春日武彦 『不幸になりたがる人たち―自虐指向と破滅願望』 文藝春秋 2000

これが今年38冊目に読み終えた本&20世紀最後に読んだ本になる、
らぶナベ@さぁ来い俺の世紀!(^_^)

さてさて、『不幸になりたがる人たち~自虐指向と破滅願望~』
春日武彦著(文芸春秋)2000年初版。
産婦人科医から精神科医に転向した著者によって書かれた
ちょっと奇妙に思える人々や不可解な事件についてのコレクション的な本。
思わず扇風機に指を入れてしまうとか運には限りがあると思いこんで
落ちている小銭を拾わなかったり幸運があっても不安に感じる人たちから
悲惨さの中に呆気なさや滑稽さを感じてしまう事件などについて
紹介しながら精神科医としての意見や感想を書いている。
人間が抱ちがきな不合理な思考や奇異なこだわりについて
正面から書かれているでの読んでいて楽しい。

確かに不幸だと思うことや絶望を感じることには独特の甘さがあり、
その快楽が忘れられずに中毒のようになってしまうことや
単なる不満や妬みなだけなのに自己正当化のために
責任を転化させることの快感は、ちゃんと「楽しみ」として認識しにくい。
この本はその認識しにくい快楽について書かれている点が興味深い。
さらに一歩踏み込んで自らのトラウマや人格形成状況さえも
自己正当化の言い訳に使う人々を紹介しているのも面白い。
ただし事例の紹介が伝聞推定に基づくものがほとんどなのは気になった。
(これは精神科医としての守秘義務から仕方ないかもしれないけど)
さらに妙に攻撃的というか冷ややかさを気取るところが鼻につく。
個人的にはあまりお友達にはなりたくない(^^;
また、人格障害と精神病とはまったく違うと主張しているがどうなのだろう?
その人そのものである人格障害と本来その人ではない精神病とは違うという
意見だったけれどちょっと納得できなかった。
(人格障害と精神病は重複することがあるので誤解を生むとも書いているけど)

以下、ちょっと面白いと思ったところ・・・
☆精神のアキレス腱は「こだわり・プライド・被害者意識」の三つだけ
→その中でも被害者意識は単なる不平や妬みをぶつける「敵」と
自分は優遇されるべきだという「特権」を求める点でたちが悪い
→被害者意識はアル中にとってのアルコールのように依存性がある・・・
つつましい幸せを得るよりもあえて被害者意識を堪能することを選ぶ人間は
世の中にはいくらでもいることを我々はしっておくべき

☆自分の気持ちを表現するぴったりくる言葉はないので近似値として言葉を
選んで我慢する→いつも我慢するのは耐えられないので既成の言葉に
感じ方や思考の方を微妙に迎合させていく←これが様々な不合理の原因

☆人間の価値観や物事の優先順位は「面倒」というキーワードによって
簡単に入れ替わっていく→面倒だからという理由で現状の不幸
に甘んじることはいくらでもある=億劫という心性こそが人間の行為を
不可解にしたり人生を不幸にする大きな要素のひとつ

☆(特異な事件と幼児体験や特殊な環境などとの因果関係について)
表面的な因果関係に拘ってしまい実際とはまったく別の物語が
周囲の人間によって勝手に作り上げられてしまうことが精神科領域の周辺では
しばしば起こる・・あたかも原因として映る出来事は実は契機でしかなく
潜在していた病状がそれによって顕在化したに過ぎないことが多い

☆催眠術は患者と医療者が共同作品としての物語を語ることが少なくない
→多重人格や記憶喪失、憑依といったものは確かに劇的だがこうした症状には
周囲へのアピールやブラフといった性格が強く付与されている
←本態は未熟な人格構造だからこそ示せる大胆な自己主張といった趣であり
心の深淵を覗き込むような根拠的な感触はない
(結局のところドラマティックなものがもたらす分かりやすさが
往々にして当事者同士の馴れ合いでしかないことが多い)

☆たとえ悲惨であったり不幸であろうとそれが具体的であればかえって
安心感につながる場合がある→曖昧であったり不確定であることは何よりも
人の心を不安に駆り立てるので何らかの具体的な事象に直面するほうが
心の負担が少ないと考える人は少なくない
→新興宗教などへの不可解な服従はこれが原因になることが多い

○神経症の人たちと話には運命に対して妙に理屈っぽいところと
呆れるばかりに詰めの甘いところが入り混じっていて
そのバランスの悪さこそが不幸を招いている原因のように感じられる
→心のバランスを失った人たちはある種の現実感を喪失しているので
奇矯なロジックがあたかも神託のように当人の行動を律する。
えてして精神の止んだ人々の言動は支離滅裂ではなく異様に論理的なだけ

○同じ偶然は繰り返さないという考えはいったん起きたことは
すぐには起きない→不幸を先取りして起こしてしまえば
もはや危険はなくなるといった奇想につながる

○(精神科にかかってくる自殺予告電話の対応について
ベテランとビギナーの差)=ベテランは特別な対応法など無いことを
最初から分かっているがビギナーはひょっとしたら何か特別なコツがあって
それを自分の不勉強や経験不足のために知らないのではないかと不安になる
→マスターしているべきところに空白が残っていると懸念している限りは
実力など発揮できない、勉強とは実際に使用する知識だけでなく
自信や覚悟やその根拠とおぼしきものを獲得するために行うのである

○過酷な人生を乗り切るために無意識のうちにいくつかの方策がある
=一つは運命などのように人間にとって不可解で不可抗力なものを受け入れて
納得するロジック、もう一つはひたすら現状維持を図り不幸を
慣れ親しんだものにして悩みや苦しみの輪郭を曖昧にすること、
さらにもう一つはこれ以上危険や不安と対立しないですむように
手っ取り早く小さな不幸を具体化させて
大きな不幸をやり過ごしてしまおうといった心の働き
→だから人間は気持ち悪いと思うか、それとも面白いと思うか
その捉え方の違いによって世の中のつらさは大きく違ってくるだろう

○説明が困難でしかも関心をそそってやまない事象に対する
アプローチの一つはコレクションの対象にすることである
←説明はできないけれどとにかく真実は手元にあるとして相対化を図る

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2000 12/29
心理学、教育学
まろまろヒット率4

山本祐司 『最高裁物語』 講談社 上下巻 1997

これがネットを使い始めた大学入学以来1万5千通目の送信メールになる、
らぶナベ@やっぱり読み書きが主流の仕事に向いているんだと自己分析(^^)

さて、『最高裁物語』山本祐司著(講談社+α文庫)1997年初版上下巻。
軽そうなタイトルからは想像できないほどの大著、でもかなり面白い(^^)
法廷の内外を問わず最高裁を中心に繰り広げられた人間模様、事件、
そうしたものの結果としての判決を最高裁誕生期の終戦前後から
現在までにわたって書かれている本格的なドキュメンタリー。
暗躍めいた裁判官たちの対立、歴代長官や重要人物のキャラクター、
官僚機構としての裁判所の裏事情などについて
とにかく「よく調べたなぁ」と関心するほど詳細に書かれている。
(戦前の事件でもかなり詳しく書かれているし付録の年表もやたらと充実)

