司馬遼太郎・ドナルド・キーン 『日本人と日本文化』 中央公論新社 1984

“まろじぇくとX”の参加者からの声が掲示板にアップされた(ここ)、
らぶナベ@二人きりでも楽しんでもらったようでちょっと嬉しいっす(^^)

さて、『日本人と日本文化』司馬遼太郎&ドナルド・キーン談(中央公論新社)1984年初版。
司馬遼太郎(小説家)とドナルド・キーン(日本文化研究家)との日本文化談義の本。
出身地の影響もあってか(司馬=大阪、キーン=ニューヨーク)、
どちらも教養を明るさや洒落っ気で包む人なので、、
日本文化を語るときについてまわりがちな陰険さがなく
楽しそうな対談の様子が文章に落とし込んでも現れている。
「それは言い過ぎやろ」と突っ込んでしまうところもあるけれど、
キーン氏が”あとがき”で書いていたように
面白いおっちゃんの会話を横で立ち聞きするような気分にさせてくれた。

特に「第5章:日本人のモラル」、「第7章:続日本人のモラル」では
日本がどれだけ儒教の影響を受けたのかということについて、
二人の相違点が明確に出てきてその対立が面白かった。
また、最後には「日本的なものとしてがんばりすぎると、
変なものになってしまう(もっと自然でいこう)」
・・・っと同意して終わるのも二人の対談らしくて思わず笑ってしまった。
手軽だけど侮れない本。

ちなみにWEBサイト英語化プロジェクト(まろぷろ)で何かとお世話になっている、
ニューヨーク在住の市川文緒さんはキーン氏のお弟子さん。
そんな遠い人とお話できるなんてネットってすごい(いまさら(^^;)。

以下は、チェックした箇所(気になった順)・・・

・人間というのは、矛盾があればあるほどおもしろいですね。
 矛盾があれば、その人間が何かを考えているということがわかります(キーン)

・徳川時代は鎖国だったから、当時の日本人がみんないっしょに
 秘密を言い合って楽しんでいたというような気がします(略)
 江戸文学には普遍性がなかったと言えます(キーン)
→2ちゃんねるで盛り上がるスレッドもそんな感じだ(ナベ感想)

・日本の歴史を眺めておりますと、あらゆる面に外国文化に対する愛と憎、
 受容と抵抗の関係があるように思われます(キーン)

・日本人は原理というものには鈍感(司馬)

・もしも日本的な趣味を一つだけに絞ろうと思ったら、
 私は東山時代の文化じゃないかと思います(キーン)←司馬も同意

・南宋の文化は、日本にいちばん影響を与えたと思います。
 そのあたりの詩歌は、日本人の趣味にぴったり合っていた。
 感情的であって、あまり雄大なテーマはとり上げない(キーン)

・古い伝統を作るには、十年くらいかかる(略)
 逆に言えば、十年ぐらいかけると伝統を創りだすことができる(キーン)

・日本人はいつも何が日本的であるかということについて心配する(略)
 意識して特徴を出そうと思ったら、むしろ本居宣長のような、
 なにか不自然なものになるんじゃないか(キーン)
→大賛成です(略)あまり日本的なものとしてがんばりすぎると、
 いやらしいものになる(司馬)

・恥ずかしいことはできないということだけで社会の安寧秩序が保てる。
 その程度のことだけで保てる社会というのは、不思議な国で、
 ぼくがいつも日本を不思議だと思うのは、この点なんです(司馬)

・日本はひじょうに不思議な国になります。英雄のいない国です(キーン)

・政治というものはひじょうに男性的なものですけれども、
 ぼくら日本人というのは、
 政治を男性的にとらえにくい感覚をもっているのじゃないか(司馬)

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2003 1/10
文化論、対談
まろまろヒット率4

宮城谷昌光 『太公望』 文藝春秋 上中下巻 2001

年末年始は小説、特に歴史小説を読みたくなる、
らぶナベ@自分を重ね合わせて振り返りたいからかな?
(特に去年は考えることや岐路に立つことが多かったからか)

さて、そんなわけで2003年第1弾『太公望』宮城谷昌光著(文春文庫)2001年初版。
知り合いのJACKから「陰謀マニアだったらオススメ」と言われて(ここ)
手に取った中国古代を舞台にした歴史小説。
中学か高校の時に読んだ『夏姫春秋』以来、久々の宮城谷作品。
(当時は思春期の少年にとってはきわどいシーンもあってどきどきした)

内容は商(殷)末から周はじめにかけて活躍した太公望の人生をえがいている。
紀元前11世紀という今となっては神話と伝説が錯綜する時代の物語なので
(孔子などの諸子百家のさらに600年以上前の時代)
著者の様々な解釈が織り込まれていて読んでいる方としても想像力が膨らむ。
特にこの時代は文字が占いの道具(甲骨文字)からコミュニケーション手段に
移りつつある時代でもあるので文字というものの重たさを感じさせてくれた。
太公望は後の中国で兵法の祖とされるほどの合理主義者だったけれど、
その合理主義的な思考は文字による教育を受けなかったからだとする
著者の解釈は興味深かった。(ちょっと逆説的な匂いがあるのが味噌)
遠い時代だからこそのそんな解釈は面白いけれど、
太公望を武術の達人にするのはちょっとやりすぎのような気もしたし、
商との戦いや斉の建国などは太公望の本領発揮の部分なのに、
前半部分に比べて妙に記述が薄い気がしたのがちょっと残念。
もっと太公望の頭脳戦が読みたかった。

