司馬遼太郎 『播磨灘物語』 講談社 全四巻 2004(新装)

らぶナベ@「ドラゴンボール占い」の結果が亀仙人だったのでちょっと凹みました(>_< ) さて、『播磨灘物語』司馬遼太郎著(講談社)全四巻2004新装。 豊臣秀吉の参謀として活躍した黒田官兵衛孝高(如水)を主役にした歴史小説。 友人が黒田官兵衛に興味を持っていると言っていたのを耳にしたのと、 別の古い友人が「俺って黒田官兵衛っぽいんだよな」とつぶやいたのを思い出して読んでみた司馬作品。 読んでみると、播磨の端っこで鬱々として京都に出かけていった青春時代、豊臣秀吉との出会いで調略に全力をかけた日々、 反乱を起こした荒木村重を説得しに行ったのに投獄されて生死をさまよった時期、 竹中半兵衛とのお互いを認め合う友情の逸話など、 見所満載のはずが読み終わってみると消化不良な気持ちになった。 黒田官兵衛のあっさりした性格もあるのだろうけど、何よりも山崎の合戦以降のことは 最終章「如水」だけで要約されていて、駆け足に書かれていたのが残念だった。 関ヶ原の戦いで九州を席巻しようとした彼の姿ももっと書いてほしかった。 ちなみに僕は司馬作品の中に出てくる「中国大返し」のシーンがいつも印象に残る。 『新史太閤記』『功名が辻』でも印象深かった(自分と重ねあわせることもあった)けど、
この作品でも大急ぎで引き返す中で秀吉が馬上から大声で言った言葉を祐筆に書かせて、
各地に手紙で送る姿には今風に言うところのモバイル・コミュニケーションな姿をかいま見て印象深い。

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2005 12/1
歴史小説
まろまろヒット率3

柳沼重剛 『ギリシア・ローマ名言集』 岩波文庫 2003

突発的にジャージ・ゲリラ・オフ(JGO)を開催した、らぶナベ@冬物ジャージも魅了的でした(^_-)

さて、ギリシア・ローマ名言集』柳沼重剛編(岩波書店)2003。

ギリシア・ローマ時代の著作やことわざのの中から編者が選んだ名言集。
その言葉の文脈や原文も、ごく簡単だけど載っている。
ある程度の発音がわかるラテン語の原文で読むと、どの名言も韻を踏んでいるものが多いことに気づく。
やっぱりその言葉が流通したり残るためには、語呂はかなり大切だということをあらためて感じたりした。

読んでいた時はちょうど立ち退き交渉が大詰めで、世知辛い空気を吸っていたところなので・・・
「人生とは舞台で芝居だ。大まじめなことは脇へおいて演じることを学ぶがよい。
それがいやなら、苦痛に耐えねばならぬ」(『ギリシア詩歌集』パラダスの詩)
・・・というのは笑いながらも同感してしまった。
また、「財産は、賢者にあっては奴隷の地位にあたるが、愚者にあっては支配者の地位にある」
(divitiae enim apud sapientem virum in servitute sunt, stultum in imperio)(セネカ『幸福な生活について』)
・・・というのも目にとまった。

そんな生々しい日常生活をおくる上での名言だけでなく・・・
「努めて簡潔さを求めると、曖昧になる。洗練を狙うと、力強さと気迫が失われる。荘重さを表に掲げると、誇張におちいる」
(ホラティウス『詩論』)という言葉も目にとまった。
何かを書こうとする時に誰もがぶつかってしまう壁を端的に言い表していて印象深い。

以下はその他でチェックした箇所・・・

○絵は言葉を使わぬ詩、詩は言葉でかく絵である。
プルタルコス『アテナイ人の名声について』

○友は第二の自己である。
アリストテレス『ニコマコス倫理学』

○何物も無からは生じない。
(ex nihilo nihil fit.)
ルクレティウス『事物の本性について』

○人の数だけ意見あり。
(quot homines, tot sententiae.)
テレンティウス『ポルミオ』

○もしトロイアが幸福であったなら、誰がヘクトルのことを知っただろう?
公の不幸を通して徳の道は作られる。
(Hectora quis nosset, si felix Troia fuisset?
Publica virtuti per mala facta via est.)
オウィディウス『悲しみの歌』