分厚いし上下巻もあるので読み始めるまで少し躊躇があったが
実際に読み始めると面白くてとまらなかった。
戦後の有名な事件や社会問題の”顛末書”として最高裁判決を見ていくと
日本の社会情勢の変転が垣間見れてかなり楽しい。
ちょっと風変わりな現代史という表現が一番良いだろうか。

ただ難点を言えばこの本はすべての事柄について保守対リベラルという視点で
追っているのだがこれでは本質がぼやけてしまうこともあるだろうと感じた。
確かに終戦直後から安保くらいまではこの視点抜きにしては語れないけど
あまり二元論にこだわると原理原則論にがんじがらめになってしまうだろう。
現に70年代後半以降の記述は論理の統一性や説得力の迫力が
いまいちパワーダウンしている。
著者が長年ジャーナリストだったことを考えると
この年代の人が持つ匂いなのかなとも思うが
すごく良い本なだけに恣意性があまりに目立つ箇所にはちょっと残念。
でも総じて良い本だと言える一冊だろう。

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2000 12/20
法学一般、歴史、ドキュメンタリー
まろまろヒット率4

キース・エヴァンス、高野隆訳 『弁護のゴールデンルール』 現代人文社 2000

親が中島みゆきの「地上の星」を買ってきていたのを発見した、
らぶナベ@彼女も秘かにプロジェクトXにはまっていたんだね(^^;
ちなみに歌詞にある「地上の星」の英訳は”UNSUNG HEROES”でした、納得。

さて、『弁護のゴールデンルール』キース=エヴァンス著・高野隆訳(現代人文社)2000年初版。
英法廷弁護士&米カリフォルニア州弁護士として弁護技術の指導を行っている
著者による弁護術指南書(日本語訳者も日本の弁護士)。
僕は時々無性にB級なものに惹かれることがあるんだけれど、
本屋の端っこの方に追いやられていた痛い存在感に惹かれて
思わず購入して読んでみた一冊。でも読んでみると意外とまともだった。
弁護というよりも広い意味での交渉技術書と言った方が良いかもしれない、
人の生死がかかった交渉の場面での技術論なので広く応用も可能だろう。

“INTRODUCTIONS”
☆良い弁護術とはほとんど常識に関する問題
(多くの場合この常識を法廷に行く時に捨ててしまう)

“THE DIMENSIONS”
○伝えることを意図していない視覚的情報は決して伝えるな
(驚いているように、悩んでいるように、必死であるように、
人を操っているように見られてはいけない)
→相手が貴方のことを知らない利点を捨ててはいけない

○あくまで真実にこだわれ
(いかなる場合でも完全に誠実に弁護をする方法はある)

○繰り返すな(両手にしっかりと勇気を握り締めて)

“THE MANDATORY RULES”
○弁護士が法廷で自分の意見を述べることは許されない
(弁護士は一方の当事者を援助するために存在するのである)

○最終弁論では証拠に基づく事柄しか述べることができない
(指摘したいものは証拠調べの中で触れておかなくてはいけない)

“ADVOCACY AS THEATRE”
☆法廷を目指すことはプロの舞台を目指すことと同じ
→弁護士の仕事は法廷をアマチュアの学芸会ではなく
プロの演劇作品にすることである
→舞台俳優に憧れる気持ちがないならば法廷弁護士は辞めるべき
(勇気と想像力が要求され泣き出したくなる?????%その時に立ち上がり
前進する力が求められる、それによって自分の心が打ち砕かれないように)

☆全力をつくせ、手抜きするな
(全身全霊を捧げられないならば転職せよ)

☆事前準備こそが最良の投資
(これこそが法廷弁護にとって最も重要なこと)

○事実認定者を楽しませよ
(彼らに物語を伝えよ、始まりと中間そして結末を考えよ、流れを持続せよ)

☆削れるところはすべて削れ

○事実認定者をこれからの展開に備えさせよ
(正しく地ならしをしておけば法廷で何でもすることができる)

☆自分の声の音量を知れ、話すスピードと音質を変化させよ、
タイミングと中断の力を知れ、音量を上げる時は細心の注意をせよ
(自分自身を検査することに臆病になってはいけない、
他の人々は法廷で貴方を一日中検査するのだから)

“THE PSYCHOLOGY OF ADVOCACY”
☆法廷援護の素材は壊れやすい

○好人物であれ

☆共感を与えよ、事実認定者と同化せよ
(自分が判事席に座っていることを想像すれば共感できる)

☆要求する代わりに招待せよ、教える代わりに提案せよ

○事件の弱点を最初に語る人物は自分自身でなくてはならない

☆まず自己の最終弁論を書け
(そこで気づいた足りない部分を埋めることが準備)
→相手方の最終弁論を書き自分の最終弁論を仕上げよ

“THE EXAMINATION OF WITNESSES”
○予め自分のほしい答えを考えてその答えだけを得られる質問を組立よ
(多くの弁護士が証人尋問を恐れるのはこの青写真が無いため)

○事実そのものを扱っているのではなく証人が事実であると
信じているものを扱っていることを忘れてはいけない
(決して証人に助けを求めるな)

○”Yes or No”で答えを要求する際には注意せよ
(取調べの雰囲気を取り除くため慎重に)

“EXAMINATION IN CHIEF”
☆How?→What?との間を行き来する習慣を身につければ
尋問はその往復のリズムに乗ってきてより明確でわかりやすいものになる

○基礎づくりをしてからか事実を引き出せ

“CROSS-EXAMINATION”
☆欲しいものが手に入ったら止めよ
(反対尋問に成功することは快感だが決して夢中になるな)

○衝撃をやり過ごせ(狼狽を隠せ)

○公判は情報を発見する場ではなく
反対尋問は獲得できそうなものを探し回る時ではない、
事実認定者に予め計画した証拠を提供する時である

☆ゲームのこの段階において我々は事実を探求しているのではない、
我々は事実認定者に対するプレゼンテーションを行っているのだ

○決して証人と論争してはならない

“FINAL SPEECH”
☆感情は事実に続く、その逆ではない
(問題なのは事実認定者の感情であって貴方の感情ではない)
→最後の最後にのみ感情を発露する機会を与えることができる

○人生において自分が最もエネルギッシュだった時のことを振り返り、
その時の自分を目盛りの最上端におき、自分が最も怠惰で
打ちひしがれた時を思い起こしてこれを目盛り最下端におけ
→考えるまでもなく現在の自分がどの状況にあるかを正確に知ることができる

○かつて無かったほどの相互に結び合ったいまの世界くらい
聡明で巧みな法廷弁護士が弁論し説明し説得する
必要性と機会が求められる時代は無かった

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2000 11/24
法学一般
まろまろヒット率3

小此木啓吾 『秘密の心理』 講談社 1986

懸賞で当てた図書券を『バガボンド』(講談社モーニングKC)購入に使った、
らぶナベ@先入観を捨てて読んでみると意外に面白いっすよ(^_^)

さて、『秘密の心理』小此木啓吾著(講談社現代新書)1986年初版。
精神科医が書いた秘密がもたらす作用をテーマにした本。
これは文句なしに面白い!(^o^)
精神医学のアプローチから秘密が与える人間関係への影響や
さらには社会構造までを視野に含めて書かれている。
症例による具体例だけでなく有名な映画や物語の中に潜む秘密の効果を
心理的作用の視点から分析しているので読んでいて楽しかったりする。
例えばこの著者によると『忠臣蔵』の面白さはどうやって秘密を全うしたかの
苦労話にあるし『勧進帳』は秘密を見逃すところが感動を与えてくれる。
松本清張の『天城越え』は思春期に誰もが体験する親や憧れの人に対する
原光景体験(幻滅や失望)と自律がテーマだとしている。
何となく納得(^^)
さらにこれ系の本によくあるような単なる分析に終わらずに、
現代を原光景(親や尊敬するものに対する幻滅)社会と定義して、
その病理性を騒ぎ立てるのではなく積極的な歴史的過程と捉えなおして、
不可知に耐える自我能力の必要性を提起している点は
単なる医学者の書いた心理本を越えている。
主張の善し悪しを別にしてもその挑戦的な姿勢はすばらしい。
薄い本だけど単純に面白さだけでいえば今年読んだ本の中で
1,2をあらそうくらいの本じゃないかな?

