まろまろ記5周年

まろまろ記(開設当初はまろまろ読書日記)が5周年をむかえる。

思えばこの1年はオンラインでは再構築エラーで2ヶ月更新がストップしたり、
オフラインでは再開発で地上げにあうなどトラブルも多かった。
ただ、そうしたトラブルのおかげで新しい仲間が見つかったり、新しい領域に踏み出すきっかけにもなった。
たとえばmixi文京区コミュニティ管理人に就任文京区占いをリリースするなどのご近所さんつながりを強化するようになったのも、
再開発で新旧住民の対立、地域情報流通問題と直面したからだ。
(その流れで縁あって縁日にも出店した)

サイト活動としても、3年以上隠しページだった「ごはん日記」をメインコンテンツ化し、
10年以上使っていたHNを「らぶナベ」から「まろまろ」に変更するなどの転機もあった。

また、日経新聞に遺書が取り上げられたり、お店本にインタビュー掲載
日経マネーにコメント掲載スクリーニング掲載など、メディア露出がいくつかあった。

思えば1995年の読書日記開始から2001のサイト開始まで、6年間のブランクがある。
この6年間の後悔がサイト運営の原動力の一つになってきた。
ブランク期間の6年に追いつく次の6周年が待ち遠しくもあり、それだけに充実した1年にしたいという気持ちを持った5周年だった。
(5周年記念でネットワークについての考えを「ノリシ論」としてまろまろコラムにまとめる)

2006 7/19
出来事メモ、サイト運営

テキ屋さん初体験~文京区占いを縁日出店~

7月9日(日)と10日(月)、それぞれ16時~21時に文京区でおこなわれた縁日に文京区占いを出店する。
平たくいうと占い師のテキヤとして社会的コスプレをしたことになる(^_^)v

7/9
ご近所さん(mixi本郷コミュニティ)のランチ会にお呼ばれした後に、ランチに来ていたご近所さん二人と歩いてお寺に向かう。
縁日の正式名称は駒込大観音ほおずき千成り市で、会場となる光源寺は本駒込と千駄木の間、文京区向丘の団子坂の通りにある。
縁日会場に到着すると、一週間前に設営を完了させていたスペースが何と他の出店者の人たちに使われていた。
第二候補の向かいの場所も厳しそうだったので、急遽、大観音参道入口近くに新たにスペースを設営することになった。
(たまたまそこに出店した人が雨に濡れると困るからと移動したため空いたスペースがあった)
人が溢れる中で設営するのは大変だったけど、一緒に来たご近所さんやスタッフさんが手伝ってくれて本当に助かった。

最初にトラブルに見舞われたものの、始めてみると占いをしに来てくれる人との交流がとても楽しかった。
苦心してつくったものだけに「当たっている!」と驚いてくれる人が多かったのは単純に嬉しかったし、
初対面では話さないような話題も出たのはコミュニケーション型コンテンツとしての本領発揮という感じだった。

・・・っという風に順調に占いをしていたら、今度は雨が降ってきた。
雨のせいで人の流れが変わってしまったけど、その中でも占いをしに来てくれる人がいたのはありがたかった。
雨の中で占いをしていると、他のご近所さんが、またその後もコンテンツ創造の友達が来てくれた。
この日は雨にも見舞われたけど、合計22名の人が占いをしにブースをおとずれてくれた。
(家族や友人も占うことがあったので占った数自体はもっと多い)

21時終了後、(次の日もあるので)仮片づけをはじめると、どのブースよりも早く片づけが完了できた。
食べもの系や販売系などの出店者の人たちは後片づけが大変そうだったけど、
僕の場合はノートパソコン(ThinkPadX31)をシャットダウンして椅子と張り紙をひっくり返すだけでよかったからだ。
これこそコンテンツの機動力だという実感を持って、コンテンツ創造の友達と帰り道の本郷で軽く食べてから帰る。

7/10
最終日は30分ほど早めに着いて、占い開始。
この日はセットアップ中から、占い待ちの人がいてくれたので幸先の良さを感じながらスタートすることができた。
特に、来訪者の中には前日に占った人から「当たっている」と聞いたので来たという人がいたり、
「ぜひあなたもやるべきだ!」と強く薦められたという人もいたのは、
眼に見えて実感できるフィードバックとして喜びを感じた。

また、この日は縁日のスタッフの人や、出店者の人たちも占いをしに来てくれた。
(物々交換でおこわやクッキー、サングリアをもらえた(^^)/)
旧知の人も、研究室の後輩、弊社つながりのご近所さん、ご近所さんファミリー、
仕事帰りのご近所さん、そしてゆうりんやぷりん、猫ちゃんなども来てくれたのはありがたかった。

