神田淡路町にある喫茶店のショパンをおとずれる。
このショパンは、昭和8年(1933年)創業の老舗喫茶店。
その名の通りショパンが流れる店内でコーヒーゼリーをいただくと、味の濃さに驚いた。
こちらのお店では通常の3倍のコーヒー豆を使っているとのことで、トッピングのアイスクリームの甘さをはるかに越える苦さ。
硬派な純喫茶の力強さを感じる一品。
まろまろと今日ももぐもぐ。
神田淡路町(御茶ノ水)の「珈琲 ショパン」にて。
新宿にある神屋流 博多道場で、ぷるぷる酢もつをいただく。
「ぷるぷる」とあえて表記しているだけあって、もつ(ホルモン)は脂身の乗ったシマチョウの部位を使っているのが特徴的。
濃厚なもつと酢との相性が良い一品。
ちなみに、こちらのお店にはエニックス(現スクウェア・エニックス)に内定していた時の元同期たちと12年半ぶりに再会したお店でもある。
エニックスには、内定を取り、内定者ホームページ立ち上げ、内定を辞退、内定者ホームページ閉鎖、エニックス株を買うという経験をさせてもらった。
(当時の体験は「就職エッセイ」としてまとめている)
自分なりにご縁に感謝しているので、いまでも株は持ち続けている。
違った道に進んだ現在でも元同期たちとこうして飲めるのは、人生の一時期を共有した者同士の特権ですな☆
まろまろと今日ももぐもぐ。
新宿の「神屋流 博多道場」にて。
松阪にあるたこ焼きとお好み焼きのお店、いながきで松阪牛入りたこ焼きをいただく。
この松阪牛入りたこ焼き(牛たこ)は、その名の通りたこ焼きのたこの代わりに松阪牛が入っているたこ焼き。
たこが入っていないのに名前がたこ焼き・・・という野暮な突っ込みは無しにして、甘口と辛口の2種類のソースと青のり、削り節を使って自分で味付けする本場風のスタイル。
味の方もしっかりと牛肉の風味が感じられて美味しい。
使われている松阪牛も近くにある老舗の丸幸精肉店(松阪牛メンチカツなども美味しい)で仕入れている本格派。
この10個で500円。
手軽に松阪牛を味わえるお店。
まろまろと今日ももぐもぐ。
三重県松阪市の「たこ焼き お好み焼き いながき(稲垣)」にて。
京橋にある居酒屋の京橋丸徳で、山芋のからあげをいただく。
この山芋のからあげは、山芋を素揚げにしたもので、昆布茶の粉末が添えられている。
ごくシンプルなものだけど、これが美味しい。
こういうおつまみが美味しい居酒屋が多いのが大阪の良いところですな。
まろまろと今日ももぐもぐ。
大阪・京橋の「京橋丸徳(まる徳)」にて。
5年ぶりに『大阪アースダイバー』の取材に同行した、渡邊義弘です。
さて、『ぼくもいくさに征くのだけれど―竹内浩三の詩と死』稲泉連著(中央公論新社)2004。
『骨うたう』や『ぼくもいくさに征くのだけれど』で知られる詩人、竹内浩三の詩と、
縁のある人々へのインタビューを中心にしたノンフィクション。
印象的だったのは、インタビューは竹内浩三の生前に関係があった人だけでなく、
死後にその詩から影響を受けた人もインタビューしているところだ。
竹内浩三は23歳で戦死したということもあり、職業詩人ではなかったけれど、
その詩から影響を受けた人へのインタビューは竹内浩三の表現者としての迫力を感じさせられた。
竹内浩三の詩からは、もの分かりの悪い不器用さが感じられる。
著者自身も竹内浩三の詩について・・・
「『ぼくも征くのだけど』と迷い沈みつつ、『どうか人なみにいくさができますよう』と願う彼の言葉が、
とくに竹内浩三という人間の本質を表しているようで、強く胸を打つ。
そこには、胸を張って国のために戦おうとする凛々しさがなく、
世の中が認めた「普通」の価値観に自身を溶け込ませたいと願いながら、
心の奥底では自身の運命に打ち震えていた青年の姿がちらついている」
・・・と書いているように、割り切れないものを抱えながら流されていく自分を立ち止まらせる力があるのだろう。
また、竹内浩三が詩人として発掘されるきっかけとなったのが、松阪市の戦没者手紙集『ふるさとの風や』ということ、
