修士研究枠組み「問題意識」

表現活動から出た疑問と研究目的


私は2001年7月からWEBサイト「まろまろ読書日記(現「まろまろ記」)」を立ち上げ、運営している。当初は単に私が読んだ本の読書日記を公開するだけのものであったが、意図しないコンテンツ部分の人気と発展(1)、閲覧者からのフィードバックがそのまま表現の一部となること(2)など、あたかもWEBサイトそれ自身がWEBマスターの手から離れて独自に進化(累積的な変異)するかのような感覚におそわれた。
このような独自進化は、当時私が関わっていた既存のコンテンツビジネスの経験と比べても異質なほどの早さで進展し、「WEB表現はなぜこうも表現として予測不可能性が高いのだろう?」との疑問を持つようになった。

また、WEBサイトの運営を続けるにつれ、上記のような既存のコンテンツビジネスの相違点だけでなく、共通点も顕著となった。それはコンテンツよりもコンテクストへの依存度が非常に高いという点である。たとえば成功するアイドルは顔が一番綺麗だからでも、一番歌がうまいからでもない。同じく成功するWEBサイトは技術的に高度なものでも、情報整頓が綺麗だからというわけではない。(どちらもむしろその逆が多い)

こうした体験から私は情報の価値の本質は情報それ自体にあるのではなく、情報を価値づける「感性の共鳴」というべき作用行為にあると考えるようになった。情報は、コンテンツそれ自体ではなく、そのコンテンツと接する人々が独自に形成するコンテキストによって価値づけられる。そもそも物理的実体のない情報の生産はコンテキスト形成までをデザインを視野に入れなくてはいけない。
WEB表現に不確定要素が高いのは、このコンテキスト依存度がより高いメディアであるからであると感じるようになった。

このような予測不可能性、不確定要素の高いWEB表現をどのように捉え、またどのように発展させていけばいいのか、という問いがこの系としての研究の端緒である(3)。
それは以下でみるように常に複雑な系を形成する人の流れを水路付けるコミュニケーション・デザインとして方向づけされてゆくことになる。

1:読書日記をメインコンテンツに置いたにも関わらず、常に最多アクセスは用語集、次点ははしり書きである。
2:掲示板がその代表例であり、これはWEBマスターが訪問者からの書き込みを改訂、削除、出版可能であるかどうかという議論につながる。
3:研究推移の様子は出来事メモに記載(特にまろまろ研究が中心的)。 問題意識の背景と研究の意義


現在、Windows95発売を契機として一般にインターネット元年とされる1995年から9年が経ち、計測困難なほどWEBサイトが誕生し、さらに指数関数的に増加している。そして、その多くは個人によるWEBサイト構築、表現である。
膨大な数のWEBサイトがあるのにも関わらず、こうしたWEB表現に対してはまだ十分な意味づけがおこなわれていない。個人がメディアを持つことについて意味付けを試みる端緒は垣間見られるものの、未だ確たるものは形成されていない。ここにこの研究テーマに取り組む表現者として必要性と研究意義があると考えられる。
また以下でみるように、多分に文脈に依存して形成されるWEB表現をどう捉えてゆくのかという方法論の模索は、突き詰めれば状況依存性と文脈依存性が高く、実態の補足が物理的に難しい「情報」という対象に対してのどのように取り組むかということであり、他の情報関連研究の取り組みに対しても寄与できるものと考える。

参考文献
<情報の状況依存性と文脈依存性について>
中島尚正・原島博・佐倉統編 『総合情報学』 放送大学教育振興会 2002年初版

<WEBサイト数把握の統計的な試みとして>
インターネット協会監修 『インターネット白書2003』 インプレス 2003年初版
武邑光裕監修 『HOW MUCH INFORMATION?』 東京大学大学院新領域創成科メディア環境学研究室 2003年初版

<WEB表現の意味づけの端緒として>
武邑光裕著 『記憶のゆくたてーデジタル・アーカイヴの文化経済』 東京大学出版会 2003年初版
水越伸著 『デジタルメディア社会』 岩波書店 2002年新版

