司馬遼太郎 『本郷界隈―街道をゆく37』 朝日新聞出版 1996

ナニゲに散歩が好きな、らぶナベ@人生自体がぶらり途中下車気味です。

さて、『本郷界隈~街道をゆく37~』司馬遼太郎著(朝日文庫)1996年初版。

歴史散歩エッセイ「街道をゆく」シリーズの東京都文京区本郷周辺の巻。
本郷周辺の所縁の地を著者が歩いてその由来や歴史を語っている。

僕は去年から小石川三丁目に住んで本郷三丁目に通っているので(まさに本郷界隈)、
著者が歩いて所縁を語る場所は肌感覚で馴染みがあるところばかりだった。
普段何気なく通り過ぎているところが舞台のエピソードを知るというだけでも楽しめた。

本郷界隈は坂と路地が多くて20年来の不動産屋さんでも道を間違えるほど入り組んでいる。
(部屋選びの時の内観で実際に見かけた)
そんな路地裏の気づかないような場所に夏目漱石、森鴎外、坪内逍遙、樋口一葉、
正岡子規などの明治の文豪の所縁があったりするのがおもしろい。
前から本郷界隈は「明治の匂いが残る下町」っという感じがしていたが、
この本を読めば本郷界隈のいま見ている風景とかつての風景が重ね合わせられて
立体的にその土地に立っているような気持ちになれる。

実はこの本も調べもので立ち寄った本郷の真砂図書館で見つけて借りたものだが、
その真砂も正岡子規や坪内逍遙の所縁としてこの本に出てきたりする。
そんな文脈を重ね合わせられる所縁本が僕はナニゲに好きだ。

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2004 10/3
歴史、エッセイ
まろまろヒット率4

アルバート=ラズロ・バラバシ、青木薫訳 『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』 NHK出版 2002

発売中の『月刊アサヒ芸能エンタメ!』11月号に僕のインタビューが掲載されている、
らぶナベ@書店のHコーナーに置いてる本に載ったのはさすがに初めてです(^^;

さて、『新ネットワーク思考~世界のしくみを読み解く~』
アルバート=ラズロ・バラバシ著、青木薫訳(NHK出版)2002年初版。

人脈、宗教の布教、細胞の構造、性感染症の広がり、テロリストの成功、WEB、
所得格差、新製品の普及など、あらゆる”つながっているもの”に共通する
ネットワークの基本的性質と働きを解説した本。

以前から耳にしていた本なので何気なく手に取ってみたものの、
読始めててすぐ「これは精読しないと!」と思い立ち、
計算したり考えたりしながら三ヶ月ほどかけて読むことになった。
本旨のランダム・ネットワーク理論からスケールフリー・ネットワーク理論への
展開はすごく興味深いものだったし感覚的にも納得できるものだった。
(ノードとリンクの関係、ベキ法則、ハブの重要性と弱点などもすごく納得)
さらにネットワークの性質と働きを象徴的に表わしている個々のエピソードだけでも面白い。

もちろんまだまだ研究がはじまった分野なので突っ込みどころはあるるけれど、
“つながっていること”の意味をこれほどまで考えさせられる本は他に無いと思う。
つながるということ、ネットワークというものに少しでも興味を感じる人には必読書だと思う。
(ただ、邦題より原題の”LINKED:The New Science of Networks”のままの方がよかった気が)

思えばこの本が出た時(2002年)と比べても現在はblogとSNSの隆盛やユビキタスなど、
つながる意味を考える機会や必要性はさらに加速している。
改訂や次作を首を心待ちにしたい。
また、この著者もハンガリーの人、やっぱりハンガリーっすごい。

ちなみにこの本のまとめ部分にあたる最終章は「クモのいないクモの巣」というお題になっている。
前に読んだ進化本『盲目の時計職人』(リチャード・ドーキンス)と通じるものがあって面白かった。
これを読んでいる貴方と僕も常に進化し続けるクモの巣としてつながっているんだ(^_^)

以下はチェックした箇所(要約含む)・・・

○マフィアボーイ(ハッカー)とパウロ(宗教家)が成功できたのは
共にその行動の効率的媒体である”複雑なネットワーク”が存在したから
→そのネットワークの構造とトポロジーのため
<第一章 序>

