東京大学大学院 学際情報学府 学際情報学専攻 実践情報学コース修士課程に合格。
(変な名前だけどどうも僕は奇妙な名前や新しい分野に縁があるようだ)
某企業のアイドルプロジェクトに関わったことやHP運営を通して感じている
「感性の共鳴」という問題意識の主軸に、このHPを提出資料として院試に臨んだ。
(情報最大の価値はデータそのものじゃなく、そこから導き出される感性の共鳴という趣旨)
専門科目+英語の一次試験は解答用紙を取り間違えたかもしれないという
アクシデントにみまわれたのでだいぶん混乱したが何とか突破。
15人の教授の前で一人でおこなう二次試験(学術プレゼンテーション)は、
二度やりやって三度爆笑を取ったので「これで落ちたらもう仕方ない」と感じられた。
知り合いから事前に「突込みが半端じゃなく厳しい」とか、
「泣き出した人や怒って帰った人までいる」とか、
「全く違う専門分野からの質問が来るので本当に大変」とかとか
いろいろと聞かされていたのでかなり覚悟して挑んだが
実際にやってみると確かに厳しいものの相槌は打ってくれるし、
来てほしいと思ったところに突っ込んでくれるのでやりにくさは感じなかった。
面接やプレゼンという意味では吉本興業インターンシップ選定、
産学協同事業での木村常務へのプレゼンテーションや数社の就職面接を通して、
面接&プレゼン突破の名手と言われたこともあったが、
今回は学術分野でそれも15人という”当てに”いけない状況だったので
不安なことも多かったが何とか突破できた。
(HP運営の経験がキャリアとして認められたのがひそかに嬉しい)
思えば阿倍野高校に定員割れですべり込み、卒業の際にはトップレベル。
それでも立命館大学政策科学部へは一浪でやっと補欠合格、
卒業の際にはモデル学生として最高評価を受けた。
しかし大学院へは推薦ではなく一般入試でようやく合格、
そしていま東京大学大学院へ進学と、
僕の人生は常にギリギリで入ってトップで出るというのを繰り返している。
(吉本興業インターンシップもギリギリ通過だったとのこと)
ここまでくれば東大卒業の際にも一番いい結果を
生み出したいという気持ちが起こってくる。
一方で今回の反省点としては妙にバタバタしてしまったということだろうか。
OHP資料の作り方やスーツをめぐって24時間以内で大阪と東京を行き来したり、
直前までキンコーズでプリントアウトをしたりと落ち着かなかった。
ちょうど大河ドラマ『利家とまつ』が本能寺の変以後から
豊臣秀吉が天下を取るまでの間を放映していて、
『新史 太閤記』(司馬遼太郎)の中国大返しの項を思い出したので
あの場面の秀吉の起動力を考えると大阪~東京間の移動が苦痛にはならなかった。
そういう混乱の中の方が燃えるタイプだとはいえ、
いつもうまくいくとは限らないのでこれは今後の反省にしたい。
また、忘れてはいけないのが僕を助けてくれたまわりのサポートだ。
HPを資料として提出する際には掲示板のオフライン使用について
Jackと彼の後輩の助けを受けたし、推薦文はMさんに書いてもらった。
先輩になる牟田ちゃんや渋川にアドヴァイスを受けたことも大きいし、
AWAYの地である東京でのOHP資料作成やプリントアウト作業などの際には、
矢尾ちゃんやITOの協力や場所の提供があったからこそできたことだ。
ゼロ戦乗りの本『大空のサムライ』をこの試験の前後に読書していて、
自分はゼロ戦乗りのように戦うのだと思っていたが、
彼らの有機的な人的ネットワークはあたかも空母のように僕を支援してくれた。
「人生の半分は運で決まる」(マキアヴェリ)というが、
めぐまれた対人運にはつくづく感謝したい。
2002 9/6
出来事メモ、はしり書き、まいぽえむ