それが松阪市の発行する「広報まつさか」での呼びかけられたという経緯が詳細に紹介されているのが興味深かった。
もともとこの本は松阪市役所に勤務されている方からお貸しいただいたこともあり、
松阪の公共セクターにご縁がある人間としても熱を込めて読んだ一冊でもある。
2011 9/3
ノンフィクション
まろまろヒット率3
松阪にあるフレックスホテルの生ビールフェアにおとずれる。
このフレックスホテル生ビールフェアは、松阪に唯一あるシティホテルのフレックスホテルが毎年夏季に開催しているイベント。
飲み放題のビールに加えてバイキング形式のおつまみがあるので、内容はビアガーデンに近い。
バイキングのおつまみをお皿に取ったものが写真。
中でも写真左下の牛すじ煮込みが濃い味わいで、ビールと良く合う。
この牛すじ煮込みと豚スペアリブが日替わりになっていて、その日のおつまみバイキングの目玉メニューになるとのこと。
松阪の夏の風物詩の一つ。
ちなみに、このフレックスホテルはまだ松阪に引越する前に宿泊させていただいたことがある。
(朝食バイキング)
当時は松阪で情報政策担当官に就任するとは思っていなかったので、感じ入ることもあった。
まろまろと今日ももぐもぐ。
三重県松阪市の「フレックスホテル」内レストラン・ヤマザクラにて。
大阪の天王寺にあるうなぎ処かどやで、白むし丼をいただく。
この白むし丼は、蒸しを入れてから焼いた関東風のうなぎの白焼きをもう一度蒸してから丼にしたもの。
食べてみると、二度蒸しされた白焼きのやわらかい食感が特徴的で、上にのせられた薬味のミョウガとも相性が良い。
大阪で味わう関東風うなぎの一品。
ちなみに、こちらのお店には『大阪アースダイバー』の取材に同行させていただいた中でおとずれたお店でもある。
5年前に大阪取材のコーディネータをつとめた時とほぼ同じメンバーということもあり、懐かしさも覚えたひと時。
まろまろと今日ももぐもぐ。
大阪・天王寺、あべのルシアスの「うなぎ処 かどや(かど家、かど屋)」にて。
まろまろ記10周年を機会にハンドルネームを「まろまろ」から「渡邊義弘」に変更しました☆
さて、『メディアと日本人―変わりゆく日常』 橋元良明著 岩波書店 2011
「少年凶悪犯罪は低下し続けているが、テレビの視聴時間が長い人は少年が凶暴化していると認識している」、
「読書離れ、テレビ離れ、などの言葉は、どの調査からも確認できない」・・・など、
実際の調査によって日本人のメディア利用実態を明らかにしようとする一冊。
中でも、インターネット利用によって、社交的な人はどんどん社交的になり、内向的な人はどんどん内向的になる、
という「ネット利用のマタイの法則」は、アメリカでも日本でも見受けられるということ。
(有てる人は興へられていよいよ豊かならん。然れど有たぬ人は、その有てる物をも取らるべし)
フレーミング(炎上)の原因は、社会的手がかりの欠如と非言語的シグナルによる補正がききにくいことで、
インターネットでは極端な方向に議論が流れる「リスキーシフト」が起こりやすいと指摘しているところに興味を持った。
また、メディアの盛衰の要となるのは、メディアの持つ「機能」が他で代替可能かどうかに注目して、
新聞とテレビはメディア企業によるニュース・情報の重要性の位置づけを簡単に推測することができるのに対して、
インターネットはその点が弱いので、まだ住み分けができていると分析しているところは納得した。
(ただし仕事の利用のための「機能」は代替可能なので、インターネットが劇的に伸びている)
ちなみに、僕は著者(東京大学大学院学際情報学府所属)の講義を受けたことがある。
この本の”はじめに”の中で、「メディア環境の変化、それによる生活の変容を語るには、
周辺観察記や業界の内輪話、思弁的評論では不十分であり、実証的データに裏付けられた議論が必要」
・・・と述べているところは、いつも口癖のようにしていたご本人の顔が思い浮かんで懐かしさを感じた。
以下はチェックした個所(一部要約含む)・・・
○メディア環境の変化、それによる生活の変容を語るには、周辺観察記や業界の内輪話、
