司馬遼太郎 『モンゴル紀行―街道をゆく5』 朝日新聞出版 1978

さてさて、『モンゴル紀行~街道をゆく5~』司馬遼太郎著、
朝日文芸文庫(1978年初版)を読み終えたです、はい。
卒論とテスト勉強の合間に書店で見つけて思わず衝動買いしてしまった
旅行記『街道をゆく』シリーズのモンゴル紀行編。
元々このシリーズにはあまり興味がなかったのだが、
旅路がモンゴルだということで気晴らしにでも一度読んでみようと思った本。
来年度から立命の政策科学部でモンゴルに行って羊飼いをするという
インターンシッププロジェクトが始まるということも読む動機付けになった。

内容の方は、著者自身が学生時代に大阪外国語大学モンゴル語学科に
在籍していたこともあって単なる旅行記と言っても
モンゴルの風土、歴史、気風についてかなり突っ込んだことを
現地の人と対話しているのが特徴的だ。

興味深く感じたのはモンゴルに入る経由地であるハバロフスクや
イルクーツクなどのソ連領(当時)での旅がいかに重苦しく
ストレスが溜まるものかということをつらつらと述べた後に
モンゴルのウランバートルに入るや否や自由で躍動感溢れる人々と
街の雰囲気を感じたということを強調しているところだ。
同じ社会主義国家で、かつ世界史では二番目に社会主義化した
モンゴルは(著者の表現を借りると「社会主義の老舗」)
ソ連と別の国家体系かと思うほどの違いがあったという感想を述べている。
その原因として考えられるモンゴル人特有の大らかさ、豪快さや
遠くから来た客を珍しがり自分の家に招きたがる気風があり、
これらのことはモンゴルの長らく続いた騎馬民族としての生活、風土、
それから発生する文化にすべてに共通することであると
この旅行記を通して語っているように感じられる。

また、モンゴル人の日本人への親近感というものもあげられていたが
意外であったのは同時に近代国家としては若いこのモンゴルで
国家的危機を生んだ原因が日本人であったという事実だ。
1939年のノモンハン事件(モンゴル側:ハルハ・ゴル戦争)が
如何にその後のモンゴルを疲弊させたかという歴史が
いまも初等教育で強く強調されているらしい。
(日本ではあまり知られていない歴史的事実)

しかしこれもまた意外であったのはモンゴルでは中国よりもはるかに
日本に対する親近感を持っていることもまた既述されている。
元々東アジアの歴史は騎馬民族(トルコ系、モンゴル系など)と
農耕民族(漢民族)とのシーソーゲームという側面もあり
長らく抗争し続けていたということもあるが、
近現代史でも清朝や中華民国時代の軍閥がモンゴルに対しておこなった抑圧の
反動がモンゴルをソ連に近づけ社会主義化したきっかけでもあるためだ。
それ故モンゴル人は中国人と同一視されることを非常に嫌う。
現にシナ・チベット語族である漢民族やツングース系民族である朝鮮人よりも
人類学的にはモンゴロイド・アルタイ語族として
モンゴル人と日本人は近い民族として知られているからだ。

また、日本人からすれば考えられないほど自分たちの故郷であるの
思いが強く、今も昔も盛んである詩や唄のほとんどがモンゴル高原や
ゴビ砂漠の自然のすばらしさを唱ったものが多いらしい。
このことは日本の詩歌が昔からそのほとんどが恋愛歌だったことを
対比させて、非常に興味深い点であると著者も述べている。
さらに「お前さんたち日本人は俺たちのご先祖さんから分かれたもんだろ?」
とモンゴル人に戯れに言われたことをきっかけに著者が
「その考えに則れば、なるほどモンゴルに住む人々は我々の先祖の中で
もっとも頑固に故郷を捨てなかった人々の末裔になる・・・故郷に対する
愛が強いのもまた遺伝学的にみて当然か。」と
彼らしい冗談で書いているのが印象深かった。

この本の最後近くである詩が紹介されていたが
それは現代詩人であるチミド作の「我はモンゴルの子」という作品だ・・・
アルガルの煙のたちのぼる
牧人の家に生まれし我
人の知らぬこの広野を
これぞ我が揺りかごと思う
・・・これこそがモンゴル人の心意気だなと感じられた。

しかしこの旅行記が書かれたのは今から二十年以上も前の話で
今では当時と比べてソ連の崩壊、改革開放と状況が大きく変わっている。
その中でモンゴル人がいまではどのような気風を持っているのか
一度実際に行って見てみたいと感じてしまった。

・・・やっぱり大学院行ってモンゴルインターンシップに参加して
「政策騎馬隊」とか創ってやろうかな?(^_^)

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1999 1/16
エッセイ、歴史
まろまろヒット率4

M・V・クレヴェルト、佐藤佐三郎訳 『補給戦―ナポレオンからパットン将軍まで』 原書房 1980

らぶナベ@98年ももうすぐ終わりっすね、
たぶんこの本が今年の読み納めの本になるんでしょう。

今年の僕は吉本プロジェクトの運営と自身の就職活動と大学院入試準備など、
間違いなく今までの人生の中で一番忙しい年だったので
(こんなに新幹線、飛行機使ったのも始めて)
なかなか一冊の本をちゃんと読むことができなかったんだけど
この本を読み終えて一年に読んだ本を数えてみると、
1998年は35冊の本を読み終えたことになるっす。
95年(1回生時)に読んだ総数17冊は問題外として
(遊びまくっていたから)
何とか96年(2回生時)の総数31冊を辛うじて越えている程度。
97年(3回生時)の総数68冊には遠く及ばない。
・・・まだ低回生のみんな、いまのうちに少々無理してでも
読めるだけ本は読んでおきなさい。
じゃないと責任を担うポジションについてホントに時間が取れなくなった時に
はまったく本が読めなくなってダメダメ人間になっちゃうよ(;_;)

