入学予定大学院の研究室を訪問

4月の入学までにはだいぶん時間があるので、
研究の進め方や入学までにできる準備について相談をしに行く。
指導予定教官は個人的にも前から話をしたいと思っていた人だし、
読んだ本の著者に会うことが本好きの一番の楽しみでもあるので
(『進化論という考えかた』)前の晩はワクワクしてあまり眠れなかった。
実際に訪問すると自分の問題意識や視点についてよく受けとめてくれたし、
いろいろなヒントをもらえたのですごく楽しい時間だった。
(元PowerBook2400ユーザーと阪神ファンという共通点があったのにも驚いた)
問題意識的に言語学や認知科学などの基本書を読むことを薦められたので、
帰ってからさっそくメルマガHPで呼びかけをおこなう。
現在の研究室に所属するゼミ生の人もいたが、
研究室全体の雰囲気もすごくよくて良い研究室だなぁっと思ってしまった。

また、「半年くらいかけてじっくりテーマをしぼったら?」とか
「ゆっくり深呼吸して周りを見わたしてみたら?」などの助言をもらう。
珍しく緊張してギクシャクしていたのを感づいて導いてくれたのだろう。
準備期間を心と頭のストレッチという側面も含めたい。

2002 10/18
出来事メモ

息吹は続く

時々、参加させてもらう会合が今回は京都で開催されたので久々に京都に行く。
例のごとくいろんな業種の人が参加して刺激的な集まりだったが、
思わず終電を逃したので大阪組は京都リサーチパーク(KRP)に入っている
あるヴェンチャー企業のオフィスに収容してもらうことになった。
(会合に出席した一人が社員だった)
深夜とはいえ数年ぶりのKRPだったので懐かしく感じていたら、
そのヴェンチャー企業は社長以下、主要面々が立命の政策科学部在籍者だった。
僕がインターンシップや産学協同事業でKRPを使っていた頃は
まだそういうことに対する風当たりの強さもあったけど
今はごく普通になってきていることが嬉しかった。
先人ぶる気はないけれどあの頃KRPで僕がやっていたことも
こういう文化形成の何十万分の一かには貢献できたのかもと思うと
ちょっとだけいい気分にさせてもらった。
東京やNewYorkに拠点を移すかもしれないけど、
息吹を残した関西は安心して後にできると感じた。

2002 9/22
出来事メモ

人生相談会

大阪に帰ってきたので長いこと会っていなかった合気道の先輩に話をしに行く。
高校の時から何かと相談に乗ってくれている人(建設営業)と合流した後に、
同じく長年僕を見てくれている人(元建設社長で現在はカイロドクター)や
飲み屋で親しくさせてもらっている彫師の師匠などと一年ぶりくらいに話をする。

報告をするとすかさず全員から進学を勧められたのが意外だった。
いい年してちゃんと働かないと自分は薄っぺらい人間になるんじゃないのかとか、
このまま逃げ人生と思われ続けるのはどうなんだろうか、
という僕の疑問には「程度の低い話をするな」と一喝されてしまった。
人にはそれぞれの役割ややり方があって中途半端な経験に胡坐をかく人間が
一番たちが悪い、それに引きずられるなと怒られてしまった。
本当に今日食べるものも苦労した経験のあるこの三人から言われると迫力がある。

帰りながら尊敬できて掛け値なしに相談できる人生の先輩がいる自分は、
もしかしたら本当に幸せな人間じゃないのだろうかと涙がでる思いった。
尊敬できる知人、友人を持つことの価値をあらためて感じた一日。