以下は、思わずチェックした箇所・・・

・まっすぐなものがみえない人は、どこかで成長がとまるような気がする。
 (略)大木をみればよい。

・この世に生まれた者は、かならず死ぬ。
 だが、死は人生の到達点でありながら、それは願望でも目的でもない。
 生きるということは、すべて途中である。その途中こそがたいせつではないのか。

・大事を成すには、小事をつみかさねてゆくしかない。
 しかし小利を求めてはならない。
 小成は大成のためには、つまずきにすぎない。

・危難というのは両刃の剣である。
 危難に殺されるか、危難を新生面にかえるか、である。

・企てというのは、人に頼ろうとする気が生じたとき、
 すでに失敗しているといってよい。
 -まず、自分の目と耳とを信ずることだ。

・素材が人であれば、素材を合わせてつくった料理が組織である。
 それ自体はにがく、からいものでも、他の素材と合わせれば、
 うまさを引きだすことができる。

・卑賤の者をあなどるのは小人の癖

・めざめつづけている男がなした偉業を、夢をみる者たちは、奇蹟と呼ぶ。
 呂望は夢のむこう側かこちら側にしかいない。

・大きくなりたかったら、自分より大きな人にぶつかったゆかねばなりません。
 (略)形をもったままぶつかってゆけば、その形は毀れましょう。
 が、形のない者は、毀れるものがないのですから、
 恐れることはありますまい。

・時代の狂気を否定しようとする者に、時代の常識に慣れた人が狂気みるのは、
 古往今来、かならずあることであり、それは革命者の奕々たる宿命である。

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2003 1/8
小説、歴史
まろまろヒット率3

町田健 『言語学が好きになる本』 研究社 1999

この本を読むきっかけを考えるとネットで公開するってすごいなぁっと思う、
らぶナベ@くわしくは以下のメモにて(^^)

さて、その『言語学が好きになる本』町田健著(研究社)1999年初版。
はじめて読んだ言語学関係の本。
言語学の入門書を探していたところまろまろ掲示板にも遊びに来てくれることがある
ちづさんがたまたまた大学院で言語学を研究していて(生成文法)
「読みやすいけど基本も押さえられてる」と薦めてくれた一冊。
ちなみにちづさんは研究科は違っても僕が入る学校と同じだったのでびっくり。
(こんなこともあるんすねぇ)

内容の方はQ&A方式で書かれているのでとても読みやすい。
言語学って、ものすごく難しかったり読みにくい先入観があったけれど
確かにこれなら僕でも慣れることができそうだ。
特に面白かったのは「Q6チンパンジーやイルカもコトバを使うの?」で、
人間の言葉と動物の言葉との決定的な違いを分節性に求めた点や
「Q7赤ちゃんはどうやってコトバを使えるようになるの?」で、
言語能力という動物学的には特異な能力を人間は本来的に持っているのかという議論、
そして「Q18英語の冠詞の使い方に決まりなんてあるの?」で、
定冠詞と不定冠詞を聞き手が文脈の中で特定するのかどうか、
部分と全体という視点で説明している点だ。
特に定冠詞と不定冠詞は日本人なら誰でも一度は苦しめられたことがあるものなので
こういう風な説明をされると「なるほど!」っと素直に感動してしまった。
(掲示板での補足説明ももらいました→ここ)

また、巻末にはもう少し上のレベルでの入門書が紹介されてあるが、
それぞれの一長一短をちゃんと書いてくれてあった。
入門書は読んでからある程度時間がたたないとその良し悪しがわからないものだけど、
(本人がその分野をどう活用するかどうかにもよるし)
こういう基本的な丁寧さには好感が持てた。

以下は、チェックした箇所の抜粋&一部要約・・・

○ソシュールは言語の音の方を「能記」(シニフィアン)、
 意味の方を「所記」(シニフィエ)と呼んだ
 (ただし訳語は研究者の間ではあまり人気がないらしい)
<Q1世界一の言語学者はだれ?>

○記号の「体系性」=記号の意味や動きは他の記号との関係で決まる
 とソシュールが主張
<Q1世界一の言語学者はだれ?>

○比較言語学の目的=複数の言語を比べてそれらのもとの言語(祖語)は
 どうなっていたのかを推測すること
 =言葉の歴史を研究する分野のひとつ
 →もとの言語を復元する「祖語の再建」もおこなわれる
<Q2文字で書かれていない言語の歴史は分かるの?>

○「音韻変化の規則性」=ある言語で使われている音が時とともに変化すれば、
 どんな場合でも一律に同じように変化をするという性質のこと
<Q2文字で書かれていない言語の歴史は分かるの?>

○イタリアの諺には「翻訳者は裏切り者」(traduttore,traditore)というのがある
<Q5完全なる自動翻訳機は実現する?>

☆人間の言葉と動物の言葉との一番の違いは、「分節性」があるかないか
 「分節性」=文という記号がより下位の記号単位である単語から
  構成されている性質(平たく言えば文が単語にわかれていること)
  →分節をもたない言葉を使って作り出せる文は
   最大でもたった三十個にしかならないという研究がある
注:ただし人間の言葉も動物の言葉もどちらも「記号」であり、
  「恣意性」もある点では同じ
<Q6チンパンジーやイルカもコトバを使うの?>

