講談社大阪取材チームのコーディネイターをつとめる

講談社学術出版部発行の『アースダイバー』編集班からの依頼を受けて、
日本一の和太鼓作りの町・大阪の浪速町(旧渡邊村)を中心としたプレ取材のコーディネイターをつとめる。

取材チームは中沢新一多摩美術大学芸術人類学研究所所長、矢田部和彦パリ第7大学助教授、
講談社の編集者二人、アシスタント一人、そして僕の合計6名という、プレ取材の割には大所帯になった。
(それだけ関心が高いということなんだろう)

実は編集班は、以前から大阪のディープ・エリアについてはかなり調べていたらしい。
確かに駅前や幹線道路沿いを見ればわかるように、いま日本では地方ほど画一化が進んでいて独自の文化は失われつつある。
そんな中で独自の文化が残っているものは、独自の理由がある場合が多い。
今回取材した和太鼓に代表される皮製品や、あぶらかすやさいぼしのような食文化はまさにその一つと言えるだろう。

そんなこんなで大阪の独自文化に注目した編集班だけど、さすがに緊張感のある取材先だとして敷居の高さを感じていたらしい。
そんな折りに、まったくの偶然で僕の再合併した家族(歴史編纂委員会事務局長かつ某団体幹部)の本を編集班が読んでいたこと、
僕の十年来の友人(まろみあん)が編集班にいたことなどの巡り合わせが重なって僕に白羽の矢が立った。
(めぐりめぐって人ってツナガルものですな)
確かに僕ならそれぞれの側の言葉を翻訳できるし、その場に僕が入っていれば摩擦も少ないので、
文化人類学でいうラ・ポールに当たるんだろうと思い引き受けた。

何度か講談社での打ち合わせをした後に(もちろん社食で(^_-))、前日から大阪入りして先行調査
取材当日は現地のお好み焼き屋さんで昼食がてら最終打ち合わせをしてから、解説を受けに行く。
ある程度予想していたこととはいえ、解説には再合併した父親が出てきて大阪の地形の変遷や地域の歴史の説明をおこなってくれた。
(さすがに再合併した家族と一緒の仕事になるなんて、今までやった仕事の中で一番恥ずかしかったものの一つだ(^^;)
解説を受けてからは大阪市立人権博物館を見学、後半は太鼓作りを見学&ヒアリングした。
その後は車で解説を受けた地形の変遷を一通り確認してから、現地の食堂でかすうどんやさいぼしなどのごはんを食べる。
夜も土地勘があるディープ・ゾーンを案内、お茶をしながらフィードバックをして、ようやくホテルに泊まる。

次の日は富田林や千早赤阪村まで車を走らせた取材に同行。
この日は基本的にコーディネイターのお仕事がほぼ終わっているのでかなり気楽なものだった(^^)

ちなみに僕のバックボーンのことが話題になる際には、「人格形成にバックボーンは影響しているのか?」と聞かれることが多い。
闘志だった親とは違って、僕にとっては日本出身とか大阪出身とかいう話と同じような比重のもので、自分ではよくわからない。
たとえば、ガンバるか、それともダメになるか、の二つに一つしかないユダヤ人の気持ちが何となく分かるというくらいだろうか。
今回のコーディネイターの仕事をしてもう一度振り返ってみると・・・

1:アンチ巨人
 →勝ち組嫌いではなくそれに追随する人たちとは合わない

2:格差は生まれてもいいけど、それが固定化するのは疑問
 →だから世襲に対する評価が低い

3:二流のA級より一流のB級好き
 →えせセレブとは肌が合わない

・・・という部分はバックボーンがいくらかは影響しているのかもしれない。
あとは、恐い人たちにスゴまれても、刑法222条を持ち出すまでもなく、
「アウトローにはアウトローのルールがある」と返せることくらいだろうか(笑)。
そんな僕はご先祖様がアウトロー(^_-)

2006 9/7~9
出来事メモ

追記:6年後にこの企画が『大阪アースダイバー』として単行本化する。

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