2002 9/19
出来事メモ

西行法師プレイ「郡上八幡を歩く」篇

中期にわたった東京滞在が終わったので(出来事メモ8/27~9/15)
故郷の大阪に帰る準備をせっせとしていたら、
岐阜の郡上(ぐじょう)八幡へ旅行するという知人たちから誘われた。
聞いたことない土地だし、名物の”郡上踊り”も時期的に終わっているらしかったので
あまり乗気はしなかったけど、どちらにせよ岐阜は通るので帰りがてら同行することに。
決めたはいいけれど三連休前日の金曜日だというのに
言いだしっぺが宿を確保していないことが直後に判明。
(だめじゃーん!)
仕方ないので僕が代わりにいそいで宿を予約することになった。
案の定すでに予約でいっぱいになっていた宿もあったので、
部屋の確保を最優先にとりあえず全員一緒の一部屋で予約を入れたら
あとで女性陣にマジギレされた(^^;
(なんでじゃーん!)
メンバー的に間違いが起こることはないし旅なんだから
別に気にすることないじゃないかと不審に思っていたら、
同行の女性たちは全員異性の兄弟がいないことに気がついた。
異性の兄弟がいるのか同性の兄弟なのかの差は
こういう時にも出てくるのかと少しおかしかった。
なんとか宿を確保したものの大阪から行く本隊と、
僕を含めた東京から行く分隊がどう合流すべきかわからなかったので
知人で鉄ちゃん(鉄道マニア)の安藤に聞くと、
待ち合わせ時間や乗換時間を計算に入れた完璧なタイムスケジュールを組んでくれた。
(すごいじゃーん)
車両や車輪などに熱を入れるハードウェア鉄ちゃんも遠くから見る分には面白いけど、
時刻表に熱をいれるソフトウェア鉄ちゃんは実益があるのだなぁっと感心。
そんなこんなで当日は東急目黒線西小山の友人邸から出発、
新横浜から崎陽軒のシュウマイ弁当を買って新幹線に乗り込み、
(崎陽軒っていうのがヒネリがないですな(^^;)
名古屋で東海道線に乗り換えて合流ポイントの岐阜駅に向かった。
岐阜駅で乗換え先の高山線の車中で大阪からの本隊と無事に合流。
久々の面々もいたのでおしゃべりしながら最終乗換えポイントの美濃太田に向かう。
美濃太田で長良川鉄道という聞いたこともない路線に乗り換えてみると・・・
なんと一両だけの電車で一時間に一本だった!(もちろん単線)
こんな電車に乗るのは生まれてから何度もないのでそれだけでワクワク。
一時間半ゆられてようやく郡上八幡に到着。
・・・はるかに遠い、郡上八幡(>_<)

郡上八幡は長良川と吉田川が交差する水の街としてしられている。
名水百選にも選ばれた宗祇ゆかりの宗祇水と郡上踊りが名物。
蕎麦の昼食を取った後に歩いてみると実にコンパクトな城下町という感じがした。
(江戸時代は青木氏五万石の城下町)
八幡城周辺を散歩しながらこれくらいの規模の内政って楽しいだろうなぁっと、
のんびりした土地なのに不穏なことを考えてしまった。
また水と踊りの他には食品サンプル生産日本一ということで、
食品サンプルの工房では体験やお土産があった。

さらに歩いていると山内一豊の妻ゆかりの地という標識を見つけた。
なんと!この時ちょうど読んでいた『功名が辻』(司馬遼太郎)の主役
山内一豊の妻”千代”の生地とのこと。
この作品では二人の結婚式からスタートするため、
彼女の生地についてはまったく認識していなかったので驚いてしまった。
郡上踊りも終わっているし何でわざわざ郡上八幡に?
見所ないじゃん?という気持ちを持ちつづけていたけど、
こういう思いがけない発見や出会いがあるから旅はやっぱり面白い。
縁は色々あるけれど本を読んでいるのも縁作りになるなとあらためて感心。
古い町並みや小川の小道を中心にある程度見てまわったので、
隣町のやまと温泉にいく。
この時乗らしてもらったタクシーの運転手さんは無類の釣り好きで
岐阜で勤めていた会社を辞めて郡上八幡に移り住んだという
筋金入りの釣りマニアだった。
タクシーの中では鮎釣りの話を延々と熱く語ってきた。。
驚いたことに次の日の朝に民宿を出るとこの運転手さんが通りかかって、
「どうせ行き道だから」ということでタダ乗せてもらうことになった。
街を歩いて最後に駅に向かうためにタクシー停留所をたずねたら
またまたこの運転手さんがいた(>_< ) 一昨年、広島県の尾道に旅したときは村上水軍の話を熱く語る運転手さんに 出会ったがどうやら僕はこういう人とめぐり会うことが多いようだ。 郡上八幡を後にしたものの予定よりも帰る時間が早かったので 長良川鉄道沿線の、みなみ子宝温泉駅(岐阜県美並村)に途中下車した。 この駅は駅のホームから温泉に入れるという駅で そのまろまろぶりが妙に気に入ってしまった。 何気に熱いぜ長良川鉄道! 郡上八幡だけでなくこの長良川鉄道沿線の雰囲気が気に入ってしまった。 同行した外資系コンサルタント会社勤務の人間が、 郡上八幡単体としてでなく長良川鉄道沿線を総合的に宣伝したらいいのに っと言っていたがまったく同感だった。 ここ数ヶ月、右に左に動いていただけにホッと一息つける貴重な旅だった。 ・・・というわけで一句・・・

