芸術系イベントにまろまろ読書日記初出展

複合芸術祭”MG-mind the gap”にまろまろHPを作品として出展。
芸術展でもWEBサイトがひとつの作品として評価されつつあるという状況と、
直前に読んだ『アメリカ海兵隊~非営利型組織の自己革新~』(野中郁次郎)で
紹介されていた海兵隊の機動力(とくにハードとソフトの機動的ドッキング)を
WEB活動でも活用できるのではと感じたこと、
そして掲示板に遊びに来てくれるMO-RinaがこのMGのスタッフをしていたという
きっかけからゲリラ的に出展することになった。

自前のThinkPad持参でサイトをオフライン使用にして展示したが、
自分のサイトは初めて見た人からはどのように見られているのか垣間見れて
かなり参考になった。(アクセス解析ではわからない点が多々)
やはり「ネットで見れるからわざわざリアルで出展しなくてもいいじゃん」
という突っ込みも自分自身でも感じなくはなかったが、
ネットでの活動だけでは限界がある対面的コミュニケーションをHPに還元することと、
ネットだけではたどり着けない人への営業という点で見るべき点があるのではないだろうか。
現実とネットの世界をつなげる活動に興味を感じた一日。
(自分自身がintermedia?)

2002 10/31
出来事メモ、サイト運営

野中郁次郎 『アメリカ海兵隊~非営利型組織の自己革新~』 中央公論新社 1995

まろまろ用語集「がんばりすぎるな」を見た人から
「価値があるからしんどいことをするんであって、
しんどいからといって価値があるとは限らないですよね」というメールをもらった、
らぶナベ@深いので用例に修正追加しておきました(^^)

さて、『アメリカ海兵隊~非営利型組織の自己革新~』野中郁次郎著(中公新書)1995年初版。
アメリカ海兵隊(US.Marine)という世界でも類を見ない独特の組織を題材に、
非営利型組織での自己革新とはどういうことかをテーマにした本。
組織論研究の第一人者が書いた本だけに一見堅そうだけど、
中には「単なる趣味じゃん」と思えるような記述もあったりして
普通の読み物として読んでも楽しい。

何しろ著者が他の分野の研究者と共同執筆した『失敗の本質』(中央公論新社)の中で、
太平洋戦争のターニングポイントになったガダルカナルの戦いを分析しているときに
海兵隊の独自の戦い方に興味を持ったのが執筆のきっかけになっていて、
本人も「ほとんど趣味的に・・・」っと前書きで書いているくらいだ。
その『失敗の本質』は僕も心のベスト本のひとつだし、
読者の立場でも同じようにガダルカナルの戦いのところで
強襲揚陸という海兵隊の独自のスタイルに興味を持った。
さらに『歴史群像 朝鮮戦争』(学研)を読んだときも、
中国軍介入で連合軍が崩壊する中で重厚な包囲を突破して
長津湖からハガル里まで退却した海兵隊の記録に強い印象を受けたことがある。
(凍結しないようにアンプルを加えながら走ったという衛生兵が象徴的だった)
そんな独特の組織がどう形成され、
変化する環境に対してどう自己革新していったかを書いている。
扱っているテーマの大きさの割にはちょっと分量が足りない気もしたが、
自己革新という視点以外でも物資を常に海上展開していて有事の際には
人を空輸して合流させるという即応部隊(Force in Readiness)としての
現在の海兵隊のスタイルはWEB活動にも応用できそうな気がした。
いろんな読み方ができる興味深い一冊。

以下は、本書のテーマ自己革新組織についての要旨&抜粋要約・・・

<自己革新組織>

“定義”
絶えず自ら不安定性を生み出し、
そのプロセスの中で新たな自己創造を行ない、
飛躍的な大進化としての再創造と連続的で漸次的な小進化を、
逐次あるいは同時に行なうダイナミックな組織

“要件”
(1)「存在理由」への問いかけと生存領域(domain)の進化
(2)独自能力ー「有機的集中」を可能にする機能配置
(3)「分化」と「統合」の極大化の組織
(4)中核技能の学習と共有
(5)人間=機械系によるインテリジェンス・システム
(6)存在価値の大化

(注)自己革新組織の要件には、概念としては矛盾するが
実は相互に補完し合って共存関係にあるものが多い。
→行動がそれらの突破口
→ゆえに自己革新は機動力が必要
 (上記の要件は機動力の要件でもある)

☆変わらないもの(不易)と変わるもの(流行)は、
それぞれが単に独立してあるのではなく両者は相互に作用し合うのである。
存在価値は、機能価値を触発し方向づけるが、
機能価値は、存在価値を環境の変化に順応した形で実現する。

