塩野七生 『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』 新潮社 上中下巻 2002

リクエストに応えて読書日記を新しい順に入れ替え中の、
らぶナベ@参考にするので引き続きご意見&ご要望お待ちしております(^^)

さて、『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』上中下巻
塩野七生著(新潮文庫)2002年初版。
『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』に引き続いて堪え性なく読んだ、
ローマ人の物語シリーズ第二段。
文庫化される前からこの第二段『ハンニバル戦記』はずっと気になっていた。
何しろ戦略や戦史を語る際には必ずと言っていいほど出てくる
カルタゴの悲劇の天才戦略家ハンニバルが主役だからだ。
今まで読んだ戦略関係の本で何度このハンニバルの名前が出てきたかわからない。
特に前216年の「カンネーの戦い」での彼の両翼からの包囲殲滅作戦、
相手の主戦力を無力化させる戦術についての考察は、
現在も欧米の士官学校では必ず習うというほどだ。
そうは言うものの彼の第二次ポエニ戦争を通した戦い方、
そしてローマとカルタゴの戦いの全体像はよく知らなかったので
この本はとても面白く読めた。
(断片的な知識がつながっていくパズル的快感)

読んでみて改めて感じたことは、ハンニバルは戦略の天才だと称されることが多いが、
ローマ同盟都市を離反させる最初の戦略プラニングで思いっきりつまずいている。
その彼の戦略・戦術がこれほどまで研究されてきたのは、
彼自身の要因に加えてローマという後に巨大な国家として
長年栄えた国を何度も破ったからというのも大きな理由なのだろう。
ローマが繁栄すればするほど、長く存続すればするほど、
ハンニバルの名前は広く長く普及するしその戦い方も詳細な記録に残りやすい。
だから後の世の研究対象にもなりやすい。
ちょうど三方ヶ原の戦いで徳川家康を破った武田信玄が江戸時代を通して
戦国最高の武将と言われたりその戦い方が研究されたりしたのと似ている。
ハンニバルはちょっと得してる(^^)

僕は彼を破ったスキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)の方に強い興味を持った。
ローマ軍が完全に壊滅したカンネーでは司令官を救出しての脱出に成功するなど
様々な運にも恵まれていたが彼の気持ち良いほど大胆で鮮やかな戦略にはひかれる。
ちなみに地中海世界でのハンニバルと大スキピオの決戦「ザマの戦い」が前202年、
東アジアでの項羽と劉邦との決戦「亥下の戦い」もちょうど同じ前202年。
高校の世界史の教科書でこのことを発見した時には
(勉強できなかったけど教科書眺めるのは好きだった)
「東西で凡人が天才がを破った年なんだなぁ」と勝手に思っていたが
大スキピオは彼自身、非常に才気溢れる人間のようで
僕の年来のこの考えを修正することにもなった一冊。
彼についてのいい本があればまたあらためて読んでみたい。

以下はチェックした箇所・・・

☆戦争終了の後に何をどのように行ったかで、その国の将来は決まってくる。
勝敗は、もはや成ったことゆえどうしようもない。
問題は、それで得た経験をどう生かすか、である。
<第二章 第一次ポエニ戦役後>

○戦闘の結果を左右する戦術とは、コロンブスの卵であると同時にコロンブスの卵ではない。
誰も考えなかったやり方によって問題を解決するという点ではコロンブスの卵だが、
そのやり方をと踏襲すれば誰がやっても同じ結果を産むとはかぎらないという点で、
コロンブスの卵ではないのである。
<第三章 第二次ポエニ戦役前期>

○天才とは、その人だけに見える新事実を、見つけることのできる人ではない。
誰もが見ていながらも重要性に気づかなかった旧事実に、気づく人のことである。
<第三章 第二次ポエニ戦役前期>

○(ハンニバルの言葉として)多くのことは、それ自体では不可能事に見える。
だが、視点を変えるだけで、可能事になりうる。
<第四章 第二次ポエニ戦役中期>

○信頼は、小出しにしないほうが、より大きな効果を産みやすい。
<第五章 第二次ポエニ戦役後期>

☆優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。
率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。
持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。
<第六章 第二次ポエニ戦役終期>

