傍観者を当事者に変えていく可能性が、表現の社会的意義

傍観者を当事者に変えていく可能性が、表現の社会的意義だ。
傍観者の無責任さと醜さを批判するだけでは何も変わらない。
「気づき」を与えて当事者に変えていく力こそが、表現(情報発信)の持つ可能性だ。

松阪市情報政策担当官退任の日に>

2013 3/31
はしり書き

心に響くかどうかの必須条件は、本気さの裏付けが感じられるかどうか

心に響くかどうかの必須条件は、本気さの裏付けが感じられるかどうかだ。
手軽な手段を使うならなおさら、「よくここまで」と思わせる迫力が最低でも必要になる。
その裏に本気さが感じられない人や言葉、物が誰かの心を響かせることはない。

<ソーシャルメディア関連の講師や情報発信の相談を受ける中で>

2012 11/16
はしり書き

転んだら泣けばいい、迷ったら凹めばいい、新しい道を自分の道にすればいい

転んだら泣けばいい、迷ったら凹めばいい、新しい道を自分の道にすればいい。
失敗することは嫌だし、迷うことは恥ずかしい。
でも、曲線であってもつなげていくことで自分の道となる。

松阪市情報政策担当官就任の日に>

2011 4/1
はしり書き

手軽にやりとりできたとしても、信頼まで手軽に得られると勘違いしてはいけない

手軽にやりとりできたとしても、信頼まで手軽に得られると勘違いしてはいけない。

情報通信技術が発展してコミュニケーションのコストが下がっても、時間も労力もお金も使わず、座ったままで信頼を得られると勘違いしてはいけない。
会いたいならば自分から足を使って会いに行く、それさえせずに興味があるとラブコールを送ったり、信頼されたいと願うのはみすぼらしい甘えでしかない。
信頼は手間暇をかけて培っていくものだ。

助言者になりたがる人や、伝統社会で地位がある人、先生と呼ばれる立場の人などにそういう人が多くても、決して影響されてはいけない。

<まろまろ記9周年記念企画、「まろまろ茶話会2010」の会場で阿闍梨餅を受け取って>

2010 7/19
はしり書き

当事者の特権はリスクと引きかえの充実、傍観者の特権は充実の放棄と引き替えの安全

当事者は実際のリスクと引きかえに充実を得る特権があり、傍観者は充実の放棄と引き替えに安全を得る特権がある。

当事者は傍観者を恨んではいけない。
傍観者が充実感を得ることは無く、充実感を得なければ生きる意味を実感することはないからだ。
傍観者は当事者を羨んではいけない。
当事者が完全な安全を得ることはないからだ。

<社会活動=人間関係を振り返って>

2010 5/26
はしり書き