フジテレビ系列で昔放送していたドラマに『ロングバケーション』というものがあったが、
その中で木村拓也が山口智子に「もういい年なんだからさぁ、
結婚しただけで幸せにしてもらおうって考えやめたら?」
みたいなことを言うシーンがあったように記憶している。
就職活動もそれと同じだろう。
「もういい年なんだからさぁ、どっかに入っただけで幸せにしてもらおうという
考えやめたら?」ということだ。
僕がそんな風にカッコつけて言ってもモテないのでちょっとむなしいが。
その会社に入ることで幸せにしてもらおうなんて
ちょっと虫の良すぎるすぎる話だろう、もう二十歳もとっくに過ぎているんだから
そういう他力本願は通じないことに気がつかないと
どんなに意気込んで就職活動しても結局は独りよがりに終わるだろう。
戦後高度成長期からバブル期まではそれで良かったんだろうが
社会構造は大きく変わりつつある。
これまで生きてきた人たちならいざ知らずこれから先を生きる僕たちの世代が
その変動を受けとめずに社会の最前線である企業で働くなんてかなり無謀だ。
これは就職活動だけでなく新卒採用者三分の一が
辞めてしまうことにも通じるのだろうが。
実際、僕自身の就職活動を振り返ってみてもその企業に入ること自体が
目的になってしまっているような人たちはことごとく落ちている。
例えば内定をもらった企業の役員さんから
「うちも取りたいと思ってるから面接するんだけど、
選考の選択肢にも入らない学生が多いんだよ」ということを聞いたことがある。
興味があるので話をよくよく聞いてみると「御社はすばらしいですね!」とか
「入ってからがんばります!」ということを強調したがる人間がやたらと多すぎる
ということらしい。いくら面接で「入ってからめちゃくちゃがんばります」
ということを言ってみてもその人間が実際にがんばることができるのか
どうかなど判断できるはずがない。
まず最初に『自分は今までどのようなことをしてきて』、
『どのようなことを感じてきて』、『これからどのようなことをしたいか』
ということを話してみてその人間がその企業に合っているのかどうかを
判断する材料が始めて揃う。
それから本格的な採否判断がおこなわれるというのに
頭ごなしに熱意を見せようと空回りしてしまって
やたらと一人で盛り上がったりする人間がいたりするらしい。
僕自身もそういう人たちと何度か同席したことがあるが
確かに彼らはものの見事に落ちていた。
結局は『採用されるのは自分自身でそれを判断するのは企業自身の仕事』
なんだからその企業への安易な分析やどうしたら
その企業の人に気に入られるんだろうという
せせこましい気づかいはかえって逆効果だ。
自分のいままでのこと、いま感じていること、
これからやりたいことを話してみてその企業と合うか合わないかを模索するのが
就職活動だ。そうでなければたとえその企業に入ったとしても続けられないだろう。
就職活動中もそのような方向性で企業側も採用活動をおこなっているのだと
確信することが何度かあった。
例えば僕が内定したエニックスという企業の部長面接では
5人の学生が一度に呼ばれて質疑応答するという形式だったが
企業側からの質問に「うちの悪口を右から順に言ってみてください」
というものがあった。
学生が言い終わった後にすかさず「悪いところを知ってなおかつ
この場に来ているんだから何か対策案を持っているはずだ。
今度は逆の順でその対策案を述べてください」と求められたことがある。
その時に今まで理路整然とした発言を続けていて
まさに準備万端で面接に臨んできたことが伝わってくる学生が
一気にしどろもどろになってしまった姿を見たことがある。
「確かに彼は優秀かもしれないが悪いところが眼について
その対策案を持てないようなら彼自身がこの企業に入ることは不幸なんだろうな」
と同じ学生である僕でさえ感じられたことがある。
その企業が何を求めているかどのような人材を欲しているのかが
一瞬にして伝わってきたことがある。
もちろん大学入試の延長と同じ方針を持って入ることを第一目的に捉えるという
考えもあるだろうし、中にはまだそのような方向で
新卒採用活動を実施している企業もあるのもまた事実だ。
だからその企業に気に入られるための戦略を考え抜いて
それに徹して臨むという就職ポリシーも十分に有効だと言えるだろう。
しかし、そのポリシーを採って就職活動するならば
その精度を徹底して上げなくてはいけない。
数週間やそこらでちょっと準備したくらいでは通用しないのが現実だ。
わずか4年しか所属しない大学入試でさえ2年前か