この本をamazonで見ちゃう

2002 10/8
歴史、戦略論、政治学
まろまろヒット率4

追記:全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・

『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』

『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』

『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』

『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』

『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』

『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』

『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』

『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』

『ローマ人の物語24,25,26 賢帝の世紀』

『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』

『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』

『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』

『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』

『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』

社会的コスプレ

  らぶナベの読書日記出来事メモにはプレイという言葉がよく出てくる。

  プレイ(PLAY)には遊戯やごっこという意味があるので

  「カラオケプレイ」や「飲み会プレイ」などのように使うのは無論のこと、

  地名にプレイをつけて旅行の意味にしたりしている。(モンゴルプレイなど)

  さらに行動のみならず社会的なポジショニングに対してもその役割や立場を”演じる”点を強調して  
  
  「社員プレイ」、「役員プレイ」、「先輩プレイ」、「良い子プレイ」、「ひねくれプレイ」
  
  ・・・などと呼んだりすることもある。

  心理学で”ペルソナ論”という立派な概念があるにも関わらず、

  このようにすべてを”社会的コスプレ論”という概念で片付けようとする姿には
  
  たまに良識ある人からはプチギレされたり、

  ときどき心優しい人からはよっぽどプレイに飢えているんだなと可愛そうな眼で見られている。

  類似例:他にも身元をふせて働く”特命係長プレイ“などがある。

  追記:『コスプレとバランス』としてまろまろコラム化。

塩野七生 『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』 新潮社 上下巻 2002

堪え性がなく買ってしまった、らぶナベです。

さて、『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』上下巻
塩野七生著(新潮文庫)2002年初版。

ハードカヴァーの初版から10年たって出版された、
塩野七生のライフワーク『ローマ人の物語』シリーズの文庫版第一弾。
10年前に出たときにも読みたかったが妙に値段が高かったのと、
シリーズが全部出揃ってから一気に読みたくて手をつけずにいた。
なのに書店に並ぶ文庫本にひかれて思わず購入してしまった。
(本シリーズもまだ未完なのに堪え性がない(^^;)
手にしてみるとせっかく文庫本になったのにハードカヴァー1冊分の分量を
わざわざ分冊にしているのにはちょっと残念だなぁっと感じたが、
これは文庫は「背広のポケットに入れてもポケットが型崩れしない」
ものにするという著者の意図らしい。

内容は前書きに当たる”読者へ”で「史実が述べられるにつれて、私も考えるが、
あなたも考えてほしい。”なぜローマ人だけが”と」という呼びかけをおこなっているように、
知力でも体力でも技術力でも経済力でもまわりの諸民族に見劣りしていたローマ人が
なぜあれだけの巨大な国家を築き、長年維持できたのか、
そしてなぜ衰退したのかというという疑問がこの長い長い物語を貫くテーマになっている。

第一弾の『ローマは一日にして成らず』はローマ建国から共和制への移行、
そしてイタリア半島統一までの約五百年を書いている。
ヴェネツィアの千年史を書いた『海の都の物語』もそうだったが、
著者は社会システムについての洞察が非常にするどい。
ギリシアのポリスに使節団を送り込んでおきながら直接民主制を採用しなかった
共和制ローマについての彼女の考察は特に興味深かった。
理念に眼を曇らせない彼女の冷静な視点は読んでいて爽快感を感じるほどだ。
この本ではギリシアのポリスついてもかなり詳細な記述があるが、
もし政治学を学ぶならこの本で取り上げられていることは
前提として押さえておかないとわからない話が続出するだろうと思う。
そういう意味で政治学を学ぶ上での必須前提書でもあるのだろう。
(この時代を取り上げた他の本でもいいけどね、この本は面白いから)

「一日にして成らず」というように三歩進んで二歩下がるような
ゆっくりしたローマの成長はまだまだ始まったばかりだが、
この第一弾を読んだだけですっかり著者の問いかけに魅了されてしまった。
僕もこのシリーズを読みながら考えていこう、「なぜローマ人が?」と。