(1)について
ドメイン(domain)とは、組織がどのような領域で環境と
相互作用したいかを決める独自の生存領域のことである(略)
生存領域は、論理的な分析だけで出てくるものではない。
環境と相互に作用しながら思索反省と経験反復とを通じて
次第に分かってくるのであり、
ある時点でリーダーがそれを明確に概念化するのである。

(1)について
小進化としての洗練は経験的であることが多いが、
大進化としての再創造は経験を越える概念で始まることが多い。

(1)について
市場競争による淘汰を受けない非営利の公的組織に
革新を促す刺激はその生存に対する危機(略)
したがって公的組織の革新へのモティヴェーションは存在本能に近い。

(2)について
戦略は、言い換えれば、資源配分のデザイン(略)
戦略は状況に依存するので唯一絶対のものではないが、
普遍的な原理といえるのは「集中」。
 (海兵隊の場合、中心的機能は歩兵)

(3)について
分化と統合の同時極大化は論理的には不可能
(略)現実における行動が必要。
→対抗する二つの力のバランスを取るのではない、
 時と場所によって異なる力関係を感じ取り、
 組織のリーダーがその強いほうを選んで推進する。

(4)について
情報の本質は何らかの「差異」をもたらすこと。
したがって敵が何をやろうとしているかということは、
我々が何をやろうとしているかということと関連させて初めて意味を持つ。

(6)について
組織の持つ価値=
組織が果たすドメインや使命などから構成される「機能価値」
    +
組織の成員から全人的関与を引き出す、何のために生きるかという「存在価値」

(6)について
自己革新組織は、主体的に新たな知識を創造しながら、
既存の知識を部分的に棄却あるいは再構築して自らの知識体系を革新してゆく。
→知識創造こそが組織の自己革新の本質

(6)について
知識には言語化、ドキュメント化が可能な形式知(言語知、分析的知、客観的知)と
言語化、ドキュメント化が困難な暗黙知(経験知、直感的知、主観的知)があり
知識創造は両タイプの知が相互に作用しながら循環するダイナミックなプロセス

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2002 10/28
組織論、経営学、戦略論
まろまろヒット率4

シンポジウム「日・米・英 コミュニティビジネスの可能性」参加

東京商工会議所の安藤に誘われて「日・米・英 コミュニティビジネスの可能性」
というお題のシンポジウムに参加する。
それぞれの国で活動しているNPOの代表が各国のNPOの現状を報告して
ディスカッションするというものだった。
現状のみならず各国でのNPOの歴史もコメントされていたのでかなり勉強になった。
資料としては“The Enterprise Foundation”によるWEBサイトが
NPO関係の資料については一番充実しているようだ。

シンポジウム終了後にその場で軽い懇親会があったが、
いろいろな立場の人がいて社会活動の多様性を感じた。
まろまろHPももしかしたらNPO活動につながるかも(^^)

2002 10/25
出来事メモ

東京財団で対談

ひょんなことから東京財団の研究員の人と対談することになった。
彼はある大臣の政策秘書をつとめた経験があり、
現在は情報化社会での民主主義(e-democracy)というテーマ性を持っているらしい。
そのため情報発信者である僕のネット活動や意見に興味を示してくれていた。

確かに活版印刷技術の進展によって誰もが情報アクセス可能性が高まったから
民主主義が加速したという評価があるように、
IT技術の進展で情報発信可能性が高まれば、また民主主義が進展するという視点もあるだろう。
そういうe-democracyという議論の存在は知っていたが
実際に研究している人と話をすることはなかったのでちょっと新鮮だった。

読書日記HP運営という内向的活動が社会的広がりを持つことの可能性を感じれたような気がする。

2002 10/24
出来事メモ

入学予定大学院の研究室を訪問

4月の入学までにはだいぶん時間があるので、
研究の進め方や入学までにできる準備について相談をしに行く。
指導予定教官は個人的にも前から話をしたいと思っていた人だし、
読んだ本の著者に会うことが本好きの一番の楽しみでもあるので
(『進化論という考えかた』)前の晩はワクワクしてあまり眠れなかった。
実際に訪問すると自分の問題意識や視点についてよく受けとめてくれたし、
いろいろなヒントをもらえたのですごく楽しい時間だった。
(元PowerBook2400ユーザーと阪神ファンという共通点があったのにも驚いた)
問題意識的に言語学や認知科学などの基本書を読むことを薦められたので、
帰ってからさっそくメルマガHPで呼びかけをおこなう。
現在の研究室に所属するゼミ生の人もいたが、
研究室全体の雰囲気もすごくよくて良い研究室だなぁっと思ってしまった。

