佐倉統 『進化論という考えかた』 講談社 2002

ありあわせで作ったオイルサーディンとキャベツのパスタは何気に美味しかった、
らぶナベ@健康にもめちゃイイ!・・・はず(^^;

さて、『進化論という考えかた』佐倉統著(講談社現代新書)2002年初版。
進化論の視点から「人間」と「情報」を捉えようとした一冊。
前から僕は『数学の秘かな愉しみ』(K・C・コール)などの
異分野の視点から光を当てる(自然科学→人文科学など)本に興味を持っていた。
愛読書の『坂の上の雲』(司馬遼太郎)も秋山真之が村上水軍の戦法にヒントを得て
日本海海戦の基本戦術を組み上げるところに見所のひとつを感じているくらいだ。
そんな僕だからこの本もワクワクして読みはじめると、
実際には進化論を中心とした研究者たちがいかに「人間」と「情報」を
捉えようとしたかについての科学史の再編的な色合いが強かった。
そういう点では以前読んだ『化学入門』(原光雄)に近い印象を受けた。

この本の中で一番興味深かったのは専門家と非専門家
(異分野の人々)の間をつなぐものは「物語」だとしている点だ。
僕も前々から一口に日本語といってもマクドでの中学生の会話、法廷での会話、
メーカーの研究部門での会話、IT企業でのシステム開発の会話
・・・同じ言語を使っていても通じないことが多いということを感じていた。
そういう場面に出会うたびに「もったいない」という気持ちを強く感じていたので
ときどき自分が異分野をつなげるメディアになっていることに喜びを感じたり
(出来事メモなど)、
「読書」という切り口と「まろまろ」というエッセンスをメディアにして
様々な分野の本を同じ土俵で扱おうとするこのHPの基本理念にも
つながっているので「物語性」を重視するこの視点にはとても共感した。
さらにこの本では物語の重要性を唱えながらも、
進化論が曲解して使われた経験から、物語性の暴走を防ぐために
「第三の文化」(多くの分野へのリンク)と
「センス・オブ・ワンダー」(謙虚さ)の重要性を述べている。
ただ、これは第二次大戦で政治への介入を控えるあまりに
ヒトラーの暴走を許したとされるドイツ参謀本部への評価と同じく、
結局は研究や理論の問題ではなく政治や教育などの
社会システム全体で語られるべきことなのだろう。
(説得力ある理論ほど無茶な使われ方するけどそれは理論のせいじゃない)

加えて、この本で著者は「ハンバーグのつなぎ」のように
異分野をつなげてひとつの料理にする素材として
進化論の可能性を述べているが(第4章)、
思えば『ブレードランナー』『2001年宇宙の旅』『ガルフォース』
『超時空要塞マクロス~愛おぼえていますか~』
『甲殻機動隊』とそれに影響を受けまくった『マトリックス』などなど
これまでも進化論の要素を取り入れた映画やアニメの名作は数多い。
ハンバーグのつなぎとしての機能は科学・研究分野だけでなく
コンテンツ分野ではすでにその機能を十分に発揮しているのだろう。
(それだけ強い物語性があるということかな?)

また、この本を読んで発見したことが
前に読んだ『狂骨の夢』(京極夏彦)の中で
「コペルニクスが人が宇宙の中心であることを奪い、
ダーウィンが人が神の子であることを奪い、
フロイトが人が自分自身を支配できるということさえ奪った」
という印象深い記述があったが
これはB・マズリッシュという人の言葉だとわかったのが少し嬉しかった。
(ただし『狂骨の夢』ではこれはフロイト自らの発言だと紹介されていたような)

ちなみに著者は来春から東大院・学際情報学府での僕の指導教官(予定)。
著者とは院試説明会でほんの数分しか話をしたことがなかったが、
知的守備範囲の広さや新しいことに積極的に取り組む姿勢に即座に感銘を受けた。
何よりも僕の問題意識やスタンスに関心を示してくれたのが嬉しかったが、
よく考えたらその寛容さは多様性を重要視する進化論の影響かもしれない。
彼のバックボーンを知って人となりに近づければと思って読んだ本でもある。

以下はチェックした箇所・・・

☆生物は、環境資源が許容するよりもたくさん産まれる。
したがって、同じ種の個体の間に生存と繁殖をめぐる競争関係が生じる。
その結果、より環境に適応したものが、
そうでないものより多くの子孫を残すことになる。
この差異の原因となる形質がいくばくか遺伝するものであれば、
この形質を所有している個体は、
世代を経るにしたがって個体数を増やしていくことになる
ーこれが自然選択理論の骨子である。
<自然選択理論>

☆造物主の作業の「誤差」と考えられていた個体差を、
それぞれが生物進化の原動力であると喝破したこと。
つまり、生物観を百八十度転倒させたこと。
これこそが、ダーウィンの進化思想の真髄のひとつ。
<ダーウィン亡き後の進化論>

