in まろまろヒット率★★★★☆, 哲学・思想, 情報・メディア, 文化論・美学, 読書日記 on 11月 02, 2003

ASEANと日本の交流関係のお仕事を終えた、らぶナベ@詳細は出来事メモにて。

さて、『複製技術時代の芸術~ベンヤミン著作集2~』
ヴァルター・ベンヤミン著、高木久雄&高原宏平訳、佐々木基一編
(晶文社)1996年第26版(原著1935年初版)。

『視覚的人間』の中で雰囲気について語っているのに興味を感じたら、
副指導の武邑助教授が「アウラも押さえなよ」と貸してくれた本。
けっこういろんなところで引用されているのを見かけるので、
一度は読んでみようと思っていたのでちょうどよかった(^^)

内容は複製技術が普及する時代(1930年代)に生きた著者が、
複製技術によって芸術が持っていた一回性の「アウラ」
(いわゆるオーラ)が消えるんだと主張している。

この本から70年近くたったいま、すべてがデジタル化されて
WEBで結ばれようとしている時代を生きる僕にとっては
複製技術の時代にこそアウラが生まれるような気がした。
一回性ではなく数回性こそのアウラ・・・そんなことを感じたナベンヤミンです。

以下は、チェックした箇所・・・

☆アウラ=どんなに近距離にあっても近づくことのできないユニークな現象<3>

○どれほど精巧につくられた複製のばあいでも、「いま」、「ここに」しかない
という芸術作品特有の一回性は、完全に失われてしまっている
→「ほんもの」という概念は、オリジナルの「いま」「ここに」しかない
という性格によってつくられる<2>

○複製技術は、複製の対象を伝統の領域からひきはなしてしまうのである<2>

○芸術作品の一回性とは、芸術作品が伝統とのふかいかかわりのなかから
ぬけきれないということである<4>

○(複製技術時代の)芸術は、そのよって立つ根拠を儀式におくかわりに、
(略)政治におくことになるのである<4>

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2003 11/2
美学・文化論、メディア論、思想
まろまろヒット率4

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