マイケル・サンデル、鬼澤忍訳 『これからの「正義」の話をしよう―いまを生き延びるための哲学』 早川書房 2010

講義や議事進行のスタイルからマロマロ・サンデルと呼ばれることもある、渡邊義弘です。

さて、『これからの「正義」の話をしよう―いまを生き延びるための哲学』マイケル・サンデル著、鬼澤忍訳(早川書房)2010。

『ハーバード白熱教室』(NHK教育テレビ)で有名になった哲学講義を基にした哲学書。
原題は、“Justice: What’s the Right Thing to Do?” (2010)

内容は、実際の社会問題を通して、正義に対する功利主義(utilitarianism)、自由意志主義(libertarianism)、
共同体主義(communitarianism)の三つの立場を解説し、それぞれの哲学理論を比較している。

基となった哲学講義と同じく、常に「問いかけ」をおこないながら・・・

☆新たな状況に出会って、自分の判断と原則との間を行きつ戻りつし、互いを参照しつつ判断や原則を修正する
→この心の動き、つまり行動の世界から理性の領域へ移り、そしてまた戻る動きの中にこそ道徳についての考察が存在する
<第1章 正しいことをする>

・・・として、葛藤や揺らぎの心の動きを重視している。
また、著者自身の立場も明らかにしていて・・・

☆達成不能な中立性を装いつつ重要な公的問題を決めるのは、反動と反感をわざわざ作り出すようなもの
<第9章 たがいに負うものは何か?―忠誠のジレンマ>

○共通善の必要性
・功利主義的な考え方の欠点
 1:正義と権利を原理ではなく計算の対象としている
 2:人間のあらゆる善をたった一つの統一した価値基準に当てはめ、平らにならして、個々の違いを考慮しない
・自由意志主義の欠点
 1は解決するが2は解決しない
→公正な社会は、ただ効用を最大化したり、選択の自由を保証するだけでは、達成できない
=善良な生活の意味を我々が共に考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化を作り出さなくてはいけない
<第10章 正義と共通善>

・・・として共同体主義を選択している。

普段は正義にまつわる話は避けがちだけど、邦題の副題にあるように「いまを生き延びる」ためには避けては通れない。
その正義について真正面から考えるきっかけを与えてくれたという点で、とても参考になった一冊。

以下は、チェックした箇所(一部要約含む)・・・

○正義をめぐる古代の理論は美徳から出発し、近現代の理論は自由から出発する
<第1章 正しいことをする>

○カントの対比=
道徳:義務 対 傾向性
自由:自律 対 他律
理性:定言命法 対 仮言命法
観点:英知界 対 感性界
<第5章 重要なのは動機―イマヌエル・カント>

○ロールズの公平論=社会で、自分の才能から利益を得る権利を与えられているからと言って、
自分の得意分野が評価してもらえる社会にいることを当然と思うのは誤りであり、うぬぼれでもある
<平等をめぐる議論―ジョン・ロールズ>

○現代では生物学と物理学に関するアリストテレスの著作を読み、内容を真に受ける科学者はいないが、
倫理学と政治学の研究者はあいかわらずアリストテレスの道徳・政治哲学について読み、考察しているのは「目的論的思考」を捨てるのは容易でないから
<第8章 誰が何に値するか?―アリストテレス>

○マッキンタイアの物語る存在としての人間論=人生を生きるのは、ある程度のまとまりと首尾一貫性を指向する探求の物語を演じること
<第9章 たがいに負うものは何か?―忠誠のジレンマ>

○家族や同胞の行動に誇りや恥を感じる能力は、集団の責任を感じる能力と関連がある
→位置ある自己とは、自ら選んだのではない道徳的絆に縛られ、道徳的行為者としてのアイデンティティを形作る物語に関わりを持つ自己のこと
<第9章 たがいに負うものは何か?―忠誠のジレンマ>