☆ノードあたりの平均リンク数が1という閾値を超えると
巨大クラスターに含まれないノードの個数は指数関数的に減少する
→クラスターの出現は数学では「巨大コンポーネント」、物理学では「パーコレーション」、
社会学では「コミュニティ」と分野ごとに言葉は違っても
ノードをランダムに選んでリンクしていくとある時点で特別なことが起こることでは共通
<第二章 ランダムな宇宙>

○ネットワーク内の距離が短くなる理由はその数式に現れる対数のため
→対数は巨大なネットワークを収縮させ、”小さな世界”にしている
<第三章 六次の隔たり>

☆ネットワークに関する限り、サイズは必ずしも重要ではない
→真に中心的な位置につけているのは多数の大きなクラスターに参加しているノード
<第五章 ハブとコネクター>

○現実のネットワークのほとんどはわずかなリンクしかもたない大多数のノードと、
膨大なリンクをもつ一握りのハブが共存しているという特徴を持つ
→これを数式で表わしたのが「ベキ法則」
<第六章 80対20の法則>

☆自然はベキ法則を嫌うが系が相転移をしなければならない事態に追い込まれると、
状況は一変してベキ法則が現れる
→ベキ法則はカオスが去って秩序が到来することを告げる明らかな徴候
<第六章 80対20の法則>

○ネットワークの進化は、優先的選択というデリケートだが情け容赦ない法則に支配されている
<第七章 金持ちはもっと金持ちに>

☆スケールフリー・ネットワークにハブとベキ法則が現れるのは”成長”と”優先的選択”のため
<第七章 金持ちはもっと金持ちに>

○スケールフリー・ネットワークはネットワークを時間と共に変化するダイナミックな系とみなす
<第七章 金持ちはもっと金持ちに>

☆ネットワークはランダムな状態から秩序ある状態に変化しつつあるわけではないし、
カオスの縁にあるわけでもない
→ベキ法則すなわちスケールフリー・トポロジーが意味しているのは、
ネットワーク形成の各段階で何らかの組織原理が働いているということ
<第七章 金持ちはもっと金持ちに>

○スケールフリー・ネットワークの重要要素ハブは統計的にはまれな存在だが、
多数のリンクを持ち社会的ネットワークをひとつにまとめる役割を果たしている
<第十章 ウイルスと流行>

○どんな拡散理論にも”臨界値”が必要
→拡散速度<臨界値=普及せず、拡散速度>臨界値=普及
<第十章 ウイルスと流行>

○ネットワークには1点集中型、多中心型、分散型の三つのタイプがあり、
1点集中型と多中心型はいずれも攻撃に弱い(ポール・バラン)
<第十一章 目覚めつつあるインターネット>

○インターネットの背後にあるネットワークは、分散性が高く、集中度が低く、
各部分が局所的に保護されているため、要になるマップを作るという
ごく自然な作業さえ事実上不可能になっている
→インターネットをモデル化しようとすると、成長、優先的選択、距離依存性、
フラクタル構造まで考えに入れなくてはいけない
(インターネットの研究者は設計者から探検家へと変貌しつつある)
<第十一章 目覚めつつあるインターネット>

○コミュニティの定義が難しいのはその境界がはっきりしないことが原因のひとつ
<第十二章 断片化するウェブ>

☆ウェブのアーキテクチャー=「コード」&「人間の集団的行為」の階層から成る
・コードは規制が可能だが、人間の集団的行為は中心となるデザインがないから
個別ユーザーや組織では規制不可能→ウェブは自己組織化する世界
<第十二章 断片化するウェブ>

☆Hotmailの成功要因
1:各人の閾値をゼロにした(拡散速度の増加)
2:登録手続きの簡略化(時間投資の低下)
3:ユーザーが電子メールを送るたびにHotmailの宣伝がなされる(自己拡大)
<第十四章 ネットワーク経済>

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2004 9/29
ネットワーク理論、数学、物理学、科学本、情報、組織論
まろまろヒット率5

塩野七生 『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』 新潮社 上中下巻 2004

アクティヴな引きこもりにしてはめずらしく第1期生になった、らぶナベです。

さて、『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』上中下巻
塩野七生著(新潮文庫)2004年初版。

待ちに待ったカエサル編がスタートした『ローマ人の物語』シリーズ文庫化第4段。
古代ローマ史上もっとも有名な人物の1人で、後の時代に与えた影響は高く
皇帝の代名詞にまでなったユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が
ローマ掌握に乗り出したルビコン川渡河までをえがいている。

