さて、『ダメ情報の見分けかた―メディアと幸福につきあうために』荻上チキ・飯田泰之・鈴木謙介著(日本放送出版協会)2010。
三人の論者によるメディア・リテラシー本。
第1章はメディア論者によるメディア・リテラシーの概要、
第2章は経済学者による関わる必要のない無意味な情報を見分ける方法、
第3章は社会学者によるメディア・リテラシーの政治的・思想的な背景、
・・・という三つの視点から構成される。
三つの視点を取り入れているだけあって、具体例と一般化のバランスが良くて読みやすい内容になっている。
また、メディア・リテラシーは一般的に「自分だけは騙されない」という
自衛的、受信的な意味で使われることが多いけれど、
この本では発信の重要性(=是正へのコミットメント)を強調して、
メディア・リテラシーの積極面に注目した内容になっているのは、
タイトルの軽さに反した深みがある。
以下は、チェックした個所(一部要約含む)・・・
○メディアで得られるあらゆる情報は、すべて誰かによって「作られたもの」です。
常に第三者の手で編集・加工され、言語化・文脈付け・意味付けされたものであって、
真実そのものではありません。
<第1章 「騙されないぞ」から「騙させないぞ」へ>
☆(流言やデモを)チェックする際に注意しなくてはならないのは、私たちがしばしば、
「有名人が言っているかどうか(有名性)」、
「親密な人が言っているかどうか(親密性)」、
「多数の人が言っているかどうか(複数性)」、
「権威あるメディアが言っているかどうか(権威性)」、
に頼ってしまうことです。
流言をチェックするのに必要なのは、客観的な確からしさ、情報の根拠付けであって、
「他人の主観」がいくら集まっても意味がありません。
むしろ、有名性や親密性を頼りにして、検証を行わないことが、
流言やデマを鵜呑みにしてしまう土壌にさえなってしまいます。
<第1章 「騙されないぞ」から「騙させないぞ」へ>
☆メディア・リテラシーの各段階・・・
・取得←外在的チェック
・判断←内在的チェック
・発信←是正へのコミット
・・・中では、流言を是正する情報発信能力が重要性
<第1章 「騙されないぞ」から「騙させないぞ」へ>
○(情報リテラシーが騙されなさ、無傷さを競い合うレースのようになることに対して)
もしその人が本当に「情報強者」であるなら、ただ傍観しながら「弱者」を笑い飛ばすのではなく、
弱者に寛容な環境を作るという「持つ者の責務」を果たしていくほうが有意義でしょう。
<第1章 「騙されないぞ」から「騙させないぞ」へ>
○受動態表現は、えてして、能動態に変換したときの主語を明確にしないための方便として用いられます。
<第2章 情報を捨てる技術>
☆情報をスクリーニングするために三つの言説を避ける
・無内容な話を見抜く
→いつでも、どこでも、何にでも当てはめることが出来る話には意味が無い
・定義が明確でない話を見抜く
→定義が不明確な用語から出発した議論は容易に検証不可能な命題になる
・データで簡単に否定される話を捨てる
→単純なデータ観察で否定出来るならばダメだと切り捨てることができる
<第2章 情報を捨てる技術>
☆「情報を見分けるスキルを持った自分だけは騙されないぞ」という態度ではなく、
様々に偏った情報の中から、自分の立場や見方を定め、発信していく力というものが、
現代におけるメディア・リテラシーの定義ということになるでしょう。
<第3章 メディア・リテラシーの政治的意味>
2011 11/29
情報・メディア、情報リテラシー
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