ジョン・バージャー、伊藤俊治訳 『イメージ―Ways of Seeing 視覚とメディア』 PARCO出版 1986

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さて、『イメージ-Ways of Seeing 視覚とメディア』
ジョン・バージャー著、伊藤俊治訳(PARCO出版)1986年初版。
副指導教官の武邑光裕助教授が貸してくれた本。
「見る」ということがどういうことなのか、その意味を問いなおした本として
出版されたとき(原本1972年)には衝撃を与えた一冊らしい。
もとはイギリスBBCの番組”Ways of Seeing”をテキストとして構成しなおしたもので、
絵と写真から成るイメージだけの章もあって確かに意欲的な本。
ただしカラーじゃないのがすごーく残念だった。

内容的には追章「見ることのトーポロジー」の中で
フランス語の「”SAVOIR(知る)”の中には”AVOIR(所有する)”があり、
“AVOIR(所有する)”の中には”VOIR(見る)”がある」と紹介していたことは
まさにこの本のテーマ性を言いあらわしているように思えた。
(フランス語知らないので新鮮だった)

以下はチェックした箇所(一部要約)・・・

○イメージとはつくり直された、あるいは再生産された視覚だ。
それは、最初にあらわれ、受けとめられた場所と時間から、
数瞬または数世紀も引き離された概観である。
すべてのイメージはものの見方を具体化する。
<1 イメージの変容>

○過去の文化を神秘化することは二重の損失を生む(略)
芸術作品は不必要なほど遠くでつくりあげられることになり、
過去は行為の遂行についてほとんど結論をくだすことはない。
<1 イメージの変容>

○裸(naked)とは単に服を着てないということであるが、
裸体(nude)とは芸術の一形態である。
→裸体(nude)とは絵の出発点ではなく、絵がつくりあげたものの見方。
(ケネス・クラーク『ザ・ヌード』)
<3 「見ること」と「見られること」>

○広告は実は物についてではなく社会関係について語っている。
広告が約束するものは快楽ではなく、幸福なのである。
幸福は外側から他人によって判断される。
うらやましがられる幸福、それこそが魅力と呼ばれるものである。
うらやましがられるということは安心の孤独な形といえるだろう。
→広告イメージはありのままの自分に対する自分の愛情を奪い、
 かわりに商品の値段でもって自分に返すのである。
<7 広告の宇宙>

☆仏語の”SAVOIR(知る)”の中には”AVOIR(所有する)”があり、
“AVOIR(所有する)”の中には”VOIR(見る)”がある。
<見ることのトポロジー>

○印刷画を一般概念や特定の役割の見地からも見なければならないが、
とりわけ情報の伝達者や受容者に印刷の諸技術が課してきた
限界について私たちは考察する必要がある。
(ウィリアム・アイヴィンス『ヴィジュアル・コミュニケーションの歴史』)
<見ることのトポロジー>

○(複製によって)オリジナルは人々が入り込んでくる存在の場ではなく、
人々が自らのまわりに呼び入れる表層の場となる。
<見ることのトポロジー>

○見せる操作は世界へ介入するのではなく、世界を見られる形に変える。
見るということが、見る者と世界との相互性を含むものであるということを見えなくする。
<見ることのトポロジー>

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2003 10/3
視覚メディア論、芸術論、美学
まろまろヒット率3

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