以下は重要だと思ったところから書き出したチェックポイント・・・
☆アンネ・フランクはキティさんという架空の人物を造りあげ、
この対象と対話するという形式で『アンネの日記』を書いた
→子供は親以外に秘密や親密さを共有する対象と出会い、
心の中でそれらとの関わりを通して親から自立した心の構造を形成する
→一歩誤ると親からも離れ、しかも新しい対象も発見できず、
人との関わりのよりどころを失って心の真空状態に落ち込むおそれがある
→親以外の親密な対象を持つことができるかどうかが発達心理上重要

☆恥の心理はその人物が心の中でどんな自己像を持とうとしているか
によって決まる面がある→本質的には自分に向けられた怒り

☆相手に誉めてもらうなどの形で自己愛を満たしたいという
受け身的な自己愛の満たし方が日本的な甘えの心理
→相手にどう思われるか、自分の自己像を受け入れてもらえるかどうかが
日本的な人間関係では最も重要なテーマとなる

☆人みしりは日本的な甘えや依存の心理と深く関わっている
→日本人が世間に対して自分のことを恥ずかしいと思うときの、
その世間とは全くの他人を意味しているわけではなく
むしろそれは顔みしりの集まった自分と一体の世間のことである
→こちらが優しい相手を期待するからこそ人みしりも起こる

☆公式な課題集団の情報伝達構造に十分な信頼をおかず、
非公式な憶測集団に自分を置いて情報を得ようとするのが日本的組織の特徴
→職場からすぐに帰らなかったり仕事の後にみんなで
飲んだりしなければならなくなるのはこのため
→米国の精神科医による日本人は同性愛的な気持ちが強いとの指摘

☆原光景体験を通して親に幻滅した子供はその幻滅と失意の克服を通して
やがては親との間に同等な人間同士としての対話的構造を作り上げていく、
現在の原光景社会はそのような社会的自我の発達と真の対話的構造を持った
情報交流可能なより成熟した社会への過渡的な一段階とみなすことができる、
このような積極的な歴史的意義を見失って現代の様々な原光景反応を
ただいたずらに病的な徴候とみなすことは集団幻想時代へ逆コースを
引き起こすおそれがある、それはタブーと抑圧の支配する隠蔽社会への逆戻り
→いま我々が身につけなければならないのは不可知に耐える自我能力である

・”secret”はラテン語”scereta”(分泌物)から来ている
→自分の分泌物を触れさせない距離感が他人との境界

・一杯飲みたくなる気持ちの中には秘密(分泌物)を共有する
一体感への渇望がある

・それまでタブー視していた家族についての不満や批判を
家族以外の人間に打ち明ける経験が自我の目覚めを体験するきっかけとなる
→精神分析やカウンセリングが発展したのは核家族化が進んで
個々の家族メンバーに対する家族の支配権が弱まったため

・子供の心の健全な発展には親は親、子供は子供という
世代境界の確立された秩序感覚が大切
→この世代境界はあらゆる組織にも存在する

・乳幼児期から子供は親に対して大便処理に関する嘘をつく
→フロイトによると自分の大便に対する執着が自己感覚の形成と
自律的な意思の成立につながっていくとされる

・サディズムとは相手の見せかけの強さ、尊厳、美しさなどの社会的、
人格的価値の背後にひそむ、弱さ、汚れ、醜さを暴く心理のこと
(その心理は強迫告白の心理と深層で深く関わっている)
→いじめ、家庭内暴力を引き起こす衝動がこれ

・原光景反応(幻滅など)が進むと自分自身が直接触れることのできる
狭い世界に退行したり現実を超えた神秘的な世界を頼りにするようになる

・人みしりは人に笑いものにされることを恐れる心理であり、
ユーモアは自分から笑いものになって結果として
他の人から笑いものにされることを防ぐ心理的技術

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2000 11/18
心理学、教育学、社会学
まろまろヒット率5

折橋徹彦・杉田正樹 『うその自己分析―虚感の時代を生きる』 日本評論書 1999

NHK総合でいま一番あつい番組、『プロジェクトX』
マニアのマニアによるマニアのための番組だと思えてならない、
らぶナベ@あの痛さが最高っす!

さて、『うその自己分析~虚感の時代を生きる~』
折橋徹彦・杉田正樹著(日本評論書)1999年初版。
社会心理学者(第1部)と哲学者(第2部)による嘘に関する共著。
嘘が良いとか悪いとかいう倫理観ではなくどうして嘘をついたのか、
その背景には何があるのかという科学的アプローチを持って
嘘と接する必要がある仕事をする予定なので読んでみた。
これは以前読んだ『人はなぜウソをつくのか』渋谷昌三著(河出書房新社)
1996初版を読んだ時と同じ動機からだが精神医学的な視点で書かれた
『人はなぜウソをつくのか』と違って、この本はエッセイ風になっている。
(自然科学と社会・人文科学との本質的な差でもあるのだろうけど)

特に哲学者が書いた第2部は純粋な読み物としてもとても面白く感じた。
例えば「世界一の美女はいたのか、それともいなかったのか」
というエピソードはドイツの捕虜収容所でフランス兵が
「この独房に世界一の美女がいることにしよう」というルールを決めて
活き活きと生活しているのに対して
捕虜収容所の所長がその世界一の美女を連行しようとし、
またフランス兵たちがそれに抵抗するというものだ。
世界一の美女なんていなかったに決まっているが、かといって
彼らを動かしていたのが世界一の美女であるのことも事実だ。
そしてこれこそが宗教や神や真理、社会原理だと言っている。
「意味は、意味であるが故に無意味である、と言える。なぜか。
ゲームがルールによって支えられているように、
意味が成り立つのは、それを支える広い意味での文法があるからだ・・・
意味は、最終的な文法がない以上、宙づりになっている、ということだ」
という風に結論づけているが妙に印象に残っている。
身近なエピソードだけでなく各哲学者の嘘に対する接し方を紹介するなど
哲学入門としてもすごく良い本ではないだろうかとも思った。
社会心理学の視点で書かれた第1部も面白かったがどうせ非科学的ならば
割り切って人文科学的なアプローチに徹したこの第2部の方が説得的だった。

基本的に僕は社会・人文科学的な心理学のアプローチには
どうも説得力が欠けると感じる傾向があるけれど
この本は読み物としても面白かったし、倫理的ではなく事実的として
嘘を考えるきっかけとして良い本だった。
けっこうお薦めかもしれない。

