友人の苦境に積極的に手を差し出さなければ、友人関係を積極的に解消した方がいい

友人が困っていると分かっているのに自分から積極的に手を差し出さなければ、積極的に友人関係を解消した方がいい。
人間関係ではあえて白黒を付けない方が良い場合もあるけれど、この場合は積極性を持って白黒を付けた方が良い。

なぜなら、その友人からは恨みを買い続けるリスクがあるだけでなく、結果論として傍観的な立場を取ったことは「信頼できない人物」という記録を後世に残してしまうからだ。

“hold out or break off”

<社会活動=人間関係を振り返って>

2010 5/21
はしり書き

美しさは求めていくものであって、前提とするものではない

美しさは求めていくものであって、前提とするものではない。
美しさは強く印象に残るものだけど、希少だからこそ美しいという現実を忘れてはいけない。
事実を受けとめて、美しさを求める。その逆は足元をすくわれることがある。

『史記』を呼んでいる時にまろみあんの人との社会活動=人間関係についてスタバで茶話した機会に>

2010 4/2
はしり書き

知人と友人との違いは、相手のために恥をかくことができるかどうかにある

単なる知人と友人との違いは、相手のために恥をかくことができるかどうかにある。
自分のスタンスや主義主張は一先ず置いて、恥をかくことができるのが友情だ。

自分の殻から抜け出そうとせず、自分の殻にヒビを入れることさえしない人は、
たとえどんなに友達風を吹かせてきたとしても友人として信頼してはいけない。

2010 1/31
はしり書き

寛容とは、許す指針を持っていること

寛容とは、何でも許すことでは無く、許す指針を持っていることをいう。
「水に流す」や「忘れる」というのはファンタジーで、それを求めることはアニメやゲームの出来事を現実と錯覚することと変わらない。
許すことは勇気が必要な行為だからこそ、指針を明確化させなくてはいけない。

追記:指針の詳細はまろまろコラム『寛容のメモリ~決別のmemoryと和解の目盛~』で公開。

2009 12/31
はしり書き

自分にも今すぐできることの中に、自分にしか今しかできないことがある

自分にしかできないこと、今しかできないことは、自分が今すぐできることの中にある。

向上心から自分の外に可能性を広げるだけでなく、自分の中にある可能性を受け入れることも時には必要になる。

それは自分への挑戦だ。

<まろまろ記8周年特別企画のまろまろ茶話会2009にて>

2009 7/19
はしり書き

頭が悪いのに小賢しい人と、頭が良いのに不器用な人、の評価を間違えてはいけない

頭が悪いのに小賢しい人と、頭が良いのに不器用な人、は表面的には逆の印象を受けるけど、評価を間違えてはいけない。
人を見る目が無い人は、この二者の評価を間違えてしまっていることが多い。

<人選ミスをする人の共通点を感じて>

2009 5/31
はしり書き

どうしようもないことが多いのだから、自分一人で何とかなることまで言い訳する人間に明るい未来は少ない

どんなに頑張ってみても、自分ではどうしようもないことの方が世の中には多い。

そんな中で、自分一人が頑張れば何とかなることに対してまで、ウダウダと言い訳したり、逃避したり、無理だとすぐ決めつける傾向のある人間が得られる未来は明るいものである可能性が低い。

努力という言葉を多用することも、それに依存することも避けるべきだけど(がんばりすぎるな)、自己管理や創意工夫に力を入れない人間になってはいけない。
また、そういう傾向にある人間はあまり信頼してはいけない。

<どの場所で開催しても朝オフ会に来る参加者は自己管理能力が高くて前向きな人が多い点を感じて>

2009 4/16
はしり書き

宝があるなら、輝かせなくてはいけない

もし「自分の宝」だと思えるものがあるなら、それを輝かせなくてはいけない。
宝だと思えるものが充実し、輝けば、それ自体が自分の喜びになるからだ。

そして輝く宝は、自分の道に迷った時に足元を照らす電灯となってくれる。

<大学院に合格したまろみあんの人とごはん日記(LA BETTOLA仏蘭西屋)を開拓した日に>

2009 3/30
はしり書き

人は得たものではなく与えたものが残るのだから、評価より結果を重視しなくてはいけない

評価と結果は長い目で見れば同じものだけど、中短期ではぶつかることもある。
でも、人は死んだ時に得たものではなく、与えたものが残るのだから、やはり評価よりも結果を重視しなくていけない。

教え子が希望する進路に進んで祝杯をあげた日に>

2009 3/16
はしり書き