以下、チェックした箇所・・・

○神話や伝承の価値は、それが事実か否かよりも、
どれだけ多くの人がどれだけ長い間信じてきたかにある
<建国の王ロムルス>

☆多神教では、人間の行いや倫理道徳を正す役割を神に求めない。
一方、一神教では、それこそが神の専売特許なのである
<二代目の王ヌマ>

○人間の行動原則の正し手を、宗教に求めたユダヤ人。哲学に求めたギリシア人。
法律に求めたローマ人。
<二代目の王ヌマ>

○戦争は、それがどう遂行され戦後の処理がどのようになされたかを追うことによって、
当事者である民族の性格が実によくわかるようにできている。
歴史叙述に戦争の描写が多いのは(中略)戦争が、歴史叙述の、
言ってみれば人間叙述の、格好な素材であるからだ
<ペルシア戦役>

☆歴史は必然によって進展するという考えが真理であると同じくらいに、
歴史は偶然のつみ重ねであるとする考え方も真理になるのだ。
こうなると、歴史の主人公である人間に問われるのは、
悪しき偶然はなるべく早期に処理することで脱却し、
良き偶然は必然にもっていく能力ではないだろうか
<南伊ギリシアとの対決>

☆ローマ人の真のアイデンティティを求めるとすれば、
それはこの開放性ではなかったか
<ひとまずの結び>

この本をamazonで見ちゃう

2002 10/2
歴史、政治学
まろまろヒット率4

追記1:この約9年後の2012年1月21日に最終巻『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』を読み終えて、全巻読破。

追記2:全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・

『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』

『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』

『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』

『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』

『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』

『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』

『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』

『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』

『ローマ人の物語24,25,26 賢帝の世紀』

『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』

『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』

『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』

『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』

『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』

佐倉統 『進化論という考えかた』 講談社 2002

ありあわせで作ったオイルサーディンとキャベツのパスタは何気に美味しかった、
らぶナベ@健康にもめちゃイイ!・・・はず(^^;

さて、『進化論という考えかた』佐倉統著(講談社現代新書)2002年初版。
進化論の視点から「人間」と「情報」を捉えようとした一冊。
前から僕は『数学の秘かな愉しみ』(K・C・コール)などの
異分野の視点から光を当てる(自然科学→人文科学など)本に興味を持っていた。
愛読書の『坂の上の雲』(司馬遼太郎)も秋山真之が村上水軍の戦法にヒントを得て
日本海海戦の基本戦術を組み上げるところに見所のひとつを感じているくらいだ。
そんな僕だからこの本もワクワクして読みはじめると、
実際には進化論を中心とした研究者たちがいかに「人間」と「情報」を
捉えようとしたかについての科学史の再編的な色合いが強かった。
そういう点では以前読んだ『化学入門』(原光雄)に近い印象を受けた。

この本の中で一番興味深かったのは専門家と非専門家
(異分野の人々)の間をつなぐものは「物語」だとしている点だ。
僕も前々から一口に日本語といってもマクドでの中学生の会話、法廷での会話、
メーカーの研究部門での会話、IT企業でのシステム開発の会話
・・・同じ言語を使っていても通じないことが多いということを感じていた。
そういう場面に出会うたびに「もったいない」という気持ちを強く感じていたので
ときどき自分が異分野をつなげるメディアになっていることに喜びを感じたり
(出来事メモなど)、
「読書」という切り口と「まろまろ」というエッセンスをメディアにして
様々な分野の本を同じ土俵で扱おうとするこのHPの基本理念にも
つながっているので「物語性」を重視するこの視点にはとても共感した。
さらにこの本では物語の重要性を唱えながらも、
進化論が曲解して使われた経験から、物語性の暴走を防ぐために
「第三の文化」(多くの分野へのリンク)と
「センス・オブ・ワンダー」(謙虚さ)の重要性を述べている。
ただ、これは第二次大戦で政治への介入を控えるあまりに
ヒトラーの暴走を許したとされるドイツ参謀本部への評価と同じく、
結局は研究や理論の問題ではなく政治や教育などの
社会システム全体で語られるべきことなのだろう。
(説得力ある理論ほど無茶な使われ方するけどそれは理論のせいじゃない)

加えて、この本で著者は「ハンバーグのつなぎ」のように
異分野をつなげてひとつの料理にする素材として
進化論の可能性を述べているが(第4章)、
思えば『ブレードランナー』『2001年宇宙の旅』『ガルフォース』
『超時空要塞マクロス~愛おぼえていますか~』
『甲殻機動隊』とそれに影響を受けまくった『マトリックス』などなど
これまでも進化論の要素を取り入れた映画やアニメの名作は数多い。
ハンバーグのつなぎとしての機能は科学・研究分野だけでなく
コンテンツ分野ではすでにその機能を十分に発揮しているのだろう。
(それだけ強い物語性があるということかな?)