思弁的評論では不十分であり、実証的データに裏付けられた議論が必要
<はじめに>
○ラジオの歴史的意義=
・ラジオは、空間の制約をとりはらって、電気的で二次的な「声の文化」(ウォルター・オング)を生んだ
・新聞が、リテラシー面でも、閲覧できる時間余裕の有無という面でも、
経済的あるいは教養的格差を拡大再生産する特性をもつメディアであるのに対し、
ラジオは基本的にダレでも重要できるところから、文化的格差を縮小する方向に作用した
・ラジオは標準語の普及にも多大に寄与した
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>
○携帯電話の歴史的意義=
・携帯電話は、固定電話が我々にもたらした影響の一つの「空間の再配置・モザイク化」をさらに進めた
→公共の場での携帯電話による通話に多くの人々が深いの念をいだくのは(中略)
側にいる人が、こちらの見知らぬ異空間を持ちこみ、
共有していた場から「私」を遮断してしまうという薄気味悪さを感じるから
・電話は「心理的隣人」を創出したと言われたが、携帯電話は「心理的同居人」を作り出した
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>
○テレビの歴史的意義=
・ヒトが、その処理能力において圧倒的優位性を誇る視覚情報を、
日常的に十分にメディア上のコミュニケーションに載せることができるようになったのはテレビの登場以降
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>
○インターネットの特性=
1:ヒトがコミュニケーションに駆使している聴覚、視覚的情報をほぼすべてやりとりできる
2:一方的でなく、双方向的に、かつ一対一でも一対多でも自由に享受でき、保存できる
3:公共的情報資源を利用するための国家等の制度の制限を受けない
4:既存メディアが膨大な資本力を必要とするのに対して、資本力を必要としない
→インターネットはメディア発展史上、文字の発明以降、最大級の社会的影響を与えるもの
→仕事に関する情報取得については、劇的にインターネットが他のメディアに取って代わりつつある
<1章 日本人はメディアをどう受け入れてきたか>
○「日本の情報行動調査」では1995年から2010年にかけ、読書時間、行為者率には全体的にほとんど減少傾向が見られない
→書籍がネットの影響をあまり受けていないのは、機能的にインターネットが代替し得ないから
○少年凶悪犯は、戦後ピークだった1960年の8212人から2008年の956人に8分の1以下に激減
→「最近の少年は凶暴化している」との認識は、実際の犯罪発生よりも、メディア報道に影響されるところが大きい
<3章 メディアの「悪影響」を考える>
○「ネット利用のマタイの法則」はアメリカでも日本でも成り立つ=
もともと社会的資源を有効に活用する人はインターネットのような新技術を活用して、
ますます獲得資源を拡大し、満足感も大きく、心理的にも豊かになっていく
→内向的で社会的資源をうまく活用してない人はその逆
=有てる人は興へられていよいよ豊かならん。然れど有たぬ人は、その有てる物をも取らるべし
(マタイによる福音書13章12節)
→インターネットの富者富裕化モデルは別名「マタイの法則」と呼んでいる
<3章 メディアの「悪影響」を考える>
○フレーミング(炎上)の原因
・社会的手がかりの欠如
・非言語的シグナルによる補正がききにくい
→極端な方向に議論が流れる「リスキーシフト」はインターネットで起こりやすい
<3章 メディアの「悪影響」を考える>
☆メディアの盛衰の要となるのは、メディアの持つ「機能」が、他で代替可能かどうか
→新聞は、記事の掲載で、テレビはニュースの放送順位で、
それぞれのメディア企業の重要性の位置づけを推測することができる
→ネット上では、今のところ、その判断を示唆してくれる鍵が限られている
<終章 メディアの未来にむけて>
2011 8/26
情報・メディア、社会学
まろまろヒット率3