○生成文法の目標=普遍文法を見つけ出すこと
 「普遍文法」=人が生まれながらにして脳の中に組み込まれている言語の本質
  (チョムスキーが存在すると主張)
 →初めから文法規則の根本原理が頭の中に入っているから
  少しぐらい間違った情報が混ざっていても
  幼児は短期間のうちに正しい文法規則をおぼえていけると考える
<Q7赤ちゃんはどうやってコトバを使えるようになるの?>

○単語の意味が抽象的=言葉の一番大切な性質のひとつ
<Q7赤ちゃんはどうやってコトバを使えるようになるの?>

☆モノや事柄を個別的ではなく共通の特徴をもった集合としてとらえる能力こそが
 人間に先天的に備わった言葉を覚えるための能力で、
 文法的規則などは言葉を覚えていく段階で身につけていくものではないか
 と著者は現在考えている
<Q7赤ちゃんはどうやってコトバを使えるようになるの?>

☆言葉がいつどのように生まれたか=「言語起源論」
 →言葉も一種の社会規範なので社会全体に広げるためには、
  何らかの権威が関わったのだろうと著者は予想
<Q8コトバはいつどうやって生まれたの?>

○「ピジン」=異なった言語を話す人々が通商などの目的で
 自分たちの母語ではない言語をもとにして、
 自分たちの母語の単語などを入れてつくった言語
 →ピジンが発展してその人たちの母語となったものは「クレオル」
<Q11日本語はどこから来たの?>

☆定冠詞と不定冠詞の違い
・「定」=文脈で与えられた範囲の中で、他のモノとは違う
     どれか特定のモノを示すことが「聞き手」にも分かること
・「不定」=文脈で与えられた範囲の中で、名詞が指しているものが
     「聞き手」にとってはどれでもよいこと
→重要なのは名詞の指すものを聞き手が具体的に知っているかどうかではなく、
 聞き手がそれについて同じ名詞が指すことができる他のモノとは
 質的に違うのだということを、文脈から判定することができるかどうか
 また、定と不定という性質は文中の名詞の指すモノが、
 ある範囲のモノの中の「全体」なのか「部分」なのかを表すものでもある
<Q18英語の冠詞の使い方に決まりなんてあるの?>

○言語学は本質的にいい加減な「言葉」という対象の中にある規則性を、
 できる限り客観的な方法を用いて発見していこうとする学問
<本格的に言語学に挑戦したい人のために>

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2002 12/21
言語学
まろまろヒット率3

Paul Thagard、松原仁監訳 『マインド―認知科学入門』 共立出版 1999

新しい分野の本を読む時はいつも最初は戸惑うけど読み終えると嬉しい、
らぶナベ@旅行をしたときに近い感じです(^^)

さて、その『マインド-認知科学入門』Paul Thagard著&松原仁監訳(共立出版)1999年初版。
初めて読み終えた認知科学本。
院進学を決めたので入学前のこの準備期間(~2003年4月)に今まで触れたことがなかった
認知科学、言語学、社会心理学などの基本入門書を読むことにした。
まずは認知科学の入門書を読もうと思っていたところ、
東大院情報学環の植田一博助教授が入学パンフレットで
この本を薦めていたので買って読んでみた。

内容は「思考は、心の表象とその構造を操作する計算手続きによって最も良く理解される」
っという現在の認知科学の中心的仮説を
「CRUM(Computational-Representational Understanding of Mind)
=心の計算-表象的理解」と名付けて、
この考えを軸に認知科学の代表的なアプローチ=「論理」、「ルール」、
「概念」、「類推」、「イメージ」、「コネクション」を検証する第1部と、
他の分野から寄せられた認知科学への疑問に反論して、
さらにCRUM自体も修正(補足&拡張)する第2部から構成されている。

この本の中で一番興味深かったのは、
一般的に感情と思考は別のものと考えられていて、
感情は冷静な思考にとっては邪魔なものだとする考えについて・・・
そもそも「人間の問題解決はかなり複雑であり、
急速に変化する環境、および多くの社会相互作用の中で、
互いに矛盾する多数の目標を達成しなければならない」
だから「感情はこうした問題解決場面に手短に”評価”(appraisal)を下し、
その後の思考に対して二つの重要な貢献をなす」
「”焦点化”(focus)させ、あなたの限られた認知リソースをその事柄に集中させる」
そして「”行動”(action)の準備となるものを与える」
つまり「感情は人間の思考にとって、単なる付随的で迷惑なものであるわけではなく、
評価や焦点化や行動にかかわる認知的機能を持つものである」
<第9章:感情と意識-CRUMの拡張>
・・・っと批判している点だ。