これまでカエサルにまつわるエピソードや名言は断片的にしか知らなかったので、
この本を読んではじめて彼の通した伝記を知ることになった。
だから早熟な割に30代後半になってからようやく芽が出始めた遅咲き
というのはかなり意外だったし(活躍期は40代に入ってから)、
器用に見えて不器用なカエサルにナニゲに親しみを感じてしまった。

構成的にはようやく活躍期に入った40代のガリア戦役(8年間)が半分以上を占めている。
カエサル自身が「ガリア戦記」を書いていたり発掘調査も進んでいるので
戦略・戦術面の記述や論考などの戦史的側面がとても面白かった。
また、常に法を遵守する姿勢を貫いたのに、教条主義的な法に縛られなかったという
(元老院最終勧告を無視)、彼の生き方からにじみ出る魅力に僕も惹かれた。

そんな風に面白かったけれど、これまでのシリーズに比べると
修飾語や接尾語も含めて文章の読みにくさを感じてしまった。
カエサルに対する愛情がこうさせてしまったのか?

ちなみにこの『ルビコン以前』はタイトル通りルビコン川を渡る
「賽は投げられた(jacta alea est)」で終わる。
僕は最近までこの賽(さい)のことをサイコロではなく動物のサイだと思っていた。
ハンニバルは象部隊を率いていたし、サイを投げるくらい大変な思いをして
決断するのだという風に解釈していた・・・人の勘違いとは怖いものである(^^;

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2004 9/22
歴史、戦略論、政治
まろまろヒット率4

追記:全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・

『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』

『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』

『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』

『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』

『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』

『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』

『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』

『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』

『ローマ人の物語24,25,26 賢帝の世紀』

『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』

『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』

『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』

『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』

『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』

木下是雄 『理科系の作文技術』 中央公論新社 1981

らぶナベ@まろまろ名刺ver.2が完成しました。
(何かの機会でオフラインでお会いした方にはお渡しますね)

さて、『理科系の作文技術』木下是雄著(中公新書)1981年初版。

佐倉統助教授から必読書として紹介された理科系の作文指南書。
20年以上にわたって読み続けられている理科系の定番本で、
研究室のだいぶ上の先輩も学部の頃に必読書として読んだらしい。
前に法学系や人文系、社会科学系の作文本はいくつか読んでいたが、
理科系の作文本は初めてだったので楽しみに読始めた本。

読んでみると他の分野の本に比べても「はっきりと言い切る姿勢」や
「事実と意見の明確な区別」について繰り返し強調しているのが印象深かった。
この二つは勇気のいることだし題材によっては難しいこともある。
(僕が興味がある領域は特にそういう側面が大きい)
でも、だからこそできるかぎり事実と意見を分けて、
はっきりと言い切ることを意識して書く必要があるんだろう。
そのことが述べられているこの本の6~8章はそういう意味でも重要。

ちなみに後半は講演のコツ(11章)などもあって読み物としても面白い。
歯切れ良く聞こえるために「語尾をはっきり言う」ということも書かれていたが、
僕は会話でもカラオケでも語尾で音量が少なくなる傾向があるので、
気をつけたいとあらためて思った。

そんなこんなで理科系に限らず何かを書く人には一読の価値のある本。

以下はチェックした箇所(要約含む)・・・

○理科系の仕事の文書の特徴=内容は事実と意見に限られる
→心情的要素は含まない

☆理科系の文書を書くときの心得
=内容の精選、事実と意見の区別、記述の順序、明快・簡潔な文章
→「やわらかさ」を配慮するために「あいまいさ」が導入されることを嫌う
<1. 序章>

○その研究の価値と成功の可能性とに対する判断の資料を提供するのが申請書の役割
→書こうとする文書に与えられた特定の課題を十分に認識してかかる必要がある
<2. 準備作業(立案)>

☆自分で主題をえらべる場合にはできる限り自分自身が直接当たった生の情報と、
それについての自分自身の考えに重点を置くべき
→これらはたとえ不備や未熟であったとしてもオリジナリティーという無比の強みがある
(紙で得た知識はいかに巧みにまとめてみたところで所詮は二番煎じ)
<2. 準備作業(立案)>

☆序論の役割
(a)読者が本論を読むべきか否かを敏速・的確に判断するための材料を示す
(b)本論にかかる前に必要な予備知識を読者に提供する
<3. 文章の組立て>

