中間を考えた再開と出会い

三年以上音信不通だった知り合いがたまたまmaromaro.comで使っている
サーヴァ会社に勤務していたことが判明して会うことになった。
彼が顔を出しているヴェンチャーな人々の集まりに誘われて行ったが、
どうもこういう場は好きではなくちょっと気乗りしなかった。
(三年ぶりに会うというのでななければ行かなかった)

しかし、その場で老舗の酒卸業の若い三代目と話ができたのはよかった。
いま転換を迫られている業種であることもあって、問題意識が非常に強く共鳴する面も多かった。
卸など中間業の役割は代替可能で誰がやっても同じという話もあったが
歴史マニアの僕からすればかつての卸は個人の個性や独自のネットワークを基に
常に提案をしていたプロデューサー業だったと感じていた。
クリエイター(生産者)と消費者(ファン)を結ぶ単純な機能としてだけでなく
主体的提案能力があったのにそれがなくなってしまって単なる機能だけになったから
卸を飛ばしたり巨大卸業以外の必要性がなくなったのでは・・・
と、前から思っていることを話すとおじいさんの代の話と今の代との違いの話などが
聞けてこちらも勉強になることがとても多かった。

単なる機能だけならば中間は代替可能で「その人」がする必要性がなくなるときもくる。
しかし提案能力があればそれは「その人」でしかできないものになるだろう。
サッカーでもゲームメイカーといわれるMFが一番代替不可能性が高い。
いまは僕が業務で関わっている事もクリエイター自身が直接情報発信できる環境が整いつつある。
いまは花形のプロデューサー業も転換を迫られる時期はそう遠くないのではないだろうか。
こういう集まりのよさは思うことを気兼ねなく話しあえることだろうか、
いままで嫌煙していたがちょっと考えを改めた。

2002 7/12
出来事メモ、はしり書き

MSNメッセンジャーアドレス公開開始

まろまろメルマガでMSNメッセンジャー用のアドレスを公開。
気に入った人はlovenabe@hotmail.comをお仲間登録してもらうように求める。
『個人ホームページのカリスマ』(情報関連・メディア論)を読んで、
「ネットの価値は玉石混合を恐れない公開にある」のだと改めて感じたので公開する。
どういうことになるのか心配もあるがこういうどきどき感があるってやっぱり楽しい(^^)

2002 6/16
出来事メモ、サイト運営

独自ドメイン"maromaro.com"でのHP運用開始

立ち上げ以来約8ヵ月借りていた”geocities”から自主ドメイン”maromaro.com”に引越。
引越を急いだ理由はサイト内解析や検索機能を付けるためというのもあったが
何よりも”まろまろ”という言葉を大切にするためだ。
『Eureka! 哲学がわかった!』で著者が「情報化社会では誰もが哲学者=言葉の創出者になれる」
と書いていたようにせっかく”まろまろ”という言葉が一人歩きし始めているのに
普及によって権利関係のトラブルに巻き込まれる可能性も出てきた。
知的所有権は総じて早いもの勝ちの洗願主義なので
予防的な意味合いもあっていまのうちに確保しておいた。
これによって生まれて初めて知的所有権を有することになった。
これで安心してブランド展開ができる(^^)

2002 3/29
出来事メモ、サイト運営

政策科学研究科修士課程修了式

3年間にわたる修士課程の終了式。
就職状況が超氷河期の中で内定を辞退してまで来た大学院だがこの3年間は常に
「就職した時と比べて自分は成長しているのだろうか」という思いがついてまわった。
目に見える成果としての事々を振り返ってみると・・・
・ずっと読みたい&読むべきと思っていた本たちを読んだ。
・吉本興業インターンシッププロジェクトを最後まで見取った。
・公費でのモンゴルプロジェクトを実現させた。
・ある企業とある企業の初会合を運営することができた。
・ホームページを立ち上げて自らのメディアを持てた。
・進路を明確化させてそれと矛盾するかもしれない修士論文を書き上げた。
・・・など意外に充実していたかもしれない。
プライベートでも今までそれほど気づかなかった
自分の感情を否が応でも自覚することができた。

