リデル・ハート、森沢亀鶴訳 『戦略論―間接的アプローチ』 原書房 上下巻 1986

らぶナベ@こんな差し迫った時期にじっくり一冊の本を読み終えるというのも
なかなか乙なものですな、特に考えながら読まないといけないような
良書は(^^)

さて、そういうわけで『戦略論 上・下』リデル・ハート著(原書房)をば。
佐藤満教授から借りた本。
一回生の時から気になっていていつか読もうと思っていた戦略書の一つ。
著者は第一次世界大戦、第二次世界大戦を経験し、
特に第二次大戦終了直後に作戦制作、戦闘指揮をおこなった
ドイツ将官たちのインタビューを通して現代における戦略論を模索した人物で
クラウゼビッツを批判し孫子への回帰を唱えたことで有名な人。
クラウゼビッツの「敵主力の捕捉と殲滅」という戦略概念が
両大戦をこれほどまでに不毛なものにしたと主張し、
敵の撃破を目指した直接的攻撃ではなく
「間接アプローチ」によって敵を消耗させその意図を挫くという
孫子で言うところの「戦わずして勝つ」ことに戦略の価値を見いだしている。
「間接アプローチ」というのは耳慣れない言葉だが「外堀を埋める」や
「将を得ようとすればまず馬を射よ」のような東洋では
ごく普通に使われて来たメジャーな概念のことなのだけど
ヨーロッパ、特に20世紀の現代戦ではあまり注目されてこなかったので
著者はこういう言葉をあえて使ったようだ。
(やたらと柔術とかの単語も出てくる(^^))

本の構成としてはそのほとんどを歴史的な戦略研究が占めている。
それこそギリシア時代(ペルシア戦争、ペロポンネソス戦争、
フィリッポス&アレクサンドロスの征服)や
ローマ時代(ポエニ戦争、カエサルを中心とした内乱)から
第二次世界大戦(著者にとってはリアルタイムだったので
この記述が一番多かった)、アラブ・イスラエル戦争(第一次中東戦争)まで
ヨーロッパ史を中心に主要な戦争、戦いを見直して
一定の戦略概念を見いだそうととしている。

そうした事例研究を元にしてこの本の結論としては・・・
1:目的を手段に適合させよ(消化能力以上の貪食は愚)
2:常に目的を銘記せよ
3:最小予期路線(又は最小予期コース)を選べ
4:最小抵抗戦に乗ぜよ
5:予備目標への切り替えを許す作戦線をとれ
6:計画及び配備が状況に適合するよう、それらの柔軟性を確保せよ
7:対手が油断していないうちはー対手がわが攻撃を撃退し
又は回避できる態勢にあるうちは、わが兵力を打撃に投入するな
8:いったん失敗した後それと同一線(同一の形式)に沿う攻撃を再開するな
・・・という戦略概念の要約を著者がまとめている。

以下はこの本の中で印象に残った箇所と記述しておくべき箇所・・・
・1866年、1870年のモルトケが指導した両戦闘について
「例外は、例外とならぬ一般の場合の規則を立証する」

・歴史的事例研究の要約として
「常勝の司令官らは天然及び物質的に強固を極める
陣地に立て籠もった敵に直面したときは、
直接的方法でその敵と取り組むことはほとんどしなかった。
状況の必要に迫られてあえて直接的攻撃の冒険を行った場合もあるが、
その結果は彼らの記録を失敗でよごすことになった。(一部省略)」

・レーニンの言葉を引用しながら
「いかなるキャンペーンにおいても敵を精神的に攪乱して、
わが決定的打撃が実行可能になるまでは戦闘を延期しておくことが
もっとも堅実な戦略であり、また攻撃を延期しておくことが
もっとも堅実な戦術である。」

・ヴェルサイユ講和会議でのドイツ海外植民地全没収案についての反論として
第二次大戦のイタリアの例を出しながら
「本国との間を遮断され易い海外領土を欧州大陸の一強国が保有することは、
その国の侵略的傾向を抑止することになり易い。」