○分別の心に、わずかな愚かしさを交ぜよ。
(misce stultitiam consiliis brevem)
ホラティウス『詩集』

○恋は涙のように、目から発して胸に落ちる。
(amor, ut lacryma, oculo oritur, in pectus cadit.)
ププリリウス・シュルス『金言集』

○ゆっくり急げ。
(Festina lente.)
スエトニウス『ローマ皇帝伝』

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2005 11/16
名言集
まろまろヒット率3

塩野七生 『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』 新潮社 上中下巻 2005

マンション開発による立ち退き交渉が基本合意に達したので17日に引越することになった、
らぶナベ@さらば初代まろまろハウスです(T_T)

さて、『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』塩野七生著(新潮文庫)上中下巻2005。

ネロ帝の暗殺によって断絶したユリウス・クラウディウス朝後の混乱期と、
ヴェスパシアヌス帝によって始まりドミティアヌス帝の暗殺とネルヴァ帝の即位で終わった
「フラヴィウス朝」時代をえがいたシリーズ第8段。

この時代に生きた歴史家タキトゥスが『同時代史 (Historiae) 』の中で、
口を極めて混乱と無秩序、ローマの危機を唱えているように混乱期だった。
ただ著者は、この次に登場する五賢帝が偉かったからローマは最盛期を迎えたのであって、
それ以前は皇帝も含めてダメだったとするとするタキトゥスの史観に疑問を投げかけている。
これまでのローマ史の中でも危機と克服の繰り返しがいくつもあり、
この時代も危機を克服して新しい時代の道を開いていったとする視点で書かれている。

読んでいて特に印象深かったのはローマ生まれでもなく元老院階級でもないのに、
混乱期をおさめて皇帝になったヴェスパシアヌスの数奇な運命だ。
傑出した才能もなかったとされるのに、様々な運命の巡り合わせやムキアヌスに代表される協力者に恵まれて、
ローマ皇帝になった経緯をかいま見ると、人間どこでどうなるかわからないというのをあらためて感じてしまった。

また、巻末の「付記」ではこの時代を代表する文人として
『エピグランマ (Epigramma) 』で有名なマルティアリスの一生を紹介している。
皮肉で思わずぷっと笑わせる数々のエピグラムを生み出したその生涯がわかっておもしろかった。
同時代に『エロクェンティア (eloquentia, 弁論術大全)』をまとめたクィンティリアヌスと共に、
この二人は今でも引用句でよく出てくる二人なので、その背景がわかって興味深かった。

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2005 11/12
歴史、政治
まろまろヒット率3

追記:全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・

『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』

『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』

『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』

『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』

『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』

『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』

『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』

『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』

『ローマ人の物語24,25,26 賢帝の世紀』

『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』

『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』

『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』

『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』

『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』

ばるぼら 『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』 翔泳社 2005

最近ご近所さんと東京都文京区のシビックランドによくいく、らぶナベ@ナニゲに銭湯好きです。

さて、『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』ばるぼら著(翔泳社)2005。

ホームページ、ウェブ日記、テキストサイト、ブログ、呼び方はいろいろあるけれど、
インターネット文化を支えてきた、そして今も支えている個人サイトの歴史書。
年表、説明、註釈も含めてすごいテキスト量で、通読には時間がかかるし読んでいて眼が痛くなることが何度もあった(^^;

第1章は1992年から始まっていて、それ以前の歴史は普通に教科書に載ってる歴史として「序章」で取り扱っている。
また、「もうひとつの序章」としてパソコン通信の歴史についてもかなりの量が使われている。
(裏表紙には”Encyclopedia of Japanese Internet Culture 1984-2004″と書かれてある)

日本のネット文化を支えてきた個人サイトやネット上の出来事はアーカイブが残りにくくて、
たった数年前のことなのに後から確認しようと思ってもできないことが多いことはよく指摘されている。
だからこの本はルポタージュというより、本文にも出てきたように「ネット考古学」という言葉の方が近い。
本当によく調べたなぁっと読んでいて何度も関心してしまった。
通読した後にはある種の大全を読んだ気分になってしまったほどだ。
タイトルには「教科書には載らない」と銘打っているけど、
ネット文化に興味がある人の間では必読書の一つとして引用されていくと思う。