ただ、読んでみてあらためて感じたことは、
認知科学はまだ生まれたばかりの領域なので
統一的見解が少なくて入門者にとっては少し煩雑な感じがする。
議論の中身も脳神経科学の発展によってかなり変わってくるんじゃないのだろうか。
著者も「認知科学はロックンロールとほぼ同じ年齢である。
両者とも1950年代中頃からいろいろな場所で起こり始めた」
そのために「現時点では認知科学はまだ初期段階にあり、
理論的な多様性は欠点というよりむしろ望まれる特徴である」
だから「統合的で、分野をまたぐ努力が
心の特徴を理解するうえで本質的であり続ける」と述べている。
<第8章:総論と評価-認知科学の功績>
また、科学書だから仕方ないとはいえ、ベタベタな直訳が多いのもどうかと思った。

読み終えてから学部生の頃、認知科学が好きな後輩がいたのを思い出した。
当時はコンピュータオタクっぽくて嫌煙していたが、
こんなことならちゃんと話を聞いて本を紹介してもらうんだった(^^;

以下、その他にチェックした箇所の抽出&要約・・・

○多くの認知科学者は、心における知識は心的表象
 (mental representation)を形成していることに同意する。
 <第1章:表象と計算-あなたは何を知っている?>

○認知科学では、人間が思考し行動するのに心的表象を操作するための
 心的手続き(mental procedure)を持っていると考える.
 <第1章:表象と計算-あなたは何を知っている?>

○プラトンはもっとも重要な知識は感覚経験とは関係ない
 人間の生まれ持った徳(virtue)のような概念からくると考えた。
 デカルトやライプニッツといった他の哲学者は、
 知識はただ考え推論(reasoning)することによって得られるとする
 合理主義(rationalism)の立場をとった。
 これに対してアリストテレスは「すべての人は死すべき運命にある」
 (All human are mortal)といった経験から学ばれるルールによって知識を議論し、
 ロックやヒュームが支持して経験主義(empiricism)の立場ができた。
 カントは人間の知識は感覚経験と心の生得的能力の両方に依存するとして、
 合理主義と経験主義両者の統合を試みた。
 <第1章:表象と計算-はじまり>

○実験なしの理論は無であるが、理論なしの実験は盲目である。
 <第1章:表象と計算-認知科学の方法>

☆認知科学のモデルを理解するためには、理論、モデル、プログラム、
 プラットフォームの役割を理解する必要がある。
・認知的「理論」=表象構造の集合とそれらの構造を操作する手続き集合
・計算「モデル」=理論の構造とプロセスをデータ構造とアルゴリズムで構成される
 コンピュータプログラムの類推として解釈することで具体的にしたもの
・ソフトウェア「プログラム」=このモデルをテストするためのもの
・ハードウェア「プラットフォーム」=プログラムを走らせる土台
 <第1章:表象と計算-理論、モデル、プログラム>

○命題論理と述語論理は、真であるか偽であるかを記述する
 表明(assertion)を扱う場合はうまくいが不確実性は扱えない。
 <第2章:論理-表象能力>

○確率を扱う計算機システムの開発は難しい。
 なぜなら、確率の利用は計算論的な爆発
 (モデルの変数や命題の数が増えるにつれて必要とする確率の数が
 指数関数的に増加すること)を引き起こすからである。
 <第2章:論理-計算能力>

☆論理に基づくシステムにおいては、思考の基本的操作は論理的演繹であるが、
 ルールに基づくシステムでは、思考の基本的操作は探索(search)である。
 <第3章:ルール-計算能力>

○概念に基づくシステムにおいて非常に効果的に適用できるプロセスは、
 継承(inheritance)である
 <第4章:概念-計算能力>

☆初心者と熟練者の違いは熟練者がルールを持っているという点にあるが、
 教育研究によれば、熟練者は概念やスキーマとして
 記述可能な高度に組織化された知識を持っているとされる。
 <第4章:概念-応用可能性>

○潜在的に認知科学の教育に対する関係は生物学と医学との関係と同じである。
 つまり実際的な治療のための理論的バイアスである。
 <第8章:総論と評価-比較評価>

○カオスシステム(chaotic system)では多くの変数における
 非常に小さな変化に依存して急激な変化(相転移)を示すため、
 系の振る舞いを予測することが大変困難である。
 天気を、2、3日より前に予測するのが困難な理由は、
 気象学者が2、3日後の天気に影響を及ぼす全ての変数の小さな変化を
 すべて観測することができないからである
 <第11章:ダイナミックシステムと数学的知識-ダイナミックシステムからの挑戦>

ちなみに著者のHPはこちら→http://cogsci.uwaterloo.ca/

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2002 11/21
認知科学
まろまろヒット率3

井上真花 『おしえて先輩!人気ホームページのつくり方』 ソシム 2002

そろそろ読書日記をDateBase管理&HP更新できるようにしたい、らぶナベです(T_T)

さて、『おしえて先輩!人気ホームページのつくり方』井上真花著(ソシム)2002年初版。
人気HomePageの運営者に対するインタビュー本。
ネットというメディアを考える上で、また一人のHP運営者として、
いろいろと考えるきっかけになるのでこの手の本は最近いくつか読んでるけど、
レイアウトも含めてこの本が一番読みやすいと思う。
各インタビューごとにそのHPの開設時期や維持費が紹介されているのも興味深い。
どうせなら「アクセス数が急に伸びたきっかけ」や、
「HPが軌道に乗ったと思った時期」なんて項目も入れてほしかった。