・第一次大戦のドイツ革命による終結について
「勝利と敗北の間のバランスは心理的印象のほうに傾くものであり
物理的打撃についてはそれが間接的であった場合にのみ、
そのほうへ傾くものである。」

・クルスク戦車戦、アルデンヌ反抗戦などのナチスドイツ後半の
戦略について拳闘家ジェム・メイスの言葉
「彼らを我に向かって来させよ。
それによって彼らは自らをうち負かされることになる。」を引用しながら
「ドイツは、自分で自分を打ちのめすところまで行った。(中略)
ドイツが勝利の問題を解決しようとして
過度に直接的なアプローチをとったために、
連合側はこの問題を間接的に解決し得ることになった。」

・クラウゼビッツの有名な定義、
「戦争(戦略)とは政治(政策)の一手段である」と
「戦略とは戦争の目的を達成するための手段として諸戦闘を用いる術である。
言い換えれば、戦略は戦争の計画を形成し、
戦争を構成する数個のキャンペーンの取るべき予定のコースを描き上げ、
そしてそれぞれのキャンペーンにおいて戦われるべき
諸戦闘を規整するものである。」についての反論として
「この定義は戦略そのものが、政策の分野
すなわち戦争を遂行すべき最高の分野に冒し入っているが、
もともとこの分野は必然的に政府の責任に属すべきものであり(中略)
その手先たるべき軍事指導者には上述の責任を負わせるべきではない。」
また、「戦略の定義をはっきりと戦闘の使用方法に絞っているところで
戦闘は戦略目的のための手段に過ぎないということになっている点が
おかしい」、
「クラウゼビッツの弟子たちが目的と手段を混合し、
戦争においては一個の決定的戦闘に対して他のあらゆる考慮を
従属させるべきであるという結論に到達することはきわめて起こりやすい。」

・ナポレオンの失敗について
「敵が適時にその地点に増援を行い得ないというのでない限り、
意図した決定的地点における優越的兵力分量は十分なものとはいえない。
また、その地点における敵が単に数的に劣勢であるだけでなく、
精神的にも弱化しているというのでない限り、
我が優越的兵力量も十分であるとはいえない。
ナポレオンはこの保証を軽視したために苦杯をいくつか嘗めた。」

・近代ヨーロッパの戦争目的の一つであった合邦について
「意見の相違を受け入れるよりも
意見の相違を抑圧してしまう方が悪い結果を招く。」

・大戦略の章では結論的に
「弱い者いじめ型や強盗型の人間は自力で立ち向かってくる人間に対する
攻撃を渋るということは個人について考えても共通の経験である。
その渋り方は平和型の人間が自分よりも大きい攻撃者と取り組み合うのを
渋るよりももっとはるかにひどいもである。(中略)
好戦型の人間や国家と真の講和を行うことは困難であるが、
その一方それらの人間や国家を休戦状態に入るよう誘致することは
より容易である。そしてこれは彼らを打破するよりも、
遙かにわが精力を消耗することが少ない。
(中略)サスペンス(未決からくる不安)の状態は辛い(中略)
しかし、サスペンス状態でも戦勝の蜃気楼を追って
国力を蕩尽するよりはましである。」

・付録のアラブ・イスラエル戦争の章では
「真の目的は、戦闘を求めるよりもむしろ
有利な戦略情勢を招来することにあるのであって、
その有利な戦略情勢とは、
それのみで戦いの帰すうを決定できることが最も望ましいが、
それができない場合には戦闘によってその有利な情勢を継続することによって
戦いに決をもたらす底のものであるべきである。」

こうしてみると全体的に少し直接アプローチの弊害を強調し
過ぎじゃないかなと思う所もあったけれど
確かに日露戦争以来の日本軍を見ても
クラウゼビッツの強い影響を受けていて、
敵主力の捕捉と撃破のために無理な進撃を続けて消耗し
その戦略を太平洋戦争でも適用させようとしたきらいはあると思う。
(海軍でも根強く続いた艦隊決戦思想の大元はこれ)
第一次大戦と二次大戦はその双方の将官がクラウゼビッツ理論を学び
その実践の場としてあったという言い方はできるかもしれないと思った。

ps98年度吉本興業インターンシップ事業化プロジェクト政策科学部代表の
(僕の代よりも長い名前になっているよな(^^;)やすなりへ。
そうは言うモノの吉本プロジェクトの基本は直接アプローチっすよ(笑)
あえて突撃戦術を採用でき、直接攻撃ができる人間が行って始めて
間接アプローチの意味があると思うっす。