一時は研究の面も学内行動の面も対外的活動の面も私生活の面も、
何もかもが暗雲立ち込めて自分を見失うような時期が何度かあったが
何とかマイナス面をせめてトントンに、
できればプラスに転換させようと意識し続けたのが
つぶれずつぶされずやり抜けた原因の一つだろうか。

ちなみに式典や卒業パーティは7年間にわたる立命館大学生活の終わりでもあるので
『就職!!インターンシップ』(学生援護会)を大量購入して
自分のホームページのアドレスを貼ってから学内の各組織に渡した。
埃がかぶりつつある自分のインターン体験と誰かのインターン体験が共鳴することで
単なるメモがメモ以上の機能と価値を発揮するということを感じ始めている。

2002 3/21
出来事メモ、はしり書き

アイドルイベント現場へいく

吉本興業が売り出しているアイドルユニット”Soul Tiger”のイベントに行く。
京橋MIDシアターにて女性限定のライブだったが
スタッフでもあるし吉本興業の安田さんに呼ばれてMO-Rinaと共に参加する。
久々のアイドルイベントの現場ということもあるが何かを作ろうとする
熱さを感じられる場所って長らく遠ざかっていたのですごく刺激的だった。
イベント終了後に喫茶店で(株)ネイキッドの木村社長とお話をさせてもらう。
(日本的な雇用賞与制度の再評価の動きやネット論についての話題)
その後、バトラクションの現場関係者打ち上げがあるとのことで辞そうと思ったが
愛称命名者とシステム自体の助言者として呼ばれて参加する。
(そういえば採用されていた)
ネイキッドの新社員の人が僕のことを知っていたのに驚いたが
どうも会社に僕の4年間が紹介されている1999年の大学パンフレットがあったらしい。
すっかりそんなことは忘れていたがメディアというのは
自分の意識とはまた違った動きをするものだとあらためて感じた。
吉本興業での役職も兼務しながらFM会社の代表取締役に就任した
Mプロデューサーとも久々に話をする。
自分にとっては僕が間を取り持った彼とある企業人との会合話を聞くのが何よりも嬉しい。
Mさんとある企業人との会合話を聞いて感じたこと・・・
「共通の問題意識のある人間と対話することが最大のストレス解消」

いろいろと思うことがあっただけに良い一日だった。

2002 3/17
出来事メモ、はしり書き

ハワイアン日記

ひょんなことから男3人でハワイに行くことになってしまった(4泊6日)。
「なぜーに男3人?」、「なぜーにハワイ?」という気もしなくもなかったが
痛いものコレクターとして新しいコレクションにもなるかなと思って同意した旅。