ふりむけば

をっと偶然

お千代さん

見所あるよね

郡上八幡

2002 9/15~16
出来事メモ、西行法師プレイ

GLOCOM研究会参加

矢尾板から誘われて渋川や庄司などの知人が研究員を務める、
六本木の国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)の
i-civil(情報文明論)研究会に参加する。
GLOCOM所長の公文俊平氏をはじめとして、司会は前田充浩氏(経済産業省)、
発表者は山崎秀夫氏(野村総研)、柴田祐作(名古屋外国語大学)と、
実に多様な人々が参加した興味深い研究会だった。

初めてのGLOCOM訪問&初めての研究会参加で右も左もわからなかったけど、
庄ちゃんが何かと教えてくれたのですぐに雰囲気にも溶け込めた。
議論の中でいまの若者の話が中心になったこともあったので、
庄ちゃんからの後押しもあって思わず議論に参加してしまった。
大きなプレゼンの後とはいえ、どうやらこういう場は基本的に嫌いではないようだ。

終了後の名刺交換ではいつものように名詞代わりのURL紙を配った。
こういうことからまた新しい広がりが生まれることもあるのだろう。
東京は僕にとってやはり魅力的なところだ。

帰りに一蘭ラーメンを食べた。

2002 9/11
出来事メモ

東京大学大学院 学際情報学府 修士課程合格

東京大学大学院 学際情報学府 学際情報学専攻 実践情報学コース修士課程に合格。
(変な名前だけどどうも僕は奇妙な名前や新しい分野に縁があるようだ)

某企業のアイドルプロジェクトに関わったことやHP運営を通して感じている
「感性の共鳴」という問題意識の主軸に、このHPを提出資料として院試に臨んだ。
(情報最大の価値はデータそのものじゃなく、そこから導き出される感性の共鳴という趣旨)
専門科目+英語の一次試験は解答用紙を取り間違えたかもしれないという
アクシデントにみまわれたのでだいぶん混乱したが何とか突破。
15人の教授の前で一人でおこなう二次試験(学術プレゼンテーション)は、
二度やりやって三度爆笑を取ったので「これで落ちたらもう仕方ない」と感じられた。
知り合いから事前に「突込みが半端じゃなく厳しい」とか、
「泣き出した人や怒って帰った人までいる」とか、
「全く違う専門分野からの質問が来るので本当に大変」とかとか
いろいろと聞かされていたのでかなり覚悟して挑んだが
実際にやってみると確かに厳しいものの相槌は打ってくれるし、
来てほしいと思ったところに突っ込んでくれるのでやりにくさは感じなかった。
面接やプレゼンという意味では吉本興業インターンシップ選定、
産学協同事業での木村常務へのプレゼンテーションや数社の就職面接を通して、
面接&プレゼン突破の名手と言われたこともあったが、
今回は学術分野でそれも15人という”当てに”いけない状況だったので
不安なことも多かったが何とか突破できた。
(HP運営の経験がキャリアとして認められたのがひそかに嬉しい)

思えば阿倍野高校に定員割れですべり込み、卒業の際にはトップレベル。
それでも立命館大学政策科学部へは一浪でやっと補欠合格、
卒業の際にはモデル学生として最高評価を受けた。
しかし大学院へは推薦ではなく一般入試でようやく合格、
そしていま東京大学大学院へ進学と、
僕の人生は常にギリギリで入ってトップで出るというのを繰り返している。
(吉本興業インターンシップもギリギリ通過だったとのこと)
ここまでくれば東大卒業の際にも一番いい結果を
生み出したいという気持ちが起こってくる。