・・・っという歴史的な一冊として見たときには、
重要なサイトや出来事が抜けている点や著者の主観があまりに強すぎるところが気になった。
すごくよく調べられてある一冊だけに、今後の改訂版やこの本を参照した別の本に期待。
名著とされる歴史書はたいてい数巻にわたるものだから(^_^)v

ちなみにコラム「ネット文体を一晩中考えよう」の中で、
「ネット独自の特徴は、”未完成感”が漂う文章ほど愛されること。
単体で完成された文章は、驚かれるが簡単に消費され終わってしまう。
コミュニケーションを生まないからだ」と述べているのは説得力があった上に共感もできた。

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2005 11/7
メディア史
まろまろヒット率3

塩野七生 『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』 新潮社 全四巻 2005

MovableType3.2の再構築エラー(カテゴリでの500エラー)でmaromaro.comの更新がまだとまっている、
らぶナベ@復旧までの間はこのメルマガで新規情報を更新しますです。

さて、『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』塩野七生著(新潮文庫)全四巻2005。

元首制を完成させたアウグストゥスに続く、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロの4人の皇帝、
いわゆる「ユリウス・クラウディウス朝」の時代をえがいたシリーズ第7段。

タイトルにあるようにこの4人の皇帝はとても評判が悪い。
ネロはキリスト教徒を最初に弾圧したローマ皇帝として暴君の代名詞にされているし(例:暴君ハバネロ)、
ティベリウスとカリグラは、その変態伝説が一人歩きしている。
僕も10代前半の頃に読んだカミュの戯曲『カリギュラ』や、
ドキドキしながら借りた映画『カリギュラ』からこの二人は変態皇帝のイメージが強かった。

こうした悪評は後の時代の誇張が入っているし、ティベリウスにいたっては根拠の無いものだ。
カプリ島で繰り広げられたとされる変態プレイは、後に伝説化して色々な物語にも出てくるけど、
単に根拠が無いだけでなく、ティベリウスのプライドの高さや潔癖すぎるほどの性格からは対極にある。
たとえばティベリウスは元老院から何度も提案された自分の神殿の建設を、
「このわたしを後世はどのように裁くであろうか(中略)
もし評価されるのならば、それこそがわたしにとっての神殿である」と言って断っている。
(変態プレイについては当時のローマ人の憧れが噂話として流通したのだろうと著者は書いている)

ティベリウスを含めた4人の皇帝たちは、後の時代につながる功績をいくつも残しているし、
大きな失策もほとんど無いので、後世に言われるほどの悪帝ではないというのが著者の主張だ。
では、彼らはなぜそんなに後世の悪名が高いのか。
それについてはローマの歴史家が彼らを悪く書いた理由について、
「なぜ、自らもローマ人であるタキトゥスやスヴェトニウスは、ローマ皇帝たちを悪く書いたのか」
という付記で著者が種明かしをしているので内容は読んでのお楽しみ。

ただ、この4人は元からして前回のアウグストゥスや前々回のユリウス・カエサルに比べると評価の難しいリーダーたちなので、
支持を得られなかった複合的な理由について、ところどころに著者が自分の見解を示しているのが面白い。
たとえば「民主制は政治のシロウトが政治のプロに評価を下すシステム」だから、
リーダーは「政治のプロとしての気概と技能は保持しながら同時にシロウトの支持を獲得する高等な技が必要」なのに、
この4人の皇帝はシロウトに対してアピールすることが下手だったり、端から意欲が無かった。
また、「賢帝と悪帝の境目は、公人と私人のバランスをいかにうまくとるかにかかっていた」のに、
このバランスを崩した(特にティベリウスを除く3人)。

そしてこの本の中で一番印象深かったのは著者が、
「歴史に親しむ日々を送っていて痛感するのは、勝者と敗者を決めるのはその人自体の資質の優劣ではなく、
もっている資質をその人がいかに活用したかにかかってくるという一事である」と述べているところだ。
確かにこの4人を見ているとすごく説得力のあるものだと感じるし、自分自身も振り返る機会になった。

