リデル・ハート、森沢亀鶴訳 『戦略論―間接的アプローチ』 原書房 上下巻 1986

らぶナベ@こんな差し迫った時期にじっくり一冊の本を読み終えるというのも
なかなか乙なものですな、特に考えながら読まないといけないような
良書は(^^)

さて、そういうわけで『戦略論 上・下』リデル・ハート著(原書房)をば。
佐藤満教授から借りた本。
一回生の時から気になっていていつか読もうと思っていた戦略書の一つ。
著者は第一次世界大戦、第二次世界大戦を経験し、
特に第二次大戦終了直後に作戦制作、戦闘指揮をおこなった
ドイツ将官たちのインタビューを通して現代における戦略論を模索した人物で
クラウゼビッツを批判し孫子への回帰を唱えたことで有名な人。
クラウゼビッツの「敵主力の捕捉と殲滅」という戦略概念が
両大戦をこれほどまでに不毛なものにしたと主張し、
敵の撃破を目指した直接的攻撃ではなく
「間接アプローチ」によって敵を消耗させその意図を挫くという
孫子で言うところの「戦わずして勝つ」ことに戦略の価値を見いだしている。
「間接アプローチ」というのは耳慣れない言葉だが「外堀を埋める」や
「将を得ようとすればまず馬を射よ」のような東洋では
ごく普通に使われて来たメジャーな概念のことなのだけど
ヨーロッパ、特に20世紀の現代戦ではあまり注目されてこなかったので
著者はこういう言葉をあえて使ったようだ。
(やたらと柔術とかの単語も出てくる(^^))

本の構成としてはそのほとんどを歴史的な戦略研究が占めている。
それこそギリシア時代(ペルシア戦争、ペロポンネソス戦争、
フィリッポス&アレクサンドロスの征服)や
ローマ時代(ポエニ戦争、カエサルを中心とした内乱)から
第二次世界大戦(著者にとってはリアルタイムだったので
この記述が一番多かった)、アラブ・イスラエル戦争(第一次中東戦争)まで
ヨーロッパ史を中心に主要な戦争、戦いを見直して
一定の戦略概念を見いだそうととしている。

そうした事例研究を元にしてこの本の結論としては・・・
1:目的を手段に適合させよ(消化能力以上の貪食は愚)
2:常に目的を銘記せよ
3:最小予期路線(又は最小予期コース)を選べ
4:最小抵抗戦に乗ぜよ
5:予備目標への切り替えを許す作戦線をとれ
6:計画及び配備が状況に適合するよう、それらの柔軟性を確保せよ
7:対手が油断していないうちはー対手がわが攻撃を撃退し
又は回避できる態勢にあるうちは、わが兵力を打撃に投入するな
8:いったん失敗した後それと同一線(同一の形式)に沿う攻撃を再開するな
・・・という戦略概念の要約を著者がまとめている。

以下はこの本の中で印象に残った箇所と記述しておくべき箇所・・・
・1866年、1870年のモルトケが指導した両戦闘について
「例外は、例外とならぬ一般の場合の規則を立証する」

・歴史的事例研究の要約として
「常勝の司令官らは天然及び物質的に強固を極める
陣地に立て籠もった敵に直面したときは、
直接的方法でその敵と取り組むことはほとんどしなかった。
状況の必要に迫られてあえて直接的攻撃の冒険を行った場合もあるが、
その結果は彼らの記録を失敗でよごすことになった。(一部省略)」

・レーニンの言葉を引用しながら
「いかなるキャンペーンにおいても敵を精神的に攪乱して、
わが決定的打撃が実行可能になるまでは戦闘を延期しておくことが
もっとも堅実な戦略であり、また攻撃を延期しておくことが
もっとも堅実な戦術である。」

・ヴェルサイユ講和会議でのドイツ海外植民地全没収案についての反論として
第二次大戦のイタリアの例を出しながら
「本国との間を遮断され易い海外領土を欧州大陸の一強国が保有することは、
その国の侵略的傾向を抑止することになり易い。」

・第一次大戦のドイツ革命による終結について
「勝利と敗北の間のバランスは心理的印象のほうに傾くものであり
物理的打撃についてはそれが間接的であった場合にのみ、
そのほうへ傾くものである。」

