武邑光裕 『記憶のゆくたて―デジタル・アーカイヴの文化経済』 東京大学出版会 2003

メルマガ読者からもった意見をもとに遺書ページに説明文を加えた、
らぶナベ@進化学会でもひょっこりブース出展したんすけど意外と食いつきありました。

さて、『記憶のゆくたて-デジタル・アーカイヴの文化経済』
武邑光裕著(東京大学出版会)2003年初版をば。
メディア美学者によるデジタル・アーカイヴの概要書。
前半はデジタル・アーカイヴの各国の取り組みや現状の問題点を述べて、
後半(第9章以降)はアーカイヴを通した日本の歴史の再解釈という構成になっている。

この本の主要テーマである記憶と記録との関係についての考察と、
その間に文化を見出す視点は、まろまろHPとも関係していてとても面白かった。
また、後半部分で日本最大規模の文化情報アーカイヴとして
『万葉集』を捉えなおしているのは興味深かった。
この歌集は、いつ、誰によって、何の目的で編集されたのか判明していない。
最後の編者は大伴家持らしいけど、どういう過程を経て編集されたのかも分かってない。
中身も正史には残りにくい、当時の国家を批判した歌(山上憶良)や、
政争に敗れた人(大津皇子)の歌まで入っているし、
詠み人の構成も天皇、貴族から、正史には出てこない女性や下級役人、防人までと実に多様だ。
そんなことから「『記紀』と『風土記』を戦前の国定教科書とすれば、
『万葉集』はネット上にある無数の個人サイト」(第9章”記憶のゆくたて”)
というような著者の表現には思わず笑いながらうなずいてしまった。

ちなみに著者は研究科が違うけど、僕の副指導教官になってくれた人でもある。
こういう話が秋からもできると思うと、夏休みが明けるのもちょっと楽しみだ(^^)

以下は、チェックした箇所(一部要約)・・・

○デジタル・アーカイヴ=物質から真理を還元し、
 そこから離脱することによって得られた電子の記憶庫
 →ここに託されるべきものは神話としての無責任な森ではなく、
  明確に未来に資する森である必要がある
<まえがき>

○(スウェーデンの『ニルスの不思議な旅』について)
 この事例はわれわれに記憶の利用目的を提示している。
 まずそれは忘却に立ち向かうこと。
 そのためには記憶は単に陳列されるだけではなく
 しかるべき文脈の中に配置される必要があるということ。
 忘却に立ち向かうことは記憶を継承することと同義なのであり、
 この作業はたんに自発としてあるのではなく、
 きわめて意識的かつ能動的なものであるということが重要なのである。
<第1章 記憶の外在>

○(写真出現による絵画の影響について)
 写実から印象へ、その後の連なるシュルレアリズムの巨大な運動は、
 複製の特権を科学技術に剥奪された絵画がみずからの存在をかけて
 あらたな地平を切り開こうとしていく産みの苦しみの姿。
<第2章 記憶というスペクタクル>

☆デジタル・アーカイヴが構成されいている要素の特徴・・・
 ・デジタル情報の特徴=流動性、一過性、非物質性、変容性
 ・コンピュータによる論理的処理=離散性、規約性、有限性
 ・ミュージアムやアーカイヴ=固定性、安定性、永続性、無限性
<第2章 記憶というスペクタクル>

☆物財としての情報記号を何らかの価値に変換する仕組みが生成され継承されるとき、
 記録ははじめて記憶となる。いいかえれば記憶とは、
 無機物にすぎない記録に意味による経験的認知などが作用する
 意識的かつ能動的な作業である。
 そして、かかる記憶を生成し継承する作業が何らかの目的を帯びて
 集団規模で行なわれる現象が、文化の本体なのではないだろうか。
<第2章 記憶というスペクタクル>

☆デスクトップでは得ることのできない多層的な情報との連結性、
 実態とヴァーチュアルな情報環境全体の相互に織りなす多彩なインタラクションこそ、
 まさに次世代のアーカイヴに課せられた空間的特性。
 →次世代の情報探索にとっては、内容よりもコンテクスト(文脈)が優先する。
<第4章 文化記憶の社会資本>

☆文化はまた、人間の文明が関与できないもうひとつの価値の苗床である。
 もうひとつの価値とは共感である。これによって共同体が維持され、
 また、他者とのコミュニケーションが発生する。
<第4章 文化記憶の社会資本>