<WEB表現について不十分ながらも注目すべきインタビューがあるものとして>
金田善裕著 『個人ホームページのカリスマ』 講談社 2002年初版
釜本雪生+くぼうちのぶゆき編著  『テキストサイト大全』 ソフトマジック 2002年初版
とってもe本プロジェクト編 『万有縁力~ネットの向こうに人が見える~』 プレジデント社 2001年初版
井上真花著 『おしえて先輩!人気ホームページのつくり方』 ソシム 2002年初版 研究の手法


主に文献研究から成る学術研究活動と、主にWEB上で展開される実践表現活動との相互フィードバックを手法とする。
これはINPUTとOUTPUTの系である(研究枠組み図)。もともと私は読書(INPUT)と読書日記(OUTPUT)とから成る系を持っていた。表現活動とは一般にOUTPUTのみであると認識されることが多いが、INPUTなき表現はありえない。意識するしないを問わずIINPUTをOUTPUTにつなげ再びINPUTを促す一種の系である。その系に学術研究をフックとして導入しながら、さらなる表現活動の環を広げるように展開していく。

また、以下の学術研究で見るように研究の対象となるWEB表現とは単にコンテンツの制作にとどまらず、それを見に来、その場で交流する人の流れまでを視野に入れたコミュニケーショナルデザインである。コミュニケーションとは双発的で複雑な系であるから、その系の一部だけ取り上げても本質的ではないが(指摘)、同時にたいへん捉えにくいものでもある(問題)。そこで自らが表現と研究から構成される系の育成を主要な手法として、とらえがたいダイナミズムを捉えてゆくことを主眼とする。

同人誌即売会MGM参加&調査

メディア表現論のグループワークでのアンケート調査&ヒアリングのため、
同人誌即売会「MGM」(Manga Gallery & Market)に参加する。
会場(川崎婦人会館)を含めた独特の雰囲気に最初は尻込みしそうになったが、
趣旨を説明してアンケートをお願いすると意外なほどの協力が得られた。
特にMGMの松田代表がコミケ設立メンバーの一人だったので
コミケ創設期の生話が聞けたのが面白かった。
ネットもない時代にどうやってネットワークを広げたのか知りたかったので、
そういうことに関する話がすごく刺激的だった。
(設立メンバーは働いて1,2年の人間が多かったなど意外なことも多かった)
ただ、もっとも知りたい「どうしてコミケがここまで大きくなったのか」については
「わからない」ことを強調していたのが印象的だった。
「すべてのスピードが想像より早かった」というのはうなずけたが、
こういう自主的な活動は記録を残さないことが多いようで
どうしても分析しにくさが目立ってしまうように思えた。
帰ってからインタビューをまとめながら自分もまろまろHPの活動を
めんどくさがらずに記録してくべきだろうと感じる。

2004 1/21
出来事メモ

まろじぇくとX「そして、進化は始まった」

エェーックス!

(田口トモロヲ風のナレーションで)
日本中が華やぐ日、クリスマス・イヴ。
それは、恋人たちが愛を語らう影で、挑戦がおこなわれる日でもあった。
イブは恋人たちだけの夜、という固定観念に立ち向ったプロジェクト
ONLINEとOFFLINEをつなぐ可能性に賭けたプロジェクト・・・
そのときどきで、名もなき人々の挑戦がおこなわれてきた。

その結果、夢の構想であった「どこでもOFF会」は確実に行われるようになった。
(事例1事例2)
コンパクト版のまろプチフラッグも完成したことによって、機動的な展開も可能になった。

そのような状況の中で、あえてイヴの日にプロジェクトをおこなう必要があるのだろうか、
そもそもプロジェクトXのパクりはこの数年でやり尽くされているじゃないか。
そのような疑問がわき起こるのも時間はかからなかった。

そして何より、らぶナベには彼女が出来ていた。
夢にまで見た恋人と二人きりのイブ。
「ふたりでいたい」と小さくささやく彼女の声・・・

イヴの夜にOFF会を開催するかどうか、その判断自体が、
これまでにない困難なプロジェクトになっていた。

これは、苦悩する挑戦者の闘いの記録である・・・
(西中島みふきが歌う『妄想の星』が流れる)

・・・っというわけで今年の12月24日OFF会をどうしようか悩み中です。
参加したいという個人的な意見のみならず、
プロジェクト全体としての意見・感想をお持ちの方は→こちらまで。

エェーックス!