中でも驚いたのが東京トップレスの運営者へのインタビューだ。
実は僕がインターネットをはじめた時期、1995年に、
大学から買わされたモノクロノートパソコン(PowerBook520)で
テレホーダイになる11時過ぎに14Kbps(遅っ!)で
一生懸命見ていたHPがこの東京トップレスだったからだ(^^;
もう長いこと訪れていなかったのでまだあったんだということもびっくりしたが、
今でも無料で続けているというのにかなり驚いた。
「ここで有料サイトにしたらただの商品になってしまう。
これだけのメディアをただの商品にまで格下げするのは、あまりにもったいない」
・・・っという運営者の言葉にはある意味で清清しい姿勢さえ覚えた。

この本に限らずHP運営者へのインタビュー本はどれも
インターネットというメディアを考える上で格好の素材だとあらためて感じた。
「メディアとしてのインターネット」については
さまざまな場所でさまざまな角度から議論がなされているけど、
その議論の説得性はこうした当事者の生の声を
いかに把握&昇華できるかで決まるような気がする。

以下は、チェックした箇所・・・
○(モデルに風俗嬢が多いことについて)
 雑誌はお店にスポットをあてて記事にするけど(略)
 お店の女の子として紹介されたって、
 あんまり彼女たちにメリットないんですね。
 東京トップレス(http://tokyotopless.com/)

○メールマガジンを発行する人は、人を集められる人だと思ったんです。
 そういう人を集めれば、人の集まるサイトになるのではないかと。
 ゴザンス(http://www.gozans.com/)

○なにを集めるか、そのアンテナこそが、自己表現になっているのだと思います。
 TECHSIDE(http://www.iris.dti.ne.jp/~spec/news2/bbsf.html)

○しょせん、クラスの中で2人か3人が「おもしろい」と思うようなものしか、
 やっていないんです。でも、クラスの中の2人って場合をインターネットで考えると、
 それなりにかなりの人数に、なってしまう訳です。
 Webやぎの目(http://www.kt.rim.or.jp/~yhayashi/)

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2002 11/19
情報関連、メディア論
まろまろヒット率4

野中郁次郎 『アメリカ海兵隊~非営利型組織の自己革新~』 中央公論新社 1995

まろまろ用語集「がんばりすぎるな」を見た人から
「価値があるからしんどいことをするんであって、
しんどいからといって価値があるとは限らないですよね」というメールをもらった、
らぶナベ@深いので用例に修正追加しておきました(^^)

さて、『アメリカ海兵隊~非営利型組織の自己革新~』野中郁次郎著(中公新書)1995年初版。
アメリカ海兵隊(US.Marine)という世界でも類を見ない独特の組織を題材に、
非営利型組織での自己革新とはどういうことかをテーマにした本。
組織論研究の第一人者が書いた本だけに一見堅そうだけど、
中には「単なる趣味じゃん」と思えるような記述もあったりして
普通の読み物として読んでも楽しい。

何しろ著者が他の分野の研究者と共同執筆した『失敗の本質』(中央公論新社)の中で、
太平洋戦争のターニングポイントになったガダルカナルの戦いを分析しているときに
海兵隊の独自の戦い方に興味を持ったのが執筆のきっかけになっていて、
本人も「ほとんど趣味的に・・・」っと前書きで書いているくらいだ。
その『失敗の本質』は僕も心のベスト本のひとつだし、
読者の立場でも同じようにガダルカナルの戦いのところで
強襲揚陸という海兵隊の独自のスタイルに興味を持った。
さらに『歴史群像 朝鮮戦争』(学研)を読んだときも、
中国軍介入で連合軍が崩壊する中で重厚な包囲を突破して
長津湖からハガル里まで退却した海兵隊の記録に強い印象を受けたことがある。
(凍結しないようにアンプルを加えながら走ったという衛生兵が象徴的だった)
そんな独特の組織がどう形成され、
変化する環境に対してどう自己革新していったかを書いている。
扱っているテーマの大きさの割にはちょっと分量が足りない気もしたが、
自己革新という視点以外でも物資を常に海上展開していて有事の際には
人を空輸して合流させるという即応部隊(Force in Readiness)としての
現在の海兵隊のスタイルはWEB活動にも応用できそうな気がした。
いろんな読み方ができる興味深い一冊。

以下は、本書のテーマ自己革新組織についての要旨&抜粋要約・・・

<自己革新組織>

“定義”
絶えず自ら不安定性を生み出し、
そのプロセスの中で新たな自己創造を行ない、
飛躍的な大進化としての再創造と連続的で漸次的な小進化を、
逐次あるいは同時に行なうダイナミックな組織

“要件”
(1)「存在理由」への問いかけと生存領域(domain)の進化
(2)独自能力ー「有機的集中」を可能にする機能配置
(3)「分化」と「統合」の極大化の組織
(4)中核技能の学習と共有
(5)人間=機械系によるインテリジェンス・システム
(6)存在価値の大化

(注)自己革新組織の要件には、概念としては矛盾するが
実は相互に補完し合って共存関係にあるものが多い。
→行動がそれらの突破口
→ゆえに自己革新は機動力が必要
 (上記の要件は機動力の要件でもある)