○社会を有機的統合を保つひとつの身体と考えた場合、情報系は脳神経系にあたるだろう。
 脳神経系を流れるものの実体は情報である。
 生物の神経系は神経自体とそこを流通するインパルスによって成り立ち、
 社会の情報系は道路や通信回線、通信衛星波などの基盤
 =インフラストラクチャーを流通する内容=コンテントによって成り立つ。
<第4章 文化記憶の社会資本>

○文化とはつねに時代の中で変化と転移をもたらすものである。
 伝承の中に埋没してしまうものは「文化財」とはいえても「伝統」とはいわない。
 「伝統」とは伝承そのものが時代のあらたな要請を受け入れ、
 時代に鋭くその意味を訴え、変容をも恐れない変異のプロセスだからである。
<第5章 電網の中の文化経済>

○情報財を軸にしたデジタル・アーカイヴが情報の消費文化へと浸透する時代に、
 あらゆる情報財も無体情報としてのブランド空間の中で大きな変容を遂げようとしている。
 →所有から共有へと転換されるのは、モノに込められたイメージや情報、
  そしてそこから派生する知覚や社会文化の記号、表徴との連鎖を形成する官能でもある。
<第6章 離散するアーカイヴ>

○「信頼」とは、固定化を意味しない。
 信頼が固定されることなどあり得ないからだ。
 ブランド価値は、つねに時代を切り開き、時代やその先端的な文化と折り合いながら、
 ブランドを生み出す基盤となった独占的な価値やその所有権を、
 広く公共的な価値へと高めていくことに不断の努力を惜しまない。
 ーそうした意志のもとに更新されていくものである。
<第6章 離散するアーカイヴ>

☆デジタル形式によるアーカイヴとは、
 (略)本来離散し、流動するもの(デジタル)と、固定的で永続性を担保する(アーカイヴ)という
 ふたつの大きく異なる特性が合成することによって生じた展開である。
<第9章 記憶のゆくたて>

○『記紀』と『風土記』を戦前の国定教科書とすれば
 『万葉集』はさながらウェブの情報空間に偏在する無数の個人サイトの感がある。
<第9章 記憶のゆくたて>

○「本歌取り」=先人の歌を受け、それを独自の作風に構成する作法。
<第9章 記憶のゆくたて>

○地理的概念とは景観という無数のアフォーダンスとしての
 情報群によって構築される記憶にほかならない。
 景観という記憶群は「行動する」というわれわれの動物としての特性にかかわる
 もっとも原初の基本情報でもあるから、われわれの脳がこれに適応するのもすばやい。
 違和感を憶えるのはほんの一時期にすぎず、よほど意識的にならないかぎり、
 突如出現した光景であっても需要されてしまうものである。
<第10章 記憶の編纂と反転>

○意識が記憶の断片に生命を吹き込み、その記憶がまた意識をもって継承され発展する。
 この動きのダイナミズムこそが文化と呼ばれるものの本体なのではないだろうか。
<第10章 記憶の編纂と反転>

この本をamazonで見ちゃう

2003 7/31
情報関連、デジタル・アーカイヴ、文化論
まろまろヒット率4

らぶナベ体験学習

奈良に住んでいる高校の頃から合気道でお世話になっている人から、
夏休みに中学生の息子を泊めてやってくれといわれる。
理由は「高校受験の前にお前の日常を見せてほしい」とのこと。
いわゆるらぶナベ体験学習(まろまろインターンシップ)ですな。

いつものように安請け合いしたものの自分の日常といえば、
エロ動画をダウンロードしまくる、妄想する、まわりからいじられる、
人生のボタンをかけ違える・・・こんなんでいいのか?(@_@)
(会ったこともない人間に会いに東京まで一人旅させるというのもよく考えたらすごい)
かなり不安になったもののバイクを盗もうとして盗み方がわからなかったりした
自分の中学時代を振り返れば、反面教師という意味もあるだろうと迎えいれる。

この時期は自分自身で経験したという体感が重要だと思ったので、
一人で研究室の近くまで来てもらってから合流した。(ルートも自己検索)
授業を作る授業(情報リテラシー論)のグループワークで作製しているワークショップ案を
体験してもらって臨床実験に付き合ってもらったり、
edo-valleyをやってる知り合いとの会食に同席してもらったり、
ASEAN関係の仕事で使う資料探しに神保町の古本街を同行してもらったりした。