(田口トモロヲ風のナレーションで)
Xmasの直前まで、らぶナベは迷っていた。
そんなとき、ふと、まろまろフラッグが目についた。
現代では、わからない言葉と出会えば、多くの人はまずネットで検索する。
だからまろまろフラッグを掲げた日は、「まろまろって何だろう?」
と思った人々がネットで検索してまろまろHPにやってくる。
その一方で、既にまろまろHPを知っている人は「あの旗か!」と声をかけてくれる。
まろまろフラッグはそうしたON-LineとOFF-Lineの間をまろまろという言葉でつなぐ旗として機能している。
では、このスモール版であるまろプチフラッグを大量に作って配布してみたらどうなるだろう。
奇しくも「まろプチフラッグがほしい」という意見がいくつか寄せられていた。
各地に常設することでONとOFFとの間のパッチ(patch)としての機能がよりいっそう高まるのではないか。
そして各フラッグにmalot(まろっと)No.を書いて配布すれば、
どのmalot-No.から飛んできたのか、どこで見かけたのかという情報を集めることができる。
それができれば、川を流れる浮き球を拾った人々がそれぞれのドラマを投影するように、
人から人へ流転する物の流れが追えるのじゃないだろうか。
浮き球それ自体は単なる物だけど、まろプチフラッグはアクセスする場所がある。
人から人へ流れるまろプチフラッグ。
自分で作ったものが自分の手から離れていくWEBメディアの中で、
離れたものからまたHPに戻ってくるぐるぐる感・・・
そんなぐるぐる感をONとOFFの間で実現することができるのではないだろうか。
らぶナベの考えは、「今年もやってみよう」という考えに傾きつつあった。
「自分自身がサンタになるんだ」、その気持ちは否応なしに高まった。

思い切って、彼女に話してみた。
「私もまろみあんだから・・・」
彼女の答えは、簡単だった。

・・・っということで、今年はまろプチフラッグ配布会をやります。
(さまざまなご意見ありがとうございました)

集合日時:12月24日(あえてイヴ!)、午後7時半~45分までの15分間

集合場所:後楽園駅(丸ノ内線・南北線)=春日駅(三田線・大江戸線)直結
     シビックセンター正面出口(春日通り側)出たところ→ここ
     まろまろフラッグを掲げています。
     警備員さんに怒られたらすこし移動しますので適当に探してみてください。
     ちょうど真裏はカップルが集う「ラクーア」です。

事前連絡:在庫の関係上、まろプチフラッグがほしいという人は事前に連絡ください。
     (遅れるけど参加したいという人もご連絡ください)
     別にいらないよという人は連絡不要でふらっと来てください。

持ち物:読み終えていらなくなった本がもしあれば持ってきてください。
    経済学でいう”パレート最適”プレイなので
    そういう本が無いという人は持ってこなくても大丈夫です。

質問:配布したまろプチフラッグ情報を寄せてもらえる専用掲示板の設置を考えています。
   画像もアップできる掲示板でオススメのものあれば教えてください。
   (できればmaromaro.com内に組み込めて携帯電話からも閲覧できるものと思っています)

エーックス!

12月24日、らぶナベは、まろプチフラッグを配布していた。
配布会には、文京区周辺のごはん日記からHPを知った人や、らぶナベと同じ学校に入学予定の人、
西行法師プレイに共鳴して和歌を持ってきてくれた人などが来た。
多くの人が、ON-LINE上では接点があるものの、OFF-LINEでは会ったことがない人々だった。
ONとOFFとのパッチであるまろまろフラッグは、イヴの日も機能していた。

ただ、12月最終週ということもあり、別日や、別時間を指定する人も多かった。
家に帰ると以下のようなメールが届いていた・・・
「初めてメールします、ツンドラーの一人です(中略)
僕たちのような存在に名前をつけてくれて、居場所もつくってもらえました。
(略)らぶナベさんは僕らツンドラーにとって本当のサンタさんです。
これからはイヴの日をご自分の時間として使ってください・・・」
(許可を得て一部掲載)