さて、『補給戦―ナポレオンからパットン将軍まで』マーチン・ヴァン・クレヴェルト(クレフェルト)著、佐藤佐三郎訳(原書房)をば。
戦史において戦略、戦術などの目立つ面ではなく補給という
地味だが結果に対して決定的要因を与えるものに注目した本。
将軍や司令官やひとたび命令を下せば思い通りその軍団が動き、
トップの戦略や決断だけが勝敗を分かつ要因だと思いがちになる
この分野に一石を投じている非常に興味深い一冊。

リデル・ハートによるシュリーフェン計画の考察はドイツ軍の旋回運動にしか
注目せずその補給システムを無視しているという批判に始まり
「ナポレオンを『戦争の神様』と呼び、ナポレオンの制度の本質と
見なしていたものを表現するために、『絶対的戦争』という言葉を
発明したのは、クラウゼヴィッツであった。」と、
クラウゼヴィッツがナポレオンを讃えるあまり
その活動に決定的な影響を与えた補給体制を無視したと論述を展開している。
特にこの本の後半部分、第6章「ロンメルは名将だったか」、
第7章「主計兵による戦争」(第二次大戦中の連合国の補給に注目した章)は
普通、物量と一言で単に言い切ってしまう補給というものが
いかに多様な要素をはらむかということを述べている。
この本の結論的部分と言うべき最終章のタイトルが
「知性だけがすべてではない」という名前なのが
この本を一番言い表しているように思える。

以下はこの本のテーマである「補給」についての著者の結論的見解として
考えられるウエーベルの言葉の抜粋・・・
「諸君が軍隊をどこへ、いつ移動させたいと思っているかを知るには、
熱錬も想像力もほとんど必要としない。
だが、諸君がどこに軍隊を位置させることができるか、
また諸君がそこに軍隊を維持させることができるかどうかを知るには、
たくさんの知識と刻苦勉励がとが必要である。
補給と移動の要素について本当に知ることが、
統率者のすべての計画の根底とならなければならない。
そうなって始めて統率者は、これらの要素について危険を冒す方法と時期とを
知ることができるし、戦闘は危険を冒すことによって
始めて勝利が得られる。」

また、以下の箇所は著者の意見が結論的に述べられていると
思われるところの抜粋・・・・
「歴史上の偉大な軍人は、計画立案の時間的長さには限界があることを
悟っていた。これを悟らなかった軍人は、必ずしも成功を収めなかった。
過去に存在したおびただしい数の司令官たちは、
政治的運命の変遷や戦術的条件の変化によって、
理想的だと考えていた数量と種類に近い資源を使って、
戦争をすることができなかったであろう。
このことは、司令官にはある種の個人的資質が必要だということを意味した。
例えば適応性、機略縦横、即製能力、そしてなかんずく決断力である。
これらの資質を欠いていたら、
いかに分析的頭脳を持ち洞察力に富んだ司令官でも、機械より劣るであろう。
だが司令官がそうした資質を発揮するためには、柔軟性のある幕僚と、
過度の組織化によってこちこちになっていない指揮機構が必要だ。」

以下はそれ以外の興味深かった箇所・・・

「一般的に兵站の歴史とは、軍隊が現地挑発への依存から
しだいに脱却することである。」

「オーバーロード作戦の立案者たちは、ヒンデンブルクの金言、
すなわち戦争で単純さのみが勝つということわざに、
明らかに違反していたのである。」
ナポレオンの言葉として「戦争とは残酷なものだ、
そこでは決定的な場所に最大の兵力を集中することを知っている者がかつ。」

・・・この本は抜群に面白い本だが読んでいて改めて思うのは、
補給というのは難しいなということだ。
それはいわば勝敗を決する必要条件ではあるが絶対条件ではないからだ。
歴史上十分な補給システムを維持していた軍隊が
補給がまったく崩壊していた軍隊に負けてしまった例も多い。
(どちらかというと戦史ではこちらの方が注目される)
決戦兵力よりも補給ばかりに力を入れて負けた国もある。
まさにディレンマの連続、やっぱり戦争なんてするもんじゃないな。

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1998 12/23
戦略論、マネイジメント、歴史
まろまろヒット率4

内田義彦 『読書と社会科学』 岩波書店 1985

らぶナベ@「そこそこ」の本だけどこの時期に読むにはとても良い本をば(^^)

『読書と社会科学』内田義彦著(岩波新書)を読み終えました。
立命の古本市でタイトルがなかなか興味深かったのでシャレ半分で購入した本。
社会科学というテーマの元での読書や読書会というものへの
著者自身の考えを公演風に述べられている。
話し言葉で書かれているので読みやすいが、
逆にちょっとしたことを述べるのにも長々しい言い回しをしていたり、
くどかったりする感じを受けることもけっこう多かったように思える本。
しかしフォーラム論、ゼミ論、卒論など論文を書かなくてはいけない
この時期にはどう読書を社会科学の研究につなげていくのかという
テーマを持ったこの本の読書はとても知的好奇心を刺激されるものだった。
(チェックしまくりぃ)

この本で彼がもっとも言いたかったことは・・・
・「本をではなくて、本で『モノ』を読む」と、
・「本を読むことは大事ですが、自分を捨ててよりかかるべき
結論を求めて本を読んじゃいけない。
本を読むことで、認識の手段としての概念装置を獲得する。」
・・・と著者自身が述べているところに凝縮されているんだろう。
また、本流とはあんまり関係ないことだけど意外だったのは
経済学者のケネーはもともと外科医だったということ。
彼は60歳を過ぎてから経済研究をおこなったが
それまでの外科医としての概念装置が経済研究に活かされていたというのが
興味深い。明治維新の倒幕軍総司令官であり日本陸軍の基礎を造った
大村益次郎も内科医であるということを思い出した。
(ここらへんは司馬遼太郎著『花神』新潮文庫に詳しい)