他にも『寛容について(De Clementia)』でセネカが述べた、
「同情とは、眼の前にある結果に対しての精神的対応であって、その結果を産んだ要因にまでは心が向かない(略)
寛容は、それを産んだ要因にまで心を向けての精神的対応であるところから、知性とも完璧に共存できる」なども目にとまった。
評価が分かれる人物たちを取り上げているだけに、印象深い記述が多いシリーズ第7段だった。

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2005 11/3
歴史、政治
まろまろヒット率3

追記:全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・

『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』

『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』

『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』

『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』

『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』

『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』

『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』

『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』

『ローマ人の物語24,25,26 賢帝の世紀』

『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』

『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』

『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』

『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』

『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』

ピーター・モントヤ&ティム・ヴァンディー、本田直之訳 『パーソナルブランディング―最強のビジネスツール「自分ブランド」を作り出す』 東洋経済新報社 2005

賃貸してるところが建てかえするので年内に引越することになった、らぶナベ@物件探索中です。

さて、『パーソナルブランディング―最強のビジネスツール「自分ブランド」を作り出す』
ピーター・モントヤ&ティム・ヴァンディー著、本田直之訳(東洋経済新報社)2005。

ここ最近、「パーソナルブランド」や「自分ブランド」という言葉を耳にすることが多い。
特にブランドという言葉を使わなくても、人材の流動化が進んでいることから来る必要性と、
情報発信の手軽さが進んでいることから来る許容性から、
個人の差別化や価値向上の動きはこれからも進んでいくと思う。

かく言う僕も「その分野で自分がブランド化できているかどうかが成功基準」や、
「自分メディアは自分ブランドだ」などと公言しているのでこういう話には興味を持っているけど
自分ブランド関係の本は内容が薄いものが多くてなかなか一冊読み切ることが少ない。
でも、さすがに一冊くらいは通読しておこうと思って比較的評価の高いこの本を通読してみた。

内容はパーソナルブランドが必要な理由と、パーソナルブランドに必要な要素がごく基本的にまとめられている。
同じことを何度も言っていたり、日米の文化の違いから「それは無いだろう」と思うこともあったけど、
自分とまわりとの違いをどう価値に変えていくかや、どう発信していくのかという視点で
自分のブランド化について考えるきっかけになると思う。

ちなみにこの本で紹介されているパーソナルパンフレットは共感を持った。
かつて僕の学部時代の4年間がモデルケースとして入試パンフレットに見開きで使われたことがあった。
見ず知らずの人でもそのパンフレットを読むと、僕の4年間を知ってくれてたので話が早かったことがあったからだ。
WEBサイト(maromaro.com)開設前の話だけど、こういう経験が思い出されて少し感慨深かった。

以下はチェックした箇所(要約含む)・・・

☆パーソナルブランドは3点を伝えることで成り立つ
1:あなたは誰なのか
2:あたなは何をしているのか
3:あなたが他人と違うところ(どんな価値を提供するのか)
<第1章 パーソナルブランドをなぜ作り上げるのか>

☆ブランディング戦略の展開のために決定する事項
1:ターゲットとなるマーケット
2:ブランディングチャネル
3:メッセージ
4:ツールおよびタイミング
<第15章 自分のブランディングとマーケティングの年間プランを書き上げる>

○ブランドを明確にすれば、ブランドはあなた自身を明確にする
<第1章 パーソナルブランドをなぜ作り上げるのか>

○ブランドの三つの力の源・・・
1:感情的なインパクト
2:一貫性
3:時間
<第3章 パーソナルブランディングの役割>

○パーソナルブランディングの黄金ルール=「汝自身が真実であれ」
<第5章 個人的な要素をパーソナルブランドに取り入れる>

○賢明なパーソナルブランダーが行う真のネットワーキング=
興味をそそるような情報を十分に提供し、自分は身を引いて彼らの側から自分のところに来させる
<第14章 ネットワーキング>

○ネットワーキングの秘訣
1:継続的なネットワーキング
2:機会をとらえることができるようなポジショニング
3:ただ知り合いになるだけでいい
4:人の話を聞く
5:ブランディング資料を持ち歩く
6:興味を示す
7:積極性を持つ
<第14章 ネットワーキング>

○ネットワークにレバレッジをかける方法
1:迅速なフォローアップ
2:連絡を取り続ける
3:自分の信頼を築くようなことはすべて知らせる
4:コミュニティを築き上げる
5:等身大であれ
<第14章 ネットワーキング>