気がつけば、ツンドラーのリストもまろまろフラッグも、
らぶナベの手から一人立ちして、独自の進化がはじまっていた。
それは嬉しくもあり、少し寂しくもあった。
自分が産んだ卵が雛になり巣立っていく、親鳥と同じ気持ちなんだろう。

「そういえば”自立分散”が21世紀のキーワードだったな・・・」
そう思って見つめるまろまろフラッグ(箱庭マスターVersion)は、風に揺れていた。

思いはとどく
そしてそれは独りでに歩き出してゆく
(西中島みふきの曲がながれる)

2003 12/24前後
出来事メモ、まろじぇくとX

・・・っというわけで、イブの日とその前後に配布会に来られた方おつかれさまです。
「まろまろフラッグ放浪記」として画像掲示板を作って、
流転するまろプチフラッグの姿をアップできるようにしました。

南成瀬小学校でのワークショップ実践 with まろプチフラッグ&着ぐるみ

授業を作る授業として有名な情報学環の情報リテラシー論で結成した
情報学環・学際情報学府と教育研究科との合同プロジェクトグループ
「こねこねタッチ」の実践を町田市の南成瀬小学校6-1、6-2でおこなう。

初日の18日はゲームの仕組み説明で僕が大泥棒のまろまろ役でスキットをおこなった。
進行担当のメンバーから前日に配役を受けていやん、
さらにほとんどアドリブを要請されていやんだったが受けてくれたのでほっとした。
(持ってくるように言われていた着ぐるみは神様役の岡田に渡して活用)

製作した授業(ワークショッププログラム)の「変身!!あいうえお」は、
文字のデジタル伝達の仕組みを鉄玉(電極ON)とビー球(電極OFF)を流すゲームなので、
二進数への変換(アナログ→デジタル→アナログ)や振り返り学習が難しいのかなぁ
っとも思っていたが想像以上に飲み込みが早くて驚いた。
二日目の22日では玉とホースではなく、自分たちの指で伝えるという
さらに難しいものだったのにスムースにできていたのに関心。

初日が終わった段階でまろまろ掲示板への書き込みがあったことも驚いた。
いまの小学生は、わからない言葉や宿題はまずネットで調べるらしい。
情報化という点では自分はちょうど転換期を通った人間だけど(メールやネットは大学から)
あらためて情報リテラシーが重要性を感じた。
そういうこともあってワークショップ中に受け持ち班の集合目印として使っていた
まろプチフラッグを図書室に寄贈した。

一回りほど世代の離れた彼らと接してみてあらためて自分の世代の位置がわかったような気がする。
これからは彼らの世代とともにこの転換期を生きていくんだろう。

2003 12/18、22
出来事メモ

『日本ASEAN交流年2003』パンフレット完成

『日本ASEAN交流年2003』(“ASEAN-Japan Exchange Year 2003”)
パンフレットが日本語版、英語版ともに完成した。
僕は「日本とASEAN、その交流の歴史」(13~15ページ)をライターとして担当し、
また、「国と国をつなぐ人」のコーナーに友達のJOLLY(17ページ)を紹介した。
(彼はフィリピン出身でフィリピン外務省でのインターンシップ経験があり、
大学はアメリカで大学院は日本という多様なキャリアから最適の人材だった)

思えばタイトなスケジュール、資料の少なさ、情報流通のぎこちなさから依頼された当初から困難が多く、
歴史ページということでJOLLYを含めたアジアの友人たちからの指摘もあって、
誤解を受けてはいけない記述、表現をめぐって激しいやりとりもあった。
日本の外交行政の体質に久々にマジギレしてしまった。
(隣にいた人は僕がいつ相手にシャーペンを投げつけるかと思ったほどらしい、そんな大げさな(^^;)

そんなこんなでパンフレットの完成は感慨もひとしお(T_T)
協力してくれたアジアの友人たちにもお礼と共に手渡しした。
今後、このパンフレットはASEAN10+3などの国際会議でも配布されることになる。
クレジットも残らない仕事だけど、こういう仕事ならかまわない。
アジアの交流と平和に直接的に貢献できるんだから。