・クルスク戦車戦、アルデンヌ反抗戦などのナチスドイツ後半の
戦略について拳闘家ジェム・メイスの言葉
「彼らを我に向かって来させよ。
それによって彼らは自らをうち負かされることになる。」を引用しながら
「ドイツは、自分で自分を打ちのめすところまで行った。(中略)
ドイツが勝利の問題を解決しようとして
過度に直接的なアプローチをとったために、
連合側はこの問題を間接的に解決し得ることになった。」

・クラウゼビッツの有名な定義、
「戦争(戦略)とは政治(政策)の一手段である」と
「戦略とは戦争の目的を達成するための手段として諸戦闘を用いる術である。
言い換えれば、戦略は戦争の計画を形成し、
戦争を構成する数個のキャンペーンの取るべき予定のコースを描き上げ、
そしてそれぞれのキャンペーンにおいて戦われるべき
諸戦闘を規整するものである。」についての反論として
「この定義は戦略そのものが、政策の分野
すなわち戦争を遂行すべき最高の分野に冒し入っているが、
もともとこの分野は必然的に政府の責任に属すべきものであり(中略)
その手先たるべき軍事指導者には上述の責任を負わせるべきではない。」
また、「戦略の定義をはっきりと戦闘の使用方法に絞っているところで
戦闘は戦略目的のための手段に過ぎないということになっている点が
おかしい」、
「クラウゼビッツの弟子たちが目的と手段を混合し、
戦争においては一個の決定的戦闘に対して他のあらゆる考慮を
従属させるべきであるという結論に到達することはきわめて起こりやすい。」

・ナポレオンの失敗について
「敵が適時にその地点に増援を行い得ないというのでない限り、
意図した決定的地点における優越的兵力分量は十分なものとはいえない。
また、その地点における敵が単に数的に劣勢であるだけでなく、
精神的にも弱化しているというのでない限り、
我が優越的兵力量も十分であるとはいえない。
ナポレオンはこの保証を軽視したために苦杯をいくつか嘗めた。」

・近代ヨーロッパの戦争目的の一つであった合邦について
「意見の相違を受け入れるよりも
意見の相違を抑圧してしまう方が悪い結果を招く。」

・大戦略の章では結論的に
「弱い者いじめ型や強盗型の人間は自力で立ち向かってくる人間に対する
攻撃を渋るということは個人について考えても共通の経験である。
その渋り方は平和型の人間が自分よりも大きい攻撃者と取り組み合うのを
渋るよりももっとはるかにひどいもである。(中略)
好戦型の人間や国家と真の講和を行うことは困難であるが、
その一方それらの人間や国家を休戦状態に入るよう誘致することは
より容易である。そしてこれは彼らを打破するよりも、
遙かにわが精力を消耗することが少ない。
(中略)サスペンス(未決からくる不安)の状態は辛い(中略)
しかし、サスペンス状態でも戦勝の蜃気楼を追って
国力を蕩尽するよりはましである。」

・付録のアラブ・イスラエル戦争の章では
「真の目的は、戦闘を求めるよりもむしろ
有利な戦略情勢を招来することにあるのであって、
その有利な戦略情勢とは、
それのみで戦いの帰すうを決定できることが最も望ましいが、
それができない場合には戦闘によってその有利な情勢を継続することによって
戦いに決をもたらす底のものであるべきである。」

こうしてみると全体的に少し直接アプローチの弊害を強調し
過ぎじゃないかなと思う所もあったけれど
確かに日露戦争以来の日本軍を見ても
クラウゼビッツの強い影響を受けていて、
敵主力の捕捉と撃破のために無理な進撃を続けて消耗し
その戦略を太平洋戦争でも適用させようとしたきらいはあると思う。
(海軍でも根強く続いた艦隊決戦思想の大元はこれ)
第一次大戦と二次大戦はその双方の将官がクラウゼビッツ理論を学び
その実践の場としてあったという言い方はできるかもしれないと思った。

ps98年度吉本興業インターンシップ事業化プロジェクト政策科学部代表の
(僕の代よりも長い名前になっているよな(^^;)やすなりへ。
そうは言うモノの吉本プロジェクトの基本は直接アプローチっすよ(笑)
あえて突撃戦術を採用でき、直接攻撃ができる人間が行って始めて
間接アプローチの意味があると思うっす。

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1998 11/16
戦略論、歴史
まろまろヒット率5

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