この前、織田くんから「・・おセンチなんですね」っていうPメールが来て
「これはやっぱり本格的に詩作活動しろというお告げだな」と決意(?)を
新たにした「まい・ぽえむの会」会員第2号の(もちろん1号は春菜、
ただ今第3号募集中)らぶナベ@署名もこれに関連して久々に変えてみました
どっからの引用か一番最初に当てた人にはご飯おごってあげましょう(^^)
ヒントは流れ的に当然と言えば当然ですが「ぽえむ」っす。
さて『手掘り日本史』司馬遼太郎著(集英社)を前に読み終えたっす。
司馬遼太郎がいままでの書いてきた作品すべての中で強調されている
その背景、風土、文化などに対する視点を語ったものをまとめた一冊。
土方歳三(『燃えよ剣』)や坂本竜馬(『竜馬がゆく』)、
河合継之助(『峠』)などの司馬作品の主人公たちの性格や気質の後ろにある
もの、「フライパンにこびり付いた油のようなもの」を中心に述べている。
そういう意味で「司馬史観」を自ら語ったものと言って良い本。
印象深い箇所も多い本だったが、特に・・・
「史料というものはトランプのカードのようなもので、
カードが勝負を語るものではないように、
史料自体は何も真実を語るものではない(中略)
史料に盛られているものはファクトにすぎません」
という言葉は彼の異常なほどの史料調査故に説得力の持つものだろうし、
「歴史への接近は、ひとつは感じをもとめてゆく作業だと思います」
というのはまさに彼の作品を読んでいて感じること。
明治維新の指導者たちと明治政府の指導者たちを比べてみて
「物事の処理とは歯切れの悪い思考が必要なのです」と
言っているのは彼らしい意見と感じた。
そして何よりこの本で一番印象の残っている箇所は彼自身の背景である
大阪について語っている箇所だ・・・
「日本全体が封建的体験をし、封建的美意識の洗礼を受けているのに、
大阪だけがその影響をほとんど受けずにきた。
そのために、大阪の奴は変な奴だ、ということにもなる」や、
「ルールに対する厳しさというようなものは、
封建時代から日本人が引き続きもっている緊張感に支えられていて、
その匂いが、おなじ日本の都会でも、東京のほうがはるかに強い」
などを始め、「ただ、大阪には物事を論ずる場合には、
具体的に論じていくという思考法がある。
自分が手で触ったものしか論じない。論理で把握したもの、
抽象的なものを論じたがらない。そういうところがあります。
これは大体、かつては天領(幕府直轄領)であった
土地にことごとく共通したものかもしれません」
・・・このように好き勝手に脱線しつつ話していくと自体に
「知っていることは全部言いたがる」大阪人の特徴があらわれていて
親近感を覚える(^^)
1998 9/4
エッセイ、歴史
まろまろヒット率4