山猫軒の「インド風カリー」

まろまろ勉強会で弊社近くの欧風料理屋さんに入る。
名物のカレーを注文すると、欧風カレーと思いきやインド風カレーだった。中身は見た目以上にビリリと辛い。
本郷・東京大学本郷キャンパス正門近く(東京都文京区本郷6-24-5)の「山猫軒」にて。

「六本木天然温泉 zaboo (ザブー) 」 (温泉)

泉質:ナトリウム塩化物温泉 (等張性・弱アルカリ性・低温泉)

西麻布1丁目にできた都市型温泉施設。
お誘いがあったので7月20日のオープン翌日におとずれる。

メインのお風呂は一段高いところに設置された温泉濃度100%の高温浴(41℃)と、
低いところの温泉濃度50%の微温浴(38℃)がある。
特に微温浴には洞窟風呂の部分があって、洞窟の天井に反射したお湯のゆらぎを眺められるのが気に入った。
(ただしzaboo=ザブーというほどの湯量ではなかった)

リラクゼーションルームも特徴的で、二階建ての半個室になっているのでカプセルホテルのような用途で使える。
加えて追加料金が必要なバーデ・ゾーンはそれぞれ、眠りの部屋、記憶の部屋、活性の部屋、回帰の部屋があり、
自分の好みと気分に合わせて仮眠をとったりリラックスできるようになっている。

ただ、入館料4000円に入会費550円、90分バーデ利用料が840円という値段を考えると、
どうしても視点が厳しくなってしまう。
たとえばオープン2日目なのにロッカーの上に埃があったのを発見したり(決して小姑ではないけど(^^;)、
浴槽のつくりが値段の割にはちゃちかったりと、果たして値段設定の高さに似合うのか疑問になる点もあった。

近くに行くことがあり、なおかつ上手に利用すれば良いお風呂かもしれない。
ちなみに施設内の「鮨・六貫」はこんな感じ

2006 7/21
ぷかぷかお風呂日記
まろまろヒット率3

追記:残念ながら閉店されたとのこと。

鮨割烹 六貫(六本木天然温泉zaboo内)の「平目昆布〆めと鳥貝のお刺身」、「カンパチの柚餡焼き」、「春子鯛」、「ウニのにぎり」、「大トロのにぎり」


zaboo内でお寿司をいただく。左上から・・・
・平目昆布〆めと鳥貝のお刺身→ヒラメを昆布で締めたものとトリガイの盛り合わせ。
・カンパチの柚餡焼き→「ゆあんやき」と呼ぶ焼き物。カンパチの脂に柚子の香りがマッチ。
・春子鯛→「かすごだい」と呼ぶ小鯛のヒカリもの。
・ウニのにぎり→風味豊かな雲丹の軍艦巻き。
・大トロのにぎり→これぞ鮪の王様。口いっぱいに濃厚な味が広がる一品。
六本木天然温泉zaboo施設内の「鮨割烹 六貫」にて。

追記:残念ながら閉店されたとのこと。

広州市場の「両入雲呑麺」(二色ワンタン麺)

ワンタン麺が美味しいと評判のお店に連れて行ってもらう。最初なので普通のワンタンと海老ワンタンの二つが入っている両入雲呑麺を注文。自慢の清湯スープが味わえる塩味を選択したこともあってワンタンのぷりぷり感が味わえた一品。
大塚駅南口の「広州市場」にて

斎藤茂太 『いい言葉は、いい人生をつくる―いつも私は「言葉の力」を味方にしてきた』 成美堂出版 2005

まろまろ@縁日で的屋さんプレイしてきました。

さて、『いい言葉は、いい人生をつくる―いつも私は「言葉の力」を味方にしてきた』斎藤茂太著(成美堂出版)2005。
精神科医でエッセイストの著者が選び出した名言集。
何よりもまずタイトルに共感したので読んでみた一冊。