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2000 10/31
心理学、教育学、社会学、哲学
まろまろヒット率4

『行政書士「2000年合格」実戦模試』 東京法経学院出版 2000

10月22日に実施される行政書士試験のために購入してみた一冊。
3回分しかないのに2000円は高いな、誤植も多かったし。
二回まわしたが一回目は65%くらいしか取れずちょっと不安になったが
(二回目は確実に90%以上にもっていった)
『行政書士マスターDX』も二回まわしたので何とかなるかな?
あとは天命にゆだねよう。

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2000 10/20
法学一般、資格
まろまろヒット率2

弥永真生 『リーガルマインド商法総則・商行為法』 有斐閣 1998

この本で弥永真生のリーガルマインドシリーズはすべて読破、
商法の体系書はすべて押さえたことになる。
そしてこれで憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法の
いわゆる六法はそれぞれの分野で第一級と言われる体系書を
すべて一通り読み終えたことになる。
思い返せば去年の11月にゼロの状態から勉強を始めて
約1年(11カ月)で法学の基礎を完全制覇することができた。
入門書も含めてこの一年で読んだ法学関係の本は41冊。
これで自信を持って次の展開に進んでいける。
とにもかくにもグランドスラム達成(^o^)

『リーガルマインド商法総則・商行為法』弥永真生著(有斐閣)1998年初版。
タイトル的には商法的な視点やものの考えについて書かれているのかな
と思ったがこれは『リーガルマインド会社法』の方に強調して書かれていた。
この本はリーガルマインドシリーズの最後に書かれたものだからだろう。
前に読んだ手形法・小切手法と同じく商法総則・商行為法は必要だけど
それほど重要ではなく概念的なことを理解しておけば良いだけな上に
このシリーズは図解を多用して理解させることを目的としているので
あえてチェックした項目は少なかった。
これ系の体系書では分量も抜群に少なかったのもちょっとありがたかった、
何しろ伊藤眞の『民事訴訟法』や数冊に及ぶ内田貴の『民法』などは
泣きそうになるくらい分量があったので(^^;

以下、チェックした箇所・・・
<第1章 商法の意義・適用範囲と商法総則・商行為法の視点>
☆実質的意義の商法=企業に関係する経済主体の私的利益の調整を目的とする
法規制の総体=「企業法説」

☆商事に関しては商事制定法→商習慣法→民法の順で適用される
(慣習法が民法よりも優先する)

☆商法総則では取引の安全は「外観主義」と「公示主義」から図られる

<第4章 商号>
☆紛らわしい名前の会社が近くにできて損害を被る場合には(商号権の保護)
第1に21条で使用差止&損害賠償請求が可能
第2に不正競争法2条で侵害の停止or予防を請求できる
(4条で損害賠償請求も可能)
第3に商号が登記がされていれば20条でも使用差止&損害賠償が可能

<第6章 商業帳簿>
○商法計算規定の目的=第1に株主・会社債権者間の利害調整のため、
第2に株主と会社債権者に意思決定の資料を与えるため

<第7章 商業使用人と代理商>
○表見支配人(42条)の要件となる本店または支店とは
営業所の実体を備えていなければならないとするのが判例・通説

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2000 9/24
法学、商法
まろまろヒット率3

弥永真生 『リーガルマインド手形法・小切手法』 有斐閣 1999(補訂)

気がつけば自分のオリンピックが閉会されていた、らぶナベっす。

さて、『リーガルマインド手形法・小切手法』[補訂版]
弥永真生著(有斐閣)1999年補訂。
先に読んだ『リーガルマインド会社法』に続いて読んだ
手形法&小切手法の基本書。
手形法の基礎的な問題点を民法とのつながりを重視して書かれている。
手形法&小切手法はそれを学ぶ必要性は一応あることにはあるけれど
(試験にも出るので)いまいち学ぶことへの意欲がわかない分野だ。
手形も小切手も普段接することが少ない上に抽象的な議論が多いので
妄想溢れる僕のイマジン力をもってしても
実体的なイメージがわきにくくかなり理解に苦労した。

以下、チェック項目・・・
<Part1 約束手形の意義と手形法の視点>
☆信用取引は買主にとっては資金繰りを楽にし、
売主にとっては資金繰りを苦しくするという財務的効果をもつので
「債務者は信用を受けること(支払期限を先に延ばすこと)を望んでいる」
という仮定に立てば債権者は自分の資金繰りが苦しくなるのをいやがるで
そのための対策を考えなければならない
→その対策の一つは債権の譲渡を容易かつ確実にすること
→技術的には有価証券化すること、より本質的には抗弁の主張制限、
譲渡を容易にするための担保責任を譲渡人が負担するなど

○手形が「担保のために」授受され債務者が原因関係の履行期を
徒過している場合には、債権者から手形の返還を受けなくても
債務者は履行遅滞になる(最判昭40.8.24)

○原因関係の無効・不存在・消滅は、
手形関係の無効・不存在・消滅をもたらさない=「手形の無因性」

<Part2 約束手形>
○「一覧払」=支払呈示があった日を満期とするもの(手形法77条1項)

○手形交付をめぐる学説の対立に関しては二段階構成説ではなく手形行為も
手形の授受という方式によって行われる契約と考える「交付契約説」が通説

○手形行為における意思表示の瑕疵や無権代理などの問題は
手形法に明記がないので民法を適用

○「変造」=手形債務の内容を決する手形上の記載に
他人が無権限で変更を加えること(抹消を含む)
「偽造」=行為者の署名を変更すること

○法律行為としての裏書きの効力=「権利移転的効力」、「担保的効力」

○裏書きの連続を欠く場合でも手形所持人が自己の実質的権利を証明すれば
権利行使が可能とするのが判例・通説
→手形法16条1項は単なる権利推定を定めているだけであって
裏書きの連続を権利行使の要件とはしていないから

○善意者介在(手形法17条)をめぐっては善意者の下で抗弁が切断されるとする
「切断説」が通説

☆判例では裏書不連続手形の呈示であっても遡求できる
「遡求権保全効」が認められている(大阪高判昭55.2.29)←学説は否定的
=裏書不連続手形の所持人もその実質的権利を客観的に裏書の不連続を
補完して裏書の連続のもつ形式的資格と同等の地位を所持人に
肯定しうるような証明をして呈示した場合、
あるいは裏書の連続以外を理由に支払拒絶をした場合に認められる

☆「支払呈示」→支払呈示期間内になされる呈示
(遡求権保全効あり・時効中断効あり)
「請求呈示」→支払呈示期間が経過しても手形上の権利が時効によって
消滅しない限り手形所持人は主たる手形債務者およびその手形保証人に対して
手形金の支払を請求できるのでこのような支払呈示期間経過後に
手形を呈示して手形金の支払を請求すること
(遡求権保全効なし・時効中断効あり)

☆「利得償還請求権」=手形上の権利が手続の欠缺または時効により
消滅した場合に所持人が振出人、引受人または裏書人に対し
その受けた利益の限度で償還の請求をなしうる権利(手形法85条)
=所持人が権利の消滅により発生した利得の償還を債務者に請求できる趣旨
→要件=1:手形上の権利が有効に存在し償還請求者が
その権利を有していたこと、2:手形上の権利が手続の欠缺または時効によって
消滅したこと、3:請求の相手方である手形債務者に利得が存在すること

