新しい日本文化のコンテンツ創造と研究を目的として今年から設置された
東京大学コンテンツ創造科学産学連携教育プログラムに合格する。
1次試験もかねている出願時の志望理由書には、
コンテンツとコンテクストとの関係に注目した
「雰囲気」について書いたものを提出した。
直前まで出願しようかどうしようか迷っていたこともあって、
書き上げたのは消印締切ぎりぎりの23時後半ごろで
郵便局窓口に駆け込むなど1次試験はバタバタしてしまった。
出願者が多かったのに1次試験で最終40人枠のところ
57人まで絞っっていたのには少し驚いたが、
2次試験を実際に体験してその理由がわかった。
1限目の英語はごく一般的なものだったけれど、
2限目の小論文と3限目の面接がオリジナリティ豊かなものだったからだ。
小論文はテクノロジー系かプロデューサー系どちらかの選択式で、
その選択によって3限目(午後)の面接の方式も変わってくるというものだった。
テクノロジー系選択の場合は自分の解答がOHP出力されてそれをプレゼンする。
プロデューサー系選択の場合は与えられた課題について他の受験者と共に
企画会議をしてその過程やプレゼン結果を含めて面接とするというものだった。
このような形式で面接をするということの説明についても、
当日のそれも小論文の開始前になって発表されたという
実に機動力あふれるものだった。(対応能力も評価対象だったのか?)
僕はプロデューサー系の選択だったので自己紹介もしていない人たちと
制限時間つきで企画会議&プレゼンをすることとなった。
「北京オリンピックでの新しい技術を使った
開会式セレモニー企画をプレゼンする」という感じのお題だったが、
制限時間40分の時間配分が重要だと判断したのでタイムキーパー役を引き受ける。
ボランチのつもりで基本はタイムキーパーをしながらは司会役の人をフォローし、
重要事項で発言すべきだと思われる場合は発言するようにした。
(中国発祥の技術として紙と火薬を使う提案をしてこれが通った)
実際に紙面に落とす作業もあった上に2次試験当日(9月13日)は、
暑かったこともあって終わった頃は思わず汗をかいていた。
冷静になれていたのだろうかと少し不安になったが最終合格40枠に入れていた。
これでコンテンツ創造科学の第1期生となる。
思えば自分が活躍できたり評価される場所は新しい分野や舞台なのに、
これまで「第1期」というのはほとんど縁がなかった。
(アクティヴな引きこもりで基本は保守的だからか?)
唯一の例外は吉本興業インターンシップ&産学連携事業だけだったが、
今回はこれにこのコンテンツ創造科学が加わった。
これまでの出来事メモを振り返ると僕がこのメモをつけはじめた頃からずっと
アニメ・ゲームなどの日本のオタク文化はこれから重要になると言い続けてきた。
(記録に残しているだけでもオタクシンポジウム参加や交流会での分科会主催、
産学協同事業で声優企画の提案やゲーム会社との接点など)
当時はその度に色物扱いされたり失笑されて悔しい気持ちになったことを思い出した。
現在は既存のコンテンツやブランドを楽しむよりも、
自分でコンテンツやブランドを作ってゆくことに関心が移りつつある。(『1人1メディア』)
そんなタイミングでこのプログラムに受かったことはかつてを思えば夢のようだ。
ふと気づけば夢の舞台に立っている。
そう感じたことは忘れずにいたい。
2004 9/17
出来事メモ、進路関係