☆論文は読者に向けて書くべきもので著者の思いをみたすために書くものではない
→特に序論では著者が迷い歩いた跡などは露いささかも表に出すべきではない
<5. 文の構造と文章の流れ>

☆不自然に思えても、できる限り明確で断定的な言い方をすべき
(見解に保留条件がある場合にはそれを明瞭に述べるべき)
→仕事の文書で何事かを書くのは”state”すること
<6. はっきり言い切る姿勢>

○理論と法則の違い
・理論(theory)=証明になりそうな事実が相当あるが、
 まだ万人にそれを容認させる域には達してない仮説
・法則(law)=すべての人が容認せざるを得ないほど十分な根拠のあるもの
<7. 事実と意見>

○事実の記述は真偽の二価(two-valued)、意見の記述は多価(multi-valued)
<7. 事実と意見>

☆事実記述の際の注意点
(a)その文書の中で書く必要性を十分に吟味せよ
(b)ぼかした表現に逃げずにできるだけ明確に書け
(c)名詞+動詞で書き、主観に依存する修飾語を混同させるな
→一般的<特定的、漠然<明確、抽象的<具体的なほど価値が高い
<7. 事実と意見>

☆事実と意見の書き分けのコツ
(a)事実と意見どちらを書いているのかを常に意識して、
 書いた後で逆にとられる心配はないかと読み返す
(b)事実の記述に意見を混入させないようにする
→意見の根拠になっている事実だけを具体的かつ正確に記述し、
 後は読者自身の考察にまかせるのがいちばん強い主張法
<7. 事実と意見>

☆書くべきことが頭にびっしり詰まっている状態から
書き出す際の流れのコントロール方法・・・
(a)書きたいことを一つ一つ短い文にまとめる
(b)それらを論理的にきちっとつなぐ(つなぎ言葉に注意)
(c)「その文の中では何が主語か」をはっきり意識して書く
<8. わかりやすく簡潔な表現>

☆歯切れがいいと言われる講演のコツ
(a)事実または論理をきちっと積み上げて話の筋道が明瞭
(b)無用のぼかし言葉がない
(c)発音が明瞭(特に語尾)
→注意を惹きたい場合は大きな声ではなく
 ちょっと黙って聴衆の注意を引き出す
<11. 学会講演の要領>

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2004 9/4
作文指南、学問一般、理科系
まろまろヒット率4

フィリップ・ジャカン、増田義郎監訳 『海賊の歴史―カリブ海、地中海から、アジアの海まで-』 創元社 2003

遅ればせながら『パイレーツ・オブ・カリビアン』も観た、らぶナベです。

さて、『海賊の歴史-カリブ海、地中海から、アジアの海まで-』
フィリップ・ジャカン著、増田義郎監修(創元社)2003年初版。
最近、パイレーツスタイルをしてみたりテーマパークのアトラクションではしゃいだりと、
海賊ネタに惹かれている自分を発見したのでずっと読んでみたいと思っていた本。
なかなか置いてなかったが神戸・元町の本屋でようやく見つけることができた一冊。
(港町神戸でというのがこれまたまた縁ですな)

イラストが充実している創元社の「知の再発見双書」シリーズらしく、
ぺらぺらと眺めているだけでも楽しい。
ただ絵が充実している分、文章レイアウトが読みにくかったり
肩手落ちの内容があったりしてたのが気になってしまった。
読み込むのではなく眺めて雰囲気を楽しむ歴史本だろうか。

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2004 8/23
歴史、海賊もの
まろまろヒット率3

佐々克明 『信長・秀吉・家康の戦略戦術』 産能大学出版部 2001(2版)

仲間由紀恵のお千代さん(山内一豊の妻)は反則だと思う、
らぶナベ@でも2006年大河は思わず観てしまいそう(^^;

さて、『信長・秀吉・家康の戦略戦術』佐々克明著(産能大学出版部)2001年第2版。
近頃、まろまろ関係で何かと接点の多い格闘技ジムの会長さんが貸してくれた本。
戦国時代を終わらせた三人の特徴的な戦略戦術を紹介、解説している。

初版(1981)から20年以上にわたって版を重ねて売れ続けているだけあって
この手の本の中では章立てから文体まですごく読みやすくなっている。
ただ、初版から時間が経っているので現代への適応事例が少し古いものだったり、
宗教戦争(石山本願寺)の解釈に違和感があったりはするが
「歴史を学ぶ」だけでなく「歴史から学ぶ」大切さを改めて感じれる一冊。
何かの機会に歴史から感じ取り、学べることって多いような気がする。