☆変わらないもの(不易)と変わるもの(流行)は、
それぞれが単に独立してあるのではなく両者は相互に作用し合うのである。
存在価値は、機能価値を触発し方向づけるが、
機能価値は、存在価値を環境の変化に順応した形で実現する。

(1)について
ドメイン(domain)とは、組織がどのような領域で環境と
相互作用したいかを決める独自の生存領域のことである(略)
生存領域は、論理的な分析だけで出てくるものではない。
環境と相互に作用しながら思索反省と経験反復とを通じて
次第に分かってくるのであり、
ある時点でリーダーがそれを明確に概念化するのである。

(1)について
小進化としての洗練は経験的であることが多いが、
大進化としての再創造は経験を越える概念で始まることが多い。

(1)について
市場競争による淘汰を受けない非営利の公的組織に
革新を促す刺激はその生存に対する危機(略)
したがって公的組織の革新へのモティヴェーションは存在本能に近い。

(2)について
戦略は、言い換えれば、資源配分のデザイン(略)
戦略は状況に依存するので唯一絶対のものではないが、
普遍的な原理といえるのは「集中」。
 (海兵隊の場合、中心的機能は歩兵)

(3)について
分化と統合の同時極大化は論理的には不可能
(略)現実における行動が必要。
→対抗する二つの力のバランスを取るのではない、
 時と場所によって異なる力関係を感じ取り、
 組織のリーダーがその強いほうを選んで推進する。

(4)について
情報の本質は何らかの「差異」をもたらすこと。
したがって敵が何をやろうとしているかということは、
我々が何をやろうとしているかということと関連させて初めて意味を持つ。

(6)について
組織の持つ価値=
組織が果たすドメインや使命などから構成される「機能価値」
    +
組織の成員から全人的関与を引き出す、何のために生きるかという「存在価値」

(6)について
自己革新組織は、主体的に新たな知識を創造しながら、
既存の知識を部分的に棄却あるいは再構築して自らの知識体系を革新してゆく。
→知識創造こそが組織の自己革新の本質

(6)について
知識には言語化、ドキュメント化が可能な形式知(言語知、分析的知、客観的知)と
言語化、ドキュメント化が困難な暗黙知(経験知、直感的知、主観的知)があり
知識創造は両タイプの知が相互に作用しながら循環するダイナミックなプロセス

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2002 10/28
組織論、経営学、戦略論
まろまろヒット率4

2ちゃんねる 『2ちゃんねる公式ガイド2002』 コアマガジン 2002

何気にまろまろ掲示板でも2ちゃんねるはお勉強ネタになったことがある・・・
らぶナベ@これからも法的視点は欠かさず注目です。

さて、その『2ちゃんねる公式ガイド2002』2ちゃんねる監修(コアマガジン)2002年初版。
21世紀初頭の日本が生んだ世界最大規模の匿名掲示板
「2ちゃんねる」(http://www.2ch.net/)の公式ガイドブック。
管理人であるひろゆきの視点やスタンスについては
以前読んだ『個人ホームページのカリスマ』(講談社)で垣間見たが
2ちゃんねる自体のちゃんとしたガイドが欲しかったので購入。
たまたま発売日に書店で見かけた時は手持ちがなかったので
次の日に買おうとしたら既に売り切れていた。
さすが話題性No.1WEBサイト、かなり売れている本のようだ。

期待して読んだものの2ちゃんねるの歴史や体制についての体系的な説明がないのに、
関係者各位の書きものが単発で散らばっているので内輪ノリを強く感じた。
経緯や背景の説明がないと共有できない話が多いのにその説明がない。
公式ガイドと銘打っているだけにこれにはちょっと残念。

ただ、第4章「2ちゃんねるほぼ全板ガイド2002」は面白かった。
何しろ実際にネットでの手探り状態だけでは、
まず全部の板(カテゴリ)を網羅的に見ることができないので
こういうガイド本の存在意義を感じさせてくれるものだった。
中にはその板の歴史まで書かれてあるものまであって、
コミュニティの栄枯盛衰を見るようで読み入ってしまった。
この全板ガイドの分量をもっと増やせばいいのにとか、
コーエーの歴史シミュレーションゲーム(『三国志』など)の
『武将ファイル』のように各板のパラメータまで出してくれればいいのに
とか感じたがこれは次の改訂に期待しよう。

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2002 10/14
情報関連、メディア論、ムック本
まろまろヒット率2

塩野七生 『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』 新潮社 上下巻 2002

塩野七生はよく研究者から叩かれるけどその半分くらいはヒガミ節だと思う、
らぶナベ@安藤忠雄や小澤征爾に対する批判と似たものを感じます(^^)
勉強のために勉強しても仕方ない・・・とまでは言わないけど、
“歴史を学ぶ”と”歴史から学ぶ”はちょっと違ってもOKなはずさ、がんばれ七生!