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1998 11/16
戦略論、歴史
まろまろヒット率5

ウンベルト・エーコ、河島英昭訳 『薔薇の名前』 東京創元社 上下巻 1990

[Dokusyo-Kai]”IL NOME DELLA ROSA”
らぶナベ@ようやく下巻が図書館に帰ってきたので読めた~!(^o^)
(ずっと気になってうずうずしていたのですっきりした)

『薔薇の名前 上・下』 ウンベルト・エーコ著、河島英昭訳
(東京創元社)をようやく読み終えました。
著者は元々トマス・アクィナス研究(高校世界史を思い出すな(^^))
をしていたけど今では記号論で有名な学者さん。
それなのに小説を書いてしまい、
それが大ベストセラーになってしまったというちょっとめずらしい人。
(最新作『フーコーの振り子』が書店に並んでいる)

話の内容は14世紀始め(中世からルネサンスへ移行しようかという時期)
のイタリアのある修道院で次々に起こる連続殺人に対して
それを解明しようとするフランシスコ派修道士ウィリアムと
その弟子アドソの視点を通してえがかれている「推理小説」。
この本はウィリアムの弟子、少年アドソがこの事件のずっと後になって
自分の人生が終わろうとする時期に書き残した書物で
それをたまたまウンベルト・エーコが発見したという前書きで
始まっているがこれはどうもうさんくさい(^^)
(14世紀に書かれた割にはあまりにも現代的な感性が読みとれる)

物語の期間はわずか一週間で修道院の中をうろちょろと探検して推理する
二人のお話が中心なのだけれどその中で出てくる異端派の弾圧風景、
教会と世俗の対立(当時アナーニ事件に始まる教会分裂時代の真っ最中)、
当時は高価であった書物を求めることや残すことの労力などは
一つの歴史小説としてだけでみてもとても興味深く読みとれた。
特に主役であるウィリアムが坊さんのくせにやたらと科学的なアプローチ
(当時イスラーム圏から導入されつつあった化学、医学、幾何学など)
を扱いながら真実に近づいていく姿にはカッコ良さを感じた(^_^)

基本は推理小説であるのであまり話の展開にそって書き表せないんだけど
この本には単なる推理小説に留まらない
非常に深い要素がちりばめられている。
この本を通して僕が強く感じるのは神学と哲学、神秘と科学との葛藤
(開き直っているように見えるウィリアムでさえ感じている)。
すべての学問の元となる好奇心、知識欲、真理に近づきたいと思う欲望。
書物を読むということの意味と危険性。
・・・そうしたものが生々しく感じられた。
推理小説という入りやすい割にとても難解なテーマを扱っているという
そういう意味ですばらしく「良い」本。
この本に関してさまざまな解説、関連本が出版されているのにもうなずける。

ちなみに以前ショーン・コネリー主演でこの小説が映画化されたんだけど
それは単なる変態映画のようなイメージを受けたのは僕だけだろうか(^^;
確か関学KSCのあっちゃんがこの本について論評を書いていたはずなんだけど
それ読みたいのでアップしてくれないっすか?

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1998 10/15
小説、歴史、哲学、神学
まろまろヒット率5
ベストセラー

馳星周 『不夜城』 角川書店 1998

これがちょうど僕が大学に入ってから送った1万通目のメール
電子メール使えるようになって最初のうちは確かに嬉しかったとはいえ、
「僕って自分で思っているよりも暇人やな」と感じているっす(^^)

さてさて、僕も『不夜城』馳星周著(角川文庫)を読みました。
あまり読む気がしなかったが藤江に強力に薦められて読み始めた小説。
読み始めてみると緊張感と怠惰性が合わさったような妙な雰囲気に
夢中になってあっという間に読み終えた一冊。
ストーリーの方は藤江が書いたとおりだが、
彼も言っているようにそんな話の展開はあくまで演出であって
(その展開自体も物語としてとてもよくできているんだけど)
この小説を通して印象に残るのは人間の心、
それも生きるために代償として養ってきたそれぞれの中にある闇の部分だ。