○「除権判決」=権利と紙切れの結びつきを解いて有価証券を無効にすること
←公示催告手続を経たうえでなされる

○その白地を補充する権利=「補充権」の存否が
要件欠缺による無効手形と白地手形を分ける差(大判大正10.10.1)

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2000 9/19
法学、商法
まろまろヒット率3

弥永真生 『リーガルマインド会社法』 有斐閣 1999(第4版)

気がつけば自分もオリンピックが開催されていた、らぶナベっす。

さて、『リーガルマインド会社法』[第4版]弥永真生著(有斐閣)1999年第4版。
「この本の目的は会社法を素材にどうやって説得するかについて
イメージを持ってもらうこと」と最初に著者が断言しているだけあって
会社法的な視点や考え方についての理解に重点をおいた学術書。
会社法の視点としてそれぞれのポイントをカテゴライズし
それらの関係をあらわした図解を基本にしていて、
どんなに後半に進んでいってもその図解に書かれた視点に言及しているので
いまの議論が会社法全体の中でどういう位置を占める話なのかが
簡単に理解できるでとても使いやすい。素直に良いと言える一冊。

<はしがき>
☆法律は説得の学問であり、相手を納得させるためには
「結論への筋道」と「結論の妥当性」が必要
→一人一人の価値観が異なる以上、「説得力ある結論」は
必要性と許容性によって支えられているから

<「結論への筋道」入門>
☆文理解釈(条文にこう書いてある)が本来は普通の解釈だが
それでは妥当な結論が得られないとか直接規定した条文がない場合に
どのように処理するかが法律学を知っている者の腕のみせどころ
→法律の文言どおりに考える場合以外は立法趣旨をまず示すことが必要
→条文を文言どおり適用すると妥当な結論が得られない場合には
縮小解釈を使う、直接規定した条文がない場合には拡大解釈、
類推解釈、反対解釈を使うなど

<第1章 会社法の意義と目的>
○会社法の規定は原則として強行法規なので特に規定がない限り
強行法規や定款に違反した行為は無効
←会社の社員間や社員と経営者の間には利害の対立が生じやすく
一般の株主の利益を守るために法の後見的作用が必要になるから
(特に株式会社は関係者が多数にのぼるため)

○取引の安全と会社の利益が衝突する場合には「相対的無効」が構成される
(会社の対外的行為の効力を善意の第三者に対する関係では有効と考えるが
他の関係では無効と考える)

<第2章 営利社団法人としての会社>
○濫用、形骸化など形式的独立を貫くことが正義公平に反する場合には
会社の独立性を否定して会社(法人)とその背後にある社員(株主)とを
同一視する「法人格否認の法理」が適用されることがある
→契約の解釈によって解決できる場合が多いのであまり適用されない

<第3章 株式会社法の前提と視点>
☆表見代表取締役(262条)や表見支配人(42条)などの「外観主義」の要件は
外観の存在、外観への信頼、外観作出への帰責(予因)

<第4章 株式>
○株主平等の原則に反する会社の行為は取引の安全と衝突しないので無効

○株式譲渡の制限に違反した場合は会社の利益や株式会社制度の健全化の
観点からは無効とすべきだが取引の安全を図るため相対的無効と考えるべき
また、会社の利益を図ることのみが制限の目的の場合には対会社の関係で
無効にすれば足りるから当事者の利益を考慮して当事者間では有効とする

○「自己株式の取得禁止」(210条)とは発行会社の計算において
発行会社の株式を取得すること
・自己株式の無償取得は210条違反には当たらない
 →会社資産を減少させることも不当な投機に悪用されることもないから
・会社名義であっても他人の計算でなされれば210条違反には当たらない
 →株式取得から生じる損益は第三者に帰属し第三者が資金を出しているので
 資本維持の原則に悪影響を与えないから

<第5章 機関>
☆株式会社の機関の特色
=「機関資格と社員資格の分離」、「機関権限の分掌」

☆「株主総会の決議の瑕疵を争う訴え」には
決議の成立過程における手続や法令・定款に違反したか著しく不公平な場合、
決議の内容が定款に違反した場合、特別利害関係人が議決権を行使したため
著しく不当な決議がなされた場合などの「決議取消の訴え」(247条)と、
決議が存在しない場合または決議内容が法令に違反した場合の
「決議不存在・無効確認の訴え」(252条)がある

○「決議取消の訴え」は判決の確定があるまでは一応有効な決議を
その決議の時に遡って無効とすることを目的とする形成訴訟
→裁判所は取消の訴えが手続の瑕疵についてはその違反事実が重大でなく
かつ決議の結果に影響を及ぼさないと認められる時には
請求を棄却することができる=「裁量棄却」(251条)

○「決議不存在・無効確認の訴え」は当然に無効なので
いつでも誰でも主張でき、また必ずしも訴えによることを要せず
抗弁としてでも主張できる

☆「取締役会」←意思決定の権限、
「代表取締役」←執行自体と対外的代表の権限
・・・の両機関が並立的に株式会社の業務執行機関を構成している

○取締役がその取引によって取得した金銭その他の物を
会社に引き渡させる「介入権」(264条3項)を取締役会は持つ

○取締役が違法な行為をしようとしている時その行為をやめることを請求する
「違法行為差止請求権」を株主(272条)と監査役(275条の2)は持つ

<第6章 設立>
☆会社の設立の特色=「実体の形成」、「法人格の付与」

☆設立では資本充実(資本に見合う会社財産が会社に確保されていること)が
最重要

<第7章 株式会社の資金調達>
○「株式」←株主たる地位に基づく団体的性格、
「債権」←単に債権者としての地位に基づく個人的性格

○株主総会は法令・定款記載事項につき決議できる(230条の10)のに対し
社債権者集会の決議事項は法定され、それ以外の事項を決議するには
裁判所の許可を必要とする(319条)

○新株発行は会社の一部設立の面を持つ
→実質的には会社の人的・物的規模の拡大

<第8章 企業の基本的事項の変更>
○「合併比率」=合併の際、消滅会社の株主にその有する株式何株に対し
存続会社のいかなる新株を何株割り当て
または存続会社の株式を移転するかという割当比率
→合併による資本増加額は消滅会社の純資産額を超えてはいけない、
当事会社の財産状態からみて公平でなくてはいけないという原則がある

<第9章 株式会社の計算>
☆株式会社の計算に関する法規制の目的
=「配当可能利益の算定」、「会社の財務内容の開示」

○会社債権者が会社財産維持に重大な利害を有することを考えて、
違法配当が行われた際には会社債権者は違法配当額を会社に返還することを
株主に対しても求めることができる(290条2項)

○会社債権者が取締役に違法配当額の弁済を請求できる
266条1項1号は無過失責任

この本をamazonで見ちゃう

2000 9/16
法学、商法
まろまろヒット率4

伊藤眞 『民事訴訟法』 有斐閣 2000(補訂)