さて、そんなこんなで『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』上下巻
塩野七生著(新潮文庫)2002年初版。
『ローマ人の物語』シリーズ第三段。
ポエニ戦争後、地中海の覇者となったローマの改革に取り組んだ
グラックス兄弟(第一章)、マリウスとスッラ(第二章)、ポンペイウス(第三章)を中心に
内乱と混乱の約100年を取り上げている。

内容は第一段『ローマは一日にして成らず』の時代に確立された、
政治体制の制度的疲労に対する取り組みの紆余曲折がメインとなっている。
こういう政治改革の話ではやはりローマ史は古典ではないだろうか。
(そういう意味でこの本も政治学カテゴリに追加)
ただ、純粋な物語としては前二作に比べてやはり迫力が落ちる。
どうしても『ハンニバル戦記』『ユリウス・カエサル』との間の
“つなぎ”的印象を受けてしまった。(前後作に比べて分量も少ない)
そういうわけでこの本を読み終えて「さぁ、いよいよカエサルだ!」
っと意気込んでいたが文庫化されているシリーズはここまでだった(>_< ) 次の文庫化は来年まで待たなくてはいけないようでちと残念。 以下、チェックした箇所・・・ ○直接民主政の欠陥の一つは、容易に投票場に来られる人の意見が より多く反映されるところにある。 <第一章 グラックス兄弟の時代> ○(元老院制を維持するために行ったスッラの独裁について) 「理」を理解する人が常にマイノリティである人間世界では、 改革を定着させるにはしばしば、手段を選んではいられないのである。 <第二章 マリウスとスッラの時代> ○優れた能力に恵まれた人はしばしば、前段階で成しとげた事柄を定着させることで、 現に解決を迫られている事柄への打開の出発点とする。 <第三章 ポンペイウスの時代> この本をamazonで見ちゃう

2002 10/13
歴史、政治学
まろまろヒット率3

追記:全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・

『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』

『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』

『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』

『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』

『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』

『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』

『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』

『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』

『ローマ人の物語24,25,26 賢帝の世紀』

『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』

『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』

『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』

『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』

『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』

塩野七生 『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』 新潮社 上中下巻 2002

リクエストに応えて読書日記を新しい順に入れ替え中の、
らぶナベ@参考にするので引き続きご意見&ご要望お待ちしております(^^)

さて、『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』上中下巻
塩野七生著(新潮文庫)2002年初版。
『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』に引き続いて堪え性なく読んだ、
ローマ人の物語シリーズ第二段。
文庫化される前からこの第二段『ハンニバル戦記』はずっと気になっていた。
何しろ戦略や戦史を語る際には必ずと言っていいほど出てくる
カルタゴの悲劇の天才戦略家ハンニバルが主役だからだ。
今まで読んだ戦略関係の本で何度このハンニバルの名前が出てきたかわからない。
特に前216年の「カンネーの戦い」での彼の両翼からの包囲殲滅作戦、
相手の主戦力を無力化させる戦術についての考察は、
現在も欧米の士官学校では必ず習うというほどだ。
そうは言うものの彼の第二次ポエニ戦争を通した戦い方、
そしてローマとカルタゴの戦いの全体像はよく知らなかったので
この本はとても面白く読めた。
(断片的な知識がつながっていくパズル的快感)

読んでみて改めて感じたことは、ハンニバルは戦略の天才だと称されることが多いが、
ローマ同盟都市を離反させる最初の戦略プラニングで思いっきりつまずいている。
その彼の戦略・戦術がこれほどまで研究されてきたのは、
彼自身の要因に加えてローマという後に巨大な国家として
長年栄えた国を何度も破ったからというのも大きな理由なのだろう。
ローマが繁栄すればするほど、長く存続すればするほど、
ハンニバルの名前は広く長く普及するしその戦い方も詳細な記録に残りやすい。
だから後の世の研究対象にもなりやすい。
ちょうど三方ヶ原の戦いで徳川家康を破った武田信玄が江戸時代を通して
戦国最高の武将と言われたりその戦い方が研究されたりしたのと似ている。
ハンニバルはちょっと得してる(^^)

僕は彼を破ったスキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)の方に強い興味を持った。
ローマ軍が完全に壊滅したカンネーでは司令官を救出しての脱出に成功するなど
様々な運にも恵まれていたが彼の気持ち良いほど大胆で鮮やかな戦略にはひかれる。
ちなみに地中海世界でのハンニバルと大スキピオの決戦「ザマの戦い」が前202年、
東アジアでの項羽と劉邦との決戦「亥下の戦い」もちょうど同じ前202年。
高校の世界史の教科書でこのことを発見した時には
(勉強できなかったけど教科書眺めるのは好きだった)
「東西で凡人が天才がを破った年なんだなぁ」と勝手に思っていたが
大スキピオは彼自身、非常に才気溢れる人間のようで
僕の年来のこの考えを修正することにもなった一冊。
彼についてのいい本があればまたあらためて読んでみたい。

以下はチェックした箇所・・・

☆戦争終了の後に何をどのように行ったかで、その国の将来は決まってくる。
勝敗は、もはや成ったことゆえどうしようもない。
問題は、それで得た経験をどう生かすか、である。
<第二章 第一次ポエニ戦役後>

○戦闘の結果を左右する戦術とは、コロンブスの卵であると同時にコロンブスの卵ではない。
誰も考えなかったやり方によって問題を解決するという点ではコロンブスの卵だが、
そのやり方をと踏襲すれば誰がやっても同じ結果を産むとはかぎらないという点で、
コロンブスの卵ではないのである。
<第三章 第二次ポエニ戦役前期>