最低でも1年前から準備するものなのだから、
もしパーフェクトで勤め上げるなら35年以上は所属することになる就職では
せめて入試に匹敵できるくらいの期間と労力は必要だろう。
そしてこの就職ポリシーはNo.1の人間しか生き残れないという厳しさもある。
最後は抜群に武器になる資格を持っているとか学歴が決定的に良いとか
スポーツで日本一に近い位置につけたとかいう外面的な点で決まってしまうからだ。
どちらにしても『自分は「No.1」で行くのか
それとも「Only one」でいくのか』を明確化しなといけないだろう。
確かに就職活動は厳しい。厳しい状況下では特に方針に
迷いがあってはいけないというのが戦略の鉄則だ。
自分の学歴や持っている資格、そして経験と人格のすべてに
よっぽどの自信を持っているなら話は別だが、
それほど恵まれたものをそろえていないと感じるならば
持っている資源を最大利用する道を選ばないと続かないだろう。
よく就職活動の始まったばかりの時はやたらと勢いがいいのに
ゴールデンウィーク当たりから息切れしてきて肝心の内定が出る頃には
完全にダウンしている人を見かけるが僕の知りうる限り
そういう人たちはことごとく「No.1もOnly oneも」目指している人たちだ。
なぜそうなるのかと言えば自分自身の中ではなく
まわりに自分が拠って立つべきものを見出しているからそうなってしまうのだ。
例えば企業を評価する場所の一つである証券市場を取ってみてみよう、
統計を見れば市場では圧倒的多数が失敗者で成功者は圧倒的少数だ。
だから「まわり」に合わせていれば必ず負ける。
これは就職活動も同じで内定獲得者は圧倒的少数で圧倒的多数が不採用者になる。
自らどこで勝負するのか決めていない人間はやたらと「まわり」に合わせてしまい、
それを絶対視する傾向にある。例えば面接で落ちた人間から
「まわりはそんなこと言う雰囲気じゃなかった」とか
「まわりにそんな人間になかった」という発言を聞くことが多いが、
その「まわり」とはしょせん多くても10人前後の集まりでしかない上に
どれも落ちている人間たちのことだった。
つまり不採用者に合わせれば不採用になるのは当然のことだ。
どうしても大学で普通に生活しているだけでは
仲良しグループで集まってすごすことが多くなり、
そこでできた小さな「まわり」の常識や感覚に自分の基準をおいてしまう。
そしてその「まわり」がたとえ違っていても気づかないこともある。
僕はこのことを吉本興業にインターンシップに行って始めて気がついた。
アルバイトでもヴォランティアでもなくインターンシップという状況で
企業に研修に行ってみるといかに自分の「まわり」での常識や感覚が
実際の社会とは違うのかということが痛いほど感じられた。
多くの人はこのことを就職活動でもしくは入社後に感じるのだろうが
インターンシップで感じられた僕はこの点で極めて幸せだった。
資格も学歴もスポーツも経験も人格も武器にはならない僕のような人間が
数社から内定をもらえたのもこのことに気づいていたからだと確信できている。
「まわり」と違うことをおそれないこと。
そのためには自らが拠って立つべき方針が必要だ。
特に僕の場合はやりたいことが明確になっていなかったし
勝負できるような資格も学歴もなかったので
仕事や企業を選ぶ上での基準を自分で作るしかなかった。
まず『厳しいと言えばどこも厳しい、しかしその厳しさには種類があるはずだ』
という意識を持つことからスタートした。
就職活動中は「~は厳しいらしい」、「うち厳しいよ」という話を
耳にタコどころか大王イカができるほど聞くことになるし、
それに惑わされることも多い。
実際に厳しいのだから余計にそれは説得力を持って重くのしかかってくる。
しかし厳しいと一言で言いきる前にどういう風に厳しいのかを
見つめてみるべきだと感じた。
そこで僕は厳しさを・・・
『普段自分の好きなことができず上司には黙って従わないといけないが、
いざという時は責任がある程度分散できる厳しさ』
『普段ある程度自分の好きなことができて上司にも思うことを述べることができるが、
いざという時は自分自身が責任を被らなくてはいけないきびしさ』
・・・という二つに分けて見るようにした。もちろんどちらもとても厳しい。
厳しいからこそ『どの厳しさの下なら自分は続けられるのだろうか?』
という考えを持って就職活動に臨んでみた。
僕の場合は前者の厳しさは気持ち的に続かないだろうなと感じていたので
漠然とだが後者を選ぼうと思っていた。
企業に関するさまざまな事件報道を見たり積み立て年金の問題や