○正義と権利の議論を善良な生活の議論から切り離すのが間違っている理由=
1:本質的な道徳的問題を解決せずに正義と権利の問題に答えを出すのは常に可能だとは限らない
2:たとえそれが可能な時でも望ましくないかもしれない
<第10章 正義と共通善>

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2012 10/25
政治哲学、正義論
まろまろヒット率5

中沢新一 『大阪アースダイバー』 講談社 2012

渡邊義弘@略字だと渡辺です。

さて、『大阪アースダイバー』中沢新一著(講談社)2012。

アースダイバー(earth diver)のタイトル通り、その土地を深く掘り下げ、文化や風土の源泉に触れようとするシリーズの大阪編。
約6年前に大阪取材チームのコーディネイターをつとめて以来、何かと関わらせていただいた企画が単行本になったものなので、手にした時は感慨深いものがあった。
(当時の出来事メモ→講談社大阪取材チーム・コーディネイターをつとめる)

内容も、第四部「大阪の地主神」がまるまる僕の出身である渡邊村(渡辺村)と渡邊一族(渡辺一族)の歴史が取り上げられている。
中世は渡邊綱に代表される海運を握った武士団だった渡邊一族が、近世にいたって被差別部落にされながらも力強く生き抜いてきた過程が活き活きと記述されている。

全体を通して様々な角度から大阪の深層に触れようとする意欲的な試みがなされている本だけど、あえてごく主観的な立場で書けば、
この本は自分自身のバックボーンと、それに少なからず影響されているアイデンティティを見つめ直す機会を与えてくれた企画の結晶でもある。
(謝辞には僕と再合併した父も登場している)

以下は、チェックした箇所(一部要約含む)・・・

○現実世界に関わる南北の軸を「実数(現実の数)」とし、生と死を一体に思考する人々の生きる、生駒山麓の世界に向かう東西の軸を「虚数(想像の数i)」とすると、
原大阪の心性は、X+Yiという複素数であらわされることになる。
→垂直に交わるもの同士は、おたがいを否定することなく、一つの世界の座標軸となることができる。
<複素数都市>

○敗者や弱者を排除しないで、自分の中に組み入れる度量をもった政治をおこなうこと。
そういう世界を作り出すことが、「聖徳太子」という名前を使って表現された、日本人がめざしていた政治の理想なのだった。
<大阪スピリットの古層>

○都市の魅惑は、その奥にひそんでいる無縁の原理が、かもしだしているものだ。
しかし、無縁の原理は、ほうっておけば、人の社会をバラバラに解体してしまう。
そこで最初の都市住民たる商人たちは、無縁の原理の上に立って、さらにそれを乗り越えて、人の絆を生み出すことのできる、超無縁の組織をつくりあげてきた。
「無縁社会の悲劇」などを嘆いている暇があったら、私たちは、都市というものをつくったはじまりの商人たちの精神に、もう一度問い直してみるほうがいのではないか。
<無縁社会を超える>

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2012 10/16
大阪、歴史、文化論、文化人類学
まろまろヒット率5

広井良典 『コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来』 筑摩書房 2009

渡邊義弘@IWRIS2012で”A Workshop `TEKUTEKU`”を発表しました。

さて、『コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来』広井良典著(筑摩書房)2009。

様々な面から「コミュニティ」と呼ばれるものを問い直そうとする一冊。
特に興味深かったのは・・・

○コミュニティのひとまずの定義=人間が、それに対してなんらかの帰属意識をもち、
かつその構成メンバーの間に一定の連帯ないし相互扶助(支え合い)の意識が働いているような集団
<プロローグ コミュニティへの問い>

・・・というコミュニティの特徴として・・・

☆「重層社会における中間的な集団」こそがすなわち「コミュニティ」というものの本質的な意味
集団の内部的な関係性(=農村型コミュニティ)と、その外部との関係性(=都市型コミュニティ)の両方を持つ点に核心があり、
その互いに異質な両者が人間にとって本質的な重要性をもっている
<第1章 都市・城壁・市民>

