司馬遼太郎 『峠』 新潮社 上下巻 1976

幕末に越後長岡藩の家老としてスイスのような武装中立国家樹立を
めざして奔走し、失敗した河合継之助の本。
河合継之助というマイナーだが時々聴く歴史的人物について
興味を持ったために読んだ。
読んだ感想は、「ひさびさに感動したっす!!」だ。
陽明学派で知識をあさることを軽蔑し、世界の原理原則を追い求める
青年時代を送り、身分制が強く残っている時代でありながら
「自分は長岡藩をしょって立つ人間になる」と信じて疑わなかった。
小手先の小才や目先の利益に惑わされずに筋や立場を重視した彼は誰よりも
開明論者で、武士中心の封建社会が終わることを予見し藩の戦力を
近代化しながら、新政府軍と戦うことになる。
その毅然とした生き方、潔さはまさに武士道と呼ぶべきものが見いだせるし、
とても感動する。
しかし封建社会を終わらしながら新政府軍と戦ったことについては、
ここに武士道を見いだす意見があるが、僕は単なる彼の政策の失敗で
あったように思える。もし戦うなら躊躇なく徹底して戦うべきだったし、
交渉するならばもっと早くにアクションを起こせたはずだ。
彼の気性は一見美しいがその狭量さから優秀な部下を左遷したり、
政治軍事にわたってすべて自分でおこなうほどの人材不足の原因となった。
そして政治的交渉という卑屈で卑近で卑怯な手を多分に使うものを
結局彼の気質から使いこなせなかったんだろうと思う。
司馬遼太郎は「彼にとって長岡という小さい藩に生まれたことが最大の不幸」
と最後に述べているが、僕は彼にとって長岡7万石でさえ
手にあまったではないかと思う。
個人的にはひじょうに好感が持てるが、大きな組織を動かす
リーダーとしては評価できない。
それは長岡の人に長く河合継之助といえば長岡を廃墟にした
憎悪の対象であったことによく現れていると思う。
たとえどんな鮮烈な生き方をした人間でも時に自他をいつわるようなことを
できなくては政治的レヴェルでは成功しない。
彼はリーダーとしてはまっすぐすぎたと言うべきだ。

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1997 12/14
小説、歴史
まろまろヒット率5
歴史

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