○進化心理学のアイデンティティは、対象ではなくその視点と枠組みにある。
(略)進化心理学というのは、固有の分野というよりもアプローチの仕方、
あるいは研究プログラムとみなした方がいい。
<心と行動の進化学>

☆ディーコンは(略)人間が進化したことで言語を獲得したというよりは、
言語の方も人間の脳にあわせるように進化してきた、というのだ。(略)
文法構造は、言語が「人間の脳」という媒体に適応するために
進化してきた構造なのだという。(略)
脳と言語は相互に影響しあいながら共進化してきたのだ、と。
<脳と言語は共進化した?>

○人間が文化的な動物であるというのは
大昔から繰り返しいわれてきたことだけれども、
それが環境適応へのオプションのひとつであるということは、
人間を進化学的に見直してはじめて理解できることなのである。
人間の進化論的な研究は、文化の意味をも再定位する。
<「今の人間」を知るために>

☆コンピュータ自体は子孫をもうけませんー
しばらく使われたあとは、スクラップにされます。
でも、コンピュータを作るためのアイディアは、遺伝子のように繁殖できるのです。
(ドーキンスとバスとのインタビューより)
<ドーキンスの示したこと>

○生物の進化は、このでこぼこ地面のような適応度地形
(生物が利用できる環境のこと)の中を、
ころころと球が転がるのに似たプロセスとみなせる。
球は生物の比喩で、地形が急峻だとわずかな突然変異で急激な変化が生じるし、
なだらかな地形だとゆっくりとしか転がらないので、
突然変異の効果はわずかなものになる。
つまり、徳永とウェイドは、適応度地形も生物進化の段階によって
変わっていくということを主張したことになる。
<旅する円錐>

☆結局は、あれこれやってみるという変異と選択の二段階プロセスが、
環境に適応するためにはいちばん安全で確実な方法なのだ。
シーコは、人間の経済システムや社会システムなどにとっても、
事態は同じであると主張する。
それが普遍的選択理論である。
<「進化する能力」の進化>

☆ダーウィン・アルゴリズムの本質は、
変異の生成(突然変異)、
変異と複製率の間の相関(適応度)、
そして変異の遺伝(自己複製)の三点セットだ。
<ミームで何が説明できるか>

○進化とは、人間の、そして生命の壮大な歴史にほかならない。
だからこそ進化論は「取扱い注意」なのであり、
事実、過去に何度も破滅への道しるべとなったのだった。
<生物学哲学の正念場>

○(ダーウィン最後の著書『ミミズと土』は)
「目に見えない微細な変化が累積して、とてつもなく大きな結果を生み出す」
というダーウィンの自然観の集大成でもあった。
<『セルボーンの博物誌』とダーウィンのミミズ>

☆問題は、相手と価値観が共有できていないところにある。文化が異なるのだ。
価値観が異なるから、コミュニケーションがとれない。
一見、同じ問題について議論しているようでも、
実はそこで情報のほとんどは、ただ流されているだけである。
(略:それを解決するには)ぼくは、その鍵は科学の物語ではないかと思っている。
<非専門家に伝えるために>

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2002 9/25
自然科学、進化論
まろまろヒット率4
最新 本

司馬遼太郎 『功名が辻』 文藝春秋 全四巻 1976

ひそかに”まいぽえむ”を更新している、らぶナベっす。

さて、『功名が辻』(全四巻)司馬遼太郎著(文春文庫)1976年初版。
ここ数ヶ月取り組んでいた事柄がひと段落したので(出来事メモ2002/9/6)、
次のことを考えるためにも一呼吸入れようと買った歴史小説。
武勇も知略も器量もない、凡庸な山内一豊を土佐24万石の国主に押し上げた
山内一豊の妻・千代を主人公にした物語。

戦国末期の激動の時代の中で出世を重ねてゆく話には単純に心が踊ってしまう。
やはり司馬さんはこういう明るく坂道を登るような人生をかくのがうまい。
ただ、久々の司馬作品なのに実際に読んでみるとつらく感じることも多かった。
この作品は千代が夫の自尊心を傷つけずに導いていく過程が
物語の根幹部分になっているのだけど(面白さの中心もここにある)
自分もこんな風にされたらイチコロだなと思わず納得してしまうことが多かった。
納得する度に「男ってなんて単純なだろう」と自分の薄っぺらさや小ささに
自己嫌悪しながら読書した不思議な作品(^^;

今まで司馬作品の中では、
『燃えよ剣』は男の教科書、
『坂の上の雲』は仕事の教科書、
『竜馬がゆく』は生きる教科書だと思っていたが、
この『功名が辻』は女の教科書といえるだろうか。