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2004 8/17
歴史、戦略論
まろまろヒット率3

京極夏彦 『百器徒然袋-風』 講談社 2004

CX系列ドラマ「東京湾景」で仲間由紀恵とソニンが姉妹という設定に
どうしてもリアリティを感じられない、らぶナベです。

さて、『百器徒然袋-風』京極夏彦著(講談社ノベルス)2004年初版。
前に読んだ『雨』に続く京極堂シリーズの外伝的探偵小説。
まろまろ掲示板で話題になったので今作も読んでみた。

読んでみると前作同様、重苦しい雰囲気の京極堂シリーズとは打って変わった
痛快な破壊的探偵の活躍が楽しい作品。
でも最後はちょっとセツナイ。

確かに『陰摩羅鬼の瑕』よりはこちらの方が面白いと思う。

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2004 8/3
小説
まろまろヒット率3

佐々木健一 『美学への招待』 中央公論新社 2004

まろまろマスコットキャラクターとして「まろうさ」が誕生した、
らぶナベ@まろまろWEBのそこら中に出没してますのでよろしくです(^_-)

さて、『美学への招待』佐々木健一著(中公新書)2004年初版。
美学の第一人者が書いた美学の入門書。
「誰もが経験する事実からスタートしてそこに潜む美学を指摘する」(第1章)という
スタンスで書かれているので、美学特有の取っつきにくさを感じずに読める。
社会的要求から誕生した美学の歴史的変遷について語っている点(第1章)や、
「綺麗」と違って「美しい」には「すごい」という意味があるとする点(第9章)は、
すごく分かりやすかったし納得もいくものだった。

ただ、これまでの美学の歴史や位置づけを書いた前半(特に第1章)に比べて、
後半部分になるに従ってよく分からない話が多くなっていく。
それは同時に分かりやすい芸術から分かりにくい芸術への変遷とかぶっていて興味深い。

ちなみに「近代美学が機能不全に陥っているのは、
その理論がすべての現象に当てはまるとする普遍主義的な考え方にある」
(第7章)といっている箇所には自分(まろまろ堂)との対比で面白かった。
美学のような伝統ある研究は過度の普遍主義で機能不全に陥っていると言われる、
一方で僕のやっているようなことは「事例特有で普遍性がない」と言われたりもする。
・・・隣の芝生は青いような感じがして思わず笑ってしまった。

巻末には各章ごとの参考文献だけでなく、他の入門書の解説も丁寧に紹介されているので
こういう分野にも興味がある人には一読の価値がある一冊。

以下、チェックした箇所・・・

○創造性は何で測られるか→注目されたのが感性(ペトラルカ、パスカルなど)
<第1章 美学とは何だったのか>

☆A.G.バウムガルテンが”Aestherica”(感性学=美学)を著して美学を哲学的学科として創造
→「芸術」&「美」&「感性」の同心円的構造を打ち立てる
<第1章 美学とは何だったのか>

○美的体験と美的範疇が19世紀的美学の主要構成要素
<第1章 美学とは何だったのか>

☆芸術の本質は美の表現→美は体験を通して現実化
→美学はまずその体験と相関的な美の特質の解明に努める(美学の核心)
+美的範疇で多様性の解明
<第1章 美学とは何だったのか>

○現代の美学に標準的な目次はない
→美と芸術と感性について哲学的な考察ということで十分
→どのような側面に注目するかが重要
<第1章 美学とは何だったのか>

○センスはもともと肉体的な能力としての感覚だが、そのメタファー的な使用の次元が問題
<第2章 センスの話>

☆感性のモデルとなっている感覚の働き方の三つの特徴
=1:直感性、2:反応もしくは判断が即刻、3:即刻の判断の示す総合性
<第2章 センスの話>

○美学を云々する場面での傾向=
感性への集中→感覚的に捉えられた刺激が人格の内奥へと反響していく
<第2章 センスの話>

○仏語でデザイン(design)は”dessin”(デッサン)、”dessein”(意図)に分けられる
→デザインにはデッサンが基礎になり意図という意味を持っていることは重要
<第3章 カタカナのなかの美学>