以下、メモを修正した日記・・・
2月28日:成田発なのでわざわざ新幹線に乗って東京まで向かう。
いったん途中下車して市ヶ谷の研究室で東京での仕事をさせてもらう。
市ヶ谷で服部(同行者その1)と合流した後に新宿からNEXで成田へ。
初めて乗った成田エクスプレスは外見はヨーロッパ風だったが中身は噂どおり貧弱だった。
ここらへんが日本的でちょっと笑ってしまった(^^)
成田で藤江(同行者その2)と合流して飛行機に乗り込み、
美味しくない機内食を食べてから眠ろうとしたら隣でカタカタという音が・・・
不思議に思ってふと見てみると藤江も服部もMy電卓を持ってきて簿記の勉強をしていた(@_@)
こう文字で書くと何かYoung Excective的な匂いが漂うが、
ハワイ航路それもエコノミークラスでやるとは同行者ながら侮りがたし。
現地に到着後に格安ツアー名物マルチ商法セミナーもどきの説明会がおこなわれる。
商品リストにあえて×や△をつけさせて発言に信憑性を持たせ、
○をつけたものを値下げするという実に典型的なマルチ商法ぶりに思わず笑みがこぼれた。
それ系の訓練を何度も受けたであろう司会の女性が
自分の母親と同い年くらいということに一つ人生をかいまみる(^^)
とりあえず現地は物価が高い(1ドル=137.5円)上に男3人ショッピングも興味がないので
「ハワイならでは」でなおかつ「日本よりもお得」なものを探す。
ダイビングライセンス(PADI)はこの二つの要求に応えられるだろうということになった。
一度取れば世界中どこでも潜れるようになるし日本で取るよりもずっと安いので3人とも納得。
二日かけて単独でも潜ることができる”Open Water Diver”ライセンスを取ることに決めた。
英語で交渉する2人がなかなかカッコ良かったので、
自分もあれくらい英語ができるようにならなくてはと感じる。
ホテルのチェックインまでちょっと時間が空いたので近くで実弾射撃体験をする。
(22口径拳銃とライフル)ちょっとカルチャーショックだった。
あんなもので人が殺せるのかと銃に対する考えが少し変わった。
それから4泊することになる”Ohana Waikiki Hobron”という
安ホテルに荷物を置いてから近くの浜に日焼けしに行く。
2人とも爆睡したが僕は眠れなかったので海で泳ごうとしたものの
あまりの冷たさに断念、おとなしく日焼けする。
夕食は豪華にしようということで”HAWAIAN ALL STAR”というお店に食べに行く。
藤江はサーロインステーキ、服部はポークソテーという無難なものを頼んだが、
せっかくハワイに来たので”ポリネシア風蒸し豚”を頼む。
出てきた料理を見たら「ビーフジャーキーの大盛り」のようだった。
ジューシーな隣人の食事をかいま見ながら歯ごたえのあるポリネシア料理を食べる。
“traditional food”という説明書きはある意味で正しかったのか・・・(T_T)
ポリネシアあなどりがたし。
ダイビングをはじめる次の日は早いのでこの日はおとなしくホテルに帰って寝る。

3月1日:6時起きでダイブショップ”Green Dolphine”の車に乗せてもらってショップに向かう。
スタッフも日本人ばかりで海の家的なノリがかえって新鮮、
大学生や関西人もいて話やすかったのが嬉しかった。
ショップで説明を受けてから”MAGIC ISLAND”というダイビングスポットに行って講習を受ける。
当たり前だけど海の中で呼吸ができるってそれだけで何だか感動!
当たり前だけど海の中では自分の動きや反応が遅いけどそれに戸惑った。
当たり前だけど機材をつけて陸を歩くのって大変。
結局、休憩を挟んで2本合計48分潜ってショップに戻る。
“HAWAIAN ROLE”なるお寿司(ポテトサラダを挟んでる!)を食べて午後の学科を受ける。
予定では最終日の一日が空いていたのでせっかくということもあり、
最終日もFUN DIVE(純粋にダイビングを愉しむ)としてダイビングしようと決める。
たまたまショップに隣接するネットカフェにいた女の子にHPを営業。
学科終了後にいったんホテルに荷物をおいて昨日行った浜で再び日焼けする。
この時、自分と服部はホテルで仮眠していた藤江とはぐれてしまったが
浜に面する”HILTON HOTEL”のBARで言葉が話せないメキシコ人と知り合う。
筆談とジェスチャーでコミュニケーションを取っていたら妙に盛り上がった。
なにか気に入られたらしく飲み代はすべておごってくれた。
同行者の二人に比べて自分の国際的コミュニケーション力に疑問を感じていたので
この経験は自信につながった、次の日の単独行動のきっかけにもなる。
ホテルに戻っても藤江はいないので書置きをして浜に戻るとすごい人だかりだった。
HILTONの前で演じられているポリネシアンショーを
横目で捜索を続けていると花火大会が始まった。(人だかりの原因はこれだった)
この時期のそれもハワイで花火が観れるとは思わなかったのでかなり得した気分になった。
花火大会終了後にようやく藤江と合流できた、書置きが功をそうしたようだ。
その場で知り合った女の子二人にHPの営業をする。
お腹が空いたので”Sam Choy’s Diamond Head”というちょっと高級店にいく。
前日にポリネシアン料理で失敗したもののここはやはり挑戦しなくてはと思い、
“Hawaian Bouillabaisse”というものを頼む。
Bouillabaisseというのは何かわからなくてかなり不安だったが来たものを見てみると、
魚介類のごった煮だった。そう、そうそれはブイヤベースだったのだ。
Bouillabaisseとはブイヤベースのことだとは三人ともわからんかった(仏語力なし)。
タロイモやマヒマヒ(ハワイのお魚)が入っている点が
ハワイアンということみたいだったがとても美味しいものだった。
付け合せのおにぎりをぶち込んでリゾット風にして食べてもまたうまかった。
二人が頼んだ料理はいまいちだったようで昨日の失敗分は帳消になった気がした。
ハワイの女神は僕に微笑んでくれたのだと思った(^o^)
この日も明日が早いのでおとなしく寝る。
リゾートというより合宿のflavorがしてきた二日目の夜。