ちなみにWEBページとして見れるようにもなっていた。
アジアの交流と相互理解をあらためて痛切に願う機会になった仕事だった。

2003 11/1
出来事メモ

まろプチフラッグ完成

まろまろフラッグは屋外や広い場所ではすごく効果的だけど、
長距離移動や室内での利用がしにくいことがこの10ヶ月で判明した。
今後予想される学会や国際会議などでも気軽に利用できる旗がほしいと思い、
まろまろフラッグの卓上旗ヴァージョン(まろプチフラッグ)を作ってみた。
実際にはedo-valleyに呼ばれたときに知り合ったミイレーの高根さんが調べてくれて、
クリップ版と吸盤版の二つのタイプが完成した。
(こういう活動に理解ある人が協力してくれたこともあってかなりの完成度)
オフラインでも機動力を得たことは、今後大きな意味を持ってくるのだろう。
実戦投入時の写真はここ

2003 9/30
出来事メモ、サイト運営

家族の再合併

20年近く前に離婚していた両親が再入籍したという報告が入った。
母親の方から携帯メールで他の連絡ついでの軽い感じだったので余計に衝撃(>_< ) 家族関係は人間関係の捉え方や人生観に少なからず影響を与えるものだけど、 成人になってからのこの出来事も自分の世界観に影響を与えることになるのだろう。 人生とは不思議だ。いや、不可思議か?(^^; 2003 9/8 出来事メモ

西行法師プレイ「三州足助を歩く」篇

毎年夏になると旅に誘ってくる知り合いから「三州足助に行く」
というメールをもらったので今年の夏は三州足助へ。
・・・ってどこ? そもそも何て読むの?
自力で調べてみたものの、三州足”取”だと間違えて、
「みすあしとり」とまったく別の読み方で調べてしまった。
当然、調べれば調べるほど混乱は助長する一方(>_< )
誘ってきた知り合いとの連絡もほとんどつかずに右往左往していたら、
直前になって三州足”助”で「さんしゅうあすけ」と呼ぶということがようやく判明。

そんな混乱の中で迎えた当日はAM8:30に名古屋駅集合ということだったので、
僕ともう一人の東京組は早起きをして新幹線に乗車。
名古屋駅で大阪組と合流して名鉄線に乗り換えようとすると・・・
「ああ~!」、大阪組が車内に乗ったまま電車の扉が閉まってしまった!
合流して数分、ろくに話もしないまま再び東京組・大阪組が分離してしまった。
まさに離合集散。
(電車の中から見る駅に取り残された僕の表情はアイフルの子犬のようだったらしい(^^;)
途中の駅で合流してようやく東岡崎駅へ。
そこからバスで1時間10分(!)かけて着いたのが愛知県足助町、別名:三州足助。

もともと交通の要衝で内陸部まで塩を運んだ塩の道が通ることで有名な土地らしい。
秋には香嵐渓の紅葉が名所で、お盆のこの時期は通りに面した各家の軒先に
「たんころりん」という行灯が出ているので知り合いはこの地を選んだようだ。
歩いてみると去年の郡上八幡もそうだったけどコンパクトな町だなぁっという気がした。
十分に歩いてまわれる広さで、30年くらい前から時間がとまっているような街角。
こういう町は何が良いっていうわけじゃないけれどなんとなく好きになれる。
宿の方も築150年以上たっている宿場に泊まることになったが、
繁盛期のはずなのに僕たち以外にはもう一組しか泊まっていなかった。
こういうさびれた感じも国内旅行の醍醐味ですな。
食後にたんころりんを見に町に出ると、道端が行灯でぼんやり照らされていて
昼間よりもぐっと風情のある町並みになっていた。
ただ、(おそらく風で)倒れて転がっているたんころりんを見つけたときは、
実に無残な姿でちょっと哀しくなってしまった。
何ということもないけど何となく心に残る町。

そんな三州足助、ここで一句・・・

もうこれで

まちがえないさ

三州足助

たおさないでね

たんころりん

2003 8/16~17
出来事メモ、西行法師プレイ

後日談。
三州足助の帰りに別の知り合いの家に泊まって数日ほど名古屋に滞留したときのこと。
名古屋駅前のツインタワーのスタバフェで友達がコンサルしている仕事
(新メニュー開発)の相談に乗っていると、ひょんなことからある人と知り合いになった。
名古屋は良く知らなくて飲み屋を探していると言うとその人が働いているお店を紹介された。
・・・これはやばいのでは?っと思いながらも予約していくと、めちゃうまかった。
(隠しコンテンツ「ごはん日記」で写真は公開)
こういうひょんな出会いが旅の良さですな。