ちなみにこの作品を読んでいる最中にたまたま立ち寄った
岐阜の郡上八幡はこの作品の主人公・千代が生まれた土地だった。
(詳細は西行法師プレイとしてアップ予定)
意外な縁を感じた一冊でもある。

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2002 9/18
小説、歴史
まろまろヒット率4

坂井三郎 『大空のサムライ』 光人社 2000新装

久々に大きなプレゼンをやった、らぶナベ@詳細は出来事メモにてにて(^^)

さて、『大空のサムライ』坂井三郎著(光人社NF文庫)2000年新装初版。
太平洋戦争中、ゼロ戦パイロットとして撃墜王になり、
戦後も生き延びた著者によるドキュメンタリー回顧録。
(戦記モノでもあるので歴史カテゴリにも記録)
この著者の名前は以前から時々眼にすることがあり、関心を持っていた。
実はゼロ戦は第二次大戦中の戦闘機の中でも特に装甲が薄くて、
さらにパイロット保護のための装備もほとんどないという、
防御を捨てて攻撃に特化したことで有名な戦闘機だ。
これはできるだけ機体を軽くして運動性能を上げるという直接的な理由と、
過度に精神論依存する旧日本軍の戦闘思想から来ているもので、
(この点は中央公論新社の『失敗の本質』に詳しい)
一撃必殺の居合い道のような潔さと迫力はあるけれど
その分、長期戦ではパイロット生存率が極端に低下する欠点がある。
著者はこのゼロ戦に乗って各戦場で戦って生き残ったというだけでもすごいが、
自分と一緒に行動する僚機を一機も墜落させていないというのがすごい。
(ゼロ戦は最低三機一体で行動した)
そういうことから前々から興味を感じていたところ、
一次試験(筆記)の結果発表を見に行く前に立ち寄った
市ヶ谷の文教堂書店で見かけたので思わず衝動買いしてしまった。
厳しいことでしられる二次試験(学術プレゼンテーション)に進むことになれば、
戦場に向かう心構えなどのヒントがこの本から得られるかなと思ったからだ。

読んでみるとさすがに戦争記録であるので、
気持ち悪くなったり苦しくなって読みにくい箇所も多々あった。
そんな中でもいったん飛び立てば既に自分は死んでるのだと思って戦う、
戦闘機乗りの壮観さを感じてしまった。
特に興味深かったエピソードは・・・
ガダルカナルで致命的な負傷をして出血多量で意識が朦朧、
墜落は時間の問題となった際に「どうせ死ぬなら敵艦に体当たりして死のう」
っと方向を変えて敵艦を探していると意識がはっきりしてくる。
これなら帰れると思って方向を変えるとまた急に眠たくなる。
そこで今度こそ敵艦に突入しようと方向を変えるとまた意識がはっきりしてくる
・・・っということを5、6回繰り返した時に、
人間死のうと思えば「生きよう」とする本能が働いて眼がさえる、
それならば「自分は死にに帰るんだ」という錯覚を起こさせて
ガダルカナル→ラバウル間(約東京→屋久島間の距離)を帰ったという話だ。
欺瞞でも命をかけた自己欺瞞には迫力があるのだろう(^^)
また、「危機に直面した際には三回深呼吸する、
その時間がなければ一度深呼吸する」とか、
「人間は同時に二つのことを考えられないが、
0.何秒かずつずらしていけばいくつものことを同時に考えることができる」
などは当たり前のことだけどいざということにこれができるかどうかが
生死をわける戦闘機乗りの言葉としての重たさを感じた。

プレゼンに臨む際にもこの本を読んで気持ちを高めていたが、
人は誰もが戦闘機乗りかもしれない。
いざというときはたった一人ですべて戦わなくてはいけない
だからこそ自分を支えてくれる母艦を大切にしなくてはいけないのだろう。
一つの岐路に立ったときに読んだ本として印象深い一冊。

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2002 9/5
ドキュメンタリー、歴史
まろまろヒット率4

茅ヶ崎方式月刊英語教本制作スタッフ 『日本と世界の英語ニュース120―2001.1-6』 茅ヶ崎出版 2002

東京には無線LAN内臓のThinkPad-R31を持っていくので
東京駅にあるというHOTSPOTを試そうかと思っている、らぶナベっす。

さて、『日本と世界の英語ニュース120』茅ヶ崎方式月刊英語教本制作スタッフ編
(茅ヶ崎出版)2002年初版。
『学校では教えない英単語「H」な覚え方』を読み終わってから
“正奇を組み合わせて戦え”という孫子の教えをふと思い出した。
確かに奇策を採用したなら忘れずに正攻法の学習もしないといけないだろう
っと考えてごく真っ当(?)な英語学習本を探してみることにした。
書店で英語学習本を探すのは久々だったので手探り状態だったが、
時事英語だという点、英語と対訳&解説を見開き2ページで紹介している点、
キーワード説明や索引も充実しているという点からこの本を選んでみた。

