答えを求めるなら自分が答えになればいい • 08.30.03
答えは百人いれば百通りある。状況によっても千差万別だ。
では、答えは求は自分の中にしかない。自分自身が証明になるんだ。
“The proof is my life”といい続けられるよう生きていきたい。
答えは百人いれば百通りある。状況によっても千差万別だ。
では、答えは求は自分の中にしかない。自分自身が証明になるんだ。
“The proof is my life”といい続けられるよう生きていきたい。
遺書を書いてみてあらためて感じた。人間は必ず絶対に死ぬ。
でも死はゴールじゃない、それは目標でも達成でもない。
「生きる」ということは一生をかけた過程なんだ、その過程にこそ価値がある。
だから模索や途中の過程それ自体を楽しめる人間は人生を楽しむことができるのだろう。
人生そのものが生きるカケラ(欠片)なんだから。
自分もその中のひとりでありつづけたい。
昔、内定先企業の役員さんから「人生最後は賭けだよ」と言われたことがあるが、
最近になって本当にそうなんだとあらためて思うことが多い。
どんなに安定した道を選んでもその道が絶対に安定しているとは限らない。
賭けをしないということも実は大きな賭けだ。
どんな選択肢を取るにしても最後は自分の選択に
「賭ける」気持ちを持つことが大切なんだろう。
そして最後は賭けになるなら、失敗しても後悔が少ない方に賭けてみたい。
中途半端なすけべ心は破滅を招く、一度に一つだけできたならそれでいい。
すべてを一度にしようとすると何一つできないことが多い、
多様性はあくまで一つずつの積み重ねでしかない。
一日一つ、一週間で一つ、一月に一つ、一季節に一つ、一年で一つ、
そして一生に一つのことができればそれは成功なのだろう。
前者は失敗しても救いはあるが、後者は失敗すると救いがない。
大きい方が失敗の損害が少ないというめずらしいものじゃないだろうか。
どちらにしても無自覚に使うと自分を滅ぼしてしまうものだろうけれど、
どうせ半分も成功しないものならば大きな打算で失敗したい。
2002年は実績が見えずに、焦ったり不安になることが多い年だった。
そんな中で自分を見失いそうになったときに口ずさんだ言葉。
この年の最後に開催したOFF会でそのことをまた強く感じた。
(詳細は“まろじぇくとX”)
「ゆっくり成長する人間は限界がない」ということもどこかで聞いたことがある。
歴史上の人物の評価を見ていて、いつからかはわからないけど、
自分でも口にするようになった言葉。
インターンシップと産学協同事業の頃によく口にしていたが、
今年もやっぱり口にしている。
肩の力を抜いていえるようになったらめっけものか(^^)
歴史に名を残した人に共通するやり方のような気がする。
三国志の曹操のやり方が特にそういう感じを持つ。
振り返ってこのまろまろ読書日記も総容量わずか3.6Mしかない。
(持ち歩いてるUSBメモリー128M、サーバ容量250Mdだから余りまくり(^^;)
このコンパクトなHPを仕事にも勉強にも、進路にも使っている。
これからもダイナミックに、大きくなったら逆にコンパクトに使ってみよう。
モデルは大切だけど、答えだけじゃなく選択肢さえも最後は自分の中にしかない。
最初から夢や目標が自分の外にあるわけじゃない、自分が夢や目標になるんだ。
眼に見えるルートを選ぶんじゃない、自分の選択がルートになるんだ。
(院進学を選択したときに)
いまに背を向けて逃げ出している人間が愚痴る。
本当に不満を感じているなら何らかの思考や行動を取っていて、
不平・不満だけをことさら表出する必要性や余力がない。
不満に対して何らかの思考や行動を取らなければ、
それが負のエネルギーのまま他へ向けられるのだろう。
尊敬している人ほど愚痴が少なく、
尊敬できない人やネットワークほど愚痴が多いことに気がついた。
(愚痴ぐらいで気を紛らわしていると進歩がない?)
自分がその人やネットワークにどれだけ関わるかのひとつの指標だろう。
「暗いと不満をいうよりも進んで明かりをつけましょう」とは
決して表層的な道徳観念じゃなく単なる精神衛生上のコツのような気がする。