読んでみるとそれぞれの名言の意味や背景を紹介するというより、
著者のエッセイ的な話に名言がそえられているという感じになっている。
(話と名言との関連がいまいちわからないところもある)

タイトルと同じく柔らかでプラス思考な著者の趣向は共感できたけど、
もともとめぐまれた環境にある上に(父は歌人・精神科医の斎藤茂吉、弟は作家・精神科医の北杜夫)、
さらに豪華客船での旅行話が多かったりと、鼻につくような点や年寄りの小言としか思えない箇所もあった。

以下はチェックした箇所・・・

○休息とは回復であり、何もしないことではない。
-ダニエル・W・ジョンソン

○運命はわれわれに幸福も不幸も与えない。
ただその素材と種子を提供するだけだ。
-モンテーニュ

○怠け者だったら、友だちをつくれ。
友だちがなければ、怠けるな。
-サミュエル・ジョンソン

○トラブルが解決できなかった時は、「解決不能」を答えに次へ進もう。
-著者

○悪いできごとは、最悪を避けさせるシグナルなんだよ。
-著者

○何でもないところで転んだ人は、難所で転ばなくなるものさ。
-著者

○過ぎてかえらぬ不幸を悔やむのは、さらに不幸を招く近道だ。
-シェイクスピア

○熱狂できないということは、凡庸のしるしだ。
-バルザック

○この地上に安全などというものはない。チャンスがあるだけだ。
-ダグラス・マッカーサー

○事を遂げる者は愚直でなければならぬ。
-勝海舟

○海のほか何も見えないときに、陸地がないと考えるのは、決してすぐれた探検家ではない。
-フランシス・ベーコン

○人生でいちばん大切なのは、自分にとって心地よさを感じること。
-ヨー・ヨー・マ

○知らないことを聞ける人を増やすのが、財産を増やすこと。
-著者

この本をamazonで見ちゃう

2006 7/20
名言集
まろまろヒット率3

まろまろ記5周年

まろまろ記(開設当初はまろまろ読書日記)が5周年をむかえる。

思えばこの1年はオンラインでは再構築エラーで2ヶ月更新がストップしたり、
オフラインでは再開発で地上げにあうなどトラブルも多かった。
ただ、そうしたトラブルのおかげで新しい仲間が見つかったり、新しい領域に踏み出すきっかけにもなった。
たとえばmixi文京区コミュニティ管理人に就任文京区占いをリリースするなどのご近所さんつながりを強化するようになったのも、
再開発で新旧住民の対立、地域情報流通問題と直面したからだ。
(その流れで縁あって縁日にも出店した)

サイト活動としても、3年以上隠しページだった「ごはん日記」をメインコンテンツ化し、
10年以上使っていたHNを「らぶナベ」から「まろまろ」に変更するなどの転機もあった。

また、日経新聞に遺書が取り上げられたり、お店本にインタビュー掲載
日経マネーにコメント掲載スクリーニング掲載など、メディア露出がいくつかあった。

思えば1995年の読書日記開始から2001のサイト開始まで、6年間のブランクがある。
この6年間の後悔がサイト運営の原動力の一つになってきた。
ブランク期間の6年に追いつく次の6周年が待ち遠しくもあり、それだけに充実した1年にしたいという気持ちを持った5周年だった。
(5周年記念でネットワークについての考えを「ノリシ論」としてまろまろコラムにまとめる)

2006 7/19
出来事メモ、サイト運営

ノリシ論~ツナガリとノリシロ~

今日でサイト開設5周年な、まろまろ@これもまろみあんの方々のご愛好のたまものです(^_^)v

振り返ると2001年7月19日のまろまろ記(当時はまろまろ読書日記)の開設当初から、
人的なネットワークやネットワーキングについての意見を求められることが増えました。
こういう話は生々しさや上から目線な感じが目立ってしまうことがあるので、
これまで自分から積極的に意見を表明することは避けてきました。
ただ、特にソーシャルネットワーキング・サーヴィス(SNS)やblogが台頭した
2004年くらいからは頻繁に意見を求められる機会が増えたので、
今回は5周年記念ということでネットワーキングについての考えをコラム化してみます。