第5回日本進化学会 with まろまろフラッグ(福岡)

1日
短期留学で研究室に来ているAndyと待ち合わせて福岡に行く。
直前までまろまろフラッグを持っていくかどうしようか迷ったが、
Andyが学会でおこなうアンケート回収の目印にもなるということで
飛行機に乗せるため分割してから持っていくことになった。
福岡で同じ研究室の聖ちゃん(男)と合流し、祇園のホテルに荷物を置いてから
地下鉄に乗って九州大学箱崎キャンパスへ向かう。
福岡は地下鉄の駅ごとにシンボルマークがあってけっこう楽しい。
箱崎キャンパスではなぜか当日におこなわれている懇親会(食堂で立食パーティ)に参加。
最初は頼りにしていた指導教官は別の人と盛り上がって話し込むし、
そもそも初参加なので知り合いもいないので、こまっちんぐな感じだった。
これではいけないと思って、まずは話しかけやすそうな集まりを見つけて突撃。
まろまろフラッグを紹介しつつ自己紹介して顔見知りになると、
その人たちから面白い人がいる集団を教えてもらってまた突撃。
そこで知り合いになってまた次の集団に・・・っということを繰り返した。
名づけて「わらしべ長者プレイ」(^^)
この分野の研究者の人はガチガチのイメージがあったけど、
予想以上にフランクな感じの人も多くて驚いた。
特に農業環境技術研究所の三中信宏氏からは僕の遺書や問題意識について助言をもらえたし、
北海道大学の長谷川英祐教授からも意見をもらうことができた。
異分子と反応をおこなしながら進化するという進化論の特性も影響しているのだろうか。
お開きになってからホテルの近くにキンコーズに行ってAndyのアンケートを出力する。
4枚つづりの250部なのでかなり大変な作業かとも思ったが、
聖ちゃんも加えた3人だったので思っていたよりも早く作業が終わった。
・・・とはいえホテルで眠りについたのは2時、福岡に来たって感じはしない1日目。

2日
Andyのアンケート用紙&回収BOXと僕のまろまろフラッグとノーパソを持って、
早朝から九州大学六本松キャンパスにバスで向かう。
実際に会場に行ってみるまではブース設置が可能かどうか、
可能だとしてもどういう場所なのかわからなかったが、
スタッフの協力を得て休憩&展示室にスペースをもらうことになった。
Andyのアンケート回収BOXが目立つように後ろにまろまろフラッグを掲げ、
共生(symbiosis)ブースとしてノーパソで僕の遺書もHPごと展示した。
東京から持っていく端末はsigmarion3にしようかと思っていたけど、
こういうときのために重たくてもThinkPad-R31を持ってきてよかった。
自分ブランドの旗と遺書を公開する人間も学会で僕だけだろう(^^;
この学会のワークショップの構成を見ているとバリバリ専門的なものばかりだったので、
こういう遺書とかHPでの活動とか興味を持ってくれないのかなぁっとも思ったが、
徐々に人が来てくれて午後からのポスター発表の時間ではかなりの人が来てくれた。

本番のワークショップも「進化生物学・夏の学校」と「人間行動の生物学的基礎」、
シンポジウムは「中学・高校でどのように進化を教えるか?」に参加することができた。
また、ワークショップと展示、アンケート回収の合間に聖ちゃんの案内で大濠公園を散歩した。
福岡に来て可愛い子が多いのに驚いたけど、博多は美人が多いことで有名なんだと怒られた。
・・・知らなかったです、ごめんちゃい(^^;
夜は研究室のメンバーと指導教官とでめんちゃんこ亭のめんちゃんこを食べる。
帰りにはこの日もAndyとキンコーズに寄って作業をして帰った。
ようやく福岡に来た気がしつつあるけど、かなりヘヴィに感じた二日目。