3月2日:3時40分に目が覚めてしまって体力的な不安を感じながらショップに向かう。
今回は車で40分ほど走ったダイビングスポット”MAKAI PIER”で講習を受けることになった。
珊瑚礁も多くて天気も良いので前日とはくらべものにならないほど綺麗なスポットだった。
そのためか中性浮力の取り方などの実技はとても楽しくできた。
(魚にパンもあげることができた)
この日は2本合計60分潜ってお昼ご飯を買って戻る。
一緒に潜った学生さん二人にHPの営業をする。
前日からの合意では次の日は愉しむだけのFUN DIVEつもりだったが、
次のクラス”Advanced Diver”の認定を受けるために必要な科目を持ち越せる上に、
FUN DIVEと大して変わらないということで”Adventure Diver”の講習を申し込んだ。
酔うという噂のBOAT DIVE(船からのダイビング)、
さらに一日のうちに3本潜ることになるので体力面でちょっと不安に感じた。
二人がダイビング用具を買っている間に敷地が隣接しているホテルでプールサイドで焼く。
(この時分からすでに焼きすぎの感が(^^;)
その後に3人で浜に出てからナンパしに行くという二人とは別行動を取ることにする。
二人は英語が堪能で一緒にいるのはすごく楽だが、その分、英語の勉強にはならない。
これが初めての英語圏への旅行なのに自分の英語力の程度を知れないというのは
実にもったいないので単独行動を取ることにする。
ただ、彼らの微笑ましい(?)リビドーも無駄にしたくないので
「知り合った人に渡して」とHPのアドレスを書いた紙を渡す。
確率論的にナンパは失敗の方が断然多いが、たとえ失敗しても
その目的とはまた別の広がりを生むネット戦略のせこさに我ながら感心する。
一人でホテルに荷物を置きに帰ってフロントで両替してもらい、
コインランドリーに洗濯しに行くだけでも何だか冒険気分だ。
ランドリーを回している間にホテルのジャグジーで砂を落とす。
貸しきり状態だったのだが10歳くらいの現地の女の子(アングロサクソン系)が
入ってきて「コンニチハ!」と言ってきた。
「ここはアメリカ・・・これが噂に聞く人身売買か!」と一瞬考えたが、
日本語の挨拶を覚えたので一見して日本人とわかる僕に使いたかっただけのようだ。
良い機会なのでこの少女相手に英語の練習をさせてもらう。
家族で来ているらしく他の家族も入ってきて取り止めも無い会話をする。
それから部屋で着替えて、さぁ外にいこうとすると、
約束の時間よりもずっと早いのにも関わらず二人が帰ってきた。
数々の(痛い)伝説を生んだ名うての二人のことだからてっきり僕の分まで余計に
女の子をピックアップしてくるだろうと思ったら二人だけで不機嫌そうに帰ってきた。
特に藤江は凹んでいるようだった。
聞いてみるとことごとく不作なので日本では絶対に声をかけないような女の子に声をかけたら
「迷惑ですっ!」と正面から言われたのがかなりショックだったようだ(笑)
あまりに凹んでいるのでとりあえず夕食を食べに行こうということになった。
この日はダイビングのインソラクター、ケンタロウくんお勧めの”Chart House”に行く。
このお店の料理は魚介類も肉類もすごく美味しかった!(^_^)
(the Ala Wai Yacht Harborに面しているお店、お勧め)
ハワイ滞在3日目にして3人全員が納得するお店と出会えた、ケンタロウくんあなどりがたし。
ステーキを頼んだが想像以上にサイズが大きかったので
自分も藤江も食べきれなくなって服部にあずける。
服部はすべてたいらげた、服部あなどりがたし。
ホテルに戻ってランドリーに洗濯物を取りに行くと日本人の女の子二人が迷っていた。
エレベーターに乗るときに「ロビーは下ですよ」と日本語で言って
とっとと部屋に戻ろうとするとかけよってきた。
「ここはアメリカ・・・これが噂に聞く日本旅行者への詐欺の始まりか!」とも思ったが
何でもクレジットカードで日本に電話したいのにやり方がわからず困っているそうだ。
前日に藤江が同じやり方で電話をかけていたのを覚えていたので彼を連れてくる。
ナンパに失敗した二人を尻目に何気に女の子と知り合いになった自分の運の良さにまた感心。
しかし次の日に3本のダイビングがひかえているのでHPを営業してからとっとと部屋に戻る。
もしかしたらこれは本当に合宿かもしれないと思いながら眠った三日目。