ナイフで人を切り裂くことで性的満足を得ることができる人間、
ロリコンハッカー、才能を持ちながら賭博で破滅しつつある風俗ライター、
暴走する兄に体を与えることで安息と力を得る妹、
そして憎悪と媚びを複雑に合わせたような表情をする癖を持つ主人公たち。
・・・こんな人間たちが泥臭い歌舞伎町を舞台に生き生きと
その闇の部分がえがかれているのに思わず魅了された。
安っぽいハードボイルド小説ならこういう登場人物たちは
物語のお約束的な展開に華をそえるだけの存在だが、
そんな安っぽい展開やセリフなどどこにも出てこない。
これほどまでにお約束的行動をしない主人公も僕は見たことがないし
(美形でも何でもないトルエン狂いの男を犯すシーンなんてその典型)
ここまで無気力な雰囲気と力強さを感じさせてくれる主人公も
あまり知らない。

「・・それでも生きる」というテーマがある『もののけ姫』よりも
はるかにこの小説の方が「生きる」ということを考えさせてくれる。
これは僕も心に闇を飼う人間だからか?(^^)
ふと「これを2時間の映画という枠で映像化するのは難しいだろう?」
と感じたが案の定映画の方は安っぽいデキらしい。
(そもそも質の良い角川映画なんて見たこと無いが)

ちなみに僕の住んでいる大国町はちょうど大久保(歌舞伎町の隣町)と
同じような場所で難波中学校出身の僕にはとっては新宿西口近辺、歌舞伎町、
大久保あたりは前から妙に気に入っている場所ではあったんだけど
この小説を読んでますます好きになったっす。
エニックスに働くようになったら大久保に住んでやろうかと考えているっす。
歌舞伎町あたりで堕落した人生送っている僕を見かけたら声かけてねっ(^_^)

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1998 9/22
小説
まろまろヒット率4

渡部昇一 『ドイツ参謀本部』 中央公論新社 1986

「僕の署名の引用当てた人には僕が昼御飯おごってあげましょう」と言って
からメールでいくつか答えが来ているんだけど誰もまだ当たっていない、
第2ヒントは後にこの詩に曲がつけられて有名な歌になっています。
さあ、当ててみよう(^^)

さて、本題の『ドイツ参謀本部』渡部昇一著(中央公論新社)を読んだです。
組織論では必ずと言って良いほど参考文献に昇ってくる、
「スタッフ」に注目した名著。
前々から読みたい読みたいと思っていたがその度に忘れてしまい、
ようやく読み終えることができた。
プロイセン時代からドイツ参謀本部が如何にして誕生し、展開し、
そして衰退していったかを書いている。

これがまためちゃめちゃおもしろい!(^o^)
シャルンホルストやグナイゼナウ(共に参謀本部創設者)がナポレオンとの
戦いを通じて如何に参謀本部という組織を築き上げていったかという
箇所はもちろん戦史オタクとして興味深かったが、
この本の根幹は何といってもドイツ参謀本部を通してスタッフとラインとの
葛藤、スタッフとリーダーとの確執を描こうとしているところだなと感じた。

特にモルトケ時代とシュリーフェン時代の参謀本部を比べて見て
スタッフの数の激増と独立した建造物、組織時代の知名度があがるにつれて
硬直した組織思考になっていったという箇所が妙に印象に残っている。

ちなみに後書きにあった組織体の代表としてヴァティカン、ドイツ参謀本部、
ロンドン・タイムズの三つがヨーロッパでは有名と著者が書いていたが
ロンドン・タイムズってどんな組織なの?
この組織についての参考文献とか知っている人教えて下さい。

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1998 9/19
組織論、戦略論、歴史、政治学
まろまろヒット率4