また、「半年くらいかけてじっくりテーマをしぼったら?」とか
「ゆっくり深呼吸して周りを見わたしてみたら?」などの助言をもらう。
珍しく緊張してギクシャクしていたのを感づいて導いてくれたのだろう。
準備期間を心と頭のストレッチという側面も含めたい。

2002 10/18
出来事メモ

本の読み方~シャーロックホームズ・プレイ~

まろまろコラム第二段はご要望にお応えして「本の読み方」についてをばをば。

本を読むってことはそれ自体がすごく内向的な活動だと思う。
そもそも読書ライヴや読書上演会なんて見たことない・・・やれるならやりたいけど(^^;
内向的な活動は「好き嫌い」や「合う合わない」が大きく左右してくるものだし、
また、それだけで片付けていい話だと思う。
一冊の本を読む人が10人いれば10通りの読み方があるというのが、
読書の良さの一つなのだと感じているくらいだ。

ただ、あくまで自分の個人的なスタンスを書くと・・・

「どんな本でも推理小説のように読む」

・・・これに尽きると思う。

手軽な本でも学術書でも、良い本はその本のページ数を全部無駄なく使っている。
名作と呼ばれるような本はどれも途中に布石や伏線がちりばめられていて
読み終わったときにパズルを完成させたような達成感を感じさせてくれるもばかりだ。
だから途中で少々わからないところがあったり読みにくいなと感じることがあっても、
とりあえず最後まで読んでみるということが一番大切だと思う。
推理小説と同じでわからないところは最後まで読んで全体像をつかんでみて
はじめてわかるというような場合が多いからだ。

犯人やトリックがわからないからといって、推理小説を読むのを途中でやめるなんてもったいない。
『USUAL SUSPECTS』という名作サスペンス映画があるが、
この映画の最後の15分を観ずに「つまらない」と言っていた知り合いがいた。
彼の話を聞きながら「99%くらい面白さをわかってないじゃん」と
すごくもったい感じを受けたことがある。
(『評決のとき』の最終弁論のシーンを見逃すのも同じかな)
それと同じことを本でもしないようにと思っていつも本を手に取っている。
どんな本を読むときも自分は名探偵や名捜査官になったつもりで、
自分にとっては読書とはシャーロックホームズ・プレイだったりする(^^)

☆掲示板での話題はこちら

2002 10/15
まろまろコラム

2ちゃんねる 『2ちゃんねる公式ガイド2002』 コアマガジン 2002

何気にまろまろ掲示板でも2ちゃんねるはお勉強ネタになったことがある・・・
らぶナベ@これからも法的視点は欠かさず注目です。

さて、その『2ちゃんねる公式ガイド2002』2ちゃんねる監修(コアマガジン)2002年初版。
21世紀初頭の日本が生んだ世界最大規模の匿名掲示板
「2ちゃんねる」(http://www.2ch.net/)の公式ガイドブック。
管理人であるひろゆきの視点やスタンスについては
以前読んだ『個人ホームページのカリスマ』(講談社)で垣間見たが
2ちゃんねる自体のちゃんとしたガイドが欲しかったので購入。
たまたま発売日に書店で見かけた時は手持ちがなかったので
次の日に買おうとしたら既に売り切れていた。
さすが話題性No.1WEBサイト、かなり売れている本のようだ。

期待して読んだものの2ちゃんねるの歴史や体制についての体系的な説明がないのに、
関係者各位の書きものが単発で散らばっているので内輪ノリを強く感じた。
経緯や背景の説明がないと共有できない話が多いのにその説明がない。
公式ガイドと銘打っているだけにこれにはちょっと残念。

ただ、第4章「2ちゃんねるほぼ全板ガイド2002」は面白かった。
何しろ実際にネットでの手探り状態だけでは、
まず全部の板(カテゴリ)を網羅的に見ることができないので
こういうガイド本の存在意義を感じさせてくれるものだった。
中にはその板の歴史まで書かれてあるものまであって、
コミュニティの栄枯盛衰を見るようで読み入ってしまった。
この全板ガイドの分量をもっと増やせばいいのにとか、
コーエーの歴史シミュレーションゲーム(『三国志』など)の
『武将ファイル』のように各板のパラメータまで出してくれればいいのに
とか感じたがこれは次の改訂に期待しよう。

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2002 10/14
情報関連、メディア論、ムック本
まろまろヒット率2

塩野七生 『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』 新潮社 上下巻 2002

塩野七生はよく研究者から叩かれるけどその半分くらいはヒガミ節だと思う、
らぶナベ@安藤忠雄や小澤征爾に対する批判と似たものを感じます(^^)
勉強のために勉強しても仕方ない・・・とまでは言わないけど、
“歴史を学ぶ”と”歴史から学ぶ”はちょっと違ってもOKなはずさ、がんばれ七生!