以下、興味をおぼえた箇所の摘出・・・
・「本は読むべし読まれるべからず」

・「(読書)会運営の要は、他人の言をいかに聴くかにあり、
そして、その聴き上手には、本を大事に読むという仕事ー大事に取り扱って
『聴き取る』風習と技術ですねーを深めてゆくことにとってなれる、
もともと本とはほんらいそう読むべきもの」

・「5より4は小さいみたいな、誰が見ても同じ判断をひき出せる
ー判断力を要しないで判断できるーものだけが、
学問的に正確で頼りになるという考え方自体、
理性のあり方として問題とすべき」

・「正確な理解というと個性的な理解を排除し、何か根拠をもって
判断しなきゃならないというと、『主観性』をさけて、
4よりも5が大きいというような、誰がみても同じ判断が可能というか、
そもそも判断力の行使の必要のないところへもっていって
『判定』する風習がある」

・「概念装置という、ものを見るための装置を脳髄のなかに組み立てるために
読む仕事が含まれており、とくに社会科学の場合には、
これ(概念装置)を獲得するための読書が特徴的に大きくなっていて、
問題を複雑にしています。」

・「私は、少なくとも社会科学の領域では、
化学と思想は切り離せないと考えておりますので、文学上の古典にも通じ、
そこで特徴的に現れるような問題を含めての『古典として』の読みの習熟を、
概念装置の獲得のためにも不可欠と考えております。」

・「信じて疑え」

・「まともにぶつかってゆくことに危惧を感じる。
曖昧模糊としたままに置くことによって保たれねばならないような
『信頼』関係。それは信頼関係とはいえますまい。」

・「理路整然と他人に理解可能なかたちでの感想文を、みだりに、
早急に書くことは特別に要注意です。早急な理路整然化の危険と、
他人の同意を安直に求める危険の二つを含んでいますから。」

・「書け、而して書くな」

・「本当の批判力とは、俗眼には見えない宝をー未だ宝と見られていない
宝を、宝としてー発見する能力です。ポジティブにものを見る眼ですね。」

・「経験は最良の学校である。しかしその授業料はきわめて高い。」

・「要するに学問の研究(勉強)とは、何かでき上がった学問を
研究するのではなくて、学問によってこの眼の働きー一般に五感の
ー不十分さ、至らなさのほどを自覚し反省して、
その(この眼の)機能を高めながら、対象であるもの、
あるいは事象を研究する。それが学問のあり方、方法でもあり、
効用でもあります。」

・「社会科学の勉強では、そういうものとしての概念装置を脳中に
組み立てることがかなめになります。歴史的にみても、
人文学の流れのなかから経験科学としての社会諸科学が生まれ
さまざまに発展してきたのも、先学が、
ものを有効にみとどけるために苦労して概念装置をつくり上げる
努力をかさねたその営為の結果です。」

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1998 12/15
エッセイ、読書法、学問一般
まろまろヒット率4

ピーター・ミルワード、別宮貞徳訳 『英語の名句・名言』 講談社 1998

いま立命で毎年この時期恒例の「古本市」なるフェアをやっていて、
以前、藤江から借りて良かった本『化学入門』原光雄著(岩波新書)や
心のベスト本でありながら音信不通の知り合いに貸したままで
返ってくる見込みのない『社会科学の方法』大塚久雄著(岩波新書)
などの既読の本をストックとして購入しているっす。
もちろんまだ読んだことのない本も買ったんだけど、
それらは読み終わり次第アップするっす~。

さて、『英語の名句・名言』ピーターミルワード著、別宮貞徳訳
(講談社学術文庫)をちょうど読み終えました。
名句・名言集といってもそのほとんどは詩文や戯曲から引用させている。
著者は基本的にシェイクスピアの専門家なので
彼や彼の時代の詩人からの引用が多かった。
もちろん対訳はあったが英語をあんまり勉強していない僕にとって
詩文で使う単語や古語はなじみが薄く、辞書を手放さずには読めなかった。
総じて良い意味でも悪い意味でもいかにもイギリス人といったな感じを受けた。

以下、気に入った句言集・・・

○We look before and after;
We pine for what is not.
from Percy Bysshe Shelly “To a Skylark”
「人は前を見、後ろを見、
ないものに恋いこがれる。」

○Heaven is for thee too high
To Know what passes there. Be lowly wise.
Think only what concerns thee and thy being.
from John Milton “Paradise Lost”
「天は高くして、汝そのできごとを知る由もなし。
謙虚に賢くあれ。汝自身とその存在にかかわることのみを考えよ。」

○Men must endure
Their going hence, even as their coming hither;
Ripeness is all.
from William Shakespeare “King Lear”
「人間、万事、辛抱がかんじん。
世を去るのも、世に出るのも同じこと、
すべてに熟しの頃合いあり。」

○Gather ye rose-buds while ye may,
Old Time is still a-flying.
from Robert Herrick “To Virgins”
「乙女よ、バラのつぼみを摘めるうちに摘むがよい。
時の翁は相も変わらず飛んでいるのだから。」

○There is a tide in the affairs of men,
Which taken at the flood leads on to fortune;
Omitted, all the voyage of their life
Is bound in shallows and in miseries.
from William Skakespeare “Julius Caesar”
「人間のなすことすべて潮どきあり。
潮に乗れば、首尾は上乗。
時を逸せば、人生万事苦難の船旅、
塩瀬にはまって動きがとれぬ。」

