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さて、『日本の歴史をよみなおす (全)』網野善彦著(筑摩書房)2005。
「日本は自給自足の農耕社会ではなく、交易を前提とした多様な社会だった」、
「百姓と呼ばれた人々には非農業民も多数含まれていた」という研究によって、
日本は均質的な農耕民族だったという常識に疑問を呈した歴史学者による解説書。
もともとは口述筆記を基本にした『日本の歴史をよみなおす』と『続・日本の歴史をよみなおす』を合わせたものなので、
代表作の『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和』より読みやすくなっているけれど、
内容はより幅広く日本社会全体の変遷をとらえたものになっている。
特に、『続・日本の歴史をよみなおす』の部分に当たる後半は、かつての日本社会がネットワーク化され、ダイナミックな生活基盤を持っていたことを証拠を示して解説しているので興味深い。
読みやすい中にも、これまでの常識を再考させられるほどの迫力を持った一冊。
ちなみに、著者の甥に当たる中沢新一さんとは講談社大阪取材のコーディネータとしてご一緒したことがある。
僕も著者が研究テーマとした家系なので、ある種の親近感を持って読むことのできた本でもある。
以下、チェックした個所(一部要約含む)・・・
○(市場では)日常の世界、俗界から、モノも人も縁が切れるという状態ができて、はじめて商品の交換が可能だった
<貨幣と商業・金融>
○14世紀の社会の大きなt年間のなかで、かつてマジカルな古い神仏の権威に支えられていた商業、
交易あるいは金融の性格が変化してきたわけで、鎌倉仏教は、かつての神仏と異なり、
新しい考え方によって商業、金融などに聖なる意味を付加する方向で動きはじめていた
→贈与互酬を基本とする社会の中で、神仏との特異なつながりをもった場、あるいは手段によって行われていた商品交換や金融が、
一神教的な宗派の祖師とのかかわりで、行われるようになってきたと考えられる
<貨幣と商業・金融>
○非人たちのなかの少なくとも主だった人びとは、商工業者や芸能民、(略)一般の職能民と同様、
神人・寄人という地位を、明確に社会のなかであたえられている
→なぜ非人が神人・寄人になったかについては、ケガレがこの時代の社会ではまだ、畏怖感をもってとらえられていたこと、
非人たちはそれをキヨメることのできる特異な力を持っていたとみられていたことと、深い関係がある
→それゆえ非人は神人・寄人、神仏の直属民という社会的な位置づけをあたえられていた
→非人や河原者を社会外の社会、身分外の身分ととらえることはできない
<畏怖と賤視>
○まだ未開の要素を残し、女性の社会的地位も決して低くない社会に、文明的、家父長的な制度が接合したことによって生じた、
ある意味では稀有な条件が、このような女流文学の輩出という、おそらく世界でもまれに見る現象を生み出す結果になった
<女性をめぐって>
○現代は権力の性格というより、むしろ権威のあり方を否応なしに変化させるような転換期にはいりこんでいるように思える
<天皇と「日本」の国号>
○百姓は決して農民と同義ではなく、たくさんの非農業民ー農業以外の生業に主としてたずさわる人びとをふくんでおり、
そのことを考慮に入れてみると、これまでの常識とはまったく違った社会の実態が浮かび上がってくる
→頭振(水呑)の中には、土地と持てない人ではなくて、土地を持つ必要がのない人がたくさんいた
<日本の社会は農業社会か>
○日本列島の社会は当初は交易を行うことによってはじめて成り立ちうる社会だった、
厳密に考えれば「自給自足」の社会など、最初から考えがたいといってよい
<海からみた日本列島>
○海にとりかこまれた島だから孤立しているのではなく、逆に、島は海を通じて広く四方と結びついており、
田畠が少ないから島は貧しいのではなく、それ以外の生業と交易で豊かになっていることも多い
<荘園・公領の世界>
○「明治維新」を推進した薩摩、長州、土佐、肥前の諸藩は、辺境のおくれた大名などではなくて、
みな海を通じて貿易をやっていた藩
→江戸時代末までに日本社会に蓄積されてきた商工業・金融業などの力量、資本主義的な社会の成長度は決して過小評価できない
<続・日本の歴史をよみなおす>
2011 3/1
日本史
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