また、この本を読んで発見したことが
前に読んだ『狂骨の夢』(京極夏彦)の中で
「コペルニクスが人が宇宙の中心であることを奪い、
ダーウィンが人が神の子であることを奪い、
フロイトが人が自分自身を支配できるということさえ奪った」
という印象深い記述があったが
これはB・マズリッシュという人の言葉だとわかったのが少し嬉しかった。
(ただし『狂骨の夢』ではこれはフロイト自らの発言だと紹介されていたような)

ちなみに著者は来春から東大院・学際情報学府での僕の指導教官(予定)。
著者とは院試説明会でほんの数分しか話をしたことがなかったが、
知的守備範囲の広さや新しいことに積極的に取り組む姿勢に即座に感銘を受けた。
何よりも僕の問題意識やスタンスに関心を示してくれたのが嬉しかったが、
よく考えたらその寛容さは多様性を重要視する進化論の影響かもしれない。
彼のバックボーンを知って人となりに近づければと思って読んだ本でもある。

以下はチェックした箇所・・・

☆生物は、環境資源が許容するよりもたくさん産まれる。
したがって、同じ種の個体の間に生存と繁殖をめぐる競争関係が生じる。
その結果、より環境に適応したものが、
そうでないものより多くの子孫を残すことになる。
この差異の原因となる形質がいくばくか遺伝するものであれば、
この形質を所有している個体は、
世代を経るにしたがって個体数を増やしていくことになる
ーこれが自然選択理論の骨子である。
<自然選択理論>

☆造物主の作業の「誤差」と考えられていた個体差を、
それぞれが生物進化の原動力であると喝破したこと。
つまり、生物観を百八十度転倒させたこと。
これこそが、ダーウィンの進化思想の真髄のひとつ。
<ダーウィン亡き後の進化論>

○進化心理学のアイデンティティは、対象ではなくその視点と枠組みにある。
(略)進化心理学というのは、固有の分野というよりもアプローチの仕方、
あるいは研究プログラムとみなした方がいい。
<心と行動の進化学>

☆ディーコンは(略)人間が進化したことで言語を獲得したというよりは、
言語の方も人間の脳にあわせるように進化してきた、というのだ。(略)
文法構造は、言語が「人間の脳」という媒体に適応するために
進化してきた構造なのだという。(略)
脳と言語は相互に影響しあいながら共進化してきたのだ、と。
<脳と言語は共進化した?>

○人間が文化的な動物であるというのは
大昔から繰り返しいわれてきたことだけれども、
それが環境適応へのオプションのひとつであるということは、
人間を進化学的に見直してはじめて理解できることなのである。
人間の進化論的な研究は、文化の意味をも再定位する。
<「今の人間」を知るために>

☆コンピュータ自体は子孫をもうけませんー
しばらく使われたあとは、スクラップにされます。
でも、コンピュータを作るためのアイディアは、遺伝子のように繁殖できるのです。
(ドーキンスとバスとのインタビューより)
<ドーキンスの示したこと>

○生物の進化は、このでこぼこ地面のような適応度地形
(生物が利用できる環境のこと)の中を、
ころころと球が転がるのに似たプロセスとみなせる。
球は生物の比喩で、地形が急峻だとわずかな突然変異で急激な変化が生じるし、
なだらかな地形だとゆっくりとしか転がらないので、
突然変異の効果はわずかなものになる。
つまり、徳永とウェイドは、適応度地形も生物進化の段階によって
変わっていくということを主張したことになる。
<旅する円錐>

☆結局は、あれこれやってみるという変異と選択の二段階プロセスが、
環境に適応するためにはいちばん安全で確実な方法なのだ。
シーコは、人間の経済システムや社会システムなどにとっても、
事態は同じであると主張する。
それが普遍的選択理論である。
<「進化する能力」の進化>