○Grow old along with me!
The best is yet to be,
The last of life for which the first was made.
from Robert Browning “Rabbi Ben Ezra”
「いっしょに年をとろう!
最上のものはまだ先がある。
人生の最後、そのためにこそ最初は作られた。」

○Sleep after toil, port after stormy seas.
Peace after war, death after life does greatly please.
from Edmund Spenser “The Faerie Queene”
「労苦のあとの眠り、しけのあとの港、
戦いの後の平和、生のあとの死は大いなる喜び。」

○To see the world in a grain of sand,
And a heaven in a wild flower,
Hold infinity in the plam of your hand,
And eternity in an hour.
from William Blake “Auguries of Innocence”
「一粒の砂に世界を観じ、
一輪の花に天界を見る。
掌中に無限をおさめ、
一刻に永遠をつかむ。」

○What’s in a name? That which we call a rose
By any other name would smell as sweet.
from William Shakespeare “Romeo and Juliet”
「名前ってなんなの? バラの花を
別の名前で呼んでも、甘い香りは同じこと。」

○Come forth into the light of things!
Let nature be your teacher!
from William Wordsworth “The Tables Turned”
「出てこい、万物の光の中へ!
自然を教師とせよ!」

○What should they know of England
Who only England know?
from Rudyard Kipling “The English Flag”
「イングランド市価知らぬ人に、
イングランドの何がわかるか。」

○Heard melodies are sweet, but those unheard
Are sweeter.
from John Keats “Ode on a Grecian Urn”
「聞こえる調べは美しい。聞こえぬ調べは
さらに美しい。」

・・・ううん、詩文は良いっすねえ!
やっぱり進学も就職もせずに中原中也のような人生を
送ってやろうかとも考えているっす(^^)

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1998 12/12
名言集、語学
まろまろヒット率3

徳永真一郎 『藤堂高虎』 PHP研究所 1990

らぶナベ@エニックス内定者HomePage
http://home.interlink.or.jp/~d-ike/ENIX99.htm
に「99事件簿」という新コーナーができたので
暇なときにでも見てくださいです(^^)

さて、『藤堂高虎』徳永真一郎著(PHP出版)を読んだです。
ご存じ、この読書会に入ったJack(藤堂高義)のご先祖さまの本。
近江の田舎土豪から人生のスタートを切り、7度も主君を変えて
裏切りを通じて最後は32万石の大名になった人物。

戦国時代にはこういう風に主君を転々とし、のし上がっていった人物は
数多くいるが(北条早雲、斉藤道三などがその代表例)、
この藤堂高虎はいまいち人気が無い。
「おべっか使い」や「タイコ持ち大名」などのけなしに近いあだ名まである。
それはこの藤堂高虎最後の上司、徳川家康が死ぬときの遺言で
「西から敵が攻め上がってくれば藤堂家を前に立てて戦え」
というものがあり、ちょうどその状況になった鳥羽・伏見の戦いの時に
幕府軍の中でもっとも重要な拠点(天王山)に配置されたこの藤堂藩が
簡単に新政府軍に寝返ったという歴史が
このやすっぽい裏切り者のイメージを定着させたということもある。
(この時に寝返って明治維新後男爵をもらったのは
Jackの曾曾おじいちゃん、絶対信用できない家系だ(^^))

この『どらえもん』のスネ夫的なイメージがあるこの人物の定評を
「それは間違っている!」とまっこうからうち破ろうとした意欲作。
定評に立ち向かうその姿勢は面白いのがひいきの引き倒し的な感じもする。
彼自身の人生自体は波瀾万丈で面白いのだが、変に価値判断を入れると
やすっぽくなってしまうのは歴史小説のお約束か?
ま、ネタになる本ではあるけどね(^_^)

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1998 12/11
歴史
まろまろヒット率3

リデル・ハート、石塚栄・山田積昭訳 『ナポレオンの亡霊―戦略の誤用が歴史に与えた影響』 原書房 1980

この前のゼミのメンバーで「もしミッドウェー海戦終了直後に
講和条約が成立したら」という仮定が出たっす。
そうしたらいまごろ「JR満州」とか「NTT台湾」とかできていて
『ズームイン朝』なんかは「では次はアリューシャン諸島にズーム、イン!」
とかいうことになってしまっていて、
韓国料理、北京料理、マラヤ料理、台湾料理などがすべて
「和食」になっていたんだろうなぁって話になったっす。
・・・この読書会もML化してこういうやばい話が堂々とできるようになって
うれしい、らぶナベ@自己紹介まだの人はかるくお願いね~(^^)

さて、『ナポレオンの亡霊~戦略の誤用が歴史に与えた影響~』。
前に読んだリデル・ハートの『戦略論』(同じく原書房)が
無類のおもしろさだったので、その本の大元になった
リデル・ハートの代表著作というべきこの本を手に取った。

基本的に前にまだアドレス帳管理だったころの読書会にアップした
『戦略論』のエッセンスだけ取り出した感じという印象があるが
ナポレオンの戦略研究が時代背景を無視した哲学的理論に発展し、
その様々な背景、状況を無視した戦略的誤解が理論として
いかに肥大していったかを考察している興味深い一冊。
この本の初版は第一次大戦と第二次大戦の狭間、
1934年というところにも時代の流れ的なおもしろさを感じる。
また、これは末梢なことだが『失われた時をもとめて』
マルセル・プルーストが軍というものを理解していたと
述べているのが意外だった(『ゲルマンの方』を読めばわかるらしい)。
以下はこの本の中で気になったところ&印象深い箇所の摘出・・・