北野誠・竹内義和・板井昭浩 『サイキック10年ファイル―1988~1998』 清心社 1998

10月にTBS系で始まる『デビルマンレディー』の予告を見て、
「デビルマンなのにレディーとはこれいかに?」と疑問を感じている
らぶナベ@でも庵野監督&GAINAX制作の新番組と共にチェック予定っす(^^)

さて、北野誠・竹内義和・板井昭浩著『サイキック10年ファイル』
(清心社)を思わず買って読んでしまいました。
これはABCラジオで10年も続いているゲッスイ視点を売りにした
ラジオ番組を記録した本です。
どういうことかというと、例えば・・・
「宮村優子の裏ヴィデオ出演疑惑は本当か?」と噂の裏ヴィデオを入手して
宮村女史本人との違いを何週にも渡って分析、議論したり
鉄っちゃん(鉄道マニアの総称)を細かく分類しその行動を解明したり
鈴木邦男(右翼の人)と塩見孝也(左翼の人ね)を同時にゲストに呼んで
「最近呼んだエロ本は何ですのん?」と聴くなどなど
どうでも良い事や「ほっといたれよ!」と思う社会の事象に
突っ込みを入れるというまさにくだらない番組です。

その番組の集大成とでも言うべき本なので当然、今年読んだ本の中では
間違いなく「くだらない度No.1」の本になるんですが
でもそのくだらなさもこれだけの分量に達すると
ある種壮観な気分にさせてくれるものがあります。
どれくらいのものかと言うと、本の厚さはちょうど今図書館から借りている
ウンベルト・エーコの『薔薇の名前 上巻』(東京創元社)と同じで
カヴァーを付けて並べると見分けがつきませんし
(こんなことをするとあっちゃんに殺されそう(^^;)
文字ポイントはそれより小さいっす。

やはり物事の裏を突っ込んでそれをネタにするというのは笑いの基本であり、
とても大切な事なんだなぁっと素直に思える一冊ではあるのですが
好き嫌いが分かれるでしょう。
当然僕はこういう矮小でくだらない突っ込み大好きです(^_^)
ゲッスイ志を持って物事を歪んだ視点で見たい人にはぜひお薦めですが。

ちなみにこの番組のレギュラーである竹内義和は『パーフェクトブルー』
の原作者で最近書き上げた『シンプルレッド』も映像化が決定していますが
まさにこのサイキック的視点がそのまま小説になったという作品です。
これは万人にお薦め(^_^)

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1998 9/18
ムック本
まろまろヒット率4

高坂正堯 『世界地図の中で考える』 新潮社 1968

そろそろ大学も始まるのでこの「読書会」も念願のML化を本格的に
開始したいなぁって思っている、
らぶナベ@文学部インステテゥートさとー、ちょっとお願いするっす(^^)

さて『世界地図の中で考える』高坂正堯著(新潮選書)を読み終えたっす。
院試対策の為と単純に気に入っているから高坂正堯の本を読んでいるが、
これはこの著者の代表作。
タスマニア島に半年大学講師として訪れた体験から(第一章)
現在世界が直面している問題まで(最終章)ピンスポットから
大局に流れていく書き方は相変わらず読んでいて気持ちが良い。
それ故あまり簡単にはまとめずらい本ではあるが
忘れられない記述部分が多かった一冊でもある。
特に人体に有害なバクテリアを根元から絶滅させようとすることの有害さ
(すでに医学では常識)をイデオロギー論にも用いて
「抵抗とバランス」を重視する着眼点、
アメリカの強さを「不完全性」に求めるあたりの記述が興味深く読めた。

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1998 9/14
歴史、政治学、エッセイ
まろまろヒット率4

高坂正堯 『世界史を創る人びと―現代指導者論』 日本経済新聞出版社 1965

らぶナベ@いま藤江が本を借りに僕のお部屋にきています、
ここから藤江・・・
魔のグリーンゼミの宿題に追われている不幸な関学生藤江です。
宿題というよりも、卒論のアウトラインを10月上旬に提出しなれれば、、、
ということで、みんな助けて!!!テーマは社会学系で、個人と集団です。
何かいい本があったらアップしてね(^_^)
・・・ここまで
こんな時間に男二人で本を整理しています、けっこうむなしい(涙)