内容は実質的に2000年末から2001年4月にかけてのニュース記事が掲載されている。
ごく一般的な記事が中心だけど少しスポーツ記事が多いのは余分な気もした。
記事を読んでいるとわずか1年ちょっと前のことなのにずいぶん昔のような気がする。
(日本も森政権だったしアメリカもクリントン政権だった)
英語の勉強をしながらちょっと感慨にふけってしまった。
ちなみにだいたい1日10個の記事を読むペースで約12日で読破したけれど、
英語の学習という点からすれば1日1個の記事を120日かけて読む方が
力になったのかなと読み終わってからちょっと後悔(^^;

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2002 8/26
語学
まろまろヒット率3

新発田直志 『学校では教えない英単語「H」な覚え方』 東邦出版 2001

アイスカチャン(ピーナッツがかかってるマレーシアのカキ氷)が
ときどき食べたくなるけど出してるお店を知らなくてこまっちんぐな、
らぶナベ@お店情報知っている方は教えてください“(- -)”

さて、『学校では教えない英単語「H」な覚え方』
新発田直志著(東邦出版)2001年初版。
別の視点で見るとバラバラと思っていた事のつながりを発見できたり、
全体像を把握する助けになることもあるので昔からこれ系の本が好きだった。
(雑学、亜流、異説大好きさ!)
HP英語化プロジェクトが立ち上がりつつあるので、
久々に英語関係でこれ系の本を読んでみようと買った一冊。

内容は英単語も漢字の構造と同じように、
意味のある構造になっているだと強調されている。
たとえば”sur-“は「超」、「高」、「上」などの意味があるため・・・
surcharge(追加料金)、surface(表面)、surplus(余剰)、sum(合計)、
surtax(追加税)、survive(生き残る)、summit(頂上)、surrealism(超現実主義)
・・・と連想してみると良いと紹介しているので、
別にそんなにHってわけじゃなかった。

ただそういう風な派生語的な単語を紹介しているので
どうしても少し古めかしい単語が多くなるのと、
妙に日本の川柳を多用するのは余計だろうと思った。
(どうせなら江戸時代の話よりも英語ネタをもっと多用してほしかった)
無理やりハスッパな言葉使いをしているような印象を感じたところ、
著者はかなり高齢の人だった。
その点を差し引いて優しい眼で読んであげよう(^^)

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2002 8/17
語学
まろまろヒット率2

エリック・S・レイモンド、山形浩生訳 『伽藍とバザール』 光芒社 1999

HP英語化プロジェクトもOpenSourceを参考にしようと思う、らぶナベっす。

さて、『伽藍とバザール』エリック・S・レイモンド著&山形浩生訳
(光芒社)1999年初版。
Linuxに代表されるオープンソースについての理論書。
僕はHPのちょっとした修正にもヒィヒィ言ってるくらい文系人間で、
プログラミングやソフト開発のことはほとんどわからないけれど、
Linuxやオープンリソースの盛り上がりや可能性には前から興味を持っている。
たぶん読書日記や体験記を公開し続けている経験から
「公開」のメリットを自分のテーマとして感じているからだろう。
聞かれないことは自分からは教えないコンサルタントを知っているが、
ろくに資格も知識もないのにそれを消費財のように扱う姿に、
萎縮した人生を送っている卑屈さや惨めさを垣間見ることがある。
オープンソースにひかれるのはそういう性格的なものもあるかもしれない。
そんなこんなでオープンソースについて一冊は通読しようと選んだ本。

内容は本書の核となる三つの論文
「伽藍とバザール」、「ノウアスフィアの開拓」、「魔法のおなべ」と、
「エリック・S・レイモンド大いに語る」(著者と訳者のインタビュー)、
「ノウアスフィアは、ぼくたちの開墾を待っている」(訳者解説)
からなる五部構成になっている。
僕のようにプログラミングの知識がない人は訳者解説から読むのがお勧め、
本書の中心である三つの論文についてわかりやすく解説してくれている。
特にこの本の中心である伽藍方式とバザール方式の違いについて・・・
「伽藍方式は村上龍が自分で村上龍の長編を書く方式、
バザール方式は読書参加で村上龍の長編を書く方式。
有象無象を集めて村上龍の小説を書かせた方が、村上龍一人が書くよりも
優れた小説が書けると村上龍に言うようなものがこの論文」
・・・と解説しているのには思わず笑ってしまった。
ネタ的にも面白いがオープンソースのイメージを見事に伝えている。
この訳者は訳や説明がうまいなぁっと思っていたら訳者自身のHPも実に楽しい。
生けるOpenSourceという感じだ(^^)