☆ダーウィン・アルゴリズムの本質は、
変異の生成(突然変異)、
変異と複製率の間の相関(適応度)、
そして変異の遺伝(自己複製)の三点セットだ。
<ミームで何が説明できるか>

○進化とは、人間の、そして生命の壮大な歴史にほかならない。
だからこそ進化論は「取扱い注意」なのであり、
事実、過去に何度も破滅への道しるべとなったのだった。
<生物学哲学の正念場>

○(ダーウィン最後の著書『ミミズと土』は)
「目に見えない微細な変化が累積して、とてつもなく大きな結果を生み出す」
というダーウィンの自然観の集大成でもあった。
<『セルボーンの博物誌』とダーウィンのミミズ>

☆問題は、相手と価値観が共有できていないところにある。文化が異なるのだ。
価値観が異なるから、コミュニケーションがとれない。
一見、同じ問題について議論しているようでも、
実はそこで情報のほとんどは、ただ流されているだけである。
(略:それを解決するには)ぼくは、その鍵は科学の物語ではないかと思っている。
<非専門家に伝えるために>

この本をamazonで見ちゃう

2002 9/25
自然科学、進化論
まろまろヒット率4
最新 本

息吹は続く

時々、参加させてもらう会合が今回は京都で開催されたので久々に京都に行く。
例のごとくいろんな業種の人が参加して刺激的な集まりだったが、
思わず終電を逃したので大阪組は京都リサーチパーク(KRP)に入っている
あるヴェンチャー企業のオフィスに収容してもらうことになった。
(会合に出席した一人が社員だった)
深夜とはいえ数年ぶりのKRPだったので懐かしく感じていたら、
そのヴェンチャー企業は社長以下、主要面々が立命の政策科学部在籍者だった。
僕がインターンシップや産学協同事業でKRPを使っていた頃は
まだそういうことに対する風当たりの強さもあったけど
今はごく普通になってきていることが嬉しかった。
先人ぶる気はないけれどあの頃KRPで僕がやっていたことも
こういう文化形成の何十万分の一かには貢献できたのかもと思うと
ちょっとだけいい気分にさせてもらった。
東京やNewYorkに拠点を移すかもしれないけど、
息吹を残した関西は安心して後にできると感じた。

2002 9/22
出来事メモ

人生相談会

大阪に帰ってきたので長いこと会っていなかった合気道の先輩に話をしに行く。
高校の時から何かと相談に乗ってくれている人(建設営業)と合流した後に、
同じく長年僕を見てくれている人(元建設社長で現在はカイロドクター)や
飲み屋で親しくさせてもらっている彫師の師匠などと一年ぶりくらいに話をする。

報告をするとすかさず全員から進学を勧められたのが意外だった。
いい年してちゃんと働かないと自分は薄っぺらい人間になるんじゃないのかとか、
このまま逃げ人生と思われ続けるのはどうなんだろうか、
という僕の疑問には「程度の低い話をするな」と一喝されてしまった。
人にはそれぞれの役割ややり方があって中途半端な経験に胡坐をかく人間が
一番たちが悪い、それに引きずられるなと怒られてしまった。
本当に今日食べるものも苦労した経験のあるこの三人から言われると迫力がある。

帰りながら尊敬できて掛け値なしに相談できる人生の先輩がいる自分は、
もしかしたら本当に幸せな人間じゃないのだろうかと涙がでる思いった。
尊敬できる知人、友人を持つことの価値をあらためて感じた一日。

2002 9/19
出来事メモ

司馬遼太郎 『功名が辻』 文藝春秋 全四巻 1976

ひそかに”まいぽえむ”を更新している、らぶナベっす。

さて、『功名が辻』(全四巻)司馬遼太郎著(文春文庫)1976年初版。
ここ数ヶ月取り組んでいた事柄がひと段落したので(出来事メモ2002/9/6)、
次のことを考えるためにも一呼吸入れようと買った歴史小説。
武勇も知略も器量もない、凡庸な山内一豊を土佐24万石の国主に押し上げた
山内一豊の妻・千代を主人公にした物語。