○人は嘲るものである
→これは危険を冒す勇気のない人々の羨望から来ることが多いので暗愚な疑いで自分を落胆させてはならない
→彼らに言わせておけばいい→そのことによって彼らの顧客をつかむことが容易になる
<第17章 ミスを回避するために知っておくべきこと>

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2005 10/5
ブランド関連
まろまろヒット率3

毛沢東、藤田敬一・吉田富夫訳 『遊撃戦論』 中央公論新社 2001(原著1938、1942)

MovableType3.2の不具合のおかげでmaromaro.comはただ今コメント&トラックバック受け付けできなくなってる、
らぶナベ@更新もできないのでSixApartさんにはがんばってほしいです(T_T)

さて、『遊撃戦論』毛沢東著、藤田敬一・吉田富夫訳(中央公論新社)2001(原著1938、1942)

毛沢東の代表的な論文「抗日遊撃戦争の戦略問題」(1939)、「文芸講話」(1942)の二つを載せている一冊。
「抗日遊撃戦争の戦略問題」は遊激戦の基本原則をまとめたもので、後の世界各地のゲリラ戦の教科書にもなったもの。
一応読んだけど「文芸講話」の方はこのタイトルでは余計だと思った。

メインの「抗日遊撃戦争の戦略問題」で一番興味を持ったのが、毛沢東が主動権(主導権)については語っている部分だ・・・
「主動権というものは、いかなる天才といえども生まれつきもっているものではけしてなく、
ただ聡明な指導者が客観的状況をまじめに研究し、正確な判断をくだし、
軍事上、政治上の行動を正しく処理することによって、はじめて、生まれるものである」(第4章)、
「情勢判断に長じ機をみるに敏であるといったこういう聡明さは、虚心に研究し、観察や思索につとめる人だけが獲得できる」(4章)
・・・なるほどと思った。
確かに主導権争いは、相手との争いじゃなくて自分がいかに冷静に判断できるかの争いなんだろう。
怖れ、焦り、自信の無さ、コンプレックス、そういう自分の中にある状況判断を曇らせるものとの戦いが主導権争いの本質なんだと感じた。
立ち退きにあっていて交渉を続けている時だったのでこの考えはとても印象深かった。

ちなみに僕は毛沢東に対しては、複雑な印象を持っている。
毛沢東が評価している明の朱元璋と同じくグロテスクな面が目立って肌が合わないと思うときもある。
でも、延安時代に書かれたこの論文は、修飾語が少なくて言っていることがクリアだ。
常に劣勢な状況から、徐々に主導権を握っていった毛沢東の語る言葉には説得力があった。

以下はチェックした箇所(要約含む)・・・

○戦争の基本原則は、自己を保存し敵を消滅することである(第2章)

○遊激戦の方針(第3章)・・・
(1)主動的に、弾力的に、計画的に、防衛線のなかで侵攻戦を、持久戦のなかで速決戦を、内戦作戦のなかで外線作戦を実行すること
(2)正規戦争との呼応
(3)根拠地の建設
(4)戦略的防御と戦略的侵攻
(5)運動戦への発展
(6)正しい指揮関係

☆主動(主導)権というものは、いかなる天才といえでも生まれつきもっているものではけしてなく、
ただ聡明な指導者が客観的状況をまじめに研究し、正確な判断をくだし、軍事上、政治上の行動を正しく処理することによって、
はじめて、生まれるものである(第4章)

☆情勢判断に長じ機をみるに敏であるといったこういう聡明さは、虚心に研究し、観察や思索につとめる人だけが獲得できる(4章)

○受け身の立場にたたされたときは、その立場から脱出すること
→多くの場合は移動することが必要(移動がたやすいのは遊撃隊の特徴)(第4章)

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2005 10/5
戦略論
まろまろヒット率4

ジョン・ヒューズ・ウイルソン、 柿本学佳訳 『なぜ、正しく伝わらないのか―戦争にみる情報学研究』 ビジネス社 2004

らぶナベ@「セカチュー」のエンディングロールでちょっとウルウルきたのは、
決して長澤まさみのような彼女がいなかった自分の高校時代を思い出したからではありません(T_T)

