鷲田小彌太 『Eureka! 哲学がわかった!』 日本実業出版社 2001

これが2001年最後に読み終えた本になる、
らぶナベ@今年最初に読んだ本がデカルトの『方法序説』だったので
21世紀最初の年は哲学書に始まり哲学書に終わった年になった。
総数は18冊、予備校の課題や院の研究でほとんど通読はできなかった(^^;

さて本題・・・
『Eureka! 哲学がわかった!』鷲田小彌太著(日本実業出版社)2001年初版。
哲学史の流れや主な議論を一通り知りたかったので購入した一冊。
これ系の本はいろいろあって書店で迷ったが、
脳死や情報化といういま現在のテーマに積極的に取り組んでいる
著者が書いた本だという点と索引が充実している点でこの本を選んだ。

哲学や論理(思考法)を誇る人間は自分が一番正しいと思う癖があるからか、
自分の思考の射程を自覚しない幼稚さや見苦しさを感じることがある。
中学の時に一人はいた嫌な教師を見るようで
「こんな風にはなりたくないな」と思ったりすることも多々あるが
この著者はその点をかなり自省していて彼の視点の説得力と好感を感じる。
(本当の思考&論理とはこうではなくてはと思う)

著者は自分の処女作が世に受け入れられなかったことについて
他人のバカさ加減を嘆くでもなく萎縮するでもなく、
「考えは間違ってなくても表現が悪かった」と素直に捉えて
ベストセラーライターになり結果として処女作が哲学の古典となった
ヒュームにかなり好感を持っているようだがその姿勢が伝わってくる。

そのためか現代的なテーマである情報化やネットについては・・・
・考える前の作業(哲学以前)をコンピュータがやってくれるのが情報化社会
 →広く、深く考えられる時代が万人に開かれている

・ネットなどの情報化社会は言葉が飛翔可能な世界
 (言葉だけで解決ができる社会)
 →言葉の生産者になって=哲学者になって
 この社会を真正面からいききと生き抜いてみようではないか
・・・と積極的に捉えようとしている。
この点は今年の夏にHPを立ち上げて僕自身が実感していたことでもあったので
この実感に言葉を与えてくれたのには嬉しかった。
これだけで僕にとっては評価★★★★(^^)

そして哲学の定義については・・・
・哲学とは考えることを考えること(thinking of thinking)

・諸科学はその分野に特有の見方(パラダイム)を持っていて
 科学者たちはそのパラダイムを当然の前提にする
 ←哲学はそのパラダイムのあり方それ自体考察対象にする

・哲学者は言葉のアーティスト、哲学は思考の技術

・哲学(philosophy)の語源はピタゴラスが
 「私はsophos(知ある者)でなくphilosophos(知を愛する者)だ」
 と答えた伝説にある←西周も当初は「希哲学」と翻訳していた

・哲学の最高で根本的課題とは真の存在は何かを問うこと
 +それをどのように知ることができるかを明らかにすること

・哲学することはどんな困難な問題を考えるときも
 考える快楽を持ち続けることである
・・・という風な表現を使って端々で触れている。

また、コラムで『薔薇の名前』(ウンベルト・エーコ)の話があったのにも
興味を引かれたが特に本文で紹介した哲学者たちそれぞれの死に様を
巻末付録として掲載していたのは”哲学者”だけに興味深かった。
なかなかツボを押さえた一冊と言える(^^)

以下はその他にチェックした箇所・・・
・どんな鋭利なものも一部の人間の間でしか通用しなければ意味がない
 →哲学は流行を嫌うが流行した哲学が生き残った

・驚きは哲学の始まりと言ったのはソクラテス

・近代西洋は血縁的には無縁に近いギリシア文化を
 自分たちの先祖として自分のものにした
 (エジプト・メソポタミアが当時イスラム圏だっため)

・近代哲学が合理主義と言われるのは人間の理性を正しく発揮できれば
 真理の認識に到達できるという姿勢から→合理主義≒人間主義

・ヒュームは苦労して出版した処女作『人間本性論』が全く売れなかった
 →普通は世のバカさを呪ったりするが自分の考えは間違っていなくても
 その表現が悪かったと考えて広く読まれるような形に書き直して出した
 →ベストセラーになりその結果処女作が哲学の古典とされるようになった

・共に「無意識」に注目しそれを「コントロール」しようとする姿勢を持った
 マルクスとフロイトの共通点を挙げて・・・
 マルクス主義が猛威を振るった時代が「戦争と革命」の時代
 →フロイトの精神分析が猛威を振るう時代が
 「神経症と心のケアの時代」と言われるのは何とも皮肉

・レヴィ・ストロースによれば科学には二種類がある
 =野生の思考(神話的思考)といわゆる科学
 →さらに加えるならコンピュータは科学の産物だが
 その思考法は任意の組み合わせと並べ替えという神話的思考の典型

・歴史は事実の集積ではなく書かれたもの
 →自分を考えるとは自分の物語りを持つこと

この本をamazonで見ちゃう

2001 12/24
哲学
まろまろヒット率4

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