戦国末期の激動の時代の中で出世を重ねてゆく話には単純に心が踊ってしまう。
やはり司馬さんはこういう明るく坂道を登るような人生をかくのがうまい。
ただ、久々の司馬作品なのに実際に読んでみるとつらく感じることも多かった。
この作品は千代が夫の自尊心を傷つけずに導いていく過程が
物語の根幹部分になっているのだけど(面白さの中心もここにある)
自分もこんな風にされたらイチコロだなと思わず納得してしまうことが多かった。
納得する度に「男ってなんて単純なだろう」と自分の薄っぺらさや小ささに
自己嫌悪しながら読書した不思議な作品(^^;

今まで司馬作品の中では、
『燃えよ剣』は男の教科書、
『坂の上の雲』は仕事の教科書、
『竜馬がゆく』は生きる教科書だと思っていたが、
この『功名が辻』は女の教科書といえるだろうか。

ちなみにこの作品を読んでいる最中にたまたま立ち寄った
岐阜の郡上八幡はこの作品の主人公・千代が生まれた土地だった。
(詳細は西行法師プレイとしてアップ予定)
意外な縁を感じた一冊でもある。

この本をamazonで見ちゃう

2002 9/18
小説、歴史
まろまろヒット率4

西行法師プレイ「郡上八幡を歩く」篇

中期にわたった東京滞在が終わったので(出来事メモ8/27~9/15)
故郷の大阪に帰る準備をせっせとしていたら、
岐阜の郡上(ぐじょう)八幡へ旅行するという知人たちから誘われた。
聞いたことない土地だし、名物の”郡上踊り”も時期的に終わっているらしかったので
あまり乗気はしなかったけど、どちらにせよ岐阜は通るので帰りがてら同行することに。
決めたはいいけれど三連休前日の金曜日だというのに
言いだしっぺが宿を確保していないことが直後に判明。
(だめじゃーん!)
仕方ないので僕が代わりにいそいで宿を予約することになった。
案の定すでに予約でいっぱいになっていた宿もあったので、
部屋の確保を最優先にとりあえず全員一緒の一部屋で予約を入れたら
あとで女性陣にマジギレされた(^^;
(なんでじゃーん!)
メンバー的に間違いが起こることはないし旅なんだから
別に気にすることないじゃないかと不審に思っていたら、
同行の女性たちは全員異性の兄弟がいないことに気がついた。
異性の兄弟がいるのか同性の兄弟なのかの差は
こういう時にも出てくるのかと少しおかしかった。
なんとか宿を確保したものの大阪から行く本隊と、
僕を含めた東京から行く分隊がどう合流すべきかわからなかったので
知人で鉄ちゃん(鉄道マニア)の安藤に聞くと、
待ち合わせ時間や乗換時間を計算に入れた完璧なタイムスケジュールを組んでくれた。
(すごいじゃーん)
車両や車輪などに熱を入れるハードウェア鉄ちゃんも遠くから見る分には面白いけど、
時刻表に熱をいれるソフトウェア鉄ちゃんは実益があるのだなぁっと感心。
そんなこんなで当日は東急目黒線西小山の友人邸から出発、
新横浜から崎陽軒のシュウマイ弁当を買って新幹線に乗り込み、
(崎陽軒っていうのがヒネリがないですな(^^;)
名古屋で東海道線に乗り換えて合流ポイントの岐阜駅に向かった。
岐阜駅で乗換え先の高山線の車中で大阪からの本隊と無事に合流。
久々の面々もいたのでおしゃべりしながら最終乗換えポイントの美濃太田に向かう。
美濃太田で長良川鉄道という聞いたこともない路線に乗り換えてみると・・・
なんと一両だけの電車で一時間に一本だった!(もちろん単線)
こんな電車に乗るのは生まれてから何度もないのでそれだけでワクワク。
一時間半ゆられてようやく郡上八幡に到着。
・・・はるかに遠い、郡上八幡(>_<)

郡上八幡は長良川と吉田川が交差する水の街としてしられている。
名水百選にも選ばれた宗祇ゆかりの宗祇水と郡上踊りが名物。
蕎麦の昼食を取った後に歩いてみると実にコンパクトな城下町という感じがした。
(江戸時代は青木氏五万石の城下町)
八幡城周辺を散歩しながらこれくらいの規模の内政って楽しいだろうなぁっと、
のんびりした土地なのに不穏なことを考えてしまった。
また水と踊りの他には食品サンプル生産日本一ということで、
食品サンプルの工房では体験やお土産があった。