休日だった前日と違って、月曜日のこの日は人通りに心配を感じていたけど、
雨も降らず、結局前日よりも多い合計24人の人が占いをしにやってきてくれた。
(これまたその人のまわりの人も占ったので実際はもっと多い)

21時の終了後に一通りの後片づけをすると、やはりこの日も一番早く完了した。
そこで他の後片づけを手伝った後に、スタッフや他の出店者の人たちと会場内で簡単な乾杯をおこなった。
ぷりんも残っていたので、それぞれのつながりを紹介し合ってまさに異業種交流会になった。
占い師という出店性質から、お店番を誰かに頼んで出歩くということができなかったので、
他の出店者の人と対話することがなかなかできなかっただけに、この打ち上げはとても楽しく感じられた。
打ち上げ後、みなさんにご挨拶をしてぷりんと二人でオリジン弁当を買って研究室に帰ってフィードバックする。

思えばこの文京区占いは、コンテンツ創造科学の演習の一環として製作したものだけど、
これは昨年末に立ち退き問題に巻き込まれて直面した、新旧住民の対立や地域交流問題がきっかけになっている。
フィードバックを見るとこの製作意図はかなり実現されているということが話題になり、
まさに縁があって地域に根ざした縁日を模索する場での出店することになった。
地域活性化に貢献するコンテンツの可能性、コミュニケーションの基点としてのコンテンツの可能性を強く感じた。
また、昔から人や物、場の運勢の流れが読める僕の特性を活かすことの可能性を感じることにもなった。
そして、実際にこのような場でオンライン・コンテンツを展開する縁と巡り会うことに、
何か大きな流れのようなものを感じたテキヤ・プレイだった。

2006 7/9、10
出来事メモ

日経マネー8月号にスクリーニングが掲載される

『日経マネー』8月号の特集「バリュー株を探しヂカラを磨こう 1:スクリーニング道場の巻」でまろまろ記の紹介と共に僕のスクリーニング過程が取り上げられる(35ページ目)。
前回の掲載のような銘柄の推奨人としてではなく、今回はあくまで被験者(突っ込まれ役)としての掲載。
だから、それほど僕の個性が出ているとは思えないけど、こういう話がまわってくるのもまた運と縁の流れなんだろう。

2006 6/20
出来事メモ

『世界の山ちゃん伝説』にインタビュー掲載

サイト紹介付きで僕のインタビューが掲載されている幻冬舎『世界の山ちゃん伝説』が発売される。
まろまろごはん日記はつい最近までは隠しコンテンツだったので、ごはん関係のメディアに登場するのは初めて。

振り返ればごはん日記をはじめた2003年4月から2006年4月21日の約3年間の間は、
maromaro.comのメインコンテンツはあくまで読書日記として、ごはん日記を隠しコンテンツに制限していた。
ただ、読書をしない人はけっこういるけどごはんを食べない人はあまりいない、ということもあって、
コミュニケーションの基点になることも多く、また最近は注目されたり取材を受ける機会も増えたので、
開き直って隠しコンテンツからトップリンクに変更した。
(サイト名を2004年7月19日に「まろまろ読書日記」から「まろまろ記」に変えた点も大きい)

必ずしも創造者の意図する方向には進まない、そしてそれを受け容れる。
これもまたメディア進化だろうか。

2006 5/31
出来事メモ

HNを「らぶナベ」から「まろまろ」に改名

10年以上使っていたハンドルネーム(HN)の「らぶナベ」を「まろまろ」に改名する。
これまでの自称は常に「らぶナベ」だったけど、2001年7月19日のサイト開設を境にして「らぶナベ」とは呼ばれなくなり、
最近ではオンラインでもオフラインでも他称は完全に「まろまろさん」になっていたので、5月26日の誕生日を機会に改名をすることになった。

改名については最後まで「まろまろ堂」か「まろまろ」の二つで迷った。
前者は、「まろまろした会議」などのような「まろまろ」の形容詞的使い方と固有名詞としての使い方が分離できる点が魅力。
ただし、語呂的に少し言いにくいのと、どうせ「まろまろさん」としか呼ばれないのではという懸念があった。
後者は、ブランド名と固有名詞が統一して簡略化できる点が魅力で、実質上の呼び名と名目上の呼び名を統合させられるのもメリットの一つ。
ただし、形容詞「まろまろ」と名詞「まろまろ」との混乱が生まれるのではという懸念があった。

迷ったので、判断材料を求めてまろみあんに参考意見を呼びかけてみたところ、「まろまろ」の方が圧倒的に多く、
また「まろまろ堂」の方は事務所やお店の名前としての利用法を思いついたこともあって、「まろまろ」を選択した。