3月3日:朝5時に起床。ダイブショップにいったん行った後にヨットハーバーから船に乗り込む。
「酔う」とか「大変だ」とか色々と聞かされていたが風もなく晴れたので快適だった。
当初は午前中に2本BOAT DIVEして午後にBEACH DIVEを1本するという話だったが
午前のうちに3本することになった。(1度水面に上がれば1本とカウントできるらしい)
そちらの方が楽なので自分としても嬉しかった。
“SEA TIGER”というダイビングスポットで30mのDEEP DIVEに挑戦する。
漁礁となっている浮沈船に向かうのだがテレビでよくみる一場面を
実際に体験することになろうとは思っていなかった。
浮沈船の甲板の上に立ったり側面を泳いだり、それだけで感動的だった。
360度見渡してもすべてが陸にいるときとはまったく違う別世界だからだ。
海ガメとも出会えてすごく楽しいダイブだった(^o^)
30分潜ってから船に戻って休憩する。
船上で食べたピーナッツバターを挟んだビスケットの美味しさが印象的だった。
今は快適だけど最悪の条件下でダイブする”NAVY SEALS”(アメリカ海軍特殊部隊)って
本当に大変な仕事なんだろうなと変なことについて思いを馳せる。
その後、海底に巨大なパイプがある”KEWALO PIPE”というダイビングスポットに向かう。
昔、ハワイでは生活廃水を海にたれ流していたらしく(駄目じゃん!)
そのときに使っていたパイプがいまでも残っているらしい。
巨大なパイプ以外は海底の地平線が広がっている場所だったので
このダイビングは特に水中を泳ぐ喜びを感じられた。
浮き上がるわけでもなく沈むわけでもなく中性浮力を使って
水中の真中を漂うことってとても楽しい(^^)
いったん水面に上がってからまた潜り2本合計47分水中の中にいたが
水面ではなく水中を泳ぐことの快感を感じたので疲労は感じられなかった。
結局、この日は3本合計77分潜ったことになる。
環境面でも自身の体力的にももっとハードだと思っていたが
ぜんぜん楽ちんだったので得した気分になった。
ショップに帰ってから学科を受け無事に”Adventure Diver”のライセンス取得(^_-)
良くしてくれたインストラクターさんたちにお礼を行ってショップを後にする。
ハワイで最後の昼間自由時間ができたので3人で”WAIKIKI BEACH”に向かう。
シュノーケリングするという服部と分かれて藤江と二人でハワイB級グルメ”ロコモコ”を探す。
なかなか無いのでWAIKIKIから”ALAMOANA Shopping Center”まで
30分ほどまろまろ歩いてフードサーヴィスでロコモコを食べる。
ALAMOANA Shopping Centerはまさに日本人のために作られたという感じだった。
ブランドショップが入っている上階に行くほど「ここはハワイですよ」と、
優しく諭したくなるような格好の日本人女性がいっぱいいたのが
痛いものコレクター的には楽しかった。(まさに異世界)
バスでWAIKIKIまで戻ってお土産を買ってから服部と合流し、
この日もホテルの近くの”Chart House”にご飯を食べにいく。
お店は混んでいたのでBARカウンターで食事を取ることになった。
目の前のバーテンダーのおっちゃんは見てて惚れ惚れするほど良い仕事をしていた。
食事の用意も素早いし、カクテル作るのも早くて正確、
ほとんど手を休ませないでいるのに他のお客さんと談笑もする。
思わず帰りに”You do good job”と言うと握手をしてくれた。
ホテルに戻って藤江と服部が夜の街に繰り出そうとしたその時に前日の女の子二人がやってきた。
何でも部屋を取り違えた日本人のおばさんがパニックになっているのに
ホテルには日本語話せるスタッフがいないので混乱が助長されているらしい。
すぐに出る用意ができていた藤江と服部がまず向かい、僕は着替えてから向かう。
フロントにいくと二人だけでなくもう一人の女の子がいた。
彼女が前日いなかったのは友達が困っていたときにも関わらず爆睡していたかららしい(^^;
自分がフロントに到着した時分にはトラブルは普通に解決していて、
そのおばさんがお茶をおごってくれるということでホテルのBARに全員で向かう。
混乱が続いているのかおばさんはダイビング用語でいうところの”PANIC DIVER”状態で
何を話しても通じないほど自分の話をマシンガンのように話しつづけていた。
おばさんが帰ってからまろまろとお茶を飲んでおしゃべりする。
普通の飲み会状態になったがハワイの夜は冷えるので着替えのために部屋に戻る。
部屋から見える夜景を見ると詩感がわいたので試作する。
(そのうち公開するかも)
飲み会終了後に部屋に帰ると服部の説教が始まった。
このホテルは安ホテルだけにやたら水漏れしているなぁと思っていたが
どうやら僕がユニットバスのカーテンを外に出してシャワーをあびていたのが原因らしい。
普通に服部にマジギレされた。
服部がシャワーをあびている間に藤江とまろまろと話をしていたらもよおしたので
気づかれないように音を立てないようにガスを出したら気づかれた。
普通に藤江にマジギレされた。
そんな最終日の夜。