・・・と、その二重性に注目している点だ。
そのようなコミュニティの視点で日本の現状を振り返ると・・・

○戦後の日本社会は、都市の中に「カイシャ」と「(核)家族」というムラ社会を作り、農村的な関係性を都市に持込むことを行いながらある時期まで一定の好循環を産み出していたが、
人々の需要が飽和し、経済が成熟して従来のようなパイの拡大という状況がなくなったいま、「ウチーソト」を明確に区分し、集団の内部では過剰な気遣いが求められる反面、
集団を一歩離れると何のつながりや”救い手”もないような関係性のあり方が、かえって人々の孤立や拘束感・不安を強め、また様々な”生きづらさ”の源になっている
<第1章 都市・城壁・市民>

・・・と指摘しているところは実感としても理解できた。
そして、個人が自律した中でのコミュニティをこれから作っていく上で重要な点を・・・

○都市型コミュニティ作りのポイント
1:ごく日常的なレベルでの、挨拶などを含む「見知らぬ者」どうしのコミュニケーションや行動様式
2:各地域でのNPO、協同組合、社会的起業その他の「新しいコミュニティ」づくりに向けた多様な活動
3:普遍的な価値原理の構築
<第7章 独我論を超えて>

・・・と整理して、「普遍的な価値原理の構築」の必要性を唱えている。
そして、紀元前5世紀前後に世界各地で同時多発的に普遍的な価値原理(精神革命・歴史宗教)が発生したことについて・・・

○精神革命・歴史宗教誕生の背景
・水平的な要因=異質なコミュニティの接触→普遍性への志向
・垂直的な要因=文明の成熟化・定常化→内的深化や規範原理への志向
<終章 地球倫理の可能性>

○異なるコミュニティが共存していくための原理として、すわなちそれら複数のコミュニティを「つなぐ」原理として生成
→それらの思想がいずれも「普遍的」な志向、つまり特定のコミュニティや「集団」を超えた中立性ないし不遍不党性を持つ
<終章 地球倫理の可能性>

・・・と、現代に共通する点に注目して・・・

○これからの普遍的な思想や価値は、「有限性」と「多様性」が重視されであろう
<終章 地球倫理の可能性>

・・・と結んでいる。
展開やまとめ方については、力技を感じるところはあるけれど、コミュニティの問題を様々な視点で問い直し、
さらに人類の思想史の中で位置づけようとする試みには共感が持てた一冊。

以下は、その他でチェックした箇所(一部要約含む)・・・

○人口統計の推移=子どもと高齢者は地域への土着性が高い
→戦後から高度成長期をへて最近までの時代とは、一貫して「地域」との関わりが薄い人々が増え続けた時代であり、
それが現在は、逆に「地域」との関わりが強い人々が一貫した増加期に入る、その入り口の時期
<プロローグ コミュニティへの問い>

○農村型コミュニティが「水平的な排他性」をもつとすれば、都市型コミュニティは「垂直的な排他性」をもつ
<第1章 都市・城壁・市民>

○都市政策や街づくりの中に「福祉」的な視点を、また逆に福祉政策の中に「都市」あるいは「空間」的な視点を、導入することがぜひとも必要
<第5章 ストックをめぐる社会保障>

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2012 10/15
コミュニティ論、社会学、文明論、思想
まろまろヒット率4

上村進・高橋邦明・土肥 亮一 『e-ガバメント論-従来型電子政府・電子自治体はなぜ進まないのか-』 三恵社 2012

渡邊義弘@「そうだ、うどん食べにいこう」と香川に行ってきました。

さて、『e-ガバメント論-従来型電子政府・電子自治体はなぜ進まないのか-』上村進・高橋邦明・土肥 亮一著(三恵社)2012。

電子政府と電子自治体を合わせたe-ガバメントの現状と論点について・・・

○バラバラに拡散しがちなe-ガバメント像について統一的・体系的な理解のためのフレームを与えられるよう、
電子政府・電子自治体のテーマを幅広く、網羅的に扱うことを目的にしている
<はじめに>