同行の中で、今はインターネットがあるからそんな心配はほとんどしなくていいけれど、
自分が中学生のときはエロ本をいかに買って、いかに隠して、いかに使っていくかということに
自分の持てる全知全能を使ったんだという意味のないおっさんトークをした。
塾があるということで一泊二日で帰っていったけど、
見送りをしてから昔ある知り合いから言われた言葉を思い出した、
「人から子供を任せられるようになって一人前」。
・・・やはりこんな人間に簡単に子供を任せてはいけない(^^;

2003 7/27~28
出来事メモ

まろまろ読書日記2周年

1年前の1周年のときも感慨深かったが、今回の2周年はまたひとしおだ。
何しろこのHPをネタに(参考資料でHPごと提出して)大学院も受験したし、
受かっちゃったので悩んだ末に進路も修正した。
HP活動自体としても旗を作った芸術祭への出展などもおこなった。
1年後の自分が東京で暮らしてこういう生活をおくっているとは、
1年前の自分からは想像もできなかった。
振り返ってみると遺書まで書いてるし(^^;
メディアを持つことの意味を個人的体験としてこれほど感じている人間は
あまりいないんじゃないだろうかと思うくらいだ。
理論を追求するあまりに現実を見つめる眼を曇らせて、自分自身の可能性をつぶしている人間もいる中、
臨床分野としての自己メディアを持っていることでどれほど救われているかわからないほどだ。
これからも方針を模索しながらやっていこう、模索を楽しめる人間が人生を楽しめるのだから。

2003 7/19
出来事メモ、サイト運営

「焼き鳥」

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有楽町の会合の帰りにみんなで焼き鳥屋さんに入る。焼き鳥はやっぱりこういうおやじ風店内で食べるに限りますな。
有楽町の焼き鳥屋さんにて。

カケラが旨い

遺書を書いてみてあらためて感じた。人間は必ず絶対に死ぬ。
でも死はゴールじゃない、それは目標でも達成でもない。
「生きる」ということは一生をかけた過程なんだ、その過程にこそ価値がある。
だから模索や途中の過程それ自体を楽しめる人間は人生を楽しむことができるのだろう。
人生そのものが生きるカケラ(欠片)なんだから。
自分もその中のひとりでありつづけたい。

2003 7/13
はしり書き

魚可津の生々しい「お刺身」

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久々の生魚を食べたらめちゃうまっ!一緒にごはんを食べた友達がこの写真を見ると「なんだか生々しい」とコメント・・・確かに生なので間違っていないが微妙な表現ですな(^^;
麻布十番の「魚可津」にて。母体はお魚屋さんらしい。

研究発表&布陣確立

8日
さくら研究室での研究発表。
研究発表は最初ということもあって、どういう風な発表にしようかと頭を悩ませたが、
まず問題意識がどうして生まれたのか&なぜ情報学環に来たのかについて説明し(持ち時間の半分)、
そこから形成された研究テーマの今後の展開について説明する(残り半分)スタイルにした。
多様な構成メンバーなのでこういう話はあんまり興味ないのかなーって思っていたら、
思いのほか盛り上がって絡んできてもらったことが嬉しかった。
また、終わってから良い研究発表だったという評価も受けた。
研究室で初めて発言(5/6)したときや文献発表(6/3)をしたときも大切な一歩だと感じが、
今回の研究発表は情報学環に来て初めての大きな山だったように思う。
初戦をいいかたちで経験できたのは今後大きな意味合いを持つだろう。

ちなみに発表時にはメディア活動の報告として“まろまろフラッグ”を持ち込み、
参考資料として急死した場合にまろまろHPをどうするかについて書いた“遺言”も添付した。
たぶん東京大学の歴史上、自分の旗と自分の遺書をゼミ発表で使ったのは僕だけだろう。
(またひとつ新しい歴史をつくった、スケール小さいけど(^^;)

9日
次の日に予定されている三者面談で情報を共有するために、
工学部棟に行って8日にした同じ発表を武邑助教授に聞いてもらう。
その際にいくつかのアドヴァイスを受け、研究テーマに関わる参考文献も借りる。

