本の読み方~シャーロックホームズ・プレイ~

まろまろコラム第二段はご要望にお応えして「本の読み方」についてをばをば。

本を読むってことはそれ自体がすごく内向的な活動だと思う。
そもそも読書ライヴや読書上演会なんて見たことない・・・やれるならやりたいけど(^^;
内向的な活動は「好き嫌い」や「合う合わない」が大きく左右してくるものだし、
また、それだけで片付けていい話だと思う。
一冊の本を読む人が10人いれば10通りの読み方があるというのが、
読書の良さの一つなのだと感じているくらいだ。

ただ、あくまで自分の個人的なスタンスを書くと・・・

「どんな本でも推理小説のように読む」

・・・これに尽きると思う。

手軽な本でも学術書でも、良い本はその本のページ数を全部無駄なく使っている。
名作と呼ばれるような本はどれも途中に布石や伏線がちりばめられていて
読み終わったときにパズルを完成させたような達成感を感じさせてくれるもばかりだ。
だから途中で少々わからないところがあったり読みにくいなと感じることがあっても、
とりあえず最後まで読んでみるということが一番大切だと思う。
推理小説と同じでわからないところは最後まで読んで全体像をつかんでみて
はじめてわかるというような場合が多いからだ。

犯人やトリックがわからないからといって、推理小説を読むのを途中でやめるなんてもったいない。
『USUAL SUSPECTS』という名作サスペンス映画があるが、
この映画の最後の15分を観ずに「つまらない」と言っていた知り合いがいた。
彼の話を聞きながら「99%くらい面白さをわかってないじゃん」と
すごくもったい感じを受けたことがある。
(『評決のとき』の最終弁論のシーンを見逃すのも同じかな)
それと同じことを本でもしないようにと思っていつも本を手に取っている。
どんな本を読むときも自分は名探偵や名捜査官になったつもりで、
自分にとっては読書とはシャーロックホームズ・プレイだったりする(^^)

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2002 10/15
まろまろコラム

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