『広場の箱庭師』を書いてから手作りすることの箱庭的な話だけでなく、
それを公開する広場的な意味をどう捉えているのかという質問をもらうことが多くなった。
情報を公開するということをどう捉えているのかを公開するのは生々しい話になりがちで、
これまではあまり積極的にはしようとしてこなかった。
でも、今回はまろまろHP開設3周年として自分なりに整理をする意味でも、
自分が情報発信としての側面でHP(WEBサイト)のありがたさを感じているとのコラムをば・・・
まず、HPをやっていると自分の関心に合った情報が自然に集めやすくなることはありがたい。
自分から情報を発信しないで情報を集めようとするのはすごく難しいからだ。
特に大量の情報の中から自分の求めているものを絞り込んで得ようとする場合には、
そもそも自分はどういう人間で、どうしてそれが知りたくて、どういう理解ができるのか・・・
っというようなことを自分の外に出していかないと、満足できる情報は集められない。
HPをやっていると、そういう自分の情報収集のアンテナや基準が自然とできてくる。
これをしないで情報を集めるとなると、時間とエネルギーがすごく必要になる。
国や企業では専門の情報機関が設置されていたりするけれど、
ちょうど自分にとってHPは情報発信のメディアでありながら、
同時に情報収集機関の役割を果たしてくれている。
そして、一番のありがたさを感じていることは、組織やコミュニティに依存しないで
自分に合ったオーディエンスに直接情報を発信できるようになったことだ。
かつて自分はかなり大きな組織に所属していたことがある。
ピュアピュアさんなので「組織に潰されたらどうしよう」とビクビクすることもあった。
虚勢の張り合いや立ち回り、陰口の応酬などにバカバカしさを感じながらも、
潰されるんじゃないかという強迫観念から思わず巻き込まれそうになったことが何度かあった。
法律を学ぶきっかけもそんな防衛本能が刺激されたからだ。
(興味がある人は下の補足)
でも、HPの運営を開始してからは、そんな強迫観念は少なくなった。
自分のメディアを持っていれば所属する組織に潰されることはまずないからだ。
その組織を通してしか情報を発信できなかったり、
人とのつながりができなければ組織に潰されることはある。
これはかっちりした組織だけでなく、良い響きのあるコミュニティにも言えることで、
人の集まる集団に所属しているときの最大の恐怖はつながりを絶たれることだ。
自分で直接情報発信ができて、
自分に合ったオーディエンスとつながりを持てるなら、
不毛な強迫観念に足を引っ張られることは少なくなる。
これは情報発信の機能としてすごくありがたいことだ。
これがあるから広場にいる価値があると思っている。
もちろん普段、日常生活の接点だけではその人がどういう人なのか、
どういう趣味趣向を持っているのかはわかりにくい。
だからその人がどこに所属しているかというのはすごく重要なことは確かだろう。
でも、それがときにすごくもったいないことになる場合も多い。
(西行法師プレイ~出会い系サイトを歩く~)
1人につき1つ情報発信のメディアを持っていれば、
学校や会社など既存の所属に依存しすぎないで
つながり合いがもてるようになるんじゃないかと妄想している。
「1人1メディア」、そんな標語をうっかり口にしたくなる3周年。
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2004 7/19
まろまろコラム
コラム補足(ちょい法学話)
表現の自由(憲法第21条)が保護される理由は、
「自己統治」と「自己実現」に必要不可欠だからだとされている。
僕はこれを学んだときに自己統治の方は民主主義を支えるという意味でよくわかるけど、
なぜ自己実現で表現の自由が必要なのかいまいちピンとこなかった。
でも自分がメディアを作って情報発信してみて、
「表現の自由を規制することは自己実現を規制することに直結する」
という意味が実感としてわかるようになった。
バランス調整の基準を示してくれる法律ってありがたいですな(^_-)