サッカーオリンピック日本代表の要を担う中村俊輔は
何か確固たるポリシーのもとであの髪型をしているのか気になっている
らぶナベ@ずっと前からあのままだから・・・

さて、『民事訴訟法』[補訂版]伊藤眞著(有斐閣)2000年補訂第1版。
民事訴訟法研究の第一人者による体系書。
著者は同姓同名さらに同大学出身の予備校経営者とはまったくの別人。
民訴はこの著者の本と上田徹一郎の本とどちらにしようか
最後の最後まで悩んだが少し難解でも後々のためになるような気がする
こっちの本を購入・・・読み始めてちょっとだけ後悔(^^;
何しろバリバリの理論書なので他の本と比べても極端に事例紹介などの
具体例が少なく(刑訴の方が判例の紹介が多かった)
抽象的な表現を具体化するのに苦労した。
さらに入門者を想定していない高度な理論書らしく
ポイントや説明が一つの箇所にまとまっていないので
事前に民訴の入門書を3冊読んでいてもかなり要点をつかみむのに苦労した。
(この本を解説していたある人は「頭の良い人の文章とは大抵こういうもの」
ということを言っていたようだが確かに納得)
そして1冊単位で見れば僕が法律関係で読んだ本の中で
最も分量があったのでとにかく読むこと自体がかなり大変だった。
途中でこういう本は一通り流れをつかんで必要なら戻ってこようと開き直り、
読み進んだがチェック項目をまとめるのにもちょっと苦労した。
とにもかくこれで民訴、刑訴の両手続法は読み終えたことになる(^_^)

以下、チェック&要約・・・
<第1章 民事訴訟法への招待>
☆自力救済が許される範囲が極めて限られる理由はそこには
単に一方当事者の権利主張があるにすぎず何ら客観的根拠がないため
→ただし最近は事態の緊急性や手段の相当性などを考慮して
より拾い範囲で適法性を認めてゆく傾向にある(最判昭40.12.7)

☆解決内容の正当性を保障するための方策=中立的解決機関、正当な解決基準

○調停(民事調停・家事調停)における解決内容の正当性は
両当事者の自由意思に基づく合意→調停では解決基準に法を適用することは
要求されておらず条理に反しない限り法と異なった内容でも許される
→そのため効力には執行力は含まれるが既判力は含まれないとされる(民調16)

○調停と違って第三者である仲裁人の裁判に従う仲裁には
当事者が仲裁人の仲裁裁判に従う拘束力がある
→仲裁においてはあらかじめ仲裁契約の形で仲裁判断の拘束力について
当事者間の合意がなされているから(公催仲裁786)

○民事訴訟法は中立的紛争解決機関として裁判所が手続を主宰する、
紛争解決基準として実体法が適用される、
相手方である被告は応訴の意思に関わらず手続
=訴訟法関係に組み込まれるという点で調停・仲裁とは異なる

○非訟事件は権利義務の確定を目的としないので
要件事実認否の確定は必要ない
=そのため審理手続きを口頭弁論によって行う必要がないし
相対立する2当事者の存在も必要ない

☆非訟手続が憲法82条に反するかどうか→権利義務関係の存否そのものを
確定するためには訴訟手続によらなければならないが
権利義務が存在することを前提としてその具体的内容を形成することは
非訟手続でも許されるとされる(最大決昭35.7.6)

○付随手続=強制執行手続、民事保全手続、倒産処理手続
特別手続=督促手続、手形・小切手訴訟、少額訴訟、人事訴訟、行政訴訟

☆訴訟法は訴訟という大量現象を公平に規律しなければならない役割を担って
いるのでその解釈も当事者の個別的事情のみにとらわれることはできないが
一方で権利義務をめぐる当事者間の紛争に解決を与える役割もあり
公益性の名の下に当事者の利益が無視されてはならない
→具体的問題に関する法解釈にあたってはこの二つの要請=
「公益性」vs「紛争解決性」をどのように調和させるかが重要な判断要素

☆当事者間の紛争が訴訟の形をとって裁判所に持ち込まれた場合に
最初になすべきことは当事者間において何が真の争いかを発見すること
が重要=「争点整理」→争点が圧縮されれば当事者の合意が成立しやすくなる

○「効力規定」=その規定に違反する訴訟行為の効力が否定されるもの
(任意規定と強行規定それぞれある)
「訓示規定」=その違反が訴訟行為の効力に影響をもたない規定

☆判決に?おいてある法的結論が示されていてもそれが当該事件の解決に
とってのみ意味を持つものか、一般通用性を持つものかを考える必要がある
=「判例の射程」問題

<第2章 受訴裁判所>
○外国国家は民事裁判権に服しない=「主権免除」
→ただし国家の私法的行為については主権免除を認めない制限免除主義が通説

○国際裁判管轄とは民事裁判の対物的制約を具体化したものとされる

○事物管轄は原則として当事者の意思で変更ができない専属管轄ではないので
当事者間の合意(11条)や被告の応訴(12条)によって変更されることがある

○管轄に関しては「原告は被告の法廷に従う」のがローマ法以来の原則だが
現行法では大きな機能を果たしてはいない

○財産上の訴えは義務履行地に(5条1項)、不法行為の訴えは不法行為地に
(5条9項)裁判籍が認められる
→加害者とされる側が原告となる損害賠償債務不存在確認訴訟でも
不法行為地の裁判籍が適用される(東京地判昭40.5.27)

○原告が管轄違いの裁判所に訴えても被告がこれに対して異議を唱えずに
応訴すれば当該裁判所に管轄権を認めてもよい(12条)

<第3章 当事者>
○自然人は死亡で法人は解散によってその当事者能力は消滅するが
解散法人も清算の目的範囲内では存続するものとみなされるから(民73条)
清算の結了までは当事者能力が残存する
(法人の機関には当事者能力は認められない)

○地方公共団体には当事者能力が認められる(自治21条)が
行政庁には民事訴訟での当事者能力は認められない
(ただし行政訴訟では当事者能力が認められる)

○「法人格なき社団」の要件=対内的独立性、財産的独立性、
対外的独立性、内部組織性(最判昭39.10.15)
→実体法上は民法の組合であっても訴訟法上は法人格なき社団として
当事者能力が認められる(大判昭10.5.28)

○当事者能力が認められる者は訴訟上の請求の主体or
その相手方になりうるが訴訟行為の結果によって
重大な利益・不利益を受けるので法はさらに「訴訟能力」を
一定の者に限って認めている→そのため当事者もしくは
補助参加人としての地位を持たない者は訴訟能力が要求されない(民102)

○未成年者と成年被後見人は訴訟無能力者なので
法定代理人によってのみ訴訟行為をすることが許される(31条)
被保佐人と被補助人は彼らの同意もしくは
これに代わる家庭裁判所の許可が必要(民12、16条)

○人事法律関係では本人の意思が尊重されることを考慮して
訴訟行為について能力制限を受けた者であっても
法定代理人や保佐人等の同意を得なくても訴訟行為が認められる(人訴3条)

○本人たる当事者のために訴訟代理人が複数存在する場合であっても
それぞれの代理人が単独で当事者を代理する権限を有するので
相手方や裁判所の訴訟行為も一人に対してなせば足りる
=「個別代理の原則」(56条)

<第4章 訴え>
☆訴え=裁判所に対する審判の要求=「訴訟行為」
審判の対象=被告に対する請求=「訴訟物」
→二つは相手方が異なる

○訴えの類型の中で「確認訴訟」がもっとも基本的な類型
(どの訴訟も確認判決的性質を内包しているため)

