コスプレとバランス~特命係長プレイ~

近頃は特命係長プレイについて質問されることが多いので、今回はコスプレとバランスについて考えていることをコラムにて・・・

現在、もろもろの事情から、本業からの一時離脱を余儀なくされている。
不遇の時期と言われることもあるけれど、これを一つの機会ととらえて、合間合間に本格的な社会的コスプレをしている。
具体的に言うと、経歴詐称には当たらない範囲で可能な限り身元や経歴を伏せて働いている。
(日本ではワーキングネームも認められている)

仕事内容を耳にした知人や友人からは「なぜまろまろさんがそんな仕事をするんです!」と驚かれることもある。
中にはありがたいことに(?)積極的に別の仕事を紹介しようとしてくれる人もいたりする。
確かにこれまでの自分のタイプやキャラに合わないことかもしれないけれど、今では次の業務を待ち遠しく思えるほど楽しみに感じている。
そこにはもう一人の違う自分がいて、こうしてコラムを書いている自分と対比できるようになるからだ。

特命係長、必殺仕事人、遠山の金さん、水戸黄門、忠臣蔵などなど・・・
思えば自分は昔から昼と夜との顔が違う設定にあこがれを持っていた。
昼と夜との顔が違う人たちへの憧れは、自分が過度の照れ屋だということに起因している。
照れとは社会的なギャップに対するコンプレックス※1のことで、とっさにバランスを取ろうとする心の衝動であるらしい。

身元や経歴、もちろんこのWebサイトを伏せて社会と関わる時、誰も自分のことを天才やカリスマと呼ぶ人はいない。
「何とかと天才は紙一重」という言葉があるくらいだから、天才と呼ばれることはまだ許容できる。
でも、カリスマと呼ばれることは受け入れられず、これまでそう言われる度に右往左往していた。

もちろん、自分はピコピコしい小さい人間だから、自分のやったことや残したものを賞賛されるのは大好きだ。
でも、自分の表現したものに対する賞賛が自分自身に向けられた途端、耐えられないほどのプレッシャーを感じた。
自分に敬意を寄せてくれる人の前では積極的にダメな人間を演じて、無理やりにでも幻想を壊すこともよくやってきた。
(本来の姿を見せているだけということもあるかもw)

人は蔑まれれば蔑まれるほどそれに反発する気持ちが高まるのと同じように、逆に賞賛されればされるほど反発したい気持ちが高まるものだ。
物理現象のように心も作用と反作用の関係があるものだけど、照れ屋はそうした反作用の力が強い人間のことを言うのだと思う。

そうした照れ屋の自分にとって、かつてはネット(Web)が別の顔を持てる場所だった。
だからミステリアスで危険な男を目指して、リアルな部分とのリンクはできるだけ絶ってきた。
でも、時代の要請もあって次第にその差は縮まっていき、今ではネットとリアルな自分とはほぼ完全にリンクしている。
徐々に、そして確実に、ネットは別の顔を持つ場所ではなくなっていった。
それと同時に自分はバランス感覚を欠いていった面があったのではないだろうかと考えている。
(去年、不調だったのは原因の一つはバランス感覚の欠如もあったのではないかとも感じている※2)

また、「自分を客観視する」とか「自分を突き放して見てみる」とかという言葉がある。
でも、自分を突き放して見ることのできる人がいるのだろうか。
現に他人に「自分を見つめろ」としたり顔で言う人に限って自分を見失っている場合が多い。

あえていえば、自分の一部を自分の外に出して多くの人の目の前に晒してみることが一つの方法かもしれない※3。
そして自分を突き放して見てみるもう一つの方法が、まったく違う社会的な関係を持つことだろう。
人間とはその半分、または半分以上を社会的関係によってつくられるものだから、別の社会関係の中では自然と別の自分を生み出すことができる。
別の環境での自分自身を鏡にすれば、見たくなくても目についてしまう点がいくらでも出てくる。

振り返ってみれば自分は高校生の頃から、さまざまな世代の人が集まる場所、あまり十代の人間が関わりそうにない場所に通っていた。
また、今でも本業とは別の副業や別の世界を持っている人との相性が良い。
そうした人たちに共通して感じるのは、自分を客観視する視点とバランス感覚だ。
自分に関してみても、京都の大学で産学協同事業の代表をしながら東京の内定先企業で働いていた時には、
上司から「京都の仕事のストレス解消のために東京に仕事しに来てるだろ(w」とよく上司から揶揄されたものだ。

思うに、心や体のバランスを崩す人はバランスを取るための場所や機会が無い人なのではないだろうか。
社会的コスプレはある意味で心理療法に近いものがあるように感じている。
Webサイトを創っていくことは自分にとっては広場で箱庭療法をするようなものだけれど※4、身元を隠して働くのは演劇療法をするようなものだ。

社会的コスプレは、心のバランスを取りながら、自分を客観視する視点を得られる。
これからどのような立場になっても、違う立場でいられる機会を生活の中に組み入れていきたい。

・・・・っというわけで、まろみあんの人が社会的コスプレをしている僕を見かけても、声かけはこっそりとお願いします(w

※1:『コンプレックス』 (河合隼雄)

※2:当時は「バランス感覚とは足踏みの別名だから、前に踏み出す時には邪魔になる」と考えていた。
今でもバランス感覚に優れている、と言われるのは、創造性の無い後ろ向きな人間、と言われているように感じる面もある。
バランス力と前進力との関係についてはまたあらためて考えてゆきたい。

※3:まろまろコラム『メモのメモ』

※4:まろまろコラム『広場の箱庭師』

2008 10/10
まろまろコラム

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