横山光輝 『史記』 小学館 全11巻 2001

文京区友の会で会長である僕自身が幹事を担う朝オフ会を3年ぶりに開催した、まろまろです。

さて、『史記』横山光輝著(小学館)全11巻2001。

司馬遷の『史記』を、『鉄人28号』『魔法使いサリー』『三国志』などで知られる漫画家、横山光輝が手がけた長編漫画。
マンガ化と言っても、取り上げていない話やアレンジを加えている部分もあるので、
どちらかというと『史記』を原案にした人間劇という感じになっている。

たまたまフフレの家にあったので手にとって読んでみると・・・これがとても痛い。
人の歴史の醜い部分が鮮明にえがかれていて、読んでいて胸が痛くなることの連続だった。

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』の中で哲人皇帝と呼ばれたマルクス・アウレリウス帝に対して・・・
「マルクスが傾倒していた哲学は、いかに良く正しく生きるか、への問題には答えてくれるかもしれないが、
人間とは(略)下劣な動機によって行動に駆られる生き物でもあるという、人間社会の現実までは教えてくれない。
それを教えてくれるのは、歴史である」
・・・と指摘する部分があったけれど、この『史記』はそうした人の下劣さをイヤというほどえがいている。

ちょうど自分の社会活動=人間関係を振り返っていた時でもあったので、自分のことに照らし合わされて読み進めるのが辛くなることもあった。
人には下劣な面があり、人の営みの結果である歴史はそうした下劣さの連続であるのは事実だけど、
これまでの自分を振り返れば、自分自身が高潔で美しくあろうとするあまりに、
人の下劣さや醜さに対して目を向ける機会が少なかったことを思い起こさせられた。

よく「政治は汚い」とか「あそこは裏でドロドロしている」などということを、したり顔で話す人を見かけることがある。
でも、政治は人がおこなう以上、政治が汚いのは人に汚い面があるからというのも無視できない事実だ。
そして、人にはドロドロした面がある以上、社会と呼ぼうが、組織と呼ぼうが、グループと呼ぼうが、ネットワークと呼ぼうが、コミュニティと呼ぼうが、
人の集まりはドロドロした部分があるものだ。

また、『こころの処方箋』の中で・・・
「自分の権力や権威を否定する人ほど自分を安定させるために気づかないところで権威を振りかざしたり権力にしがみつくこともある」
・・・という指摘があったように、普段したり顔で自分の潔癖さを語る人ほど、
いざ当事者の立場なると途端に醜い姿を曝け出すのを見かけることもよくある。
それは自分自身を含めた人の下劣で醜い部分に対して目を背け、無自覚であるからだ。

このマンガの中でえがかれた醜い歴史エピソードの数々は、人には美しくない部分があることの事実を雄弁に物語っている。
スッガー・ロウが「悲しいけど、これ戦争なのよね」と言ったように、「悲しいけど、これ現実なのよね」という気持ちで、
「美しさは求めていくものであって、前提とするものではない」ということを受けとめる機会の一つとなった。
その一点だけを持って、自分にとってはとても意義深い一冊。

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2010 4/16
歴史、マンガ本
まろまろヒット率5

“横山光輝 『史記』 小学館 全11巻 2001” への2件の返信

  1. ピンバック: 360度の方針転換

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