また、オープンソースは皆がチェックして貢献するというのが前提だけど、
ソースをオープンにしただけでは皆がチェックしたり貢献したりしてくれる
とは限らないと指摘していたのには共感した。
では何がオープンソースと利用者をつなげるのか・・・
そこに「感性の共鳴」のようなものがある気が僕はする。

以下は、その他の気になった箇所(一部要約)・・・
☆オープンソースのメリットが高いのは・・・
 a)信頼性、安定性、スケーラビリティがとても重要な場合
 b)デザインや実装の正しさが、独立プアレビュー以外の方法では
  きちんと検証できない場合
 c)そのソフトがその利用者のビジネス展開を決定的に左右するような場合
 d)そのソフトが、共通のコンピュータ・通信インフラを確立するか可能にする場合
 e)その核となるメソッド(あるいは機能的にそれと等価なもの)が、
  よく知られた工学的な知識の一部であるとき

○すごいプログラマの大事な特徴の一つが、建設的な面倒くさがり

○(Linuxの公開者) リーヌスはハッカーやユーザーたちを
 たえず刺激して褒美を与え続けた。
 刺激は→全体の動きの中で一員となることでエゴを満足させられるという見込み
 褒美は→自分たちの仕事がたえず(まさに毎日のように)進歩 している様子

○(デザイン上の)完成とは、付け加えるものがなにもなくなったときではなく
 むしろなにも取り去るものがなくなったとき

○コミュニティ形成を始めるときは、まずなによりも実現できそうな
 見込みを示さなきゃいけない

○伽藍やバザールなんかの社会的な機構は、
 その火花をつかまえて洗練させることができるけど
 でもその機構が命令して着想を生み出したりはできないんだ

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2002 8/5
情報関連、オープンソース、社会学
まろまろヒット率4

釜本雪生・くぼうちのぶゆき 『テキストサイト大全』 ソフトマジック 2002

読書日記の下にあるコラムやポエムは見落としがちだという指摘を複数受けている、
らぶナベ@独立コンテンツにすべきかどうかご意見募集しまっす(^^)

さて、『テキストサイト大全』釜本雪生+くぼうちのぶゆき編著
(ソフトマジック)2002年初版。
「個人による情報発信」は21世紀のキーワードの一つになりそうだと感じ始めている。
さらに『個人ホームページのカリスマ』や『万有縁力』が思ったよりも良かったので、
網羅的なタイトルと分量の厚さにひかれて購入した一冊。

HP運営者の一人としても何かヒントが得られればと読んだのだが、
「テキストサイトの平均寿命が半年から一年の間・・・
しかし閉鎖した人間のほとんどが再びサイトをたちあげる」というのが面白かった。
演劇にしろ写真にしろ芸能活動にしろどんな表現活動でも、
一度表現者としての充実感を感じた人間はそれを忘れられないのだろう。
「表現は麻薬」とも言うが、その薬をいかに楽しめるかが
情報化社会を生きる上で重要な鍵の一つとなってくるだろう。
(妄想銀行)

しかし、残念ながらこの本には重大な欠点が・・・
最初の方でテキストサイトの定義をする箇所があるのにそれを曖昧にさせている。
それなのにその後は常に「テキストサイトというものは」として話を進めているので
結果的に派閥などの内輪的な話や著者の先入観ばかりが妙に目立ってしまっている。
特にこの分野は信頼できる統計データがほとんどない上に変化も激しいので
「個人サイト」と言わずにあえて「テキストサイト」と打ち出すなら、
誤解を恐れずに最初に定義をしっかりと徹底的にやるか
もしくは完全に定義を放棄するのかのどちらかにしないと、
不完全燃焼に終わってしまうのだろう。
(どちらも勇気がいるが新しい分野を扱うのには必要なこと)
新しい分野に挑戦するというこの本の姿勢もタイトルも扱う素材も
良いだけにもったいなさを一番に感じてしまった。
インタヴューをおこなった有名テキストサイト(とされる)の運営者の多くが
「自分のところはテキストサイトじゃない」と言っていたのが象徴的だろう。
ただ、非常に魅力的な素材や姿勢なので、こういう本がまた出ることを期待。
個人サイトは今後減ることはなさそうなので安心して期待しよう(^^)

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2002 8/1
情報関連、メディア論
まろまろヒット率2