・「陸軍は胃袋だけ、すなわち補給されただけ前進する」

・好戦的というイメージのあるモーリス・ド・サックスの言葉として
「われが優越を保持し攻撃可能の場合のほか、
状況の如何にかかわらずその攻撃は中止せよ」

・「戦争ではレスリングと同様、態勢をくずさずに相手を投げようとすれば、
自身の消耗を招き、また手詰まりになり易い」

・用兵理論上の大家ブールセの言葉として
「計画には、若干の代案を用意すべきである」

・「ジョミニはあまりにも幾何学的であったし、
クラウゼビッツはあまりにも純粋哲学的に過ぎた
・・・ジョミニの偏見は・・・
誰でもすぐにそれが誤りであることがわかるのに反し、
クラウゼビッツの方はそのとおり実行するのが極めて難しく、
その強調する概念に、慎重な制限条件があるにもかかわらず、
概念そのものが強烈な印象を人々に与えた」

・ジョミニの戦争基本原則
「1、戦略的に一大優勢兵力を戦域の決定的地域に間断なく投入するとともに、
   わが軍の安全を保持しつつなるべく遠く敵背後連絡線上に兵力を指向すること。
2、如上の部隊運用にあたっては、
  わが大量集中部隊で敵の一部と交戦することを策すること。
3、同様に指揮下部隊をして、・・・戦術的部隊運用にあたり、
  わが終結部隊を戦場の決定的地点に投入するか、
  もしくは敵の抵抗不可能な部位に指向するように指導すること。」

・クラウゼビッツへの批判として
「『戦争とは他の手段をもっていする政治の継続にほかならない』
という議論に始まる彼が作り上げた理論に対する論争は、
政略を戦略の奴隷とする、
すなわち政略を戦略に従属させることに終わってしまった」

・「絶対戦争なる言葉の意味するものといえば、
相対する軍の一方が抵抗を持続する能力を焼尽するまで戦う戦闘を意味し、
実際的には勝者も力を消尽して限界に達することを物語るのである。
・・・換言すれば絶対戦争とは、
戦争主宰者がどこで止まるべきかが解らない戦いである」

・戦争を防ぎようの無い天災のように捉え感情優先の平和、
戦争論議があることに対して
「戦争が二者択一的に、
地震だとか病気だとかと厳密にいえないいにしても、
地震よりも病気の方に大分似ているといえる。
またその本質、措置ならびに影響に対する科学的究明の必要性が
高いことも極めて病気に似ているのである」

・「多くの哲学者や科学者は、これまで適応性ということが
生存の秘訣であることを唱えてきた。
しかし歴史というものは、適応性をもって変えていくことに
失敗した一覧表のようなものである」

・「批判を抑圧することはそれを払拭することではなく、
ただ目に見えぬ方向にそれを振り向けさせるだけで
堂々と率直に意見を発表させるよりも、遙かに破壊的なものとなる」

・違いがいまいち見えてこないレギオンとファランクスの違いについて
「ローマ人は実業的、現実主義であり、
ギリシア人は哲学的、芸術的理想家である。
レギヨンの達人はナポレオンであり、
ファランクスの達人はフリードリヒ大王と言える。
レギオンは第二線決戦主義といえるし、
ファランクスは第一線決戦主義といえる」

1998 11/28
戦略論、歴史
まろまろヒット率4

パウロ・コエーリョ、山川紘矢・亜希子訳 『アルケミスト―夢を旅した少年』 角川書店 1997

らぶナベ@立命館大学付属高校に政策科学部のプレゼンをしてきました
後半は各学部ごとに分かれて分科会をしたんですが、
我が学部は半分以上が女の子だったです。
男の魅力をわかった女子高生たちで、もう感激ぃい!(うっしゃっしゃ)
交流会の宣伝もしていたので、彼らが入ってくる再来年は楽しみです(^^)
ちなみに「高校の時に読んでおいた方が良い参考文献」については
小説『竜馬がゆく』と漫画『蒼天航路』を薦めておきました、
政策系学部の雰囲気や社会的ポジションが伝わると思ったのと
スケールの大きい学生に来てもらいたいので。

さて、『アルケミスト~夢を旅した少年~』パウロ・コエーリョ著、
山川紘矢+亜希子訳(角川文庫ソフィア)を読み終えました。
前々から吉本プロジェクト担当のT教授から薦められていた本。
桜林が読書会にアップしたことと立命の公認劇団『月光社』が
この原作で公演することになったので読んだ一冊。
夢に出てきたピラミッドに向かって旅をする羊飼いの少年のお話で、
基本的にサン・テグジュペリやメーテルリンクの焼き直しという
感じの物語だがこういう話はもともと嫌いではないので楽しめて読めた(^^)

この本を読んで一番作者が言いたかったこととは
「どんなに理屈で言い訳しても夢を諦めてしまえば心に後悔が残る。
その後悔に苛まされることは夢に挑戦して失敗するよりも
遙かに長く苦しいものだ」ということだったと思える。
基本的に小説なので印象深い箇所もその文脈の中でしか
理解できないものなのだが、もっとも心に印象深く残っている言葉は・・・

○「もし、僕がこのことばを言葉を用いずに理解できるようになったら、
僕は世界を理解することができるだろう」
(認識と知識の差についての話だね)

○「神様は、ほんの時たまにしか、将来を見せてはくれぬ。
神様がそうする時は、それはたった一つの理由のためだ。
それは、変えられるように書かれている未来の場合だよ」
(まさにこれが政策学のスタンス「政策Mind」)

○「今まで、私はいつもあこがれを持って砂漠を見ていました」
とファティマは言った。「これからは、希望を持って見るでしょう」
(これは卒業する時に使ってやろう(^^))
・・・の三つだ。