○天才とは、その人だけに見える新事実を、見つけることのできる人ではない。
誰もが見ていながらも重要性に気づかなかった旧事実に、気づく人のことである。
<第三章 第二次ポエニ戦役前期>

○(ハンニバルの言葉として)多くのことは、それ自体では不可能事に見える。
だが、視点を変えるだけで、可能事になりうる。
<第四章 第二次ポエニ戦役中期>

○信頼は、小出しにしないほうが、より大きな効果を産みやすい。
<第五章 第二次ポエニ戦役後期>

☆優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。
率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。
持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。
<第六章 第二次ポエニ戦役終期>

この本をamazonで見ちゃう

2002 10/8
歴史、戦略論、政治学
まろまろヒット率4

追記:全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・

『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』

『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』

『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』

『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』

『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』

『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』

『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』

『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』

『ローマ人の物語24,25,26 賢帝の世紀』

『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』

『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』

『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』

『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』

『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』

塩野七生 『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』 新潮社 上下巻 2002

堪え性がなく買ってしまった、らぶナベです。

さて、『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』上下巻
塩野七生著(新潮文庫)2002年初版。

ハードカヴァーの初版から10年たって出版された、
塩野七生のライフワーク『ローマ人の物語』シリーズの文庫版第一弾。
10年前に出たときにも読みたかったが妙に値段が高かったのと、
シリーズが全部出揃ってから一気に読みたくて手をつけずにいた。
なのに書店に並ぶ文庫本にひかれて思わず購入してしまった。
(本シリーズもまだ未完なのに堪え性がない(^^;)
手にしてみるとせっかく文庫本になったのにハードカヴァー1冊分の分量を
わざわざ分冊にしているのにはちょっと残念だなぁっと感じたが、
これは文庫は「背広のポケットに入れてもポケットが型崩れしない」
ものにするという著者の意図らしい。

内容は前書きに当たる”読者へ”で「史実が述べられるにつれて、私も考えるが、
あなたも考えてほしい。”なぜローマ人だけが”と」という呼びかけをおこなっているように、
知力でも体力でも技術力でも経済力でもまわりの諸民族に見劣りしていたローマ人が
なぜあれだけの巨大な国家を築き、長年維持できたのか、
そしてなぜ衰退したのかというという疑問がこの長い長い物語を貫くテーマになっている。

第一弾の『ローマは一日にして成らず』はローマ建国から共和制への移行、
そしてイタリア半島統一までの約五百年を書いている。
ヴェネツィアの千年史を書いた『海の都の物語』もそうだったが、
著者は社会システムについての洞察が非常にするどい。
ギリシアのポリスに使節団を送り込んでおきながら直接民主制を採用しなかった
共和制ローマについての彼女の考察は特に興味深かった。
理念に眼を曇らせない彼女の冷静な視点は読んでいて爽快感を感じるほどだ。
この本ではギリシアのポリスついてもかなり詳細な記述があるが、
もし政治学を学ぶならこの本で取り上げられていることは
前提として押さえておかないとわからない話が続出するだろうと思う。
そういう意味で政治学を学ぶ上での必須前提書でもあるのだろう。
(この時代を取り上げた他の本でもいいけどね、この本は面白いから)

「一日にして成らず」というように三歩進んで二歩下がるような
ゆっくりしたローマの成長はまだまだ始まったばかりだが、
この第一弾を読んだだけですっかり著者の問いかけに魅了されてしまった。
僕もこのシリーズを読みながら考えていこう、「なぜローマ人が?」と。

以下、チェックした箇所・・・

○神話や伝承の価値は、それが事実か否かよりも、
どれだけ多くの人がどれだけ長い間信じてきたかにある
<建国の王ロムルス>

☆多神教では、人間の行いや倫理道徳を正す役割を神に求めない。
一方、一神教では、それこそが神の専売特許なのである
<二代目の王ヌマ>

○人間の行動原則の正し手を、宗教に求めたユダヤ人。哲学に求めたギリシア人。
法律に求めたローマ人。
<二代目の王ヌマ>

○戦争は、それがどう遂行され戦後の処理がどのようになされたかを追うことによって、
当事者である民族の性格が実によくわかるようにできている。
歴史叙述に戦争の描写が多いのは(中略)戦争が、歴史叙述の、
言ってみれば人間叙述の、格好な素材であるからだ
<ペルシア戦役>

☆歴史は必然によって進展するという考えが真理であると同じくらいに、
歴史は偶然のつみ重ねであるとする考え方も真理になるのだ。
こうなると、歴史の主人公である人間に問われるのは、
悪しき偶然はなるべく早期に処理することで脱却し、
良き偶然は必然にもっていく能力ではないだろうか
<南伊ギリシアとの対決>

☆ローマ人の真のアイデンティティを求めるとすれば、
それはこの開放性ではなかったか
<ひとまずの結び>

この本をamazonで見ちゃう

2002 10/2
歴史、政治学
まろまろヒット率4

追記1:この約9年後の2012年1月21日に最終巻『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』を読み終えて、全巻読破。

追記2:全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・

『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』

『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』

『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』

『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』

『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』

『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』

『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』

『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』

『ローマ人の物語24,25,26 賢帝の世紀』

『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』

『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』

『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』

『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』

『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』