3月4日:4日間毎朝通いつめたマクドナルドの朝食を惜しみつつ
(日本にはないクッキー生地のマフィンなどがあった)空港に向かう。
テロの影響がまだまだ続いていてうんざりするぐらいに搭乗手続に時間かかった。
空港内でトイレに行こうとしたけど場所がわからなかったので
ぽつんと立っていた自動小銃を抱えた軍人さんに
“Where`s toilet?”と尋ねると「ああ、この道を真っ直ぐ20メートルくらいいって左ね」と
妙にfriendlyな日本語で教えてくれたのにはちょっと驚いた。
それもフィートじゃなくてメートルで教えてくれるとは(@_@)
ハワイは観光産業の比重が高いのにテロの影響で日本人旅行客が減ったので
州から警備についても観光客には十分な配慮をというお達しでも出ていたのだろうか。
そんなことを思いながら帰路に着く。

振り返ってみると全く目的をもたずにリゾート気分でまろまろするはずの旅だったが
強い円安やそれほど陸上の観光資源にひかれなかったこともあって
全日程をダイビングライセンスに費やしたことになった。
本当にリゾートというよりは合宿な日々だった。
これは意外にラッキーだったように思う。
事前に「ダイビング旅行」と言われていたら絶対に来てなかっただろう。
期せずに一生残る自分へのお土産を持って帰れたような気がする。
世界中の海にダイビングスポットはあり、行動範囲が広くなったようですごく嬉しい。
なんかPADIの戦略に見事に乗せられている気がするが、
とにもかくにも新しい趣味を得た旅だった(^^)
2002 2/28~3/5
出来事メモ、海外体験記