・・・と述べているように、制度や立法、人事などの行政的、政策的な面から、情報化の進展や情報システムなどの技術的、専門的な面まで、網羅的に扱っている。
網羅性に加えて、根拠となる条文や閣議決定の引用がしっかりとなされていることもあって、分量が500ページ近くに達している。
分厚い本ではあるけれど、e-ガバメントについて網羅性を持った貴重な本なので、今後も時代に合わせて改訂版を出していただきたいと思った一冊でもある。

以下はチェックした箇所(一部要約含む)・・・

○ICTの効用=利便性、自動性、高機能性、同報性・共有制
<第1章 e-ガバメントとは何か>

○行政という作用を構成する様々な行為の本質はある意味「情報の処理」そのものである=行政の中核部分を占める業務対象は「情報」
<第1章 e-ガバメントとは何か>

☆e-ガバメントの定義
1:インターネット技術によりオンラインでのサービス提供を行うこと及び行政プロセスを合理化・再構築(redesign)・大幅改善すること
 →行政サービスの向上
2:行政組織を再編成(reorganization)することによりコストを削減すること及び国民・企業・その他の政府関係パートナーに提供されるサービスの質・効率性を向上させること
 →政府業務プロセス・コスト等の改革
3:新たな民主主義空間を作り出し、公的主体・市民・企業の間の関係が参加型の視点(participatory perspective)に基づいて再定義されること
 →民主主義の進化への貢献
<第1章 e-ガバメントとは何か>

☆地方公共団体の情報化の責務は、高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(IT基本法)の第11条、第12条、第20条で明記されている
<第1章 e-ガバメントとは何か>

☆e-ガバメントの意義
1:国民・企業の利便性の向上
2:政府のコスト削減・簡素効率化
3:政府の生産性向上
4:国民の政府への信頼性確保(透明性の確保)
<第2章 e-ガバメントを支える仕組み>

○e-ガバメントはサービスの標準化を可能にし、利用者側からみて国・地方の境界も無くしていく効果を有している
→他方、現実の世界においてはオンライン利用率の低い理由の一つが、このような境界の撤廃が進まず、
その原因はサービス供給主体が国・地方、各機関の間に分散していることだと指摘されている
<第2章 e-ガバメントを支える仕組み>

○地方自治体の情報化推進については「新電子自治体推進指針」、「地方公共団体におけるITガバナンスの強化ガイド」などのガイドラインが策定されている
<第3章 e-ガバメントに係る主な取組>

○e-ガバメントの現状は、教育も受けず、現場を見たこともなく、利用者としての意識も持たぬ者が意思決定し、企画、調達を進めている
<第5章 e-ガバメントの将来展望>

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2012 10/8
電子政府・電子自治体、情報政策、情報・メディア、行政学、行政経営
まろまろヒット率4

綿谷の「スペシャルぶっかけうどん」


丸亀にある綿谷で、スペシャルぶっかけうどんをいただく。

こちらのお店は、肉のぶっかけうどんが名物として知られているけれど、5年前に来た時にはお腹をすかせていなかったので肉無しの冷やかけうどんをいただいた。
それ以来、丸亀の地名を目にし、耳にすると「肉のぶっかけうどんを食べれば良かった」と心残りを思い起こすことが多かった。

5年ぶりに再訪した今回は、これまでの心残りを解消するためにスペシャルぶっかけうどんを奮発して注文。
温泉卵を中心に、牛肉、豚肉、わかめ、ねぎ、レモンがトッピングされたうどんで、見た目も大迫力。
食べてみると、甘い味付けで煮込まれた牛肉と豚肉がコシの強いうどんと良く合って確かに美味しい。
京極夏彦の小説(『姑獲鳥の夏』など)のように、憑き物を落とした一杯でもある。
まろまろと今日ももぐもぐ。