さて、『なぜ、正しく伝わらないのか―戦争にみる情報学研究』ジョン・ヒューズ・ウイルソン著、 柿本学佳訳(ビジネス社)2004。

イギリスの情報機関に20年以上勤務して今は研究者になっている著者が書いた、情報戦の本。
原題は”MILITARY INTELLIGENCE BLUNDERS AND COVER-UPS”。

方向づけ→情報収集→情報照合→解釈→配布→再び方向付け
・・・という風に情報が循環する「インテリジェンス・サイクル」を基本にして、
これまでの戦史の中でどのようにして情報伝達の齟齬が起こったのかを紹介している。
事例はノルマンディー上陸作戦(1944)、独ソ開戦(1941)、真珠湾攻撃(1941)、シンガポール侵攻(1942)、
そして9.11同時多発テロ(2001)を取り上げている。

どういう風に情報の行き違いが起こったかという事例紹介の部分が多くて、法則性の解明は少なかった。
だから訳題は「なぜ、正しく伝わらないのか」ではなく「なぜ、正しく伝わらなかったのか」の方が正確かもしれない。

「意図と能力を分けて考えるということは、情報の過誤を調べていく上では欠かせない問題」(1章)という点や、
「かつての情報員たちは秘密の情報を収集してくるのに苦労したが、いまは大量の情報から探し出すのに苦労している」(終章)としている点は妙に納得。
ちょっと前までは偵察衛星からの機密情報だったものが、いまは“Google Map”でグリグリ見れる情報環境の変化はやっぱり大きなものなんだろう。

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2005 10/3
情報・メディア、歴史、戦略論
まろまろヒット率3

山下清美・川浦康至・川上善郎・三浦 麻子 『ウェブログの心理学』 NTT出版 2005

ネットは顔の見えないコミュニケーションだとする資料の中で、「上戸彩似だと聞いてたメル友に会ったら綾戸智絵に似てた」という事例を見つけた、
らぶナベ@響きが似てるだけにちょっと笑いました(^_^)

さて、『ウェブログの心理学』 山下清美・川浦康至・川上善郎・三浦 麻子著(NTT出版)2005。

「人はなぜウェブログを書くのだろう?」、「なぜウェブログを続けるのだろう?」という疑問に社会心理学からアプローチした一冊。
社会心理学としての調査、考察だけでなく、インターネットの普及と共に始まったウェブ日記の歴史もちゃんと書かれてある。

内容はこれまで言われてきたことをまとめたという感じだけど、その分なるほどと思える要約もあった。
たとえば「ウェブログの本質はそのブロガーのライフストーリーとしての時間的な縦軸と、情報をつなげる横軸との組み合わせ」(第4章)というものや、
「ウェブログの持つ信頼性の根源は”継続性”にある」だからウェブログに必要なのは「継続する名前とそれに伴う存在感」(第5章)というものはすごく納得した。

本文に加えて附録もウェブログのススメ、ウェブログを中心にしたインターネットの歴史、ウェブログに関する論文・記事リストまであって充実している。
分量的にも読みやすいし、ネットでの情報発信に関わってる人や興味がある人には、かなり良い本ではないだろうか。

以下はチェックした箇所(重要と感じた順)・・・

☆ウェブログというコンテンツのもつ社会心理学的な意味を考えるときまずもって注目すべきは、
個人のもつ情報という横糸と、個人のなかで経過する時間という縦軸(ライフストーリー)が組み合わさることによってもたらされる絶妙の相乗作用
→2ちゃんねるなどの掲示板とウェブログの決定的な違いは、ウェブログが独立した空間だということ
<第4章 ウェブログの現在と未来>

☆ウェブログのもつ情報の信頼性の根幹=継続性
→ウェブログに必要なのは継続する名前とそれに伴う存在感(継続性があれば仮名で十分)
<第5章 ウェブログ・個人・社会>

☆ウェブ日記の効用・・・
・自己に向かう効用=感情の表出、自己の明確化、社会的妥当性、
・関係に向かう効用=二者の発展、社会的コントロール、社会的妥当性
→日記そのものは自己表現で、それを契機としたコミュニケーションの可能性にかけるのがウェブ日記の本質
→コミュニケーション志向のより強いウェブログが登場しても不思議はない
<第3章 ウェブログの社会心理学>