3日
指導教官の運営するワークショップ「非生命体の進化理論」に参加。
これ系では唯一のワークショップということもあってか、
参加者も多かったし、内容もめっちゃおもしろかった。
特に「茶の湯点前の形質コード化と系統推定」は、
伝統芸能全般に応用することが可能な理論だと思って興味を持った。

ポスター発表&ブース展示は今日で終わりなのでできるだけブースにいるようにした。
ブースを通して知り合いができたが、同じ大学に通う人と知り合いになることも多かった。
知らない研究科や聞いたことないセンターっていっぱいあるんだなぁっと実感。
東京の学校の知り合いが福岡でできるなんてちょっと不思議(^^)
ブースに来る人からいろいろとアドヴァイスももらった。
特に遺伝子情報の専門家からもらった指摘では、遺書をその場で修正&アップロードした。
こういう機動力の高さはデジタル情報の良さですな(^^)
終わってから研究室&指導教官に加えて他の研究室の人と
六本松キャンパスの近くの焼き鳥屋に行って帰る。
この日はやっとキンコーズによらなくてよかったが、
撤収作業をしたので回収物が多くてまたまたヘヴィで、いやんな、3日目。

4日
最終日は国際シンポジウムだけだったが、
アンケート回収とお世話になった人の挨拶もあって早めに箱崎キャンパスの会場に入る。
意外とあっさりと閉会されたので、Andyを見送りに博多駅に移動してから
僕と聖ちゃんの2人で金券ショップを探してみる。
やっぱり可愛い子が多い、今まで知らなかったなんて不覚だ。
博多駅で聖ちゃんと別れて飛行機で東京へ。
乗ったJAL便にはおすぎさん(もしかしたらピーコさんか?)が乗ってた。

・・・今回の学会は初めての参加なのに、開催地が福岡という点、
そして専門ではないという点で二重の意味でAWAYの学会だったけど、
まろまろフラッグを掲げてブース展示ができたし
想像していた以上に共鳴してもらえる人も多かった。
そしてブースを運営するって楽しい、人が集まってきて話もできるから。
聖ちゃんからは「お茶を置いてまろまろカフェにしたら?」っと言われたけど、
確かにそうすればアンケート回収率も挙がりそうだ(笑)
とにもかくにも学会デビューは終わった。できれば次も参加しよう。

2003 8/1~4
出来事メモ、まろまろ研究

らぶナベ体験学習

奈良に住んでいる高校の頃から合気道でお世話になっている人から、
夏休みに中学生の息子を泊めてやってくれといわれる。
理由は「高校受験の前にお前の日常を見せてほしい」とのこと。
いわゆるらぶナベ体験学習(まろまろインターンシップ)ですな。

いつものように安請け合いしたものの自分の日常といえば、
エロ動画をダウンロードしまくる、妄想する、まわりからいじられる、
人生のボタンをかけ違える・・・こんなんでいいのか?(@_@)
(会ったこともない人間に会いに東京まで一人旅させるというのもよく考えたらすごい)
かなり不安になったもののバイクを盗もうとして盗み方がわからなかったりした
自分の中学時代を振り返れば、反面教師という意味もあるだろうと迎えいれる。

この時期は自分自身で経験したという体感が重要だと思ったので、
一人で研究室の近くまで来てもらってから合流した。(ルートも自己検索)
授業を作る授業(情報リテラシー論)のグループワークで作製しているワークショップ案を
体験してもらって臨床実験に付き合ってもらったり、
edo-valleyをやってる知り合いとの会食に同席してもらったり、
ASEAN関係の仕事で使う資料探しに神保町の古本街を同行してもらったりした。

同行の中で、今はインターネットがあるからそんな心配はほとんどしなくていいけれど、
自分が中学生のときはエロ本をいかに買って、いかに隠して、いかに使っていくかということに
自分の持てる全知全能を使ったんだという意味のないおっさんトークをした。
塾があるということで一泊二日で帰っていったけど、
見送りをしてから昔ある知り合いから言われた言葉を思い出した、
「人から子供を任せられるようになって一人前」。
・・・やはりこんな人間に簡単に子供を任せてはいけない(^^;

2003 7/27~28
出来事メモ