さて、そんなこんなで『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』上下巻
塩野七生著(新潮文庫)2002年初版。
『ローマ人の物語』シリーズ第三段。
ポエニ戦争後、地中海の覇者となったローマの改革に取り組んだ
グラックス兄弟(第一章)、マリウスとスッラ(第二章)、ポンペイウス(第三章)を中心に
内乱と混乱の約100年を取り上げている。

内容は第一段『ローマは一日にして成らず』の時代に確立された、
政治体制の制度的疲労に対する取り組みの紆余曲折がメインとなっている。
こういう政治改革の話ではやはりローマ史は古典ではないだろうか。
(そういう意味でこの本も政治学カテゴリに追加)
ただ、純粋な物語としては前二作に比べてやはり迫力が落ちる。
どうしても『ハンニバル戦記』『ユリウス・カエサル』との間の
“つなぎ”的印象を受けてしまった。(前後作に比べて分量も少ない)
そういうわけでこの本を読み終えて「さぁ、いよいよカエサルだ!」
っと意気込んでいたが文庫化されているシリーズはここまでだった(>_< ) 次の文庫化は来年まで待たなくてはいけないようでちと残念。 以下、チェックした箇所・・・ ○直接民主政の欠陥の一つは、容易に投票場に来られる人の意見が より多く反映されるところにある。 <第一章 グラックス兄弟の時代> ○(元老院制を維持するために行ったスッラの独裁について) 「理」を理解する人が常にマイノリティである人間世界では、 改革を定着させるにはしばしば、手段を選んではいられないのである。 <第二章 マリウスとスッラの時代> ○優れた能力に恵まれた人はしばしば、前段階で成しとげた事柄を定着させることで、 現に解決を迫られている事柄への打開の出発点とする。 <第三章 ポンペイウスの時代> この本をamazonで見ちゃう

2002 10/13
歴史、政治学
まろまろヒット率3

追記:全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・

『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』

『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』

『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』

『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』

『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』

『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』

『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』

『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』

『ローマ人の物語24,25,26 賢帝の世紀』

『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』

『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』

『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』

『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』

『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』

塩野七生 『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』 新潮社 上中下巻 2002

リクエストに応えて読書日記を新しい順に入れ替え中の、
らぶナベ@参考にするので引き続きご意見&ご要望お待ちしております(^^)

さて、『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』上中下巻
塩野七生著(新潮文庫)2002年初版。
『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』に引き続いて堪え性なく読んだ、
ローマ人の物語シリーズ第二段。
文庫化される前からこの第二段『ハンニバル戦記』はずっと気になっていた。
何しろ戦略や戦史を語る際には必ずと言っていいほど出てくる
カルタゴの悲劇の天才戦略家ハンニバルが主役だからだ。
今まで読んだ戦略関係の本で何度このハンニバルの名前が出てきたかわからない。
特に前216年の「カンネーの戦い」での彼の両翼からの包囲殲滅作戦、
相手の主戦力を無力化させる戦術についての考察は、
現在も欧米の士官学校では必ず習うというほどだ。
そうは言うものの彼の第二次ポエニ戦争を通した戦い方、
そしてローマとカルタゴの戦いの全体像はよく知らなかったので
この本はとても面白く読めた。
(断片的な知識がつながっていくパズル的快感)

読んでみて改めて感じたことは、ハンニバルは戦略の天才だと称されることが多いが、
ローマ同盟都市を離反させる最初の戦略プラニングで思いっきりつまずいている。
その彼の戦略・戦術がこれほどまで研究されてきたのは、
彼自身の要因に加えてローマという後に巨大な国家として
長年栄えた国を何度も破ったからというのも大きな理由なのだろう。
ローマが繁栄すればするほど、長く存続すればするほど、
ハンニバルの名前は広く長く普及するしその戦い方も詳細な記録に残りやすい。
だから後の世の研究対象にもなりやすい。
ちょうど三方ヶ原の戦いで徳川家康を破った武田信玄が江戸時代を通して
戦国最高の武将と言われたりその戦い方が研究されたりしたのと似ている。
ハンニバルはちょっと得してる(^^)