京極夏彦 『百器徒然袋-雨』 講談社 1999

お酒はほとんど飲まないのでこの季節は帰宅後シャワーを浴びてからの
一杯の麦茶を人生の生きがいにしている、らぶナベっす。

さて、『百器徒然袋-雨』京極夏彦著(講談社ノベルス)1999年初版。
『今昔続百鬼-雲』と同じく京極堂シリーズの外伝的側面のある中篇集。
『今昔続百鬼-雲』には「多々良先生行状記」という副題がついていたが、
この『百器徒然袋-雨』には「探偵小説」という副題がついている。
作品の冒頭こそ、「一般大衆などと云うモノはこの世には存在しない・・・
個人は、個人としての責任を果たしたくない時に、大衆と云う覆面を被るのです。
責任の所在を不明確にし、不特定多数に転嫁する・・・」という一節が出てくるように
硬質な文体&世界観だったものの、そういう深刻さを打ち砕く探偵が作品を貫いている。
時代錯誤にも感じる「探偵小説」という副題に込められたコミカルさを感じる一冊。
特にオチになる最後の一文では笑わずにはいられなかった。

ただし『今昔続百鬼-雲』よりも京極堂シリーズ本編(『姑獲鳥の夏』から)を読まないと
おもしろさのツボがわかりにくい作品ではある。
たぶん著者は自分自身の同人作家のような楽しみでこの作品を書いたのだろう。
(妄想銀行)

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2002 7/22
小説、文学
まろまろヒット率★★★

司馬遼太郎 『ニューヨーク散歩―街道をゆく39』 朝日新聞出版 1997

大阪生まれ育ちなので上海やニューヨークは空気があっていると言われる、
らぶナベ@上海もNYCも行ったことないので行ってみたいっす(^^)

さて、『ニューヨーク散歩~街道をゆく39~』司馬遼太郎著(朝日文庫)1997年初版。
この本はだいぶ前に買ったものの端折り読みをしてただけなので、
読書日記にも残さず放置プレイをし続けていた。
そんな折にこの本に出てくるというNYC在住の人からまろまろ掲示板に書き込みがあって、
「本名で一瞬だけ出てるので探し当てたら好きな洋書をあげます」という謎々を出された。
書き込みのあった7月19日はまろまろ読書日記一周年で様々な更新があり
さらに京都に行かなくてはいけないなど何かと多忙だったが、
さっそくこの本をズボンのポケットに入れて移動中に最初から通読した。
(こういうきっかけで本が読めるというのもHP運営の喜びかな(^^))

読み始めるとすぐに時間を忘れてしまいそうになった、司馬遼太郎マジック(>_< ) ブルックリン橋を建設した親子やドナルド・キーンをはじめとした 日本学の研究者たちの姿はどれも生き生きと感じられた。 「はっ!」とさせられたのは日本語研究者にスポットを当てた項「御伽草子」の中で・・・ 本を黙読するのは近代の風習である。 近代以前では。書く人も口誦さみつつ書き、読む人は、とくに朗々と諷誦した。 ・・・と述べていた箇所だ。 今度からできるだけ意識して読もう。 ただ妙に分量が薄くてあっさりしすぎているのが気になった。 NYCはまだ新しい街とはいえ、司馬作品に出てくる「余談だが・・・」エッセンスをつめた この『街道をゆく』シリーズとしてはもうちょっと分量が欲しかった気がする。 この本をamazonで見ちゃう

2002 7/19
エッセイ、歴史
まろまろヒット率3

河合隼雄 『こころの処方箋』 新潮社 1998

らぶナベ@『姑獲鳥の夏』に続き今年二冊目のお勧め度サイコー本っす(^_-)

さて、その『こころの処方箋』河合隼雄著(新潮文庫)1998年初版。
いま日本でもっとも有名な心理学者・河合隼雄(現職は文化庁長官)の代表的著作。
臨床心理の現場にカウンセラーとして長年たずさわって来た経験をもとに、
人生の場面場面にふと出てくる気持ちに対して言葉の光を当てている。
心理学のバックボーンがある名言集といったところだろうか。

中でも面白いなぁっと思ったのは著者は初対面の人と接するときには、
「人の気持ちなんてわかるはずがない」と思って接するという点だ。
一見、当たり前のことのように思えるけど今まで自分は安易に
「この人は機嫌悪いな」とか「自分に良い感情を持っていないな」とか、
いろいろな判断(実は単なる先入観)を持って人と接したこともあったなと反省。

また、「己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、100%正しいことを言うだけで、
人の役に立とうとするのは虫がよすぎる」という言葉にはとても共感した。
近頃、何人かそういう人と接したことがあったので
自分は恥をかきたがらずだからといって努力も少ないのに
イイ気になりたがる人間への痛烈な批判はある意味で爽快でもあった。
(さすがNo.1カウンセラー(^_-))。

こうしたことだけでなく親と子、教師と生徒、上司と部下など
導く人と導かれる人との関係についての事例も多かった。
(こういう人間関係が一番トラブルが多いからかな?)
たとえば「自分の権力や権威を否定する人ほど自分を安定させるために
気づかないところで権威を振りかざしたり権力にしがみつくこともある。
・・・自分がどれほどの権力と権威を持っているかしっかり自覚し、
自身を高めることによって内的権威(これは誰にも奪われない)を高めるべき」
などというのは様々な人を見て漠然と感じていたことに形を与えてくれた気がする。
この本はいろんな意味で教育や助言の仕事にたずさわる人間は必読書じゃないだろうか?