深いことを口当たりの良い表現で述べている箇所も多いので、
その他の心に残った箇所を挙げてみる? と・・・
・「彼はいつも、自分の話すことを羊が理解できると、信じていた」

・「彼は一枚の上着と、他の本と交換できる一冊の本、
そして羊の群を持っていた。しかし、最も大切なことは、少年が日々、
自分の夢を生きることができることだった。
・・・神学校では神様を見つけることができなかったと、
朝日が昇るのを見ながら少年は思った」

・「少年は太陽の位置をもう一度たしかめながら、
夢が実現する可能性があるからこそ、人生はおもしろいのだ、と思った」

・「羊飼いはおおかみに出会うときも、かんばつの時も、
いつもいちかばちか冒険してみるのだ。
それが羊飼いの人生がおもしろいゆえんだった」

・(夢解釈の老婆が)「人生で簡単に見えるものが、実は最も非凡なんだよ」

・(新しい本を読みながら)「登場人物の名前はむつかしすぎて
発音できなかった。僕がいつか本を書くときには、
一度に一人の名前だけをあげ、
読者が何人もの名前を憶えなくてもすむようにしよう」

・(王様が少年に)「人は人生のある時点で、
自分に起こってくることをコントロールできなくなり、
宿命によって人生を支配されてしまうということだ。
それが世界最大のうそじゃよ」

・(王様の「お前は羊を何頭持っているか?」という質問に対して少年が)
「十分持っています」

・「自分の運命を実現することは、人間の唯一の責任なのだ。
すべてのものは一つなんだよ」

・「自分をしばっているのは自分だけだった」

・「いつも『はい』と『いいえ』で答えられる質問をするようにしなさい」

・「幸福の秘密とは、世界のすべてのすばらしさを味わい、
しかもスプーンの油のことを忘れないことだよ。
・・・羊飼いは旅は好きになってもよいが、
決して羊のことを忘れてはならないのだ」

・(王様が羊飼いに話しかける不自然さについて)
「世界中が認めようとしなかった王様を最初に認めたのは、
羊飼いたちだったからね・・・それは聖書にあるんだ」

・「人は、自分の必要と希望を満たす能力さえあれば、
未知を恐れることはない」

・「人は誰でも、その人その人の学び方がある」

・「もし常に今に心を集中していれば、幸せになれます。
・・・なぜなら、人生は、今私たちが生きているこの瞬間だからです」

・「僕は本当は十年も前に始められたことを、今やり始めたのだ。
二十年間も待たなかっただけ、少なくとも僕は幸せだよ」

・(「男はいつも未来にもとずいて、人生を生きているのです」というらくだ使いに対して)
「もしおまえが、現在によく注意していれば、
おまえは現在をもっと良くすることができる。そして、おまえが
現在を良くしさえすれば、将来起こってくることも良くなるのだ」

・(錬金術師が少年に)「砂漠はすべての男をためすからだ。
それはあらゆる段階で挑戦してくる。そして取り乱した者を殺すのだ」

・「男が自分の運命を追求するのを、愛は決して引き止めはしないということを、
おまえは理解しなければいけない。
もし彼がその追求をやめたとしたら、それは真の愛ではないからだ」

・(錬金術師が少年に)
「学ぶ方法は一つしかない。・・・それは行動を通してだ」

・(なぜ心に耳を傾けなくてはいけないのかという少年の問いに錬金術師が)
「なぜならば、心を黙らせることはできないからだ。
たとえおまえが心の言うことを聞かなかった振りをしても、
それはおまえの中にいつもいて、おまえが人生が世界をどう考えているのか、
くり返し言い続けるものだ」

・「おまえは自分の心から決して逃げることはできない。
だから、心が言わねばならないことを聞いた方が良い」

・「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだ」

・「すげての探求は初心者のつきで始まる。そして、すべての探求は、
勝者が厳しくテストされることによって終わるのだ」

・「夢の実現を不可能にするものが、たった一つだけある。
それは失敗するのではないかという恐れだ」

・「何をしていようとも、この地上のすべての人は、
世界の歴史の中で中心的な役割を演じている。
そして、普通はそれを知らないのだ」

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1998 11/27
小説、寓話
まろまろヒット率5

フレデリック・グロ、露崎俊和訳 『ミシェル・フーコー』 白水社 1998

らぶナベ@愛すべきは自らの中にある狂気といった感じだね(^^)

『ミシェル・フーコー』フレデリック・グロ著(文庫クセジュ)を読んだです。
卒論は参加観察によって自分自身の行動を研究対象にするということを
吉本プロジェクト責任者のT教授に話していると、
「それならポスト・モダンの流れも一応押さえていないと説得力に欠けるぜ。
文庫クセジュからフーコーの一番良い入門書が出たんだよ!
ぜひ読んで一度見ろよ!!」と強力に推薦されて読んだ本。
予想通りというか案の定というか、
まさに負から始まり負に帰結するといった感じの本。
一変の明るさも希望も感じられないが
分析や思考というものは基本的に負に属するものなのだろう。
(その段階で完結しているだけではいけないんだろうけど)

