朝オフ会の主催などで朝型として知られているとのことでごはん日記に朝食カテゴリをつくった、まろまろ@ビバ早起きです(^_^)v
さて、『無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和』網野善彦著(平凡社)1996(増補)。
これまで注目されてこなかった、職人、商人、漁民、芸能民、アウトローなどの非農業民たちを研究して、
「日本は農耕民族」という日本史の定説に一石を投じた歴史家・網野善彦の代表作。
この本の内容は権力のおよばない空間=無縁・公界・楽を掘り起こしていくことによって、
歴史上に存在した自由空間と、そこに生きる人々の果たした役割に注目している。
たとえば無縁・公界・楽の特徴は「1:不入権、2:地子・諸役免除、3:自由通行権の保証、4:平和領域、
5:私的隷属からの解放、6:賃借関係の消滅、7:連座制の否定、8:老若の組織」にある。
<十一 無縁・公界・楽>
特に興味を持ったのは無縁・公界・楽に生きた人々が文化・精神活動を担ってきたという点だ
たとえば中世だけでなく近世の江戸時代になっても・・・
「文学・芸能・美術・宗教等々、人の魂をゆるがす文化は、みな、この無縁の場に生まれ、無縁の人々によって担われた」
としている点は、全史を通してみてもそうなのかもしれないと感じた。
<二十三 人類と「無縁」の原理>
また、日本の主要な宗教家が鎌倉末期に集中している理由についても、無縁・公界・楽への圧力が強まった時期と重なっている点に注目して・・・
「自由なるが故に公民が負わなくてはならなかった重圧と桎梏の故に、
彼らが否応なしに富豪の輩と貧窮の輩とに分解していく過程ー自由民の分解過程」がその背景にあることを指摘している。
そして数々の鎌倉仏教が生まれたのは・・・
「矛盾の進行の過程で、屈従・抑圧下におかれた人々の間におこってくる原始の自由への復帰の希求」と、
「それに応え、仏陀の本来の精神にかえれと説く思想家」との相互作用によるもだとしている点には強く惹かれた。
<二十一 「自由」な平民>
確かに格差と矛盾の拡大は先鋭的な思想や文化の背景となるのだろう。
21世紀初頭の現在を振り返ってみれば、生活上の格差の拡大とWeb(ネット)という情報世界の拡大は、
新しい無縁・公界・楽に生きる人々が文化・精神活動を担っていく土壌になるかもしれない。
(その場合はこの本の農耕民がサラリーマンに置き換わるのだろう)
ちなみにこの本は美少女アニメ論で知られる吉田正高さんから「まろちゃん読みなよ」と薦められた本でもあるけど、著者とは不思議なご縁がある。
僕は著者が研究対象の一つとしたアウトローの家系だし、著者の甥である中沢新一さんと一緒に仕事をしたことがある。
そんな縁があるので今回、読む機会があったのはちょっと嬉しかったりする。
2007 10/19
歴史、日本史
まろまろヒット率4