・・・こう書くと何か教条主義的な感じがするけど、
終始やわらかい言葉で語られている上に関西のおっちゃんらしい
「まぁええがな」的な視点には思わず笑ってしまうところもある。
本来はこういう話は宗教が担うべきものなんだろうけど、
日常と宗教が遠い存在になりがちな今の日本では必要な本なんだろう。
末尾で谷川俊太郎が「河合さんは海千山千」と愛を込めて表現していたのは
実はそういう意味もあったのかなと感じた。

ちなみにこの本は“西行法師プレイ~出会い系サイトを歩く編~”で知り合った
高校生から薦められたのが実際に読むきっかけになった。
奇しくも七夕に読み終える自分の痛さに笑ってしまった。
(痛いものコレクター)

以下は、チェックした箇所(あえて順不同、☆は特に共鳴したもの)・・・

☆「うそ」はあんがい「まこと」を引き出してくれる力をもっている(略)
その「うそ」のなかに、何らかの”真実味”がこもっていることが必要で、
それをどうやって見つけ出してゆくかがポイント
17「うそからまことが出てくる」

☆権力を行使してその場をごまかしてしまうよりは、
後で自分なりに調べたりする方が労力が必要である。
このような労力を惜しまないことによって得た権威は、
自分の”身についた”ものとして、他人に奪われることがない(略)
自分は権力などに関心がないとか、大嫌いという人があんがい多い(しかし)
不安を解消するために、急に妙なところで権威者ぶろうとしたり、
権力にひそかにしがみついたりしている人は実は多いのである。
そんな面倒くさいことはやめにして、人間は自分の存在を支えるもののひとつとして、
内的権威が必要であることを認め、それをいかにして磨いてゆくかを考えた方が、
効果的であるし、近所迷惑も少ない
45「権力を棄てることによって内的権威が磨かれる」

☆(生徒や部下と同等だと言いたがる教師や上司が多いことについて)
権力を否定することよりも、まず自分がどれだけの権力を持っているかをはっきりと意識し、
それに見合うだけの孤独に耐える強さを持っているかを考えてみる方が意味が深い
46「権力の座は孤独を必要とする」

☆簡単に判断を下さず人の心というものはどんな動きをするのかわかるなずない
という態度で他人に接する(略)それまで見えなかったものが見えてくるし
一般の人々が思いもよらなかったことが生じてくる
1「人の心などわかるはずがない」

☆「ふたつよいことさてないものよ」とつぶやいて、全体の状況をよく見ると、
なるほどうまく出来ている、と微笑することまでゆかなくとも、
苦笑くらいして、無用の腹立ちをしなくてすむことが多い
2「ふたつよいことさてないものよ」

☆己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、100%正しいことを言うだけで、
人の役に立とうとするのは虫がよすぎる
3「100%正しい忠告はまず役に立たない」

☆自立ということを依存と反対である、と単純に考え、依存をなくしてゆくことによって
自立を達成しようとするのは、間違ったやり方である。
自立は十分な依存の裏打ちがあってこそ、そこから生まれでてくる(略)
自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を受けいれ、
自分がどれほど依存しているのかを自覚し、感謝していることではないだろうか
22「自立は依存によって裏づけられている」

☆人に遅れをとることの悔しさや、誰もができることをできない辛さを味わったことによって、
弱い人の気持ちがよくわかるし死について生についていろいろ考え悩んだことが意味をもってくる
40「道草によってこそ”道”の味がわかる」

☆早すぎる知的理解は、人間が体験を味わう機会を奪ってしまう(略)
ある程度のことは知っていても、事が起こるとあわてふためき、
それでも知っていたことがじわっと役立ってきて収まりがつくという形になることが多い
53「”知る”ことによって二次災害を避ける」

☆私が大切にしているのは(略)「”私が”生きた」と言えるような人生をつくり出すこと
55「すべての人が創造性を持っている」

☆実際に、自分の根っこをぐらつかせずに、他人を理解しようとするのなど、甘すぎる
20「人間理解は命がけの仕事である」

☆(会社でトラブルがあって疲れ切って帰って来ると息子が万引きで捕まったことが発覚)
いい加減に説教しても、少しぐらい怒ってみても、80点では駄目、98点でも駄目
12「100点以外はダメなときがある」

☆どちらにしろ、ひとつの考え方を維持するために支払わねばならぬ
努力の質と量についての自覚がないかぎり、うまくはいかない
6「言いはじめたのなら話合いを続けよう」