この本の中で僕がもっとも注目したところは
フーコーが狂気にスポットを当てている箇所だ。
彼の主要著書の一つ『狂気の歴史』の中で述べられている・・・
「『愚神礼賛』を執筆するエラスムスのユマニスムにおいて、
あるいはモンテーニュの懐疑的な思弁において、
狂気はもはや奇想めいた変貌をこうむるべきものと
夢想された世界との関係においてではなく、
理性との関係において捉えられる。」
「狂気の実の置き場は、ここにいたり人間が自己自身と交わす
論争という地平に限定されてしまう。叡智の教訓もその点に位置づけられる。
すなわち、狂気のかけらもないところに、思慮分別のある理性はない。」
・・・という箇所には妙に惹かれた。
そして「自らの狂気と向かい合ったものが真の思慮分別を知る」
とも解釈できるこの記述は僕にとって一つの答えを与えてくれたように
思える。時々、安っぽい社会慣行や狭い道徳観念に凝り固まって結果として
本末転倒な指導を子供に課している親や小・中教師などを
見かけることがあって彼らに対して昔から僕は昔から不思議さと
哀しさが合い混じった複雑な思いを持っていたんだけど。
(自らの親に対してもそう)
彼らは彼らの理性の寄るべき場所を自分の外部の規範や教義などに
完全に依存するだけで自らの狂気と向き合ったことは無いのだろう。
だから例え実際とは隔離していようが狭い範囲だけの慣行に
固執することにもなるのだろう。

そう考えてみると『新世紀エヴァンゲリオン』のテーマである
「人は心の拠を失ったとき何に頼れば良いのか?」というものについての
答え、僕自身がリーダーとして今までの慣行とは相容れない決断を
あえておこなう時に「何を基準に判断すれば良いのだろうか?」
という問いに対する答えは「自らの中にある狂気を拠とする」
というものにもなるのではないだろうか。
自らの狂気と向き合った人間こそが思慮分別、判断というものを本当に
自分自身のものとして捉え確信を持って実行することができるのだろう。
そういえば『蒼天航路』第14巻(モーニングKC)で曹操が文醜に対して
「おまえという人間を武と智で割ればきれいに割り切れて残るものがない。
おまえたちには心の闇がない」と言い放つシーンがあるけど
これは上述ようなことにも通じるところだろう。

以下この本でその他に目に付いたところ・・・
・『臨床医学の誕生』の中で・・・
「歴史的にみて、もろもろの人間科学は人間みずからの否定=陰画を
検証するという経験のうちに、その出現の条件を見いだしてきた。
人間をめぐる諸科学の実定的真理は、
ゆえに崩落の地点にその基礎を据えられている。」

・権力と法について・・・
「フーコーにとって、権力は所有されない。権力は行使されるのである。」

・『談話と著述』の中の統治について・・・
「国王のイメージは用心深く、気難しい牧人(司牧者)として指示される。
フーコーが古代オリエント社会に範を見いだされるこの権力類型は、
またキリスト教による魂の統治を特徴づけるものでもあり、
ギリシアにおける都市国家の統治とは峻別される。」

・最後に著者が結論的に・・・
「哲学は、われわれを再発見するすべではなく、
われわれを新たに創出するすべをあたえる
もろもろの物語を構築することができる。
形而上学の諸体系はもろもろの政治的虚構に場を譲るのである。」

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1998 11/19
哲学
まろまろヒット率4

リデル・ハート、森沢亀鶴訳 『戦略論―間接的アプローチ』 原書房 上下巻 1986

らぶナベ@こんな差し迫った時期にじっくり一冊の本を読み終えるというのも
なかなか乙なものですな、特に考えながら読まないといけないような
良書は(^^)

さて、そういうわけで『戦略論 上・下』リデル・ハート著(原書房)をば。
佐藤満教授から借りた本。
一回生の時から気になっていていつか読もうと思っていた戦略書の一つ。
著者は第一次世界大戦、第二次世界大戦を経験し、
特に第二次大戦終了直後に作戦制作、戦闘指揮をおこなった
ドイツ将官たちのインタビューを通して現代における戦略論を模索した人物で
クラウゼビッツを批判し孫子への回帰を唱えたことで有名な人。
クラウゼビッツの「敵主力の捕捉と殲滅」という戦略概念が
両大戦をこれほどまでに不毛なものにしたと主張し、
敵の撃破を目指した直接的攻撃ではなく
「間接アプローチ」によって敵を消耗させその意図を挫くという
孫子で言うところの「戦わずして勝つ」ことに戦略の価値を見いだしている。
「間接アプローチ」というのは耳慣れない言葉だが「外堀を埋める」や
「将を得ようとすればまず馬を射よ」のような東洋では
ごく普通に使われて来たメジャーな概念のことなのだけど
ヨーロッパ、特に20世紀の現代戦ではあまり注目されてこなかったので
著者はこういう言葉をあえて使ったようだ。
(やたらと柔術とかの単語も出てくる(^^))

本の構成としてはそのほとんどを歴史的な戦略研究が占めている。
それこそギリシア時代(ペルシア戦争、ペロポンネソス戦争、
フィリッポス&アレクサンドロスの征服)や
ローマ時代(ポエニ戦争、カエサルを中心とした内乱)から
第二次世界大戦(著者にとってはリアルタイムだったので
この記述が一番多かった)、アラブ・イスラエル戦争(第一次中東戦争)まで
ヨーロッパ史を中心に主要な戦争、戦いを見直して
一定の戦略概念を見いだそうととしている。

そうした事例研究を元にしてこの本の結論としては・・・
1:目的を手段に適合させよ(消化能力以上の貪食は愚)
2:常に目的を銘記せよ
3:最小予期路線(又は最小予期コース)を選べ
4:最小抵抗戦に乗ぜよ
5:予備目標への切り替えを許す作戦線をとれ
6:計画及び配備が状況に適合するよう、それらの柔軟性を確保せよ
7:対手が油断していないうちはー対手がわが攻撃を撃退し
又は回避できる態勢にあるうちは、わが兵力を打撃に投入するな
8:いったん失敗した後それと同一線(同一の形式)に沿う攻撃を再開するな
・・・という戦略概念の要約を著者がまとめている。