10日
指導教官と副指導教官と僕との三者面談。
すでにかなりの程度共有化されていたので、
この3人が一同に会したのは初めてだったにも関わらず、
問題意識の接点についての話やスケジューリングなどの具体的な話ができた。
前々から指導教官と副指導教官は近い問題意識を持っていると感じていたので
自分が直接面識のないこの二人をつなぐメディアになれたのも嬉しかった。

入学からちょうど3ヵ月、研究発表を終え、指導教官&副指導教官の三者体制も確立した。
それも1年前からは想像すらしなかった、指導教官=佐倉助教授(情報学環)、
副指導教官=武邑助教授(新領域)というベスト布陣を確立できた。
いままでは幸運に恵まれたことも大きいけれど、
せっかく来たんだからこれからも思い切りやっていこう。

2003 7/8~10
出来事メモ、まろまろ研究

まろまろ遺書~万が一のときのために意思を表明してみます~

遺言

<遺言要旨>
生命体としての僕の生命は終わりました。
遺言としてこの「まろまろ読書日記(http://maromaro.com/)」を公開し続けることを希望します。

<使用について>
引用を明記さえしてくれれば、その他のすべての知的所有権(特に著作財産権)は放棄しますので自由に使ってやってくださいな。
技術も日進月歩で変わっていくものでしょうから、その度ごとに自由に変化させていってください。
僕が書いたものが残ればそれでかまいません。フォーマットにはこだわらず、僕の感性が残ればそれでOKです。
ゲストブックも作っておきますので、よかったらどこを使ったとかとかどう思ったかを書き込んでくださいな。

<遺族へ>
宗教的なお葬式もお墓もいらないです。
もしお別れ会を開くなら、参加者は普段着着用で、仕事帰りにでも気軽によってくれるようにしてください。
(24時間スペース借りるとか工夫お願いしますね)

<最後に>
では、さようなら。
無機質な墓碑として静かに眠るよりも、有機的な情報体として生き続けることを望みます。


2003年7月7日 らぶナベ

(注)この遺言は民法967条に定められた要件をすべて満たしていませんが、理解ある遺族と、まろみあんを含む友人たちがモメたりしないことを期待しています。
モメたら祟りますよ(マジで)。

説明

急死したときに意思表示を明確にしておかないと混乱すると思うので遺書を書いてみました。
僕は生物的な遺伝子を残す衝動(性欲)よりも、文化的な遺伝子を残したり、社会的な生きた証を残したりする衝動の方が強いようなので(初台会談『利己的な遺伝子』『ミーム・マシーンとしての私』など)、意思能力のあるうちに死後のための意思を表明をしておきます。

こういうことをしようと思うのは家族が医療現場で働いていることや、阪神大震災経験者ということも影響を与えているかもしれません。
かつては死んだ後は自分の身体を肥料にして木を育てて欲しいと考えていた頃がありました。死んでしまっても自分の養分で生きる木があれば命がつながっているような気がしていたからです。この思惑は後になって法的な面で無理だと判明したのですが、つながりを持ち続けるという意味でもこのWEBサイトを残すほうが意味があると考えています。

メモを中心とした僕のWEBサイトは作品未満の欠片(カケラ)のようなものですが、そんな自分の欠片でも誰かに使ってもらったり共鳴したりしてもらえるなら、つながりが続くような気がします。よく「人間はアナログなもので、ネットやパソコンはデジタルだ」みたいな話を耳にすることがあります。でも、僕たち人間を作っている遺伝子はデジタルな情報(『ブラインド・ウォッチメイカー』)です。それなら僕のアナログな肉体がなくなってしまった後も、デジタルな情報として欠片を残せれば、その欠片を通して生きている人とつながり続けられるなら(『テクノコードの誕生』)、もしかしたらそれは死(=終わり)を意味しないかもしれませんね。

ここらへんは僕が死んでからこのHPがどうなっていくのかが一つの事例になると思います。
こういうことに興味がある人がいたら、考えたり研究したりする際にこのHPの事例を使ってみてください(^_-

ちなみにWEBサイトへの遺書を読むと、その人が自分のWEBサイトをどういう風にとらえているのかがわかるので、WEB-RINGを作ってみようかとも考えています。僕が生きている間に協力者募集中です。

2004年4月25日改訂

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