☆理想は人生の航路を照らす灯台ではあるが、それに至るべき到達点ではない
9「灯台に近づきすぎると難破する」

☆何か仕事をしながら、やっぱりあの好きなことをしておけばよかったとか、
いやだなとか思っているときは、心のなかに生じる摩擦のためにエネルギーを消耗するもの
14「やりたいことは、まずやってみる」

☆(更生と悪化が極端に変化し続けてゆくことについてその人は)
われわれが依然と変わらぬ態度で接していることに助けられ、
もう一度、自分の生き方にういての検討をはじめられることになる
15「一番生じやすいのは180度の変化である」

☆その人が適切な感謝をする力があるかどうかは、相当に信頼できる尺度
35「強い者だけが感謝することができる」

☆われわれの人生は(略)「楽譜」を与えられているにしろ、
“演奏”の自由は各人にまかされており、演奏次第でその価値はまったく違ったものになる
30「同じ”運命”でも演奏次第で値段が違う」

三年も彼女にだまされていたなどと考えるのではなく、自分の心の中で活動し続けた
「優しく賢い女性」という絵姿は、自分にとって何を意味するのだろうと考えてみる
4「絵に描いた餅は餅より高価なことがある」

理解ある親が悪いのではなく理解あるふりをしている親が子供にとってはたまらない存在となる
5「”理解ある親”をもつ子はたまらない」

子どものためと思ってやっている”開発事業”が、自然破壊につながってゆく(略)
それをキャッチすることが、大人にとって非常に大切
8「心のなかの自然破壊を防ごう」

イライラは自分の何かー多くの場合、何かの欠点にかかわることーを見出すのを防ぐために、
相手に対する攻撃として出てくることが多い
10「イライラは見とおしのなさを示す」

「己を殺す」と言っても(略)自分を殺しきることなど出来たものではない(略)
半殺しの存在やらが、本人の気づかぬところで、急に動き出すこともある
11「己を殺して他人を殺す」

マジメな人は住んでいる世界を狭く限定して、そのなかでマジメにやっているので、
相手の世界まで心を開いて対話してゆく余裕がない(略)
マジメな人の無反省さは、鈍感や傲慢にさえ通じる(略)
笑いと言うものは、常に「開く」ことに通じるもの
13「マジメも休み休み言え」

ともかく、勝負を焦ることはない
16「心のなかの勝負は51対49のことが多い」

(説教はする方の欲求不満の形を変えた表出であることが多いことについて受ける側は)
説教している人の精神衛生のために御協力しているのだと思ってもう少し暖かい気持ちできける(略)
説教をしたくなった場合、その背後にどのような欲求不満がそんざいしているかを考えてみる
18「説教の効果はその長さと反比例する」

今まで仲良くやっていた夫婦が中年になって(略)離婚などというとこまで出て来そうになるのは、
多くの場合、協力から理解へと至る谷間にさしかかっているとき
19「男女は協力し合えても理解し合うことは難しい」

心のエネルギーの出し惜しみは、結果的に損につながることが多い
23「心の新鉱脈を掘り当てよう」

ノイローゼさえなかったら、あれもするこれもすると言っている人は、
本当はそれを避けるためにノイローゼになって、
それを嘆くことによって安定を保っている(という説もある)
28「文句を言っているうちが華である」

「ここは逃げる」と決めたとき、うろうろしないことが肝心
33「逃げるときはもの惜しみしない」

「どっぷり」体験をしようとする人は、恐怖を乗り越える体験をする点でも意味がある
34「どっぷりつかったものがほんとうに離れられる」

「昔はよかった」という論議は、それでは今何をすべきか、今何ができるか、
という点で極めて無力なことが多い
39「”昔はよかった”とは進歩についてゆけぬ人の言葉である」

いざというときは、思わずその(生地)傾向がでてくるにしろ、
やはり鍛えられているものの方が役に立つ
41「危機の際には生地が出てくる」

親の個性にふさわしい心のエネルギーの消費によって、子どもは親の愛を感じる
44「物が豊かになると子育てが難しくなる」

「羨ましい」という感情は、どの「方向」に自分にとっての可能性が向かっているかという
一種の方向指示盤としての役割をもって出現してきている
48「羨ましかったら何かやってみる」

沢山ある心配のなかで、特にその心配が自分に与えられることになった。
それも大きく考えてみると、人生の楽しみのうち
49「心配も苦しみも楽しみのうち」

何か精神的なことを言いたくなったり、言ったりしたときは、
自分が「精神」ということからズレていたり、逃げようとしたり、
それについてはっきりとわからなかったりしているときだということ
52「精神的なものが精神を覆い隠す」

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2002 7/7
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