香川県丸亀市の「麺処 綿谷」にて。

中野民夫 『ワークショップ―新しい学びと創造の場』 岩波書店 2001

渡邊義弘@査読が通ったので第4回国際イノベーション学に関するワークショップ(The Fourth International Workshop on Regional Innovation Studies)で「てくてく」(てくてく文京てくてく松阪)について発表することになりました☆

さて、『ワークショップ―新しい学びと創造の場』中野民夫著(岩波書店)2001。

ワークショップ(workshop)という手法について、豊富な事例と共に解説する一冊。
内容は、まず・・・

☆ワークショップの定義=講義など一方的な知識伝達のスタイルではなく、参加者が自ら参加・体験して協同で何かを学びあったり創り出したりする学びと創造のスタイル
→関心を持って参加している人々こそが、最も適切な問いを持っている教師であり、魅力的な答えを生み出せる生徒
<第1部 ワークショップとは何か>

・・・と定義して、その特徴をまとめている。
さらに、体験を重視することから自己啓発セミナーやカルト的宗教などとの類似性が問題になることについては・・・

○自己啓発セミナーやカルト的宗教などとの違い
 ・「我に返る」ように促すのがまともなアプローチで、「我を失う」よう強制するのがアブナイもの
 ・参加者を過激に追い込んだり無理やり強要してはならない
 ・主催者側の意図はきちんと明示することと、参加者の参加や感じ方に自由度を保障することが大切
 ・参加者として気をつけるべきは、「そんなにうまい話はない」という当たり前のことを肝に銘じておくこと
  →たかだが数日のワークショップで理想的な自分に大変身するなどの過大な期待は禁物
<第3部 ワークショップの意義>

・・・と警鐘を鳴らしている。
また、矛盾や落ち着かなさなどの負の感情を抑圧するのではなく、向き合うことの大切さを繰り返し述べていて、
ワークショップの手法を会議やセミナーに応用することについても・・・

○グループでの議論のプロセス=情報共有→拡げる→混沌→収束する
→混沌は生みの苦しみとして必要なプロセス
<第4部 ワークショップの応用>

・・・と、混沌、矛盾、落ち着かなさというものを重視している。
ワークショップという手法の位置づけと事例、限界についても解説された良書。

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2012 9/26
ワークショップ、教育、方法論
まろまろヒット率4

谷崎潤一郎 『陰影礼賛』 中央公論新社 1995

渡邊義弘@振り返ってみれば谷崎文学好きの人とは話が合うことが多いです。

さて、『陰影礼賛』谷崎潤一郎著(中央公論新社)1995。

電灯がなかった時代に形成された日本文化(=建築、紙、食器、食べ物、化粧、服など)にとっては、
陰影が重要であり、その陰影こそが日本の美の特徴だと論じる文化論。
原著は、昭和8年(1933年)に発表された谷崎潤一郎の代表的随筆。
(旧字体では『陰翳礼賛』)

内容は・・・

○日本に「なれ」と云う言葉があるのは、長い年月の間に、人の手が触って、一つ所をつるつる撫でているうちに、自然と脂が沁み込んで来るようになる、
そのつやを云うのだから、云い換えれば手垢に違いない。(略)
われわれの喜ぶ「雅致」と云うものの中には幾分の不潔、かつ不衛生的分子があることは否まれない。

・・・と身体性を強調しているところや・・・

○われわれ東洋人は己れの置かれた境遇の中に満足を求め、現状に甘んじようとする風があるので、暗いと云うことに不平を感ぜず、
それは仕方ないものとあきらめてしまい、光線が乏しいなら乏しいなりに、却ってその闇に沈潜し、その中に自らなる美を発見する。

・・・と現状肯定的な側面を強調しているところが印象的。
さらには・・・

○私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。
文学という殿堂の楣を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。