一方で今回の反省点としては妙にバタバタしてしまったということだろうか。
OHP資料の作り方やスーツをめぐって24時間以内で大阪と東京を行き来したり、
直前までキンコーズでプリントアウトをしたりと落ち着かなかった。
ちょうど大河ドラマ『利家とまつ』が本能寺の変以後から
豊臣秀吉が天下を取るまでの間を放映していて、
『新史 太閤記』(司馬遼太郎)の中国大返しの項を思い出したので
あの場面の秀吉の起動力を考えると大阪~東京間の移動が苦痛にはならなかった。
そういう混乱の中の方が燃えるタイプだとはいえ、
いつもうまくいくとは限らないのでこれは今後の反省にしたい。

また、忘れてはいけないのが僕を助けてくれたまわりのサポートだ。
HPを資料として提出する際には掲示板のオフライン使用について
Jackと彼の後輩の助けを受けたし、推薦文はMさんに書いてもらった。
先輩になる牟田ちゃんや渋川にアドヴァイスを受けたことも大きいし、
AWAYの地である東京でのOHP資料作成やプリントアウト作業などの際には、
矢尾ちゃんやITOの協力や場所の提供があったからこそできたことだ。
ゼロ戦乗りの本『大空のサムライ』をこの試験の前後に読書していて、
自分はゼロ戦乗りのように戦うのだと思っていたが、
彼らの有機的な人的ネットワークはあたかも空母のように僕を支援してくれた。
「人生の半分は運で決まる」(マキアヴェリ)というが、
めぐまれた対人運にはつくづく感謝したい。

2002 9/6
出来事メモ、はしり書き、まいぽえむ

暑い日の熱い男塾

東京に出かけたついでに某企業のオフィスに寄ると以前お世話になった取締役の人と久々に会った。
つい一昨日も僕のHPを観てくれてたということもあっていろいろなお話をさせてもらうことになった。
特に彼のバックボーンである印刷業界の話を聞いたのはすごくためになった。
すると近くにいたもう一人の取締役の人が急に「それだ!それを求めていた!」と言いはじめた。
その後に取締役二人の熱いトークが開始。
どうも二人で腹をわって話をする機会を模索していたらしく、僕がそのきっかけになったようだ。
きっかけになった手前もあるし、こういう場面には滅多に出会えないので、
会う約束をしていた友達にごめんなさいを言ってその場に図々しく残らせてもらう。
そのままの流れでもう一人いた後輩の社員も含めて四人でご飯を食べにいくことに。
食事中も男の熱いトーク炸裂という感じだったので実に楽しかった。
どうやら僕は化学反応を起こす酵素のような側面があるようだ。
食事中に「お前と同じ土俵で勝負したいからうちの会社来いよ」
っと一方の取締役から熱い誘われ方をした。
後から考えたら僕は経営&営利活動では勝負していないので(専門外だし向いてなさそう)、
挑戦という意味ならこちらの土俵に来てよと逆に誘ったらよかったなと後で思い返した。
話を聞いているとその取締役は学術や研究の価値をまったく感じていないそぶりだった。
一般に研究活動は企業関係者の人たちからは軽く見られる傾向にあるとはいえ、
100年後も影響力を発揮し続ける学術論文やメディアを作ることは
営利活動と決して見劣りしない価値があることを伝えられなかったのは
もしかしたら僕の至らないところかもしれないなと、ちと反省。
しかし逆の立場の研究分野からは企業活動を必要以上に軽視しがちというのは、
お互いが僻んでるという要素もあるのだろうか?
異物と接するのは確かにエネルギーを使うがそれを避けてはもったいない、
と感じる僕は大阪人らしいがめつさがあるのかな(笑)

しかし、こういう場にたまたま居合わせたタイミングを考えると僕は何かしらの運が良いんだろう。
この運の良さをどうせなら悔いの無い方向で使っていきたいと改めて感じた。
また、話をしながら「わかった」と「わからない」の間を行き来するのが僕の理解の特徴だと確認。
その過程を記録する=恥ずかしい思いをする、こういうメモはやっぱり重要だと感じた1日でもある。
とにもかくにも暑い日に熱い男塾開催って感じだった。

2002 8/27
出来事メモ、はしり書き

Yahoo!Japanにディレクトリ登録

HP立ち上げ以来、何かと申請していたがことごとくはねられ、
諦めていたときに登録されることになった。
(http://dir.yahoo.co.jp/Arts/Humanities/Literature/Reviews/Personal/)
やはりどんなかたちでも続けるもんだなと感じた。