☆ホームページをもつ動機=「情報の呈示動機」、「自己表現動機」、「コミュニケーション動機」(池田・柴内 2000)
→ホームページはコミュニケーション動機の強いユーザーにとっては使い勝手が悪いものだったが、
 ウェブログはトラックバック機能などで書き手同士のコミュニケーションを容易にした
<第1章 インターネット時代のコミュニケーション>

☆これまでの書物が持っていた書き手の著社性とは別に、インターネットでは読み手の著者性が生まれた
→インターネットは読み手主体のメディアという見方もできる
<第1章 インターネット時代のコミュニケーション>

○メディア・コミュニケーションの二つの方向性=コミュニケーション行為を隠す方向と明らかにする方向
<第1章 インターネット時代のコミュニケーション>

○携帯電話も電子メールも、コミュニケーションしている状況を社会関係のなかから切り離すことができるようになって、会話内容も同時に大きく変化した
<第1章 インターネット時代のコミュニケーション>

○日記を含め、自分自身の日常を記録する行為は、自己フォーカスを刺激し、自覚状態を高める効果がある
<第3章 ウェブログの社会心理学>

○トラックバックとリンクは情報をつなぐ点では共通だがその方向性は逆・・・
リンク:自分のウェブログの読み手に、情報源を伝える
トラックバック:情報源となってるウェブログの書き手と読み手に、自分が言及していることを伝える
<第5章 ウェブログ・個人・社会>

○ソーシャル・ネットワークは基本的に個人駆動型のつながりを強めるもの
→社会的強者=実名を出すことがメリットになり、すでに強固なネットワークを持つ人々が
さらにそれを拡大するためには利便性が高いが、そうでない人々にとってはメリットを感じにくいかもしれない
<第4章 ウェブログの現在と未来>

○ソーシャル・ネットワークはアクセス・コントロールの容易なウェブログに対する潜在的ニーズに応えたサービス
<第5章 ウェブログ・個人・社会>

○読者からのフィードバックはブロガーの心理的過程に大きな影響をおよぼしており、
それらを容易にコンテンツに組み込むことを可能にしたウェブログの仕様は、
ブロガーたちに読者の目を明確に意識さえ、書き続けようとする意思を力強くサポートする
<第4章 ウェブログの現在と未来>

○WBC(Web-Based Communication)=発信主体、ABC(Article-Based Communication)=メッセージ主体
<第1章 インターネット時代のコミュニケーション>

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2005 9/29
情報・メディア、HP・ブログ本、社会心理学
まろまろヒット率4

アンヌ・モレリ、永田千奈訳 『戦争プロパガンダ 10の法則』 草思社 2002

北斗の拳占いでは「雲のジュウザ」になった、らぶナベ@「我が拳は我流、我流は無型、無型ゆえに誰にも読めぬ」です。
(再放送で学習したので台詞ちゃんと覚えてます(^_^)v)

さて、『戦争プロパガンダ 10の法則』アンヌ・モレリ著、永田千奈訳(草思社)2002。

第一次世界大戦の経験を基にしてアーサー・ポンソンビーが『戦時の嘘』で明らかにした、
戦時プロパガンダ10の法則というものがある・・・

1:われわれは戦争をしたくはない
2:しかし敵側が一方的に戦争を望んだ
3:敵の指導者は悪魔のような人間だ
4:われわれは領土や覇権のためではなく、偉大な使命のために戦う
5:われわれも誤って犠牲を出すことがある。だが敵はわざと残虐行為におよんでいる
6:敵は卑劣な兵器や戦略を用いている
7:われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大
8:芸術家や知識人も正義の戦いを支持している
9:われわれの大義は神聖なものである
10:この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である

この本は、歴史学者の著者が一つの法則につき一章を使って、
第一次世界大戦からコソボ紛争、アフガン戦争などの最近の事例までを当てはめ、
この10の法則が現代にも通じるものだと主張している。

法則として書き出してみるとバカみたいに単純な言い訳になるだけに、
なぜいつもこの法則(というより口上)にだまされるのか、
それについて突っ込んだ考察がなされてなかったのが残念に思った。

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2005 9/28
プロパガンダ、情報・メディア、歴史、政治
まろまろヒット率2