では、ここから・・・

最初に好みの話をすると、そもそも僕は「人脈」や「ネットワーク」という言葉は好きじゃない。
そういう言葉をよく口に出している人たちとも、あまり仲良くなれないことがある。
こういう好みを言うと、「ネットワーキング名手のまろまろさんがなぜそんな風に思うんですか!?」と驚かれることが多い。
確かに「人生いつでも出会い系」(by西行法師プレイ)を標榜しているだけに、こういう趣向は不思議に思われても仕方ないかもしれない。
一見、矛盾しているように見えるこの好みの話は、実は僕のネットワークに対する考えから来ている。

ネットワークとは、日本語で平たく言えば「ツナガリ」だと思う。ネットワーキングは、「ツナガルコト」ですな。
ツナガルためには、まず第一に接着するためのノリシロが必要になる。
そのためのノリシロとは何かといえば、それは自分の中にあるものを外に出したものだ。
自分の中にある気持ち、経験、知識などを外部化させたもの、それがその人のノリシロになる。
自分のノリシロとは、別の言い方をすれば、自分の内にあるものを情報発信したものであり、
自分メディアということが言えるかもしれない。
(興味ある人は※)

だから「ネットワークづくりのために何をすればいいですか?」と聞かれれば、
僕はいつも「自分のノリシロを外に出すこと」だと応えている。
ノリシロのないツナガリはありえないから。
そして自分のノリシロを外に出していれば、自然とネットワークは広がっていく。

・・・っと言ってもノリシロを外に出すことは、もちろんリスクがある。
ノリシロを外に出していたら、変なものがくっついてしまうリスクはあるし、
自分の底の浅さを笑われて恥をかくこともあるかもしれない。
(かく言う僕もよく恥をかく(^^;)
ノリシロを外に出すことは、時間もエネルギーもかかるし、
何よりも勇気が要るということは僕もよく実感していることだ。

でも、ノリシロを外に出しながら、変なものがくっつかないように模索することは、
自分の内にあるものと外の状況との関係を見つめる機会になる。
恥をかくことも、自分を見つめて成長する上で欠かせない要素だ。
思えばノリシロを出すことのリスクは、出会いには避けて通れないものだし、
自分の内と外との両方を見つめることに時間とエネルギーをかけている証拠にもなる。

最初に書いた好みの話はここにツナガル。
ノリシロを出さずに、つまりリスクを背負わず安全な場所に身を置きながら、
「ネットワークづくりが好き」や「人と人をツナゲルのが得意」と言っている人を見かけるとちょっと不信を感じてしまう。
(大人げなくてごめんちゃい(>_< )) だから僕はネットワークについて助言を求められると「良いツナガリを求めるなら、まず良いノリシロをつくろう」といつも応えている。 そしてその後には決まってこう続ける、「“可愛い子には恥をかかせろ”ですよ(^_-)」(byはしり書き)と。

参考
「ソーシャルネットワーキングのコミュニケーションの多様性」(シンポジウム議事録)

『1人1メディア』(まろまろコラム)

※例えばこれまでのネットコミュニティやWebコミュニケーションと比較して、
SNSとblogがここまで注目される理由はこのツナガリとノリシロの関係にあると思う。
SNS上ではそれぞれがそれぞれのエリアで自分のノリシロを公開する。
そこに誰かがひっかかり、新しいツナガリに発展していくことで大きなツナガリがうねりとして生まれる。
(ツナガリのうねり=コミュニティ)
blogもこれまでのものと比べて、各記事ごとのコメントやトラックバック、RSSのおかげで、
ノリシロとツナガリの相乗効果が大きいシステムだと言える。

2006 7/19
まろまろコラム