政策科学研究科修士論文口頭試問

別のリサーチプロジェクト所属のはずの佐藤教授も審査委員をやってくれた。
案の定、けちょんけちょんだった(^^;
おかげで「論理性のより一層の一貫性」、「道具については道具論に徹する」、
「しつこいほど見直す」という三点の必要性をあらためて感じられた。

2002 2/14
出来事メモ、進路関係

まろじぇくとX「イヴの慣習に立ち向かえ」

エェーックス!

(田口トモロヲ風のナレーションで)
それは、日本中が、最も華やぐ夜だった。
クリスマス、イブ。
愛を語らぐ、恋人たちが、街にあふれていた。
街中のイルミネーションが、二人を祝福しているかのようだった。

そんな、街の喧騒の中に、たたずむ男がいた。
「なぜ恋人のいる人間だけが楽しそうなんだ」
男は、思った。
「憲法13条に幸福追求権というのがあるじゃないか」
わけのわからない、理屈だった。
「恋人のいない人間でも楽しめるイヴがあってもいいじゃないか!」
誰もが、その叫びは、むなしく街の喧騒に消えてゆくかに思えた。

これは、社会の慣習に立ち向かった、名も無き人々の壮大な物語である・・・
(西中島みふきが歌う「妄想の星」が流れる)

・・・っと言うわけでそろそろ初のオフ会を開催しようかと思ってまふ。
いまのところ開催予定地は関西のどこか(梅田か難波あたりが有力)、
開催日は当然ながら(?)12月24日にしたいっす。
ただし今年は24日が月曜日なので22日(土)か23日(日)にするかもしれません。
詳細は参加者の希望を集めてから決定します。

また別にツンドラーのリストじゃなくても参加OKですし、
カップルでの参加もOKっす。

まろまろHPの読者(まろまろさん)は趣味も世代もまったく違うので
たぶん集まったとしてもまともな会話が成立しないと思うんですが
そのかみ合わない空間がまろまろして楽しそうです(^^)
好きな本のことなどまろまろと話しましょう。

誰も集まらなかったら集まらなかったでこっそりと痛いイヴの夜を過ごします。
たった一人のOFF会・・・痛いものコレクターとしてそれもまた可也!

希望者がどれだけいるのか知りたいので参加しようかなぁっと思う人は
とりあえず僕の方までメールください。

エェーックスゥ!!

(田口トモロヲの棒読み口調で)
よしなべは、迷った。
「参加したいけど24日は・・・」、「彼女がいることだし・・・」、躊躇の声が相次いでいた。
思い返せば、HPは、立ち上げてまだ半年も経っていなかった。
「やはり一日ずらすべきでは?」、その思いが頭を悩まし続けた。
そんな、迷いの中で、Xmas特別番組の番宣が目に入った。
「X’masをMステや明石屋サンタを観てすごす、多くの不幸な日本人がいるじゃないか。
その人々の声無き声に応えるのが俺たちの仕事じゃないか!」
自らの原点を、思い出した。
そして、決断をした・・・。