以下はこの本の中で印象に残った箇所と記述しておくべき箇所・・・
・1866年、1870年のモルトケが指導した両戦闘について
「例外は、例外とならぬ一般の場合の規則を立証する」

・歴史的事例研究の要約として
「常勝の司令官らは天然及び物質的に強固を極める
陣地に立て籠もった敵に直面したときは、
直接的方法でその敵と取り組むことはほとんどしなかった。
状況の必要に迫られてあえて直接的攻撃の冒険を行った場合もあるが、
その結果は彼らの記録を失敗でよごすことになった。(一部省略)」

・レーニンの言葉を引用しながら
「いかなるキャンペーンにおいても敵を精神的に攪乱して、
わが決定的打撃が実行可能になるまでは戦闘を延期しておくことが
もっとも堅実な戦略であり、また攻撃を延期しておくことが
もっとも堅実な戦術である。」

・ヴェルサイユ講和会議でのドイツ海外植民地全没収案についての反論として
第二次大戦のイタリアの例を出しながら
「本国との間を遮断され易い海外領土を欧州大陸の一強国が保有することは、
その国の侵略的傾向を抑止することになり易い。」

・第一次大戦のドイツ革命による終結について
「勝利と敗北の間のバランスは心理的印象のほうに傾くものであり
物理的打撃についてはそれが間接的であった場合にのみ、
そのほうへ傾くものである。」

・クルスク戦車戦、アルデンヌ反抗戦などのナチスドイツ後半の
戦略について拳闘家ジェム・メイスの言葉
「彼らを我に向かって来させよ。
それによって彼らは自らをうち負かされることになる。」を引用しながら
「ドイツは、自分で自分を打ちのめすところまで行った。(中略)
ドイツが勝利の問題を解決しようとして
過度に直接的なアプローチをとったために、
連合側はこの問題を間接的に解決し得ることになった。」

・クラウゼビッツの有名な定義、
「戦争(戦略)とは政治(政策)の一手段である」と
「戦略とは戦争の目的を達成するための手段として諸戦闘を用いる術である。
言い換えれば、戦略は戦争の計画を形成し、
戦争を構成する数個のキャンペーンの取るべき予定のコースを描き上げ、
そしてそれぞれのキャンペーンにおいて戦われるべき
諸戦闘を規整するものである。」についての反論として
「この定義は戦略そのものが、政策の分野
すなわち戦争を遂行すべき最高の分野に冒し入っているが、
もともとこの分野は必然的に政府の責任に属すべきものであり(中略)
その手先たるべき軍事指導者には上述の責任を負わせるべきではない。」
また、「戦略の定義をはっきりと戦闘の使用方法に絞っているところで
戦闘は戦略目的のための手段に過ぎないということになっている点が
おかしい」、
「クラウゼビッツの弟子たちが目的と手段を混合し、
戦争においては一個の決定的戦闘に対して他のあらゆる考慮を
従属させるべきであるという結論に到達することはきわめて起こりやすい。」

・ナポレオンの失敗について
「敵が適時にその地点に増援を行い得ないというのでない限り、
意図した決定的地点における優越的兵力分量は十分なものとはいえない。
また、その地点における敵が単に数的に劣勢であるだけでなく、
精神的にも弱化しているというのでない限り、
我が優越的兵力量も十分であるとはいえない。
ナポレオンはこの保証を軽視したために苦杯をいくつか嘗めた。」

・近代ヨーロッパの戦争目的の一つであった合邦について
「意見の相違を受け入れるよりも
意見の相違を抑圧してしまう方が悪い結果を招く。」

・大戦略の章では結論的に
「弱い者いじめ型や強盗型の人間は自力で立ち向かってくる人間に対する
攻撃を渋るということは個人について考えても共通の経験である。
その渋り方は平和型の人間が自分よりも大きい攻撃者と取り組み合うのを
渋るよりももっとはるかにひどいもである。(中略)
好戦型の人間や国家と真の講和を行うことは困難であるが、
その一方それらの人間や国家を休戦状態に入るよう誘致することは
より容易である。そしてこれは彼らを打破するよりも、
遙かにわが精力を消耗することが少ない。
(中略)サスペンス(未決からくる不安)の状態は辛い(中略)
しかし、サスペンス状態でも戦勝の蜃気楼を追って
国力を蕩尽するよりはましである。」

・付録のアラブ・イスラエル戦争の章では
「真の目的は、戦闘を求めるよりもむしろ
有利な戦略情勢を招来することにあるのであって、
その有利な戦略情勢とは、
それのみで戦いの帰すうを決定できることが最も望ましいが、
それができない場合には戦闘によってその有利な情勢を継続することによって
戦いに決をもたらす底のものであるべきである。」

こうしてみると全体的に少し直接アプローチの弊害を強調し
過ぎじゃないかなと思う所もあったけれど
確かに日露戦争以来の日本軍を見ても
クラウゼビッツの強い影響を受けていて、
敵主力の捕捉と撃破のために無理な進撃を続けて消耗し
その戦略を太平洋戦争でも適用させようとしたきらいはあると思う。
(海軍でも根強く続いた艦隊決戦思想の大元はこれ)
第一次大戦と二次大戦はその双方の将官がクラウゼビッツ理論を学び
その実践の場としてあったという言い方はできるかもしれないと思った。

ps98年度吉本興業インターンシップ事業化プロジェクト政策科学部代表の
(僕の代よりも長い名前になっているよな(^^;)やすなりへ。
そうは言うモノの吉本プロジェクトの基本は直接アプローチっすよ(笑)
あえて突撃戦術を採用でき、直接攻撃ができる人間が行って始めて
間接アプローチの意味があると思うっす。

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1998 11/16
戦略論、歴史
まろまろヒット率5