・・・と文学宣言につなげている。
明るく照らされた部分ではなく、陰影に注目することの意味を考えさせられる一冊。

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2012 9/17
文化論、随筆
まろまろヒット率3

ニコラ・ハンブル、堤理華訳 『ケーキの歴史物語』 原書房 2012

渡邊義弘@CIO補佐官要請講座を修了しました☆

さて、『ケーキの歴史物語』ニコラ・ハンブル著、堤理華訳(原書房)2012。
ケーキの歴史と国際比較、各国の文学の中での位置づけを紹介する一冊。
原題は、“Cake: A Global History” (2010)

特に印象的だったのは・・・

○食べ物としての実際の位置よりも象徴的意味合いのほうがまさっているものの代表選手がケーキといえる。
何はさておき、ケーキとは概念なのだ。
<序章 特別な日を飾るケーキ>

・・・と著者が述べているところ。
この本ではケーキの定義の難しさやパンやビスケットなどの菓子パンとの境界線が曖昧な点が強調されているけど、
これは食文化の特徴、さらに言えば”文化”という分野が持つ共通の特質だと感じた。
(=要素還元主義では解明できない特質)

また、著者はイギリス人の英文学者ということもあって、比較対象はアメリカやフランスの場合が多い。
バースデーケーキやウェディングケーキのような象徴化されたケーキの文化的位置づけを解説する際に、
比較文学論の手法を使っているところは面白いと感じた。

通読してみると、ややまとまりの無さを感じるけれど、ケーキの歴史の一面には触れられる一冊。

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2012 9/16
食文化、歴史
まろまろヒット率2

ユージン・バーダック、白石賢司・鍋島学・南津和広訳 『政策立案の技法』 東洋経済新報社 2012

渡邊義弘@八重山の島々をめぐってきました

さて、『政策立案の技法』ユージン・バーダック 著、白石賢司・鍋島学・南津和広訳(東洋経済新報社)2012。

政策分析者を養成するカリフォルニア大学バークレー校ゴールドマン公共政策大学院で使われている教科書。
原題は、“A Practical Guide for Policy Analysis: The Eightfold Path to More Effective Problem Solving” (2008)

内容は、原題にあるように実践的な政策立案の8つのステップ・・・
(1)問題を定義する
(2)証拠を集める
(3)政策オプションを組み立てる
(4)評価基準を選ぶ
(5)成果を予測する
(6)トレードオフに立ち向かう
(7)決断する
(8)ストーリーを語る
・・・のプロセスに沿って、政策分析の手法と実現するためのプロセスについて解説している。
特に・・・

○評価可能な問題定義にする
<第1章 政策分析の8つのステップ>

・・・と強調しているように定量的アプローチを重視しているので、「市場の失敗」などの経済学の知識を前提としている。
また・・・

○証拠を集めるという行為は、純粋な分析のためのみならず、必然的に政治的な目的を伴うもの
<第1章 政策分析の8つのステップ>

○情報提供者に対して「この点についてあなたの見方に対して最も激しく反対する人は誰だと思いますか。そして、それはなぜなのでしょうか」と聞く
<第1章 政策分析の8つのステップ>

・・・などは参考になった。
訳文はやや読みにくさを感じたけれど、コラムで紹介される訳者のゴールドマン公共政策大学院での体験談は面白い。
(自分の馴染みのない分野で48時間以内に政策立案するワークショップがあるなど)
自分が担当する政策分析、政策立案のプロセスを振り返るきっかけにもなる一冊。

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2012 9/9
政策立案、政策学
まろまろヒット率3

トプカの「ムルギカリー」


淡路町にあるトプカで、ムルギカリーをいただく。

見た目通り相当に辛いけれど、これが美味しい。
シナモンやカルダモンなどの香辛料がゴロりとした鶏肉や野菜と混じり合って、とても複雑な味わいで最後まで飽きることなく食べることができる。

ちなみに、「トプカ」という店名は、”top of curry”の意味とのこと。
お店の意気込みが伝わる一皿。
まろまろと今日ももぐもぐ。

淡路町の「カレー専門店 トプカ」淡路町本店にて。