さらに歩いていると山内一豊の妻ゆかりの地という標識を見つけた。
なんと!この時ちょうど読んでいた『功名が辻』(司馬遼太郎)の主役
山内一豊の妻”千代”の生地とのこと。
この作品では二人の結婚式からスタートするため、
彼女の生地についてはまったく認識していなかったので驚いてしまった。
郡上踊りも終わっているし何でわざわざ郡上八幡に?
見所ないじゃん?という気持ちを持ちつづけていたけど、
こういう思いがけない発見や出会いがあるから旅はやっぱり面白い。
縁は色々あるけれど本を読んでいるのも縁作りになるなとあらためて感心。
古い町並みや小川の小道を中心にある程度見てまわったので、
隣町のやまと温泉にいく。
この時乗らしてもらったタクシーの運転手さんは無類の釣り好きで
岐阜で勤めていた会社を辞めて郡上八幡に移り住んだという
筋金入りの釣りマニアだった。
タクシーの中では鮎釣りの話を延々と熱く語ってきた。。
驚いたことに次の日の朝に民宿を出るとこの運転手さんが通りかかって、
「どうせ行き道だから」ということでタダ乗せてもらうことになった。
街を歩いて最後に駅に向かうためにタクシー停留所をたずねたら
またまたこの運転手さんがいた(>_< ) 一昨年、広島県の尾道に旅したときは村上水軍の話を熱く語る運転手さんに 出会ったがどうやら僕はこういう人とめぐり会うことが多いようだ。 郡上八幡を後にしたものの予定よりも帰る時間が早かったので 長良川鉄道沿線の、みなみ子宝温泉駅(岐阜県美並村)に途中下車した。 この駅は駅のホームから温泉に入れるという駅で そのまろまろぶりが妙に気に入ってしまった。 何気に熱いぜ長良川鉄道! 郡上八幡だけでなくこの長良川鉄道沿線の雰囲気が気に入ってしまった。 同行した外資系コンサルタント会社勤務の人間が、 郡上八幡単体としてでなく長良川鉄道沿線を総合的に宣伝したらいいのに っと言っていたがまったく同感だった。 ここ数ヶ月、右に左に動いていただけにホッと一息つける貴重な旅だった。 ・・・というわけで一句・・・

ふりむけば

をっと偶然

お千代さん

見所あるよね

郡上八幡

2002 9/15~16
出来事メモ、西行法師プレイ

GLOCOM研究会参加

矢尾板から誘われて渋川や庄司などの知人が研究員を務める、
六本木の国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)の
i-civil(情報文明論)研究会に参加する。
GLOCOM所長の公文俊平氏をはじめとして、司会は前田充浩氏(経済産業省)、
発表者は山崎秀夫氏(野村総研)、柴田祐作(名古屋外国語大学)と、
実に多様な人々が参加した興味深い研究会だった。

初めてのGLOCOM訪問&初めての研究会参加で右も左もわからなかったけど、
庄ちゃんが何かと教えてくれたのですぐに雰囲気にも溶け込めた。
議論の中でいまの若者の話が中心になったこともあったので、
庄ちゃんからの後押しもあって思わず議論に参加してしまった。
大きなプレゼンの後とはいえ、どうやらこういう場は基本的に嫌いではないようだ。

終了後の名刺交換ではいつものように名詞代わりのURL紙を配った。
こういうことからまた新しい広がりが生まれることもあるのだろう。
東京は僕にとってやはり魅力的なところだ。

帰りに一蘭ラーメンを食べた。

2002 9/11
出来事メモ

個人は戦闘機なら人的ネットワークは空母

『大空のサムライ』を読みながら大きなプレゼンを経験して(出来事メモより)、
個人は誰もが戦闘機乗りなんだなぁっと感じた。
いったん飛び立てば一人ですべてをやらなくてはいけないし、
ポイントポイントでは覚悟を持って望まなくてはいけない。
しかし、だからこそ人のつながり(人的ネットワーク)は
そんな戦闘機にとって最も大切な母艦なのだろう。
戦闘機と空母との関係が個人とネットワークとの関係に近いと感じる。

2002 9/6
はしり書き