○「形式的形成の訴え」は権利関係の確定を目的としないので
その実質は非訟事件(最決昭43.2.22)
→法律関係の重要性などの政策的理由から訴訟手続になっている
→処分権主義&弁論主義は妥当しない=境界確定の訴えなど(大連判大12.6.2)

☆「訴訟要件」=訴訟行為の有効性、当事者の実存&当事者能力、
訴訟能力&訴訟代理権、裁判権&管轄権、訴訟費用の担保提供、
訴えの利益&当事者適格、不起訴の合意&仲裁契約の不存在、
二重起訴の不存在

☆訴えの利益=「権利保護の資格」&「権利保護の利益」

☆権利保護の資格=「法律上の争訟」
→判例が定める法律上の争訟=訴訟物が当事者間の具体的権利義務
または法律関係とみなされること(最大判昭27.10.8)、
訴訟物についての攻撃防御方法が法令の適用に適するもの(最判昭56.4.7)

○近年多発している宗教団体の内部紛争に関して
住職の地位確認を求める訴えはそれが宗教上の地位であり
具体的権利義務または法律関係にあたらないから権利保護の資格を欠くが
住職の地位を前提とする宗教法人の代表役員の地位の確認の訴えは
訴訟物が法律上の地位となるから認められるとされる(最判昭55.1.11)

☆権利保護の利益=訴えの提起の必要性&許容性

○将来の給付訴えの利益が認められる要件=
履行期が到来してもその履行が合理的に期待できない事情の存在、
もしくは給付の?性質から履行期の到来期において即時の給付がなされないと
債務の本旨に反する結果となるか原告が著しい損害を蒙る場合

○確認訴訟の対象となりうる訴訟物も権利関係に限られるのが原則だが
過去の事実関係であってもその確認が現在の法律関係をめぐる
紛争の抜本的解決に適切かつ不可欠である場合には確認の対象となる
→国籍訴訟など(最大判昭32.7.20)

○請求の内容が一般的に裁判所による審判に適するものかどうかが
権利保護の資格、
当事者と訴訟物との関係について裁判所が本案判決をなすべきかどうか
当事者適格

○訴訟物たる権利関係の主体に認められる当事者適格の例外が訴訟担当
→担当者自身が当事者となる点で訴訟代理とは違う
(職務上の当事者、選定当事者など)

☆給付訴訟の訴訟物に関して訴訟物論争がある=同一の社会生活関係から
占有権に基づく返還請求権と所有権に基づく返還請求権の二つが発生する場合
実体法上の請求権の個数に着目して二つの訴訟物が
成立するとするのが旧訴訟物理論(通説・判例)
→紛争の一回的解決という点からは新訴訟物理論が優れているように見えるが
裁判所の釈明権行使、信義則による遮断効の拡張、
二重起訴の範囲の拡張などを使用すれば旧訴訟物理論でも不利益はなく
民202条1項に新訴訟物理論は接触する

○処分権主義は私的自治をその根幹としているので私的自治が制限される
権利関係(人事訴訟、会社関係訴訟)では処分権主義も制限されることがある
また私人間の権利関係が訴訟物とならない形式的形成訴訟でも制限されうる

☆一部請求で後遺症の損害賠償が問題となることがあるが債権全額を前訴で
明らかにすることは不可能であるので一部請求の考えにはなじまない
→後遺症に基づく損害賠償請求権は同一不法行為に基づくものではあるが
別個の被侵害利益によるものとして実体法上別の権利であるから
むしろ前訴の訴訟物とは別の訴訟物となり何ら前訴判決による訴訟法上の
制限&結果を受けるべきではないと考えるべき(最判昭43.4.11)

<第5章 訴訟の審理>
☆訴訟指揮権=審理の進行に関する行為、審理の整序に関する行為、
期日における当事者の訴訟行為の整理に関する行為、
訴訟関係を明瞭にするための措置

☆口頭弁論の進行=訴訟物たる権利関係の存否の判断に
必要な事実を裁判所の判断資料とするための手続=「事実主張」
→これらの事実のうち裁判所の判断の対象となるべき事実を確定する手続
=「争点整理」・・・この二つを合わせて「弁論」
→争いとなる事実についての証拠申出&それについての証拠調べ
・・・現行法は「適時提出主義」&「証拠結合主義」の下に
三つの手続を段階的に区別せず一体のものとして進めることを原則としている

○準備的口頭弁論(164条)と違って弁論準備手続(168、169条)は
傍聴の可能性は認められているものの公開を要しない期日で行われる
→争点整理は弁論準備手続が原則だが社会的関心が高く
争点整理自体について広く一般の傍聴を認めることが合理的な事件の場合には
準備的口頭弁論による争点整理が適するとされる

☆適時提出主義が原則だが「時機に遅れた攻撃防御方法」は却下される
→その要件=時機に遅れて提出されたものであること、
それが当事者の故意または過失にもとづくものであること、
それについての審理によって訴訟の完結が遅延すること(157条)
→攻撃防御方法には事実主張、証拠申出だけでなく否認や自白の撤回など
それにもとづいて審理の必要を生じさせる当事者の訴訟行為も含む

☆「弁論主義」=訴訟物たる権利関係の基礎をなす事実の確定に必要な
裁判資料を当事者の権能と責任に委ねる原則(159条、179条)
第1:主要事実(権利関係を直接に基礎づける事実)については
当事者による主張がなされない限り裁判所はこれを判決の基礎にはできない
第2:主要事実について当事者の自白の拘束力が認められる
第3:事実認定の基礎となる証拠は当事者が申し出たものに限る
(職権証拠調べの禁止)
→ただし一定の事項については弁論主義と対立する概念である
「職権探知主義」&「職権調査主義」が適用される

○事実&証拠に関わるものが「弁論主義」、
審判の対象の定立&処分に関わるものが「処分権主義」

☆裁判所は訴訟関係を明瞭にするために事実上&法律上の事項に関して
当事者に問いを発しまたは立証を促すことができる=「釈明権」(149条1項)
→当事者は裁判所に対して釈明権の行使を求めることができる=
「求問権」(149条3項)上に裁判所が合理的な範囲で釈明権の行使を
怠った場合には釈明義務違反として上告理由が認められる

○別の事実が独立に法律効果の変動につながるかどうかが
「抗弁」と「否認」との違い

☆複数の主張の順序に当事者が条件を付ける場合には
それが訴訟手続の安定を害する不合理なものでない限り
いずれも訴訟資料として扱われる=「仮定的主張」、「仮定的抗弁」
(原告がその所有権の取得原因として売買契約の存在を主張して
これが認められないときには取得時効の完成を主張するのが仮定的主張、
賃金返還請求訴訟で被告が第1に金銭受領事実を否認し
予備的に弁済を主張するのが仮定的抗弁)

○私法行為には信義則(民1条2項)、権利濫用禁止原則(民1条3項)が適用される
→当事者の訴訟行為についても信義誠実訴訟追行義務を課したのが2条
(最判昭34.3.26、最判昭41.7.14など)=訴訟上の禁反言、訴訟上の権能の失効

○取調べの対象となる有形物が「証拠方法」、
取調べの結果として得られるのが「判断資料」、
証拠資料の中で裁判官の心証形成の原因となるものが「証拠原因」

☆因果関係の証明について判例の判断=「特定の事実が特定の結果発生を
招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、
その判定は通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を
持ちうるものであることを必要としかつそれで足りる」(最判昭50.10.24)