・・・っというわけで詳細が決定しました。
○日時は12月24日イヴの夜(>_< )夕方6時~。 ○集合場所は梅田の阪急乗り場手前の広場、別名"BIGMAN前"。 ○プレゼント交換会をするので一次会参加者はプレゼント用の"本"を持ってきてください。  (集合場所の前は紀伊国屋なのでそこですぐGET可能です) ○当日飛びこみ参加OKですが連絡の点から  「もしかしたら参加するかも?」という人は  事前にその趣旨を僕の方まで一報ください。  また、お財布がさみしんぼ倶楽部なら本のプレゼント交換はナニゲに無しにしますので  そういう人がいれば遠慮無く僕の方まで教えてください。 (田口トモロヲ風の投げやり口調で) 運命の日が、来た。 12月24日、クリスマス・イヴ。 皆が、涙を堪えて、必死で笑顔を作ろうとしていた。 そして、本のプレゼント交換会が、始まった。 よしなべは、「自分の原点に環ることができる本」をテーマに選んでいた。 タイトルを明かす直前、ふと、参加者の一人に投げかけてみた。 「貴方にとって原点に環ることのできる本ってどんな本ですか?」 「自分にとっては『ぐりとぐら』」という答えが、返ってきた。 ・・・そのとき、奇跡は起こった。 よしなべが選んでいたプレゼントは、その『ぐりとぐら』だった。 偶然という一言では言い尽くされない出来事だった。 この瞬間から、クリスマス・イヴの夜は、恋人たちだけものではなくなった。 思いは通じる、夢は叶う。 (西中島南方みゆきの歌う「テールスープ、ヘッドフィッシュ」が流れる) ・・・っという訳でオフ会をまろまろとやっちゃいました(^^) いやぁ、ホントにびっくりっす! こんなことってあるんですね、本って不思議です。 その人の外見や見た目の雰囲気からは決してわからない 感性の部分を垣間見ることができるので 本のプレゼント交換会はかなり良いイベントだと気づきました。 これからも機会があれば開催しようと思います。 参加希望者は随時募集っす。 (できるだけ希望者に合わせて開催します) みなさんにとって「原点に環えることができる本」ってなんですか? その本が今回のように誰かにとっても同じものかもしれませんね(^^) 2001 12/24 出来事メモ、まろじぇくとX

西行法師プレイ「東海を歩く」篇

無事に東海地方から帰ってきた、らぶナベ@色々な情報を色々な方から頂いて感謝っす。
タイミング合わなくてお会いできなかった方はまた次の機会にまろまろしましょう(^^)

東海地方での滞在は結局・・・
津→榊原→松阪→津→名古屋→津
・・・というルートでまろまろ漂浪しました。
感謝の意味も込めて各地の印象をちらっと書いてみます。

『津』
新しくできた駅ビルの「アスト津」が一番の驚き。
駅ビルの上階に公民館やヴォランティア支援センター、青少年交流センターなどがあって
市民が使えるネット端末や談話室が充実していた。
地方都市の駅ビルテナントは大苦戦しているけど発想を転換して
公的機関主導で上階をコミュニティにするという考えは面白い。
完全に高校生や中学生の勉強&ミーティング地帯と化していたのには微笑ましく思えた。
これなら人の流れも生まれて下階テナントにとっても良いのではないだろうか?
今後も注目したい。

『榊原』
旧名「七栗」と呼ばれた温泉地。
東京の熱海、大阪の有馬のように名古屋では近場の温泉と言えば榊原らしい。
いきなり仲居さんに「何も無いですよ」と言われたが
「温泉があるだけすばらしいじゃないか!」と中学生日記のような勇気づけをしそうになった。
思わず湯当たりしてしまった。

『名古屋』
東海銀行名古屋駅前支店の前の歩道橋で僕の友人の知り合いだという
アルゼンチンの弁護士さんにばったりと出会ったのが一番の驚き。
(ベーロンが好きらしい)
また高校生や高校生らしき人たちは多くみかけたが大学生らしき人はあまり見かけなかった。
友人によれば名古屋は教育都市でもあり予備校や塾が充実しているにも関わらず
高等学校以上の教育を受ける世代は名古屋外に出ることが多いそうだ。
東海地方の要であるのに受け皿が少ないのはもったいない印象を持った。
また巨大な都市なのに自主的に若者が集まる広場的なものも少なく感じた。

最後に「西行法師プレイ」と言ってしまったので
それらしく旅の感想をまろまろ歌として表現します。

温泉が

ぽっぽと沸くよ

榊原

自信もちなよ

あるだけ良いじゃん

2001 12/14
出来事メモ、西行法師プレイ