○カタカナ語特有の曖昧さは異分野をクロスオーヴァーさせる力がある
<第3章 カタカナのなかの美学>

☆「artとは何か?」ではなく「いつartか?」(ネルソン・グッドマン)
<第3章 カタカナのなかの美学>

○かつて芸術は公共性を形成する役割があったが
複製の体験は個人化し、体験の様式は自閉的になる
<第4章 コピーの芸術>

☆リズムとは身体の呼吸のようなもの(略)
遠近法に代表される近代の美術が身体感覚を知らず、
近代の美学がリズムの真実を捉えられなかったのは、
身体を単なる物体と見るような哲学と相関している
<第6章 全身を耳にする>

○近代美学が機能不全に陥っているところがあるとすれば、
最大の問題は(略)その理論がすべての現象にあてはまるとする考え方にある
<第7章 しなやかな応答>

○きわものとは、既に起こった大事件を参照することによって、
人々のその事件への関心を刺激して、自らのために利用しようとする作品
<第8章 お好きなのはモーツァルトですか?>

○ダントーのテーゼ「何が芸術であるかはアートワールドが決める」
<第8章 お好きなのはモーツァルトですか?>

○古典的な芸術の定義=「自然模倣」
=背後に精神的な次元を隠し持ち、それを開示することを真の目的とする活動
→主役が作品から作者へと移る

<第8章 お好きなのはモーツァルトですか?>

○「綺麗」と違って「美しい」には「すごい」という意味合いがある
<第9章 近未来の美学>

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2004 6/28
美学、哲学
まろまろヒット率3

シャーロット・F・ジョーンズ&ジョン・オブライエン、左京久代訳 『間違いを活かす発想法』 晶文社 1997

噂に聞く聖路加国際病院に行ってきた、らぶナベ@やっぱり臨床って大切ですね。

さて、『間違いを活かす発想法』シャーロット・F・ジョーンズ著、
ジョン・オブライエン絵、左京久代訳(晶文社)1997年初版。

研究室にあったのを見つけて借り出した絵本(なぜか絵本が多い研究室)。
間違いや失敗から偶然に生まれたものや発明を紹介している。
たとえばガラス、ペーパータオルなどの日用品、
アイスクリームのコーン、ドーナツの穴、ポテトチップスなどの食べ物から、
さらにはアスピリンや盲導犬などの医療関係に至るまで、
どれも失敗から生まれたんだというエピソードが載っている。
冒頭に書かれてある「知性とは、間違いをおかさないことではない。
どうしたらその間違いをよいものにするか、そくざに判断することである」
(ベルトルト・ブトレヒト)ということの大切さを感じれる一冊・・・

のはずだけど、絵本なのに肝心の絵が内容とあまり関係ないものだったり、
事例も適当でないものがあったりしたのがかなり残念だった。
ちなみに原題は”Mistakes That Worked”。
こちらの方がこの本の性格を現しているので直訳で良かったような気がする。

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2004 6/4
絵本、問題対処
まろまろヒット率2

マイケル・ポランニー、高橋勇夫訳 『暗黙知の次元』 筑摩書房 2003(原著1966)

実はハンガリーってすごいんじゃないかと思いはじめてる、らぶナベ@天才多い?

さて、『暗黙知の次元』マイケル・ポランニー著、高橋勇夫訳
(ちくま学芸文庫)2003年初版(原著1966年初版)。
「言葉にできない知がある」として暗黙知を打ち出した本として有名な一冊。

もともと言葉にできないものを言葉にしようとしているので
やっぱり読みずらいところや突っ込みどころはかなりあるけれど、
よくある言いっぱなしじゃなく、神秘主義に走っているわけでもなくて読み応えがある。
おかげでそれまでは「そんなこと言っても始まらない」と言われていた、
コツやカンなどを議論の場で話せるようになった功績は大きいとされている。
(僕が関心を持っているいまの”雰囲気”もそう?)