さて、ここからが本題。
『世界史を創る人びと~現代指導者論~』高坂正堯著(日経新書)を
さくさくっと読んだです。
フルシチョフ、ナセル、ケネディ、ウ・タント、ド・ゴール、毛沢東の
6人の現代史のキーパーソンたちを紹介している本。
1965年出版のために各個人への完結的な結論は出されていないが
その分リアルタイムの躍動感が伝わってきて読んでいてどきどきした(^^)
ナセルとウ・タントに関しては断片的にしか知らなかったのでとても興味深く読めた。
なにしろウ・タントなんて高校の英語教師出身の国連事務総長だ。
(歴史オタクというところが共感を持った)

そしてJ・F・ケネディについては「話すときに右手を不自然に動かす癖」や
「知性と行動の分裂」、つまり「読書好きな自分の殻に引きこもる消極性と
抽象性を嫌い実用を愛する積極性」が分裂して
その緊張関係に人格が形成されているという点が僕と似ていて興味深かった。
あまり彼のことは好きではなかったが何かこの本を読んで以来、
他人とは思えないようになっている(笑)

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1998 9/8
歴史、政治学
まろまろヒット率3

司馬遼太郎 『手掘り日本史』 集英社 1990

この前、織田くんから「・・おセンチなんですね」っていうPメールが来て
「これはやっぱり本格的に詩作活動しろというお告げだな」と決意(?)を
新たにした「まい・ぽえむの会」会員第2号の(もちろん1号は春菜、
ただ今第3号募集中)らぶナベ@署名もこれに関連して久々に変えてみました
どっからの引用か一番最初に当てた人にはご飯おごってあげましょう(^^)
ヒントは流れ的に当然と言えば当然ですが「ぽえむ」っす。

さて『手掘り日本史』司馬遼太郎著(集英社)を前に読み終えたっす。
司馬遼太郎がいままでの書いてきた作品すべての中で強調されている
その背景、風土、文化などに対する視点を語ったものをまとめた一冊。
土方歳三(『燃えよ剣』)や坂本竜馬(『竜馬がゆく』)、
河合継之助(『峠』)などの司馬作品の主人公たちの性格や気質の後ろにある
もの、「フライパンにこびり付いた油のようなもの」を中心に述べている。
そういう意味で「司馬史観」を自ら語ったものと言って良い本。

印象深い箇所も多い本だったが、特に・・・
「史料というものはトランプのカードのようなもので、
カードが勝負を語るものではないように、
史料自体は何も真実を語るものではない(中略)
史料に盛られているものはファクトにすぎません」
という言葉は彼の異常なほどの史料調査故に説得力の持つものだろうし、
「歴史への接近は、ひとつは感じをもとめてゆく作業だと思います」
というのはまさに彼の作品を読んでいて感じること。
明治維新の指導者たちと明治政府の指導者たちを比べてみて
「物事の処理とは歯切れの悪い思考が必要なのです」と
言っているのは彼らしい意見と感じた。

そして何よりこの本で一番印象の残っている箇所は彼自身の背景である
大阪について語っている箇所だ・・・
「日本全体が封建的体験をし、封建的美意識の洗礼を受けているのに、
大阪だけがその影響をほとんど受けずにきた。
そのために、大阪の奴は変な奴だ、ということにもなる」や、
「ルールに対する厳しさというようなものは、
封建時代から日本人が引き続きもっている緊張感に支えられていて、
その匂いが、おなじ日本の都会でも、東京のほうがはるかに強い」
などを始め、「ただ、大阪には物事を論ずる場合には、
具体的に論じていくという思考法がある。
自分が手で触ったものしか論じない。論理で把握したもの、
抽象的なものを論じたがらない。そういうところがあります。
これは大体、かつては天領(幕府直轄領)であった
土地にことごとく共通したものかもしれません」
・・・このように好き勝手に脱線しつつ話していくと自体に
「知っていることは全部言いたがる」大阪人の特徴があらわれていて
親近感を覚える(^^)