2002 8/22
出来事メモ、サイト運営

まろまろ記英語化プロジェクト~まろまろ世界にいきまふ~(まろぷろ)

“経緯”

 まろまろHPを立ち上げてから様々なことを感じるようになりました。(コラムにて)
その一つが、音楽や絵画と比べて文章は国境の壁が高いということです。 海外体験を通してその壁を越えれば感性の部分で通じ合えるものはあると感じていますし、そうした壁を越えやすいのがネットだと思うので、このHPを通してその壁を越えたいなぁ・・・っと漠然と考えていたところに、ふとしたきっかけからまろまろ読書日記の英語化プロジェクトが動きだしました。司馬遼太郎さんの本がきっかけというのも実にまろまろしているので気に入っています(^^)
もともとこのHP自体が、まろまろと読んだ本をまろまろと記録してきたものなので、英語化プロジェクトも「まろまろ世界に行きまふ」(コードネーム"まろぷろ")としてあせらずにまろまろと進めて行こうと思っています。そこでこのHPを気に入ってちょっとでも協力してやってもいいという方がいらっしゃったら、英語化プロジェクトにお力をお貸しくださればと思っています。

“詳細”

まろまろフェローシップ(まろふぇろさん)募集
この分野を中心に翻訳を手伝うよ」とか「この読書日記をピンポイントで翻訳しちゃう」、はたまた「とりあえず助言だけはするよ」や「詳しそうな知り合いに聞いてみる」、「こういうところに投げかけてみたら?」などなど、どのようなかたちで関わっていただいてもけっこうです。要求される能力も問いません。英語を勉強するきっかけにしたいという方も歓迎です。気が向いた時に気が向いたようにできる範囲でお手をお貸しください。

現状報告
 訳案や大きな進展状況についてはこのまろぷろページに載せていく予定です。現在はプロジェクトを軌道に乗せるための調整をおこなっています。当面の目標は英語ページの枠作りと皆さんが参加しやすい環境作りに力を入れていきます。この点について何かアイデアをお持ちの方はご連絡ください。
現在は英語化の模索と同時進行で、英語の本を読んだら英語で感想文を書くようにしています。英語の感想文の中に「こういう表現の方がいいんじゃないか?」とか、「こういうとこなおしたら?」という点を発見された方は一報いただければと考えています。また、薄く、読みやすくて、かつ英米文学や英語圏文化の参考になるような本をご存知の方がいらっしゃればご一報いただけるとありがたいです。
英語本の読書と遺書の英語化に取り組もうとしているのが現在の状況です。

まろぷろML
 プロジェクト連絡用ML"まろぷろしちゃいまふ"も公開していますので、具体的な進展を垣間見たいという方はログを閲覧&購読してみてください。敬語はできるだけ使わないという実に無礼講なMLとして活動していっています(^^)
この件について個別のお問い合わせ&ご質問&ご意見はまろぷろML:http://www.egroups.co.jp/group/maropro
もしくは らぶナベ宛: lovenabe@maromaro.comまで


ナウなヤングだからmaroproグループに参加しちゃう
Powered by groups.yahoo.co.jp

まろまろ読書日記1周年

人生初のHPを立ち上げてからこの一年さまざまなことがあった。
HP自体も当初にはなかったアクセス解析設置、用語集、詩などの創作カテゴリを創設、メルマガ発行
掲示板の三代交代、オフ会(まろじぇくとX)、geocitiesから独自ドメインでの運営開始の変化があった。
HPの更新を考えて「どんなに忙しい時にも一ヶ月一冊は本を読む」という日々の目標も新たに出来た。
(結果的に多忙だったこの一年で19冊を読めた)

そして何よりも重要なのは自らの体験や情報をメディア化することの意味だ。
「表現の自由の価値とは自己統治と自己実現の二つである」とはどんな憲法の本にも載っていることだが、
表現の自由の価値と自己実現の関連をこれほどまで実感することになるとは思わなかった。
(情報の最大の価値は知識でも教養でもなく感性の共鳴か?)

自らが運営するメディア、自らのブランドを形成することの意味を感じた
この一年は自分にとって大きなものになるだろう。
感じたことを中心にまろまろコラムはしり書きにも掲載。

2002 7/19
出来事メモ、はしり書き、まろまろコラム、サイト運営