また、なぜか読みづらい本にありがちな嫌な感じは別にしなかった。
たぶん訳者も書いているように、初版当時隆盛だった共産主義でも実存主義でもなく、
(人間に対して悲観的ではなく)その隠れた可能性を信じる彼の姿が垣間見れるからだろう。

実はこの本は今年からできた佐倉研究室指定必読書の僕の担当文献。
リストアップ案(まろまろ原案)を出した人間として、
リストの中で一番読みにくい&一番発表しにくいものを選ぶべきだろうと読んでみた。
暗黙知という言葉やこの本については経営学や組織論を学んだ時に
よく出てきたのでペラ読みはしたことはあったけど、
まさかこんな機会に通読するとは思わなかった。
人生って不思議ですな。

ちなみに著者は邦訳だとマイケル・ポラニーとも書かれることがあるけど、
ハンガリー発音だとポラーニ・ミハーイというらしい(Michael Polanyi)。
お兄さんは経済人類学者のカール・ポランニー(『大転換』、『経済の文明史』)。
こんなすごい親や叔父がいると子供はプレッシャーかかるだろうって思ってたら
著者の子供、ジョン・ポランニーは1986年にノーベル化学賞受賞、冗談みたいな一家だ。
おそるべしマジャール!&同じアジア系としてちょっと親近感(^^)

以下はチェックした箇所・・・

○暗黙知の構造によれば、すべての思考には、その思考の焦点たる対象の中に
私がちが従属的に感知する、諸要素が含まれている
→しかも、すべからく思考は、あたかもそれらが自分の体の一部ででもあるかのように、
 その従属的諸要素の中に内在化(dwell in)していくものなのだ
<序文>

○私たちのメッセージは、言葉で伝えることのできないものを、あとに残す
それがきちんと伝わるかどうかは、受け手が、
言葉として伝え得なかった内容を発見できるかどうかにかかっている
<第1章 暗黙知>

☆第一条件について知っているとは、ただ第二条件に注意を払った結果として、
第一条件について感知した内容を信じているのにすぎない
<第1章 暗黙知>

☆暗黙地の特徴・・・
・機能的構造(functional structure)
=暗黙知が機能しているとき、私たちは何か別のもの「に向かって」注意を払うために、
 あるもの「から注意を向ける」(attend from)

・現象的構造(phenominal structure)
=A(近位項)からB(遠位項)に「向かって」注意を移し、Bの様相の中にAを感知する

・意味論的側面(semantic aspect)
=すべからく意味とは「私たち自身から遠ざかって」いく傾向がある
(道具を使用して得られた出来栄えを介して、道具の感触が意味するものに注意を傾ける)

・存在論的側面(ontological aspect)
=暗黙的認識とは、二つの条件の間に意味深長な関係を樹立するものであり、
 したがってそうした二つの条件が相俟って構成する
 包括的存在(comprehensive entity)を理解すること
<第1章 暗黙知>

○ある人の精神はその活動を追体験することによってのみ理解されうる(ディルタイ)
<第1章 暗黙知>

○審美的鑑賞とは芸術作品の中に参入し、さらに創作者の精神に内在すること(リップス)
<第1章 暗黙知>

☆理論の内面化・・・
私たちは理論から、その理論の観点で見られた事物へと、注意を移動させ、
さらに、そうした具合に理論を活用しながら、
理論が説明しようと努めている事物の姿を介して、理論を感知している
→数学理論が自らを実際に応用することでしか修得されえないのはこのため
<第1章 暗黙知>

☆問題を考察するとは(略)まだ包括されていない
個々の諸要素に一貫性が存在することを、暗に認識すること
→独創性とは期待している包括の可能性を他の誰も見いだすことができないときのこと
<第1章 暗黙知>

☆包括的存在の安定性に機能する暗黙知・・・
1:包括的存在を制御する諸原理は、具体的な諸要素を
 それ自体として統治している諸規則に依拠して機能する
2:同時に諸要素をそれ自体として統治している諸規則は、諸要素が構成する、
 より高次の存在の組織原理の何たるかを明らかにするものではない
<第2章 創発>

○境界制御の原理(the principle of marginal control)
=上位レベルの組織原理によって下位レベルの諸要素に及ぼされるコントロール
<第2章 創発>

☆創発の過程
=より高位のレベルは下位のレベルでは明示されない過程を通してのみ出現できること
<第2章 創発>

☆ある論文の科学的価値=厳密性、体系的重要性、内在的興趣
<第3章 探求者たちの社会>

☆理論の不意の確証(surprising confirmations)
→発見は現行の知識が示唆する探求可能性によってもたらされる
<第3章 探求者たちの社会>

○可能性を論じる主張は確実性を論ずる主張と同様に個人的な判断を含んでいる
→結論とはそれに到達する人間の掛かり合い(commitment)を表現するもの
<第3章 探求者たちの社会>

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2004 5/23
暗黙知、哲学、組織論、認知科学、情報・メディア、心理学、学問一般
まろまろヒット率4