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1998 9/4
エッセイ、歴史
まろまろヒット率4

篠原一 『ヨーロッパの政治―歴史政治学試論』 東京大学出版会 1986

[Dokusyo-Kai]”the Politics in Europe”
らぶナベ@交流会OB会ではひさびさに弾けれて面白かったっす(^^)
(牟田ちゃんホントにお疲れさま)

さて、『ヨーロッパの政治~歴史政治学試論~』篠原一著(東京大学出版会)
をちょうどいま読み終えました。
16世紀から第二次世界大戦勃発までのヨーロッパの通史を
各国、地域ごとに追いながら「政治学的にはここではこういう議論がある」
というふうに政治学の視点で歴史的事象を一つ一つ拾い上げているという
感じの本(本人は歴史政治学と呼んでいる)。
近世から現代という時期も長いがヨーロッパという地域も広いために、
全15章(48節!)の分厚い本になっている。
やたらと長く、ばりばりの理論書なのに
比較的読むのが苦痛にならなかったのは僕が歴史オタクだからだろう。
基本的に社会科学はみんなそうみたいだが政治学と社会学では
特に歴史的基礎知識が必要とされることに今さらながら感じさせられた。

具体的な内容としては・・・
・イギリスのロイド・ジョージ、イタリアのジョリッティ、
ドイツのシュトレーゼマンなどの個性的なリーダー研究
(これで高橋直樹著『政治学と歴史解釈』を読もうかなと思っている)
・戦争は破壊、テスト、参加、心理的側面の四つの視点で
ほぼ分析できるとするマーウィックの主張
・スウェーデンの自由党が数的にもっと弱小でありながら
重心的議会主義によって単独内閣を形成したこと
などが「へぇ!」と関心させられたが、疑問点として・・・
ヴァイマール共和国についての項で
「連合政権自体が不安定という考え方は、
最近の政治学的分析によって否定された、一種の政治神話にすぎない」と
著者自身が断言しているところがいまいち納得できない。
ちなみにあんまり重要では無い点だが、NEPをおこないながら
ボリシェビキの独裁を進めたソ連の革命第二時期を扱っている項で
「退却期間中は規律は百倍も必要」という
レーニンの言葉を紹介しているのには思わず笑えた。

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1998 8/30
歴史、政治
まろまろヒット率3

高坂正堯 『世界史の中から考える』 新潮社 1996

“think through world history”
らぶナベ@交流会が終わり、明日は交流会OB会(^^)

さて、『世界史の中から考える』高坂正堯著(新潮選書)
高坂正堯が死ぬ直前まで『FORESIGHT』に連載していた
歴史エッセイをまとめたもの。
前半はヨーロッパ史から現代と対比できるような
(対比とははっきり言わないでも参考になるような)
事例を出しつつ現代の課題を述べている。
例えばバブルとその崩壊はイギリス
(南海会社水泡事件←バブル経済の語源)、オランダチューリップ投機、
アメリカ大恐慌などが日本のバブルと経済背景的に似ている点に
注目したりしているという風に。(二流の国が一流を目指そうとしている時に
起こりやすい事象と判断している)
後半は太平洋戦争へいたる過程を綴って「なぜ日本は失敗したのか?」
というテーマについて政党運動や経済政策、軍事政策で述べた後に、
重要な要素として日本人の気質的欠点を述べている。
しかし気質とは本質的に欠点でもありはそのまま美点でもあるので、
そのことを見つめることの難しさを述べている。

全体的には一章3,4ページで書かれていて読みやすかったが
歴史的事象の説明と彼自身の解釈がよく出ていて興味深かった。
以下は上記以外で印象に残っている箇所・・・
「響きのよい抽象的な言葉は、力ある人がその気になれば
なんとでも解釈できる。しかし、具体的に散文的に書いていることは
ごまかしようがない。」(味気ないが歴史的意義の大きい権利章典を表して)
「休んでいるものを邪魔するな」(ウォルポールの言葉)
「弱国は冒険を避けなくてはならない。
何ら威信のない王朝の基礎を固めるには、ゆっくり時期を待つことが肝要だ」
(アンドレ・モロアの言葉)は進路を決める立場にある
僕のような個人にも適用できるのだろう。

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1998 8/28
エッセイ、歴史、政治学
まろまろヒット率4