規制緩和の話を聞く度に「いざという時は守ってもらうという安心感を
頼りにして厳しさに耐える前者であっても
結局これからその保障はなくなっていくやん」と思わざるを得なかった
とういうこともあったからだ。
このような視点を持てるようになったのはインターンシップでの経験から来たものだ。
そういう意味で僕にとってはインターンシップは留学以上に役に立つものだった。
また、ちょうど新卒採用者の三分の一は辞めていくという情報が
入って来始めた時期でもあったことは
この視点を持つ必要性を感じたきっかけの一つだった。
こういう方針をもっていたので就職活動で迷うことは少なかった。
就職活動中はたぶん前者は公務員、金融、商社などの総合職で
後者はエンターテイメント、ゲーム業界などの企画職だろうという仮説を持って、
それを確かめようというささやかな野心を持っていたので
採用担当者の方々と話をしても面接を受けているというよりも
こちらから探りを入れて相手の本音を聞きだそうという意識の方が強かった。
おかげでいわゆる就職マニュアルは必要なかったし本音で話し合えることができた。
言いたいことを言い、聞きたいことを聞き出したのでやっていて充実感もあった。
たとえそれで落ちても「ああ、ここには合わなかったんだ。
入らない方が良かったんだろうな。」と自然に思えた。
自分の悪いところも見せて「採っても良い」と思ってくれる企業なんて
そういくつもないだろうと最初からタカをくくっていたからだ。
そう考えてみると就職活動で行くすべての企業から気に入られて
内定をもらおうなんてもしかしたらとんでもなくおこがましいように感じる。
そんなにすごい人間ってそんなにいないしましてや自分が
そんな人間であるはずがないんだから。
また、こう考えていたからこそ採用担当者の方とは
お互い一人の人間として話ができたように思える。
逆にもし「この企業に合うように」という方針を持って就職活動に臨めば
どこが悪かったのかわからずに自分を見失っていただろう。
曖昧な焦燥感に潰されていたかもしれない。
自分なりの方針を持てなければどうなっただろうかと思うとちょっとぞっとする。
そしてその方針を信じられるか信じられないかで
就職活動の正否は決まってくるだろう。
そんな風に書いてしまうとやっぱり就職活動ってとんでもなく厳しいものだ
と感じる人もいるかもしれない、
現に統計的な数字だけを見ればそう思うのも当然だろう。
しかし、就職活動は旅行をする以上にいろいろなものを見聞きしできるし、
旅行とはまた違った新鮮な出会いや感動がある。
その上そうした体験を通して自分自身を見つめ直す機会にもなる。
今までにない感覚を味わえてなおかつ就職先が見つかるなんて虫が良いくらいに
お得な機会だ。例えるなら旅行をして逆にお金がもらえるようなものだ。
世知辛い世の中だと言われるがまんざらでもないなと思えてしまう。
就職活動をすると普段、何気なく通り過ぎていたビルの一つ一つにも
それぞれの小宇宙のような世界があったんだということを教えてくれる。
いつもは何気に使っていた製品やサーヴィスにもそのすべてに
小説何冊分にもなるドラマがあるんだと気づかせてくれる。
いつもの場所、いつもの日常を送っていても
まるで世界が広がったような感覚を持つようになる。
知らない場所に行くことも新鮮だが普段知っていたと思っていた場所や
ものの中にドラマを発見することもかなりエキサイティングなことだ。
例えば上の方で証券市場の話をしたがこれは内定を辞退したものの
あまりのもエニックスという企業がすばらしいので
最小単位株を東京在住するための敷金+礼金を投資して購入したからだ。
もし就職活動をしなければ一生株なんて始めなかっただろう。
また、就職活動で出会った学生や企業の人たちとも今でも親好がある。
時には辞退した企業から仕事に関する話が振られてきたりすることだってあった。
それはその企業に合わせるための就職活動をしたのではなく
自分自身の考えを話す就職活動をしたからこそ入社に関わらず
関係が続けられるのだと感じている。
このような出会いは旅行でさえなかなかできないものだろう。
沢木耕太郎の小説のように自分発見の旅がしたいなら
まずお金のかからない就職活動をすることをお薦めしたい。
もちろん『ロンバケ』を見直して。
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『スーツの中身』の原稿。
精神的にいっぱいいっぱいだった時期に書いたので
ちょっといやんな感じもあるけどメモなのでこのままアップ。
1999 12/20
まろまろコラム