○自白の撤回が認められる場合=第1に相手方の同意がある場合、
第2に自白が相手方または第三者による刑事上罰すべき行為によって
おこなわれた場合、第3に上記のいずれの要件に合致しない場合であっても
自白が錯誤に基づいてなされた場合→錯誤を主張するためにはその前提として
自白事実が真実に反することの証明が要求される
(自白当事者は本来自己が証明責任を負担していなかった事実について
錯誤の内容として証明責任を負担せざるを得ない)
さらに過失の有無は問題とならない(最判昭41.12.6)

☆肯認的争点決定主義に基づく「擬制自白」(159条)の対象となるのは
自白の対象と同じく弁論主義に服する主要事実に限定される
→ただし権利自白についても自白と同じく
その中に含まれる事実に関する擬制自白が成立しうる

☆民訴は刑訴と違って伝聞証言と違法収集証拠に対しての制限が緩やか
=反社会的手段を用いて採集された証拠については証拠能力が
否定されることを前提としながらその程度に至らないとして
無断録音テープの証拠能力を肯定した判例がある(東京高判52.7.15)

☆損害賠償請求の証明責任は損害賠償請求権を主張する当事者が負うが
証明度の特例として確信に達していない時であっても
相当な損害額を裁判所が認定できる(248条)=「証明度軽減法理」
→自由心証主義の例外(特許法105条の3など)

○保全事由(証拠保全の要件)=第1に証拠方法の客観的性質から
将来における証拠調べが困難となる事情、
第2に証拠方法の支配者の行為という主観的事情によって
得られるべき証拠資料の取得が不可能になる場合(234条)
→どの程度の具体性が要求されるかについて医師のカルテなどで議論がある

<第6章 訴訟の終了>
○訴えの取下げによって訴えの提起に基づく訴訟関係や訴訟行為は
遡及的に消滅する(262条1項)

○本案の終局判決言渡し後に訴えを取り下げた者は
同一の訴えであれば再訴が禁止される(262条2項)
→ただし訴えの取下げ時と比較して後訴の提起時に訴えの提起を必要とする
合理的事情が存在すれば同一の訴えとはみなされない(最判昭52.7.19)

☆訴訟上の和解のメリット=原告か被告かの一刀両断的判断ではなく
「条理・実情にかなった解決」が与えられる
→条理・実情にかなった解決とは事実関係について証明責任による判断を
避けるという意味でも、法的基準を条理によって
修正するという意味でも用いられる

☆数個の請求について一個の判決がなされ一部の請求についてのみ
不服申立てがなされた時でも確定遮断効は判決全体について生じる
=「上訴不可分の原則」(大判昭6.3.31)

○定期金賠償を命じた確定判決について後遺症の程度など口頭弁論終結時に
損害額の算定の基礎となった事情に著しい変更が生じたことを理由として
当事者が確定判決の変更を求める訴えを提起することができる(117条)

○既判力の目的は紛争解決基準の安定、当事者に対する手続保障(114条)
→既判力の時的限界または基準時は事実審の口頭弁論終結時

○取消の主張は既判力によって遮断される(最判昭36.12.12)、
解除権も基準時前にいつでも解除権行使が期待できた以上
解除の効果を主張することは既判力によって遮断される

○確定判決?中の判断のうち主文に包含されるもののみが既判力を有するのが
原則(114条1項)→特定された訴訟物は実体法上の権利関係であるから
実体法上の属性=法的性質も既判力によって確定される
→これに対して判決理由中の判断そのものには
114条2項が規定する相殺の抗弁の場合を除いて既判力が認められない

○「仮執行宣言」の要件=請求が財産上のものであり
その必要性が認められる場合(259条)

○仮執行宣言はその宣言を変更する判決または本案判決自体が
変更されることによってその限度で効力を失う(260条)
→仮執行宣言の効力が消滅すれば仮執行宣言によって
被告が給付したものの返還やそれによって被告が受けた損害の賠償を
裁判所が原告に命じなければならない
(損害賠償責任については判例&通説は無過失責任説を採用)

○155条2項によって弁護士の付添いが命じられた場合の他は
弁護士費用は当事者費用には含まれない(民訴費2条)
→その根拠は弁護士強制主義が採用されていないためだが議論が続いている

○訴訟費用に関する担保提供の方法や手続は他の法令によって
訴えの提起について立てるべき担保に準用される(81条)
→株主総会決議取消の訴え(商249条)、株主代表訴訟(商267条)など

○経済的余裕の無い当事者には裁判費用などの支払いを猶予し
その者が勝訴した時には訴訟費用の負担を命じられた敗訴当事者から
国が費用を取り立てる制度=「訴訟救助」は法人も対象となる

<第8章 多数当事者訴訟>
○現在の判例&学説は特別な補助参加人の地位について
「共同訴訟的補助参加」という特例を承認している
→共同訴訟的補助参加人の地位=当事者の訴訟行為と接触しても
補助参加人の訴訟行為が主たる当事者に
有利なものであるときはその効力が認められ、
補助参加人の上訴期間が主たる当事者とは独立に計算される
EX.破産管財人を当事者とする訴訟に参加する破産者、
債権者代位訴訟に参加する債務者など(この地位の特例以外の補助参加の利益、
補助参加の手続、裁判の効力などはすべて通常の補助参加の場合と共通)

○当事者が補助参加の利益を持つ者に訴訟係属の事実を通知する
「訴訟告知」は被告知者が告知側に補助参加しなかった場合に
被告知者は参加できた時に参加しなかったものとみなされ
参加的効力によって拘束される機能がある(53条)

<第9章 上訴>
○上訴制度の歴史は手続保障の視点から上訴の機会を保障するものと
正義の迅速な実現の視点から上訴を制限するものとの衝突によって動かされた
→手形・小切手訴訟や少額訴訟では不服申立てが異議に限られ
控訴が認められていないこと(356条)、最高裁が上告審となるときは
法令違反が絶対的上告理由とはならないこと(312条)などは
この二つの対立を考慮したもの

○仮執行に基づく執行力は上訴による確定遮断効の影響は受けないが
抗告に関しては即時抗告についてのみ執行停止の効力が認められる(334条)

○控訴審=事実認定の不当or法令適用の違背→「事実審」
上告審=法令適用の違背に限られる→「法律審」

○控訴による不服は訴えについての第一審判決の判断を対象とするものだから
第一審判決の理由が不当であってもその結論において正当である時には
控訴棄却の判決がなされる(302条1項)

☆最高裁への上告理由は憲法違反or絶対的上告理由に限られるが
その他に上告受理申立理由も定められている(318条1項)
→日本は英米と違って判例の一般的拘束力は認められていないので
下級審が上級審の判例に示された法例解釈と異なった判断を
示すこともありうるので下級審判決に対して判例の解釈を
維持すべきか変更すべきかを判断する必要があるため
(判例違反が法令解釈に関する重要な事項を含むのはそのため)
→判例違反がない場合でも最高裁として判断を示す必要があれば
上告受理申立理由が認められる

<第10章 再審>
○民訴でも確定終局判決に対して10の事由を定めて再審

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2000 8/29
法学、民事訴訟法
まろまろヒット率3