今回の改名では、10年以上使っていたHNを変えることには少なからず寂しさを感じた。
(古いまろみあんからの中からも改名には賛成だけど少し寂しいという声も聞こえた)
でも、自分が創ったブランド名で本人が呼ばれるというのは、とても名誉なことでもある。
「自分ブランド」を提唱する時に、自分の存在自体がその証拠になるのだから。

これからも答えを外に求めるのではなく、自分自身が答えになっていきたい。

2006 5/26
出来事メモ、サイト運営

「文京区占い」正式リリース

文京区の街が占い結果になるWebコンテンツ「文京区占い」を正式にリリースする。
また、リリースに合わせて「文京区友の会」も発足させた。

Webコンテンツとしては、コンテンツ創造科学の演習の一環で去年から、
文京区を中心にと考えてからは、半年の歳月をかけたものだけに感慨もひとしお。

Webコンテンツはフィードバックによって修正していく永遠のβ版ということもあり、
まだまだ一歩にしか過ぎないという面はあるけれど、公開した直後から反響があって目頭が熱くなった。
(特に文京区を知らない人でもわかるように苦心したことが報われた書き込みなどは嬉しかった)

今回はデザイン係長のゆうりんさんの助言で第4回リアルでグリる文京区オフ会に合わせて公開したが、
技術班長のこひろせ、何かと助言に当たってくれたぷりんに感謝感謝の第一歩。

2006 4/29
出来事メモ

日経新聞にまろまろ遺書が取り上げられる

2006年4月21日発行の日本経済新聞夕刊、第17面特集記事「ホームページよ永遠に」の中でまろまろ遺書が取り上げられる。

インタビュー時は「16行から20行くらいでまろまろ遺書とその反響を紹介させてください」という話だったけど、
実際のインタビュー量と資料提供の割に扱いが小さいのは、記事の方向性が高齢者のネット利用にシフトしたのが原因のよう。

ただ、記者の人も「こういう話題を取り上げること自体が画期的」と言ってたように、
僕自身もこの話題はWeb3.0かWeb4.0でのメインテーマだと思っているのでこれは仕方ないなと感じた。
今は”兆し”の段階、そしてその兆候は確実に広がっていることをあらためて実感した。

2006 4/21
出来事メモ

おかだの「唐揚げ定食」

唐揚定食・・・っと言っても鶏肉ではなく豚ロース肉を使っているのが特徴的な唐揚げ。
衣も独特な食感がする一品。
後楽園・春日町交差点(東京都文京区小石川1-1-1)の「こんかつ おかだ」にて。

コンテンツ創造科学「Webコンテンツ研究会」スタート

僕が研究会長をするコンテンツ創造科学Webコンテンツ研究会がスタートする。

Webコンテンツはデジタルコンテンツの中でも今後大きな成長が期待される分野だ。
Webではコンテンツの創造と流通がほぼ同じなので、他のコンテンツタイプと比べて参入障壁が低く、
アマチュアとプロフェッショナルの境界線が曖昧になるほど多様なプレイヤーにめぐまれている。
そんな躍動しているWebコンテンツなのに(だからこそ?)、コンテンツ創造科学では手薄なのを残念に思っていた。
そこで許可をもらって去年やった「お気楽 無世代まろり場」のアカデミック版という感じで研究会を立ち上げてみた。

第1回はカレーブロガーとして有名なたあぼう(島津忠承)さんに発表してもらった。
彼を第1回目の発表者として選出した利用は・・・
1:Webコンテンツにおいて食べもの系コンテンツの占める位置は大きく、この方向性はさらに進展している。
2:マスコミ勤務を続けながらブログ発信する立ち位置から、マスメディアとパーソナルメディア両方を熟知している。
3:時にシビア過ぎると思う冷静な視点で語ることができ、よくある単純なネット賛美論or否定論とは無縁な人物である。
・・・の主に3点からだ。

研究会当日は「読者を巻き込むほどWebは化ける-ブログ書きと雑誌記者の立場でみた各メディアの違い・可能性」というお題で発表してもらった。
話の流れも自分のブログ活動紹介という具体例からはじまって、Webコンテンツと他のメディアとの対比という大きな話になり、
再び自分のブログ活動の課題や方針という具体的な論点に戻るという実にわかりやすいものだった。
発表内容もさることながら質疑応答での議論も盛り上がったのが、マネイジした人間としてほっとした。
(議事録、メモはとりあえず非公開)
ちなみに終わってからの懇親会は当然のごとくカレー屋さんに行ってみる
Webコンテンツの情報交換や課題点の議論を思い切りできた充実した半日だった(^_-)

今後はビジネスよりの発表(ぷりん)や、携帯コンテンツの発表(ゆうこりん)もしていく予定。

2006 3/25
出来事メモ、まろまろ研究