僕は彼を破ったスキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)の方に強い興味を持った。
ローマ軍が完全に壊滅したカンネーでは司令官を救出しての脱出に成功するなど
様々な運にも恵まれていたが彼の気持ち良いほど大胆で鮮やかな戦略にはひかれる。
ちなみに地中海世界でのハンニバルと大スキピオの決戦「ザマの戦い」が前202年、
東アジアでの項羽と劉邦との決戦「亥下の戦い」もちょうど同じ前202年。
高校の世界史の教科書でこのことを発見した時には
(勉強できなかったけど教科書眺めるのは好きだった)
「東西で凡人が天才がを破った年なんだなぁ」と勝手に思っていたが
大スキピオは彼自身、非常に才気溢れる人間のようで
僕の年来のこの考えを修正することにもなった一冊。
彼についてのいい本があればまたあらためて読んでみたい。

以下はチェックした箇所・・・

☆戦争終了の後に何をどのように行ったかで、その国の将来は決まってくる。
勝敗は、もはや成ったことゆえどうしようもない。
問題は、それで得た経験をどう生かすか、である。
<第二章 第一次ポエニ戦役後>

○戦闘の結果を左右する戦術とは、コロンブスの卵であると同時にコロンブスの卵ではない。
誰も考えなかったやり方によって問題を解決するという点ではコロンブスの卵だが、
そのやり方をと踏襲すれば誰がやっても同じ結果を産むとはかぎらないという点で、
コロンブスの卵ではないのである。
<第三章 第二次ポエニ戦役前期>

○天才とは、その人だけに見える新事実を、見つけることのできる人ではない。
誰もが見ていながらも重要性に気づかなかった旧事実に、気づく人のことである。
<第三章 第二次ポエニ戦役前期>

○(ハンニバルの言葉として)多くのことは、それ自体では不可能事に見える。
だが、視点を変えるだけで、可能事になりうる。
<第四章 第二次ポエニ戦役中期>

○信頼は、小出しにしないほうが、より大きな効果を産みやすい。
<第五章 第二次ポエニ戦役後期>

☆優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。
率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。
持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。
<第六章 第二次ポエニ戦役終期>

この本をamazonで見ちゃう

2002 10/8
歴史、戦略論、政治学
まろまろヒット率4

追記:全巻へのリンク(☆は特に印象深い巻)・・・

『ローマ人の物語1,2 ローマは一日にして成らず』

『ローマ人の物語3,4,5 ハンニバル戦記』

『ローマ人の物語6,7 勝者の混迷』

『ローマ人の物語8,9,10 ユリウス・カエサル~ルビコン以前~』

『ローマ人の物語11,12,13 ユリウス・カエサル~ルビコン以後~』

『ローマ人の物語14,15,16 パクス・ロマーナ』

『ローマ人の物語17,18,19,20 悪名高き皇帝たち』

『ローマ人の物語21,22,23 危機と克服』

『ローマ人の物語24,25,26 賢帝の世紀』

『ローマ人の物語27,28 すべての道はローマに通ず』

『ローマ人の物語29,30,31 終わりの始まり』

『ローマ人の物語32,33,34 迷走する帝国』

『ローマ人の物語35,36,37 最後の努力』

『ローマ人の物語38,39,40 キリストの勝利』

『ローマ人の物語41,42,43 ローマ世界の終焉』

『塩野七生「ローマ人の物語」スペシャル・ガイドブック』

社会的コスプレ

  らぶナベの読書日記出来事メモにはプレイという言葉がよく出てくる。

  プレイ(PLAY)には遊戯やごっこという意味があるので

  「カラオケプレイ」や「飲み会プレイ」などのように使うのは無論のこと、

  地名にプレイをつけて旅行の意味にしたりしている。(モンゴルプレイなど)

  さらに行動のみならず社会的なポジショニングに対してもその役割や立場を”演じる”点を強調して  
  
  「社員プレイ」、「役員プレイ」、「先輩プレイ」、「良い子プレイ」、「ひねくれプレイ」
  
  ・・・などと呼んだりすることもある。

  心理学で”ペルソナ論”という立派な概念があるにも関わらず、

  このようにすべてを”社会的コスプレ論”という概念で片付けようとする姿には
  
  たまに良識ある人からはプチギレされたり、

  ときどき心優しい人からはよっぽどプレイに飢えているんだなと可愛そうな眼で見られている。

  類似例:他にも身元をふせて働く”特命係長プレイ“などがある。

  追記:『コスプレとバランス』としてまろまろコラム化。